【2402】 ケーキの達人佐伯ちあきの憂鬱  (若杉奈留美 2007-11-06 20:32:00)


小春日和の名にふさわしい、ある穏やかな休日の朝。
佐伯家のリビングルームに響き渡る大声。

「お母さん!何やってるの!」
「何って、はるかとおやつ食べてるのよ」

2歳になるはるかと「ね〜」なんて言いながら微笑みあう親子。
それだけなら怒る理由もないのだが、ちあきの怒りは別のところにあった。

「はるかに『いかの塩辛』あげるのはやめてちょうだいって何度言ったら分かるのよ!」

さらにボルテージが上がるちあきだが、お母さんは平気な顔。

「まあそう言わないで、ちあきも食べてみたら?熱燗が一杯欲しくなるわよ」
「そ、そう…?それなら…って、ちがーう!」

危うくお母さんのトラップにかかるところだった。

「とにかく、2歳児にはまだ早すぎます!ほらはるか、それお姉ちゃんにちょうだい」
「いや」
「じゃあジュースと交換しよう?」

ジュースというキーワードに2歳児はすぐ反応して、塩辛のビンを渡した。
それを見てお母さんが一言。

「まったく油断もスキもないわね」
「それはこっちのセリフよ!」

その日の朝は、大きな溜息から始まった。


「それは大変でしたね」

翌日の昼休み。
話を聞いた純子は心からの気持ちをこめて言った。

「いいお母様じゃないですか。ちょっとやり方が問題ありそうだけど」

紅茶を入れてくれながら、さゆみはニコニコ笑っている。

「問題ははるかちゃんの年齢と、食べていたもの、ですよね?」

ちあきの話を自分なりに整理した純子は、確認するようにちあきに問いを発した。

「ええそうよ。2歳児に塩辛なんてありえないわ」

力説するちあきを見てプッと吹き出しているのは智子と真里菜。

「いいんじゃないですか〜、お姉さま。そんなに力入れなくても」
「そうそ。あたしなんてその頃からすでにボッタルガ(からすみ)食ってたし」
「あら、私なんて2歳より前にはすでに麻婆豆腐で口のまわりベタベタにしてたって、この間お母さんが言ってましたよ」

放っておくと珍味自慢を始めそうな親友と妹に、ちあきはぐっさりとクギを刺した。

「あなたたちのことはいいのよ。私が問題にしているのははるかのことだから」

純子は少し考え込むようなそぶりを見せた。

「う〜ん…これに関してはあまり神経質になりすぎないほうがいいかと思います。
確かにお母様のやり方はあまりいいとはいえませんが、かといってまるで与えないとかえってストレスになりますよ。
小さな子どもにとってはおやつは第4の食事とも言われていますから」
「その第4の食事、どうしてあげればいいのかしらねぇ…」

すると今まで黙っていた1年生ズが不意に口を開いた。

「はるかちゃんとご一緒に作ればよろしいのでは?」
「こっちでうまく役割を与えてやれば、2歳でも結構いけるんですよ。
一応、俺の家ではそうしてるし」
「涼子さんは子ども使うのうまそうだよね」

上から美咲、涼子、理沙。

「あと、はるかちゃんが好き嫌いがあるかどうかも重要だと思うけど?」

菜々もこの話題に入ってきた。
それを受けて純子がさらに質問する。

「ちあきさま、はるかちゃんは嫌いなものありますか?」
「う〜ん…そうねぇ。特にないとは思うけど、しいて言うならピーマンは最後まで残るかしら…」
「なるほど」

しばらく腕組みをしていた純子だったが。

「そうだ!ちあきさま、来週の土曜日あいてますか?」
「ええ、あいているけれど…?」
「いいレシピを思いついたんです。一度試したいんですけど、よろしいですか?」
「後始末をきちんとしてくれるならOKよ」
「ありがとうございます。では来週までにレシピをまとめてきますんで、よろしくお願いします」
「そうしてちょうだい」

ちょうどいいタイミングで予鈴が鳴り、山百合会はそれぞれの教室へと戻っていった。


別の日。
佐伯家のキッチンには、大量のピーマンの袋を持った純子の姿が。

「うちの畑でとれたピーマンです…多少小ぶりなので多めに使っても大丈夫かと思います」

そう言ってテーブルの上に重そうにドカンと置いた。

「…で、このピーマンをどうするの?」

額に一筋汗をたらしながら、ちあきが質問する。

「グリルで真っ黒にこげるまで焼きます。かなりの時間がかかるので、その間にタルトの用意をしておきましょう」

冷蔵庫から無塩バターを取り出すと、純子はそれをボウルに入れてぐるぐると練り始めた。
さすがパティシエを目指すだけあって、手の動きはすばやく無駄がない。

「砂糖を入れてください」
「あ、はい」

砂糖を入れようとすると、突然純子がちあきの手首をつかんだ。

「一気に入れないで!」
「え、だめなの?」

小さく息をつきながら純子が言うには、砂糖を全部入れると固くなりすぎるそうだ。

「現に作者はそれで失敗して生地を無駄にしたんですよ?」
「あの人のやりそうなことだわ」
「おまけにケーキを作ろうとして小麦粉全部一気に入れちゃってクッキー生地にしちゃったし」
「二の舞は避けたいわね」

なんだかさりげにひどいことを言われているような気もするが、ともかく話を進めることにする。

「純子ちゃん。ピーマンは?」
「ちょっと確認します」

赤、緑、オレンジ、黄色。
それぞれ2個ずつ、合計8個の表面は見事に炭になっていた。

「いいぐあいに真っ黒ですね。これで皮をむきましょう」

表面のこげた部分をむくと、きれいな色が再び現れた。

「これをつぶして生クリームに混ぜます。こうすればピーマンの癖はだいぶ抜けるはずです」
「なるほど。皮と実の間にある癖が嫌だったのね」
「さすがちあきさま。理解が早くて助かります」

それぞれの色のピーマンをつぶしながら混ぜてゆくと、きれいなパステルカラーのクリームができあがる。
そこにあらかじめメレンゲにしておいた卵白とゼラチンを加え、手早く混ぜて冷蔵庫で冷やし固める。
この間わずか30分。

「手早いわね、純子ちゃん」

表情ひとつ変えず純子は言った。

「これでもゆっくりやっているほうです。お菓子の生地はとにかく手早く扱わないと、生地が死んじゃうんですよ。タルトの生地はどうなってますか?」

生地はちょうどいいようだった。

「小麦粉はしっとりする程度に混ぜればいいです。あとで練りますから」
「了解」

これだけ完璧超人な総統さまが、お菓子を作ったことがないなんて。
意外なことも世の中あると、純子は内心感心しながらタルト生地を冷蔵庫に入れた。
ここで30〜40分休ませると、生地がきれいにまとまって扱いやすくなるのだ。
この間に今まで使った器具を全部洗っておいて、オーブンを予熱しておく。

(人の家のキッチンって使いにくいわね)

汗をかきながら純子は思った。
でもこうして汗をかくのが、純子は決して嫌いではない。
働いたあとのお茶は本当においしいし、何より自分のお菓子を食べてくれた人の笑顔が好きなのだから。
そうこうしているうちにオーブンがピーピーと鳴って、予熱の終わりを告げた。
あとはタルトを焼いて、上にピーマンのムースを彩りよく載せれば完成だ。
180度で30分。

「ムースをこう載せて…できました!」

純子のコールが響き、ちあきは妹を呼んだ。

「はるか〜!おやつができたからおいで〜!」

満面の笑みを浮かべてリビングにダッシュしてくるはるかとともに、
穏やかなおやつタイムが始まろうとしていたが…

ピンポーン。

「ちあきちゃ〜ん、勝手に入っちゃうよ〜」

あの声はまさしく、聞き間違えようもない祐巳の声。
背後に何人か次世代を引き連れているのがキッチンにいてもよくわかる。

バン!
ガサゴソ。
ドタドタドタ。
ドバン!!

「あっれ〜?なんかおいしそうなもの食べてんねぇ〜?」

真里菜の瞳が妙な光を帯びている。

「あ、あの、お姉さま、ちょっとお待ちを…」

妹の懇願もさっくりスルーして、砂糖に突進していくアリの群れのごとく、
祐巳、真里菜、智子、美咲の自称"スイーツ原理主義同盟"はできたての「4色ピーマンのムースタルト」に群がった。
なすすべもなく呆然とその光景を見守っていたちあきたちだったが、我に返ると激しい怒りに襲われた。

「…次世代がいるのは分かるとして、祐巳さま!なぜあなたがここにいらっしゃるのです!?」
「そりゃあ、ねえ?女の子ってそういうもんでしょ」

このところ貫禄が出てきた祐巳は平然とかわした。

「それに…ねぇ?そこに最高級のスイーツがあるわけだし…ねぇ」

なんとも色っぽい目でちあきと純子に視線を投げかけると、真里菜のほうに向き直った。

「ねぇ真里菜ちゃん、純子ちゃん甘そうだから頂いてもいいかな?」
「どうぞどうぞ、のしつけてお渡しします」

実はこのとき真里菜の浮気の証拠をつかんでいた祐巳。
耳元で優しく囁いた。

「浮気は黙っていてあげるから、純子ちゃんと遊ばせて?」

まるで首の部分が壊れた人形のように、コクコクとうなずく以外できなかった。
そして祐巳は純子のもとに近づくと、あれやこれやとやり放題。

〜ピンポンパンポーン。
ただいまキッチンではあられもない狂宴が繰り広げられております。
しばらくお待ちください〜

「ごちそうさま。さて、次は…」
「祐巳さま、私は無理ですよ?何しろこちらはユーゲントもいるんですから」
「うん、知ってる」

意外にもあっさりと答えた祐巳に、一瞬毒気を抜かれたちあきだが。

「ユーゲントのみんなも分かってくれたよ?ほら」

なんとそこには、後ろ手に縛られたちあきユーゲントのメンバーが。

「申し訳ありませんちあきさま、私たちではどうすることもできず…!」

泣き崩れるユーゲントたちをよそに、祐巳はじわじわとちあきに近づいた。

「さあちあきちゃん、一緒に遊ぼう?」
「お、おやめ下さい祐巳さま〜」
「よいではないか、よいではないか」
「あ〜れ〜」

なお、このあとちあきのあられもない姿と、その原因を知った瞳子が、
祐巳たちのもとに松平家特殊部隊を差し向けたが、それはまた別の話である。


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