ついに私にも妹ができた。
名を松平瞳子。独特の髪型に「へ」の字っぽい眉毛の女の子だ。
様々な苦難と乗り越えねばならぬハードルと慣れれば快感に思えるツンを乗り越えて、「デレデレ」と書かれたテープを堂々切ってのゴールイン。
遠く険しいドリルのような螺旋階段を、私はようやく登りきったのだった。
――という再確認をしてみた「三年生を送る会」を終えた翌週頭。
「……なんですか?」
見詰めていること3分、視線に気づかない振りをするのも限界に来た瞳子は、姉を、お姉さまを、この福沢祐巳さまを恥ずかしげにじろりと睨んだ。照れ隠しに睨む辺りが実に瞳子らしくて良い。
「先週までお疲れ様」
これから「送る会を無事終えたお疲れ様パーティー」なるものが開かれるここ薔薇の館には、まだ私と瞳子しか来ておらず、大人しく二人並んで座っている状態だ。
これから少しばかりの休息を経て、いよいよ卒業式の準備に掛かることになる。
三年生が去ることは寂しい。
けれど、妹ができたことも、素直に嬉しかったりする。
送る会は終わったものの、まだ卒業に向けて具体的に動いていないせいか、あまり実感がないのかもしれない。
とにかく、今の私は、瞳子にロザリオを受け取ってもらったことが嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。
「妹になってすぐに大仕事して……いきなり大変だったでしょ? 瞳子は演劇部の方もあったわけだし」
「それを言うなら」
瞳子はふっと、開けっ放しになっているビスケット扉の方を見る。
「いよいよ一人であの大仕事を乗り切ろうとしていた乃梨子の方が、ずっと大変だったと思いますよ」
その目は、まだ現れていない親友に向かっているようだ。
まあ……確かに。二月の卒業間近まで一年生が一人だなんて(乃梨子ちゃんが)絶望的な状況、過去の山百合会の歴史にあったんだろうか。
もしかしたら、私以上に乃梨子ちゃんの方が、瞳子の山百合会入りを喜んでいるのかも。もしやあの時の涙の意味は――いややめておこう。綺麗なものは綺麗なまま残しておきたい。
「妹と言えば、こうなってしまうと由乃さまが心配ですね」
うーん……それも確かに。
「由乃さまは、例の……有馬菜々さんでしたか? クリスマスに同席された。あの子を妹に?」
「そうなると思うけれど、まだなんとも」
クリスマス以来、由乃さんと菜々ちゃんがどうなっているかは聞いていないし、なんだか聞きづらいし。
「妹かぁ……」
茶話会とかやって一緒に苦労した由乃さん。
そんな由乃さんを置き去りにして、こうして瞳子を妹にできた私。
一度はロザリオを拒否した瞳子を諦めずに追いかけ、ここまで来ることができたのも、きっと由乃さんやみんなが支えてくれたおかげだ。
感謝の気持ちは全員にいっぱいあるけれど、こうなるとやはり気になるのは由乃さんのことだ。
由乃さんのこと。
由乃さんの妹。
有馬菜々ちゃん。
……ん?
由乃さんの妹……?
…………
妹……候補……?
「――あっ!!!!!」
妙な引っ掛かりをたぐりよせてみると、恐ろしいまでの極端な思考へと辿りついてしまった。
まさか、とは、思う。
思う、が。
完全に否定はできない。
何せ、前例があるのだから。「妹候補」に。
「ど、どうしましたお姉さま!?」
急に叫んだ私に、瞳子も驚いたように目を見張る。
「……た、大変だ……大変だよ瞳子!」
もう、思わず瞳子の両肩を掴む。
「な、なにがです!? 一から順に――」
瞳子が言い掛ける間に、下から複数の足音が乱暴に階段を昇ってくる。
「どうしたの!?」
「どうしたんですか!?」
叫び声を聞きつけて、淑女らしからぬ激しい動きで駆けつけたのは白薔薇姉妹。
私の目は、志摩子さんに釘付けになった。
「大変だよ志摩子さん! 大変なことに気づいちゃったよ!」
興奮のあまりしどろもどろに説明すること、約5分ほど。
話している間に、みんなの顔色も段々悪くなってきた。
のんびり楽しく過ごすはずだった「送る会を無事終えたお疲れ様パーティー」は、見るも無残な「大失敗を慰めるパーティー」のような様相に変わっていた。
全員の表情が重く暗い。
まるで薔薇の館の周りにだけ、厚い雨雲が息衝いているかのように。
「……な、なるほど……そういうことですか……」
誰もが言葉を失っている中、乃梨子ちゃんは苦々しい顔でしわの寄った眉間を揉む。一難去ってまた一難か、と思うと頭が痛くなってきたのだろう。
「か、考えすぎかな? 考えすぎだよね?」
すがるように尋ねるものの、乃梨子ちゃんは「ちょっと待て」と言う代わりに、私を手で制した。
「確かに極端な考えだと思いますけど、前例がありますから否定はちょっと……」
やっぱり乃梨子ちゃんも、私と同じ推測に辿り着いたようだ。
そう、前例があるから否定できないのだ。
だから心底まずい。
今度は本当に危ない。
今一度同じことが起こってしまったら、さすがの由乃さんも立ち直れないかもしれない。菜々ちゃんに入れ込んでいる分だけ傷も深いだろう。
「……でも」
本当に気の毒そうに目を伏せる志摩子さんが口を開く。
「仮に同じことが起こるとして……でも、だからって、私たちに何ができるのかしら?」
問題はそこだ。
「そもそも……そういえば、由乃さんは?」
「祐巳さん、何か聞いてないの?」
「さあ……掃除当番かも。いやまあ、それはいいとして」
いつ本人が来るかもしれない今、一秒でも無駄にはできない。
これから卒業式の準備でまた忙しくなるし、それが終わったらすぐ春休みだ。こうして集まって作戦会議をする暇もなくなるだろう。
今、話す必要があると思う。方向性さえ見えれば、卒業式の準備期間に入ってもやれることが見つかるかもしれないし、解決法も見出せるかもしれない。
「いやだから、そもそもね」
「祐巳さま」
話そうとすると、乃梨子ちゃんの凛とした強い眼差しが私を黙らせた。
「解決策を話し合う前に、もう一度、祐巳さまの推理を整理してみませんか?」
「え?」
「時間がないのはわかっていますが、瞳子には事の重大さが半分ほどしか伝わっていません」
……あ、そうか。あの話は裏側のことになるから、あの当時山百合会に出入りしていなかった瞳子は全てを知っているわけではない。
それに、私の説明はしどろもどろで意味不明なところも多かったから、乃梨子ちゃん自身も再確認しておきたいのだろう。
もちろん、問題点を浮き彫りにするために、だ。
「じゃあ、私は由乃さんの足止めをしてくるわ。具体的な用事がないから、せいぜい10分くらいしかできないと思うけれど……話が付いたら窓を開けて合図をちょうだい」
言うが早いか、志摩子さんは普段は絶対にない足取りでスカートを翻し、バタバタと会議室を飛び出して行った。
あの志摩子さんが必死。それこそ、この問題がいかに大きいものかを物語っている。
我が姉の背中を心配げに見送った後、乃梨子ちゃんは言った。
「祐巳さまが気づいた点は――」
そう、私が気づいた点は、乃梨子ちゃんからしたら「無駄だった」と結論が出ていた恐れがある茶話会の話。
これが問題の前例になっていたことを、私は思い出したのだ。
「由乃さんは妹候補を追い出したことがある」と。
いや、あれはもちろん、由乃さんだけに問題があったわけではない。相手の子も、その……、少しだけ山百合会を勘違いしていたからだ。
しかし、前例は前例である。
果たして菜々ちゃんが追い出しの対象になる、とは言わないし、会ってみた感じでは歳不相応に……案外私より落ち着いていた印象もあるし。
少なくとも、由乃さんが追い出しに掛かるとは思えない。
そこまで考えて、私はもう一つの前例を思い出した。
ずばり「黄薔薇革命」だ。
姉にロザリオを返して姉妹関係を解消する、という、前代未聞の大騒動の主役は由乃さんだった。
あれに関する噂くらいは聞いていただろう瞳子は、ずっとリリアンだからロザリオを返すという重大さを理解しているし、ほぼ一年過ごしてきた乃梨子ちゃんも、リリアンの姉妹制度を理解している今なら、どれほどのものなのかわからなくもないだろう。
つまり、由乃さんの妹問題は、前例がある以上は候補がいるからと言って油断などできる理由もなく、また先行きも不安だと言うこと。特に一年間の九割ほどを一年生一人という状況で過ごした乃梨子ちゃんが一番不安だろう。
あと、菜々ちゃんを逃したら由乃さんが「もういいや面倒臭いし」なんて開き直って、本気で来年から「黄薔薇さま」が欠番になってしまう恐れもなくはないはずだ。
「――問題は、由乃さまが菜々ちゃんを妹にする直前、した直後ですかね……」
話を整理した乃梨子ちゃんは、狙い通り問題点を浮き彫りにした。
手短に一から前例を出して説明したので、半分ほどしかわかっていなかった瞳子は、私も初めて見るような青ざめた表情だ。「茶話会の裏にそんなことが……」と呟いている。
「それは焦りますね、お姉さま……」
「でしょ? でしょ!?」
なぜか二回問うと、瞳子は律儀に二回うなずいた。ああ、私もまだ動揺しているようだ。
「妹候補を追い出した、ですか……」
「いや、くれぐれも言っておくけれど、あれは由乃さんだけが問題だったんじゃないからね」
「黄薔薇革命で姉を追い出したこともあるのに?」
瞳子の目は冷ややかだ。
「いやいや、それも由乃さんがロザリオを軽く考えてるわけじゃない――」
「その辺のフォローは後で電話ででもしてください」
……乃梨子ちゃんの言う通りか。今はそれどころじゃない。
「やはり相性というのもあると思うんですが」
乃梨子ちゃんは首を捻る。
「……これから由乃さまには失礼なことを言いますけど、オフレコでお願いしますね?」
「うん。それどころじゃないから、話して」
こうしている間にも、由乃さんはここへ向かっているはず。志摩子さんの足止めも「10分ほど」と本人が言っていたから、短くなることはあっても長くなることはないだろう。
「では言います――由乃さまは子供だと思います」
…………うん。そうなるんだね。
「なんというか、年下であることが当たり前になっているんでしょうね。あ、それが悪いとは言いませんけど」
「それはわかってる」
いいから続けて、と私は乃梨子ちゃんに先を促す。
「前例である『追い出し』の件ですけど……もし由乃さまが根気強く付き合っていたら、あの子は今頃は立派なつぼみの妹になっていたかもしれません。あのふてぶてしさは目を見張るものがありましたし」
うん。名前は……ちょっと思い出せないけど。でもあのなんか大物っぽい感じだけは覚えている。
「だから、もう少し、こう……我慢強いというか、粘り強いというか、……すぐにサジを投げないよう忍耐力を付けさせるというか、そういう方向に誘導できれば……」
そうそう、そうだ。由乃さんは感情の起伏が激しいから、ちょっと我慢を憶えてもらえると個人的にも楽というかなんというか。
「――あ、わかったわ!」
お!? 瞳子の目が輝いた!
「結論から言えば、由乃さまに『年下の扱い方』を学んでもらえばいいのね!?」
「そう! それよ瞳子!」
え!? それなの!? それでいいんだ!? …あ、いや、いいんだよそれで! そこだよ! うん!
「それで、解決方法は!? なんか思いついた!?」
「ふふふふ……万事お任せよ。さあ乃梨子、窓を開けてきなさい」
瞳子は、嫁をいびる意地悪な姑のように不敵に笑っていた。
――翌日。
昨日の衝撃から一夜が過ぎ、放課後また薔薇の館に集結した私たち。
瞳子が閃いたアイデアは、瞳子自身が一晩掛けてじっくり練ってくる、ということになっていたので、これから「対由乃さん妹候補ゲット作戦」を実行することになる。
ちなみに由乃さんは、蔦子さんに足止めを頼んでおいたので、まだ来ていない。
「概要は以上ですわ。あとは現場次第です」
瞳子の作戦を簡潔に説明された私たちは……
「「……うーん」」
手放しで賛成はできないけれど、筋は通るような気がして反対もできずにいた。
「ちょっと抵抗感があるんだけど……」
乃梨子ちゃんは……いや、乃梨子ちゃんも感情面で納得できかねるようだ。
「そう? 瞳子としては、妹歴が長い上に本当に年下で、かつ長く由乃さまを見てきた乃梨子に期待しているのだけれど」
まあ、乃梨子ちゃんはまだいいでしょう。瞳子の言う通り本当に年下なんだから。
でも問題はこっちだ。
「どう思う、志摩子さん?」
「狙いは確実だと思うわよ。ただ由乃さんが納得するかどうかが問題かしら」
……だよなぁ。
「具体性がないわよね……そもそも『妹』ってなんなのかしら」
うわ、志摩子さんこんな時に根本的なところに疑問を…!
「とにかくやってみましょう! 多少ベタベタに甘くても構いません! 由乃さまに『年下の扱い方』を叩き込むのです!」
瞳子は拳を振り上げた。
「さあみなさん! やりましょう! やるのです! 本当に由乃さまを思うのであれば!」
力強いその声に、私たちは顔を見合わせる。
戸惑いがある。
だが、それ以上に、今由乃さんのためにできることがあることを知っている。
うん……よし、やろう!
「さあ、行きますわよ!」
今一度、瞳子は拳降ろしてまた振り上げた。
そして私たちも、それに合わせて右手を掲げた。
「「おーー!!!」」
リリアンにあるまじき雄叫びは、マリアさまの心へと吸い込まれていった。
話も着いて、みんながそれぞれ緊張の糸を張り詰めていると、ギシギシと急ぎ足で階段が軋む音がした。
「――ごめん、遅れちゃった」
ついに来た! 由乃さんが来た!
見慣れた三つ編みのその姿を確認すると、私たちは椅子から立ち上がった。
「「ごきげんよう、お姉さま」」
一糸乱れぬ、姉への挨拶。
全員が(私たち同級生も)声を揃えて、擬似姉である由乃お姉さまににこやかに挨拶する。
「……は?」
対する由乃さんは、めちゃくちゃ怪訝そうに面々を見回した。
瞳子の立てた作戦は「全員由乃さまの妹になる」というものである。
同級生である私も志摩子さんも、瞳子も乃梨子ちゃんも。いわゆる模擬姉妹化というやつだろうか。
でも、よくよく考えると「不正解」ではないと私は思う。
数少ない例外を除いて、誰もが「姉」も「妹」も持つのは初めてで、よほどのことがなければその関係はずっと続いて行く。
姉妹の数だけ関係はあり、これが正しい姉妹のあり方、なんてマニュアルは存在しないのだ。
なので、当然上手くいかない姉妹も存在する。
だったら?
だったら、試しに姉妹になってみればいい。
合わなければ別れればいいし、合うならそのまま姉妹関係を続けてもいいと思う。
よく知りもしない相手同士で、いやいや姉妹関係が続き、果てに悲しい別れを経験するより、よっぽどいいと思う。
多少、リリアンの道徳からは外れている気もしないでもない。
でも。
これをやることで、由乃さんが菜々ちゃんとの付き合い方の参考になる部分が多少なりとも存在するのであれば、やる価値はあるはずだ。
由乃さんには余計なお世話かもしれないけど。
でもきっと、由乃さんに私たちの気持ちは伝わるはずだ。
――この後に及んで、由乃さんのためにまだ何かできることがあると思うと、私は嬉しさも感じていた。
一緒に苦労した親友だから。
「…………え? なに? どっきり?」
怪訝そうな顔を崩さず、恐る恐る由乃さんは言った。しかしなぜどっきり?
「はいそうです」
なんと。
瞳子は軽く肯定すると、踊るような足取りで笑顔を振りまきながら、由乃さんの鞄を持っていない左腕を抱く。
「今日は、全員で由乃お姉さまの妹になろうっていうドッキリなんです」
「は、……え? なんで急に……?」
「……瞳子が妹じゃ不満ですか……?」
目を潤ませて、すがるように由乃さんをじっと見詰める瞳子。演技派だ。甘え上手だ。グッと来た。
「いや、不満っていうか……祐巳さんに不満があるんじゃないの?」
はい、多少あります。本当は私の妹なのに……
「お姉さまったら」
志摩子さんが動いた!
「妹にさん付けなんておかしいですわ」
「あえっ? いや志摩子さん、どうしたの!? 志摩子さん……って、本当に全員なの!? 祐巳さんも!?」
はいそうです、と、全員でうなずく。
「……はぁ……変なこと考えるわね」
溜息混じりに由乃さんは口元を緩ませた。「怒る」や「呆れる」ではなく、「これは面白そう」という方向に落ち着いちゃったみたいだ。
だがそれでいい。とりあえず「やる」方向で考えてくれたのなら。
「今日だけですけどね――お姉さま、お席へどうぞ」
意識的に一人離れたところにいる印象が強い乃梨子ちゃんは、由乃さんの紅茶を煎れてスタンバイOK。うん、それが一般的に……いや、山百合会の一年生として正しい立ち位置じゃないかと思う。瞳子はやりすぎ。……甘えるように私の腕も抱いてよ。
というわけで、由乃さんも席について――沈黙。
「…………で……これからどうするの?」
由乃さんの問いには、むしろ私たちがそう問いたいわけで。
「妹になる」とは言ったものの、そんな前に前に突進して「これが妹よ!」って態度で望むのは、変だ。妹は姉に導かれるものだから。それが本来の姉妹制度のあり方だから。
さっきの瞳子のようにベタベタ甘えるのが妹……ってのも、どうかと思うしね。まあ由乃さんの気持ちを掴んだだけ意味はあったと思うけれど。
さてどうしたものかと悩んでいると、志摩子さんが動いた。
「お姉さま、この書類のここがよくわからないんですが」
その辺にあった書類を手に、志摩子さんはわざわざ由乃さんの側に歩み寄る。乃梨子ちゃんが一瞬悔しげな顔をした。
「……志摩子さん、何年ここでやってるの?」
あ、由乃さん素で返した。今その反応はひどい。
だが、志摩子さんは動じなかった。
「志摩子です。呼び捨てにしてください、お姉さま」
「…………」
間近でやわらかく微笑まれ、由乃さんは頬を染めた。さすがは乃梨子ちゃんを骨抜きにした微笑み、破壊力は桁違いだ。あと乃梨子ちゃんがひどく悔しそうだ。
「……し、志摩子、どこがわからないの?」
「ええ、ここです、お姉さま」
顔を寄せる志摩子さんの髪がふわりと由乃さんの頬を掠めると、由乃さんの身体がビクッと飛び跳ねた。
「ちょ、ちょっと。近いよ」
うん、確かに。肩とか腕とかもう密着状態。
「あら、姉妹なんですからいいじゃないですか」
コロコロ笑う志摩子さん。
――その時、私は、今は去りし佐藤聖さまと同じ匂いを志摩子さんから感じ取ったのでありました。
姉妹って……似るのかなぁ?
ぼんやりそんなことを考えている間に、由乃さんは可愛らしく見えるほど初々しく、そしてたどたどしく志摩子さんに書類処理の仕方を教えていた。
「憧れのお姉さまに急接近された妹」
「……だね」
こっそり耳打ちしてきた瞳子の意見に、抵抗なく同意した。今の由乃さんはそんな感じにしか見えなかった。
こうして見ていると、本当に由乃さんは「年下」って印象が強い。そんな風に自覚したことはないけれど、知らず知らず私自身も年下みたいに扱っていたこともあるかもしれない。それも多少のワガママは許される末っ子みたいに。
「なるほど。ありがとうございました、お姉さま」
「み、耳元で囁くなぁっ」
志摩子さんはクスクス笑いながら、悶える由乃さんの側を離れていった。
――後に志摩子さんは語った。
本来のお姉さまである佐藤聖さまには、こんな風に甘えたことがなかったからちょっとやってみたかった、と。それと由乃さんの反応が新鮮で楽しかった、とも。
確かに、由乃さんの反応がちょっと面白かった。
「……ったくもー……志摩子さんキャラ違いすぎない?」
耳を押さえる由乃さんはぼやいているものの、本人もそれなりに楽しいらしく顔は笑っている。
さて。
――次は誰が行く?
無言で重なる視線のキャッチボールの後、言葉を発したのは瞳子だった。
「お姉さま」
「ん? ……なんか瞳子ちゃんにお姉さまって呼ばれると、祐巳さんに悪いわね」
苦笑する由乃さんの目が合ったので、気にしないでいいよ、と言う代わりに手を振って見せた。
「お姉さまって、剣客ものの小説なんかが好きなんですよね?」
「うん」
「おすすめの小説、ありますか? 瞳子、最近活劇に興味がありまして」
「時代劇ものの映画をよく観ているんですよ」と、瞳子は趣味方向に攻めた。この話題はたぶん演技ではなく本音だろう。
「へえ、時代劇。何観たの?」
「一番新しいのは『武士の二分』です」
「タクか」
「ええ」
あ、知ってる知ってる。なんかCM観たことある。
「意外と良かったよね。アイドル俳優……とはもう言えないかもしれないけど、有名所が主演ってところであんまり期待してなかったから、逆に期待を裏切られて良かったよ」
おお……由乃さんが深く食いついた!
「瞳子は人情派の方が合うみたいなんですけれど、お姉さまは?」
「CG系の特殊効果がなければどっちも好きよ。勝の座頭なんて殺陣最高」
「あ、わかりますわかります! 盲目の演技であそこまで動けるなんて感動しました!」
あ、瞳子も食いついた!
「人情派なら、たそがれは絶対外せないでしょ」
「観ました! テレビ放送で観てからDVDで買いましたよ!」
「隠し剣は?」
「もちろん!」
ついていけない時代劇話は、次第に深く深く入り込んでいくのだった……
――後に瞳子は語った。
時代劇が好きな人って周りにいなかったから、途中から「全員で由乃さまの(略)作戦」のことをスコーンと忘れていました、と。それと実際剣道をやっている人の意見も聞けて大変有意義で楽しかった、とも。
……私も時代劇とか観るかな。瞳子と楽しげに話したいし。
「昔の仕事人はすごかった。中村さんの何気なさを装う暗殺術に人情と無情の狭間が伺えた」という話から、なぜか二人がしみじみ落ち着いたところで。
「ふうん……趣味が合う妹っていいね。令ちゃんなんて全然こういう話できないから」
由乃さんは感心しきりに何度もうなずいていた。でも瞳子は私の妹ですから。残念!! ……残念は古いか。
心の中で私こそ「なんちゃって侍」になっていると、こっちを向いている乃梨子ちゃんの視線に気づいた。
その目は語る――この予想外に盛り上がった直後の行きづらい状況でどっちが行くか、と。
こういう一人一人がぶつかる形になるとは思わなかったが、自然とこうなってしまったので、やはり私か乃梨子ちゃんが一人ずつ由乃お姉さまにアタックするのが正解か。
……でも、今も行きづらいけど、トリは嫌だなぁ。
そんな私の思考を読んだのか、乃梨子ちゃんが立ち上がった。……トリは嫌だったのに。
「お姉さま、仏像に興味は?」
「ない」
――後に乃梨子ちゃんは語る。
私も趣味で行こうと思ったけど、あそこまでキッパリ言い切られたらもうどうしようもなかった、と。あと由乃さまって私のこと嫌いなんじゃないか、とも。
嫌ってはいないと思う。単純に趣味で盛り上がった直後だったから、一気にテンションが下がっただけだろう。
瞬殺されて落ち込む乃梨子ちゃんを見て、由乃さんは「乃梨子ちゃんはいつも支えてくれてる感じがするから、無理して前に出なくていいよ」と慰めていた。
それは言える。乃梨子ちゃんは前に出るタイプじゃない――少なくとも一年生としての立ち位置を十分している分だけ無理しなくていいと私も思った。
……さて。
こうなると、全員の視線が最後に残ってしまった私に集まるわけだけれど。
具体的なアタック方法なんて、何も思いつかない。
と、いうか。
私って、自分のお姉さまに甘えたことって、あったっけ?
いや、それは、あるけれど。ソフトクリームをおごってもらったりしたけれど。
でもそれ以外は……うーん……?
…………うーん。
…………んー?
……むう。
ない。
何も思いつかなかった。
未だにあの憧れの小笠原祥子さまの横にいるだけで満足なだけに、具体的にこれと言った甘え方をしていない。
手を繋いで歩いたり、困った時に支えになったり、また支えられたりして。
日常で特に何をしたということもなく、困難に直面した時にこそ何かがあったり。
そんな感じだった。振り返ると。
妹ってそういうものなんじゃないかな。少なくとも私とお姉さまの関係はそうだったし。
……うん、じゃあ、今できるのはこれくらいか。
「お姉さま。紅茶、煎れ直しましょうか?」
「うん。お願い」
差しさわりない日常なら、そのお世話。
これが私の妹像だ。
「本当に雄弁に語る顔よね、祐巳さん」
「え?」
半分ほど残っている由乃さんのカップを取り上げる私に、由乃さんは……いや、全員が苦笑していた。
「祐巳さんにとっての姉と妹って、日常の何気ないお世話なんでしょ?」
「あ、うん、いや、はい」
「やっぱりそれが基本よね」
この反応を見る限り、意外性はまったくなかったが、はずしもしなかったようだ。
「しっかしこうして接してみると、妹のタイプってのも色々あるよね」
そうだね。特に志摩子さんが意外だったね。
「甘える志摩子さん」
または姉をからかう志摩子さん。
「趣味の合う瞳子ちゃん」
または演技派もしくは勉強家の瞳子。
「ひたすら支える乃梨子ちゃん」
それはその通り。
「で、基本を踏まえる祐巳さん」
意外性なくてごめんね。
「……妹か……」
思案げに由乃さんは目を細め、窓を――中等部校舎の方を見る。
たぶん、菜々ちゃんを見ている。
具体的に由乃さんの糧になったかは疑問だけれど、「妹の参考例」程度に見せられたのなら、この作戦は功を成したんじゃないかと思う。
流しへ向かう私は、そんなことを考えていた。
そして、由乃さんが次に漏らした一言に、度肝を抜かれることになる。
「――正直どれも捨て難いなぁ……そうだ、私たちが三年生になったら一姉多妹制にしちゃおうか?」
……え!?
一ヶ月後。
忘却の彼方に追いやられていた「全員が由乃さ(略)作戦」は、菜々ちゃんが由乃さんの妹になったことでふと思い出された。
「そういうこともしたよねー」と、菜々ちゃんを入れてテーブルを囲み、笑い合う。
あの時、由乃さんは冗談冗談と笑っていて、そのままなし崩し的に作戦は終了した。
……と、全員が思っていた、はずだ。
「ごきげんよう……あれ? お客さま? 由乃さんの友達?」
「ううん。私の妹4号」
「えっ」
「初めまして、紅薔薇さま。今度黄薔薇のつぼみ4号になった――」
「いや待って待って! ス、妹4号って!? 4号って何!?」
「あ、祐巳さんにはまだ紹介してなかったか。1号は菜々なんだけど、2号から3号までもういるのよ」
「い、い、い、いるのよって……初耳だよ!?」
「あれ? 志摩子さんにはもう言ってあるし、志摩子さんも3号までの妹と孫が3人いるわよ?」
「ええっ!? 孫まで!? 乃梨子ちゃんまで!?」
「――ごきげんよう。お姉さま、大声を出してはしたないですわ」
「あ、瞳子! よ、よ、由乃さんが妹4号って……!」
「またですか? 作りすぎですわ」
「とか言っちゃって、瞳子ちゃんの後ろにいるその子は誰なの? 3号?」
「失礼な。私はまだ2号止まりです」
「と、と、と、と、瞳子まで!? というか、1号……っていう言い方も抵抗あるけれど、1号すでにいるの!? なんで姉の私に報告してくれないの!?」
「あ、溜まったらまとめて紹介しようと。お手間を取らせるのも悪いですし」
「溜まったらって……ええっ!? こ、これから何人増やす気なのよ!?」
最終的に、山百合会メンバーは過去最高の26人にまで膨れ上がった。
そのかしましさと重量に階段が抜け、会議室は常にぎゅうぎゅう詰めで夏は地獄となり、でも冬は暖かかった。仕事量も26分の1という驚異的な大幅削減が成され、結構プライベートな時間が取れるようになって妹や孫(だいたいいつも多数)とデートしたりとそれなりに楽しく過ごせた。……いや、デートで忙しくて、逆に時間がなくなったのかもしれない。
姉を中心として妹が三人以上いれば必然的に揉め事も起こるもので、いつも問題が発生して退屈する間もなかった。が、逆に新聞部や写真部は各ファミリーを追うだけで一日が過ぎるという多忙極まりない毎日になった。
今山百合会がとんでもないことになっている、との噂を聞きつけ、先々代の水野蓉子やお歴々が顔を出した。
蓉子さまは、最初びっくりして、その後大笑いしていた。
聖さまは、孫やひ孫を膝の上に乗せたり手当たり次第に抱きついたりしてハーレム気分を満喫した。
江利子さまは、「なぜこれに気づかなかったんだ!?」と、本気で orz ←こんなポーズで嘆いた。大げさだな、と思っていたら若干本当に泣いていた。敵意剥き出しの由乃さんが同情すらしてしまうほどだった。
私のお姉さまである祥子さまは、「祐巳は私のものよ!」と言い放ってひ孫と派手な大ゲンカを起こしてしまったので、今後の出入りは禁止になってしまった。
令さまは、自分の妹がやらかした歴史的大改革に、ただただひたすらに関係者に頭を下げて回っていた。
一番大変だったのは、生徒会選挙である。
ここまで来ると各々の個性も際立ち、1号……いや、当初のつぼみであることなどまったく関係なくなり、熾烈なデッドヒートが繰り広げられた。
校内には「紅薔薇1号派」や「白薔薇2号派」や「黄薔薇4号派」などの派閥が生まれ、小競り合いは日常茶飯事(でも淑女らしく)。先を先をと行こうとするあまり、個人の応援歌までできあがる始末。しかもだいたい軍歌系。なぜかはわからない。憶えやすいからだ、と瞳子は言っていたけれど。
また、同じファミリーから紅黄白の三人が当選する可能性も考慮され、選挙の投票方法まで変わってしまった。
……大変だった。
穏やかや平和や優雅とは程遠い、本当に大変で慌しい一年間を過ごしてしまった。
ただ親友を案じてやったことが、ここまで大事になってしまうなんて。
元凶である由乃さんは、卒業を惜しむ妹9人という大家族に囲まれて泣きながら笑っている。
いつもは由乃さんを取り合ってケンカしているような妹たちも、今だけは心を一つに、由乃さんとのお別れに美しい涙をこぼしていた。あと由乃さん妹さっさと作れたので、あの時のあの心配はまったく無意味だったのかもしれない。無責任に増やしてっ。
いや、あれがあったからこそ、なのかもしれないけれど……
黄薔薇ファミリー、本人入れて総勢10人。
唯一私と一緒に由乃さんを止めてくれると信じていた志摩子さんも、さっさと妹を増やしちゃって、乃梨子ちゃん含む妹3人と孫5人に穏やかな笑みを返している。
ちなみに乃梨子ちゃんの妹が多いのは、一人で苦労した時期が長かった反動だ。志摩子さんも乃梨子ちゃんの苦労を軽くしたいがゆえにさっさと増やしちゃったらしい――むろん、本人も気に入った相手ではあるが。
ねずみ算式にもっと増えるかと戦々恐々としていたが、1号……いや、本来の妹である乃梨子ちゃん以外、妹を持つことはなく、白薔薇は全員がとても仲が良く、誰と誰が姉とか妹とか、あんまり関係なさそうだった。
白薔薇ファミリー、本人入れて総勢9人。
そして、紅薔薇である私のところは――
「お姉さま」
「お姉さま」
片方は瞳子。
そしてもう片方は、実は、可南子。
「妹になる気はない」と宣言した可南子だけれど。
由乃さんと志摩子さんが次々に妹を増やしていく中、ただの一人も妹を増やさなかった私に掛かる「祐巳さんまだ妹できないの?」なんて筋違いな二度目のプレッシャー(と、私の妹になりたいという奇特な下級生たちの期待の視線など)と、異常な目の前の現実に押し潰されそうになっていたところで、
「私ならいつも祐巳さまを守れます。形ばかりでいいので妹にしてください」
と申し出てくれたので、日々の忙しい生活に慣れることができず憔悴しきっていた私は「ごめん。本当に形ばかりでいいから」という返事をして、ロザリオを渡してしまった。
その時の可南子のすごく嬉しそうな顔を見て、なんとなくこれでよかったのかも、と思ってしまった。そして可南子のおかげで、この多妹生活にも徐々に慣れることもできた。
私の妹は、この二人だけ。
「祐巳さま」
「祐巳さま」
「祐巳さまぁ」
……で、このえらい数の孫たち。
才能を惜しみなく発揮する、今や演劇部の主演女優である瞳子には早々に熱狂的なファンが付き、そのファンから瞳子を守っていた演劇部の一年生たちが、自然と瞳子の妹になってしまった。計四人。演劇部四天王とか呼ばれている。なんだそれ。守護四天使とかじゃないんだ。
バスケ部で大活躍し、運動部でも一際目立つ存在である可南子にも慕う下級生が多かったものの、私の妹になる前に存在していた妹が一人だけである。「守る」と言っただけあって、可南子は本当に色々なことから私を守ってくれた。
紅薔薇ファミリー、私を入れて総勢7人。
当初は戸惑い、リリアンにあるまじき事態だと思っていた。
でも慣れてしまうと、「これでよかったのかなぁ」と思うこともあるわけで。
まあ、とりあえず。
今年からはまた、たった一人の姉の下へ行けるのだから、それでいいことにした。
さようなら、三年前の面影すら見えなくなってしまった山百合会。
さようなら、愛しく忙しく由乃さんの暴走に三年の丸一年間を振り回された高校生活……
――リリアンの大学へ行き、もう大学生なのに、にも関わらず祥子さまが私他数名の妹を作ってしまうという信じたくない現実を突きつけられるまでしか、私の平和は続かなかった。
もう、悪夢なのかなんなのか。
良いことも悪いこともありすぎて、望むべきか拒むべきかすら、わからなくなりました。
とにかく。
由乃さんを張り倒すくらいなら許されるとは思っていますけれど。
一年間溜めに溜めて溜めまくった嵐のごとく渦巻いているストレスに、私の理性が崩壊する前に。
今度の休日にでも、会いに行こうと思います。