【2368】 すごい裏切られた気分  (翠 2007-09-02 23:59:26)


(マズイ、マズイ、マズイってばーっ!)
 紅薔薇のつぼみ、と呼ばれリリアンの生徒たちに慣れ親しまれている祐巳は、脇目も振らずに薔薇の館へと急いでいた。
 なぜかというと、本日緊急の会議があるという事を、つい先ほどまですっかり忘れていたからである。どうしてか、部外者が知るはずのないその会議の事を、新聞部の真美さんに指摘されて思い出したのだ。
(どうしよう! このままじゃ間に合わないっ! あと、真美さん恐るべし!)
 冷や汗やら脂汗やらをかきながら廊下を走るように歩いていた、そんな時だった。廊下の曲がり角から急に飛び出してきた、見知ったおかっぱ髪の一年生と衝突したのは。
「ぎゃっ」
「……」
 祐巳は弾き飛ばされて、無様な悲鳴を上げた。けれど、どういうわけかおかっぱ髪の少女は祐巳と衝突したにも関わらず、無言のまま微動だにしない。
 尻餅を突いた祐巳は、お尻の痛みに顔を顰めながらも彼女を見上げて、内心「仲間ができた!」と安堵の溜息を吐いた。
「乃梨子ちゃんも会議の事忘れていたの?」
「いいえ、違います。それから、私は乃梨子ではありません」
「え?」
 乃梨子ちゃんの返答に、祐巳は立ち上がりながら目を丸くした。
(ひょっとして、何かの悪戯なのかな?)
 そう思って周囲を見回してみるも、そういう事を乃梨子ちゃんに仕込みそうな人物――例えば、聖さまとか由乃さんとか――の姿は見当たらない。
 そんな祐巳の反応などまるで気にしてないらしい乃梨子ちゃんが、淡々とした口調で続けた。
「私は、未来の世界からあなたを助けるためにやってきた如来型ロボット、ニョラいもんです」
「……」
 頭をぶつけたようには見えなかったが、見えない所でぶつけていたようだ。しかも、相当に打ち所が悪かったらしい。祐巳は顔色を真っ青にした。
 いったい、どのあたりが如来型なのか、さっぱり分からない。だって、目の前にいる彼女はどう見ても、座敷童子と日本人形をかけ合わせたような愛くるしい顔立ちの、いつもと変わらない乃梨子ちゃんにしか見えないのだ。
「ちなみに、漢字で書くと、如来者となります」
 無機質な声で、どうでもいいような事を続ける乃梨子ちゃん。
「そ、そう。それは良かったね」
「信じていませんね?」
 どう信じれば良いのよ? と言いたいのを祐巳はぐっと堪えた。頭がヤバイくらいおめでたくなっているらしい彼女とマトモに会話するのは、危険で無駄だと判断したためだ。
「信じていらっしゃらないようなので、私が未来からやってきたという証拠をお見せしましょう」
 そう言って、乃梨子ちゃんは祐巳を指差した。
「今、祐巳さまは困っていますね?」
「う、うん。すっごく困ってる」
 会議に遅刻する事よりも、乃梨子ちゃんの頭の方が心配だ。もしかすると、志摩子さんに殺されるかもしれない。

「祐巳さん。乃梨子にいったい何をしたのかしら?」
「事故っ! 事故なのよっ!」
「言い訳は不要よ」
「自分で聞いておいて『不要』って酷くない!?」
「黙りなさい! 白薔薇流奥義! お姉さま譲りのセクシャル・ハラスメント!」
「ああっ、何だか本当に技の名前みたいに聞こえるし、恥ずかしいやら気持ち良いやら――」

(って、私ってばいったい何を考えているの!?)
 どうやら自分も、相当テンパッている上に電波っているらしい、と祐巳が頭を抱えていると、こちらを指差したまま乃梨子ちゃんが言った。
「なぜ困っているのかというと、あなたは薔薇の館に急がなくてはならないから」
「それはそうなんだけど。でも、その事なら今朝、乃梨子ちゃんも聞いてたよね?」
 祐巳のお姉さまである祥子さまが、山百合会のメンバー全員の前でそう言っていたのだ。その場には当然、乃梨子ちゃんもいた。
「そんなあなたに、大変良いものがあります」
 うわっ、私の質問なんてスルーしてくれやがった! とこめかみの辺りをヒクつかせながら彼女を見ていると、乃梨子ちゃんは制服のポケットから、どうやって入れていたのか巨大な扉を取り出した。
「『どこかへドア』です」
「今、どうやって出したの!? っていうか、どこかへドア!?」
「はい。このドアは一見普通のドアに見えますが、実は別の場所に一瞬で移動する事が可能な道具なのです。しかも、行き先はランダムで選ばれるという優れもの」
「全然ダメじゃんっ!」
 激しくツッコミを入れた祐巳に、乃梨子ちゃんの片方の眉が跳ね上がった。
「何ですか、その言葉遣いは? 淑女らしくきちんとした言葉遣いをしなければ、この『ショッ○ガン』で粛清しちゃいますよ?」
 ポケットからあからさまに武器なソレを取り出し、スチャッと構える乃梨子ちゃん。
「今、○の所、『ク』じゃなくて『ト』って入らなかった?」
「はい。『ク』ではないだけあって、殺傷力は抜群です」
「……私を助けに来たんだよね?」
「ええ、そうです」
 うわっ、私に向かってショットガン構えたままサラリと答えやがった、と祐巳は戦慄した。
「どうやら、どこかへドアが気に入らないようですね」
「当たり前でしょ」
 通行の邪魔にしかならないから早く片付けて欲しい。あと、危ないから銃口をこちらに向けるのもやめて欲しい。
「では、代わりにこれを」
 そう言って乃梨子ちゃんが次に取り出したのは、どこからどう見ても、ただの竹とんぼにしか見えないものだった。
「『タケトンボー』」
 全くの棒読みで乃梨子ちゃんが言った。どうやらそれが、彼女が手にしている道具の名前らしい。
「……ただの竹とんぼにしか見えないんだけど」
「いいえ。文字が全てカタカナな上に、名称の最後の部分に『ー』が付いています。なので、普通の竹とんぼではありません。この道具は頭に装着する事によって、一直線に宇宙に向かって飛ぶ事ができます」
「いや、宇宙には行きたくないなぁ」
 行きたいのは、薔薇の館だ。あと、「飛ぶ事ができます」じゃなくて「飛ぶ事になります」の間違いだと思う。
「我侭ですね」
「そういう問題じゃないと思うんだ、私は」
 祐巳が言うと、乃梨子ちゃんは静かに瞼を閉じた。
「では、発想を変えてみましょう」
「発想を変える?」
「はい。薔薇の館がなくなってしまえば、遅刻したからといって祐巳さまが叱られる事はありません」
「……」
 何だか物騒な事を言い出した乃梨子ちゃんに白い目を向けるが、彼女は至って真面目らしい。ポケットからやたらと大きな、どこからどう見ても立派な爆弾にしか見えないブツを取り出した。
「まさか、地球ごと破壊してしまおうって言うんじゃないよね?」
「心配ありません。これは『薔薇の館破壊爆弾』と言って、薔薇の館のみをこの世界から消し飛ばしてしまうために作られた爆弾です」
「やたらと用途の限られた爆弾なんだね……」
 何だか頭痛がしてきた。
「でも、そんな物騒なものは使いたくないよ」
 ズキズキと痛む頭に手を当てながら、祐巳は早くしまうように促した。
「そうですか……」
 やたらと残念そうな表情を浮かべて、乃梨子ちゃんが渋々と爆弾をポケットにしまう。そんなに使いたかったのだろうか? と思いながら祐巳は、今何時だろう? と腕時計を見て、
「ああっ、もう完全に遅刻じゃない。お姉さま、絶対に怒ってるよ」
 頭から湯気を噴きつつ、髪を振り乱しながら怒り狂っている祥子さまを想像して青くなった。
 そんな祐巳に、「では、こちらを使ってみてはいかがでしょうか?」と乃梨子ちゃんが提案してくる。
「今度は何?」
「心配なさらずとも、今度は満足していただけると思います」
 ポケットに手を入れた乃梨子ちゃんが、そこから電話ボックスを取り出して得意げに言った。
「『もじもじボックス』です。これに入って、隅っこの方で丸くなってずっとモジモジしていれば、誰であろうと叱る事はできないでしょう。私なら、そんな危険な人物に近付きたくはありません」
「……」
 もうね、呆れて言葉が出てこないです。
「不服そうですね」
 当たり前よ。誰が好き好んで、そんな電話ボックスの中で、モジモジだかウジウジだかしなきゃならないのよ、と祐巳が頬を膨らませていると、聞き慣れた声が背後から響いてきた。
「祐巳っ!」
「ひょえっ!」
 凛としたよく通る声に、小さく悲鳴を上げながら振り返った祐巳の視線の先には、
「いくら待っても来ないから何かあったのかと思って心配して探しに来てみれば、そんな所でいったい何をしているの!」
「お、お姉さまっ!」
 額やらこめかみやら、何かもう色々な所に青筋立てている祥子さまのお姿。
 何という事だろう。あの祥子さまが、直々に薔薇の館から祐巳を探しにきたらしい。しかも、こんな所で油を売っている祐巳を見て、怒り心頭のご様子。祐巳には、ズンズンとこちらに近付いてくる祥子さまが鬼婆――ゲフンゲフン――鬼に見えた。
「どっ、どどどど、どうしよう!?」
 慌てながら、乃梨子ちゃんへと縋るような眼差しを向ける。すると、祐巳の眼差しを受けて乃梨子ちゃんがコクンと頷いた。
「お任せください。大事な会議に遅刻した淑女の風上にもおけない祐巳さまのために、この私が何とかしてみせましょう」
 彼女のせいで完全に遅刻したような気がするのは、果たして祐巳の気のせいだろうか。
「祥子さまをぶっ飛ばす、とかはナシだからね」
「分かっています」
 釘を刺す祐巳にそう返して、乃梨子ちゃんがポケットから取り出したのは、『みかん』と書かれたダンボール箱。
「それは?」
 また何かしら物騒な道具なんじゃないでしょうね、と訝る祐巳に向かって、乃梨子ちゃんは淡々と言った。
「これに入って捨てられた子猫のような眼差しで見上げていれば、きっと叱られません」
「もういい加減、自分の世界に帰れ」
「そうしたいのは山々なのですが、こちらに来る時に『タイムトラブルマシン』が故障して、未来に帰れなくなってしまったのです」
 あくまで淡々と言う彼女に、それを直すような道具は持ってないのか? と疑問に思うと同時に、そんな名前のものをよく使う気になったなぁ、って感心した。



*オマケ*

 祥子さまに、これでもか! っていうほど怒られた後。

「ところでお姉さま。会議って、何の会議だったんですか?」
「それが、実は会議どころではなくなってしまったの。瞳子ちゃんが、『私は未来からやってきました』とか、『私の名前はドリミです』とか、わけの分からない事を言って館で暴れているのよ」
「……」
 薔薇の館破壊爆弾の出番かなぁ、と祐巳は思った。


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