【2397】 ちょっと抜けてるお騒がせキャラお茶が出てきたら  (若杉奈留美 2007-10-21 10:19:32)


庭ではかすかにサラサラと、水が流れる音がする。

しばらくしてからカッコンと、ししおどしが傾く音。

一言も発することなくお茶をたてる世話薔薇総統。

その手の動きに無駄はなく、目つきは真剣そのもの。

髪をアップにして渋めの色の着物を着ているのがよけいに怖い。

もはやいかなるミスも許されない、緊張の極致。

手先を見守る祐巳の額ににじむ汗。

ただでさえ狭いこの茶室が、よけいに圧迫感をもって迫ってくるようで。

(ああ…脱獄したい…)

秋も深まるとある休日。

風情のある茶室でお茶をいただくこの瞬間は、しかし祐巳にとってはまったく心休まることのない瞬間だった。


ことは先週の日曜日、突然の電話から始まる。

「もしもし、ごきげんよう祐巳さん」
「あっ、由乃さん、ごきげんよう」
「今大丈夫?」
「うん、いいよ。どうしたの?」

急に由乃の声が曇った。

「今手元にお茶会の招待状が来てるんだけど…差出人がちあきちゃんなんだよね…」

「え?お茶会?」
「そうなのよ…祐巳さんどうする?私行きたくない」

これまでマナーについては何度も注意を受けてきた。
小笠原家で恐怖のテーブルマナー特訓をさせられたこともあるし、
ちあきの命を受けたユーゲントたちが知らない間に自分の部屋をガサ入れしていったこともある。
あまりのことに抗議した由乃だが。

「お部屋でお菓子を召し上がりましたね?後始末をしっかりしないとG繁殖のリスクが増しますよ」

部屋にあったポテトチップの袋を見せられ、絶句。

(っていうか…ヘタすれば建造物侵入罪に問われますからー!)

心のうちで一度は叫んだが、そんなヘマをやるほどユーゲントの連中がバカではないことは由乃がいちばんよく知っている。
そのユーゲントたちを統べるのが、祐巳の孫にして瞳子の妹、史上最強で唯一無二の称号と権力を得てしまった現紅薔薇さまである。
そんな彼女が主催するお茶会…これはもはや拷問だ。

「とりあえずその日は行けませんって返事出しといた…」
「私も断ろう。旧世代はみんな行かないっていうし…」

大きな溜息をつきながら、電話を切った。
が…事態は祐巳の思うとおりにはいってくれなかった。


「あら、これって…」

先ほどから洋服ダンスの中身を整理していた母が、突然声をあげた。

「私の若い頃の着物じゃないの。今度のお茶会にちょうどいいわね」

今度は祐巳が叫ぶ番だった。

「なんでそのこと知ってんのー!?」
「さっきちあきちゃんから電話があったわよ。お茶会全員に断られちゃって、もう祐巳しかいないんですって。だからOKしておいたわよ」

(余計なことを…!)

ただでさえ山百合会への憧れが強い母。
次世代メンバー、とりわけ現紅薔薇さまの正体など知るはずもない。
いくらこちらでちあきの怖さを力説しても、右から左へ流れてゆくだけだろう。
祐巳に残された選択は、「諦める」これ1つだった。

志摩子さんに着付けを手伝ってもらいながら、祐巳はまるで自分が何か別の生き物になったような気分になっていた。

「大丈夫よ、祐巳さん。あれでもちあきちゃんは優しいほうだと思うわよ?」
「…自分専属の秘密組織なんて持ってる薔薇さまのどこが優しいのよ…」

返事を返す声に、力はなかった。


そして。

「祐巳さま。入れますか?」

M市郊外にある小さな茶室のにじり口。
そこから体をかがめて入るのだが、お尻がギリギリで悪戦苦闘。
その様子を見てもちあきは手伝いもせず、ただ無表情に眺めているだけである。

「…ちあきちゃん…」
「私は手伝いません。こういう場所の入り方を覚えていただくためです」

我が孫ながらなんという冷たさ。
祐巳はギリギリと歯をくいしばった。

「畳のへりを踏んではいけません」
「…っ!」

気がついた時には、祐巳の左足は畳のへりの上にべったりと乗っかっていた。

「ご、ごめんなさい。失礼しました」

あわてて左足をへりから下ろす。

「それではどうぞ、お座り下さい」
「失礼致します」

ようやく座布団をすすめられた祐巳だが、座布団の真上からいきなりドシンと座ってしまった。

「違います」
「…今度は何?」
「座布団に座るときには、座布団のななめ後ろあたりからにじり寄るように座るのが正しい座り方です」
「…はぁ」

しかたなく座布団から降りて、もう一度座りなおした。

「結構です」

そして冒頭のシーンに至るわけなのだが。
この時点で祐巳はいろいろな意味で疲れ果てていた。
おまけに極めて正座が苦手で、5分もするとすぐ足がしびれてきてしまう。
もうこの時点で、両足の感覚はゼロに等しかった。

やがて出てきた1杯の濃いお茶とお菓子。

「いただきます」

まずはお菓子を先に1口。

(おいしい…けど、欲を言えば砂糖がもっと多くてもいいかな)

出された栗ようかんの甘みは、甘党の祐巳には物足りなかったようだ。
さすが薔薇の館でカ○ピスを原液で一気飲みして、伝説を作っただけはある。
そしてお茶を口に含んだ、そのとき。

ブーッ!!

お茶のあまりの熱さと苦さに、祐巳は思わず口に含んだお茶を噴出した。
しかもなんというタイミングの悪さだろう。
今まで別のほうを向いていたちあきがこちらに向き直った瞬間に、見事な水芸ならぬお茶芸を披露してしまったのだから。

「ああっ、ごめんねちあきちゃん、大丈夫?やけどしなかった?」

すでにかなりテンパっていた祐巳は、ちあきの背後に漂う殺気という名のオーラにまったく気づいていない。

「…大丈夫です。こんな着物、うちには何着もありますから」

寛大なセリフだが、声は震え表情は凍り付いている。
これはまずい。
一刻も早くなんとかしなければ。

そう思ってそばに置いたハンドバッグからハンカチを取り出し、ちあきのもとに立ち上がろうとした、次の瞬間!

「きゃーっ!」

完全に感覚のなくなった足は、もはや祐巳の体を支えることができず、世話薔薇総統の上に倒れ掛かってしまった。

「えっ、あ、あっ…」

動揺する祐巳たちの耳に聞こえるドッシドッシという足音。
やがてにじり口を難なく入ってきたのは。

「お姉さまっ!!大丈夫で…す…」

いったい今までどこにいたのか、悲鳴を聞きつけた瞳子の姿が。
かわいらしい色の着物のすそはバッサバサ。
帯もドリル(!)も乱れ放題。

「…お姉さま。説明していただきますわ」
「えっと、だからこれはその、あの、その…」

もはやパニックで自分でも何を言っているのか分からない祐巳に、瞳子は怒りが大爆発。
そう、瞳子の目に映ったのは、「世話薔薇総統を襲う子狸」なのだ。
もちろん誤解なのだが。

「早くご説明ください」

ズイッ。
1歩距離を縮める瞳子。

「お、お姉さま、誤解です…」

ズイッ。
完全に壊れた子狸に代わって説明を試みる世話薔薇総統だが、あろうことか言葉が出てこない。
そりゃそうだ、祐巳の下敷きになったままなのだから。
瞳子との距離はさらに縮まる。

「何が誤解なのかしら…?たまたま別の用事があってこの近くに来たら悲鳴が聞こえてるから何事かと思ったら…!」

ズイッ。

「ですからお姉さま、これはですね…!」
「ちあき、あなたもなぜ嫌だと言わないの!さてはその気なのね!?」

(いや、その気じゃありませんから…!)

こうなるともう、瞳子の耳にはちあきたちの言葉は届かない。
互いの距離が50cmを切った瞬間、キュイーンとなにやら機械の音。

「食らえ!秘技、サンダードリルスクロール!」
「@*×○※%&〜!!」

言葉にならない悲鳴を残して茶室とともに地面に埋まる子狸と世話薔薇総統。
あとかたもなくなった茶室を眺めて瞳子は一言つぶやいた。

「…だめだこりゃ」


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