『多重スール狂想曲 ―名も無き生徒達の物語―』って連作の題材として優れてるなって思った今日この頃。
とりあえず篠原さんに「ごめんなさい」。
「お手伝いしましょうか?」
私が彼女と話をしたのはそれが初めてというわけではなかった。
「え? いえ、あの……」
「なんか、見ていられないから。数学? 試験勉強ね?」
「は、はい」
彼女は図書委員で、よく図書室を利用する私は、本を借りる時、二言三言会話を交わした覚えがあった。彼女は覚えているかどうか判らないけれど。
「あなた、よく本を借りに来てるでしょう? でも勉強しに来たのは初めて見たから気になっちゃって」
「は、はぁ」
どうやら、会話はともかく顔は覚えられてしまっていたようだ。
私は一年生。彼女は二年生だった。名前は確か……。
……聞いたことが無いや。
「この問題はね、こうやって……」
彼女の説明はとても判りやすかった。
なんで図書委員なんていう文系(?)の仕事をしているのか不思議に思えるほど。
「……判ったかしら?」
「はい。ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして」
仕事中のはずなのにカウンターを抜け出してなにやら楽しそうに笑っている彼女に、私は聞いた。
「でも、こんなことしていて良いのですか?」
「いいのよ。当番はもう一人居るし」
いや、それは駄目だろう。
いままでしっかりした人だという印象を持っていたのだけど、この人意外といい加減だ。
結局彼女は私に一通り問題の解き方を教えた後も私の隣に居座り、私が問題に取り掛かっている途中にポツリとこう言った。
「それにしても、一緒に勉強するお友達は居ないの?」
ていうか、心にグサっと来ることをどうして平気で口に出しますか。
「べ、べつに私は寂しい人じゃありませんし、お姉さまだっていますから」
いないのは『一緒に勉強をしてくれる』友達であって、仲の良いクラスメイトなら普通に居るのだ。
姉(グラン・スール)は部活の先輩で、入部してすぐ申し込まれて姉妹になっていた。
「あら、そのお姉さまはどうして勉強を見てくれないの?」
「お姉さまは、ご自分の勉強で忙しいんです。私は邪魔をしてしまわないように今日からここで勉強してるんです」
「そうだったの」
これは実は、姉の名誉の為に少しばかり話をぼかしている。
本当はお姉さまは私と一緒に勉強したがっていた。でも駄目だったのだ。
お姉さまの勉強に対する集中力のなさと言ったら、もう半端ではなく、私が居ると私ばかりかまって全然勉強しないのだ。
そのせいで中間考査では見事な点数を取ってしまい今度の期末で挽回しないと大変なことになってしまう。
ロザリオを受け取った時にはこんなダメ姉だとは夢にも思って居なかったのだけど、いや、一応お姉さまの名誉の為に言っておくが、ダメなのは勉強に関してだけで、それ以外は優しくて面倒見の良い「いい姉」であることは断っておく。
とにかく、私はお姉さまの為にここはあえて『点数と一緒に姉としても名誉も回復してください』と突き放すことにしたのだ。お姉さまもそれで納得し、やる気を出していた。
その日からその図書委員の先輩は、なんの気まぐれか「教える方が自分も勉強になるから」とか言って、当番じゃない日まで私の勉強を見てくれるようになった。
ずっとリリアンに通っている私にとって上級生に従うのは至極当然のことで、たとえ姉妹でなくとも、上級生が個人的に教えてくれるというのを断るなんてことは考えもしなかった。
そんな訳で、私は期末試験までの一週間、この先輩と隣り合わせで勉強をしたのだった。
それは試験の最終日。最後の科目が終わり、みんなが束の間の開放感に浸っていた時のことだ。
私はクラスメイトに呼ばれて、お姉さまが廊下まで来ていることを知った。
「お姉さま?」
「どうしたの? そんな顔して」
「いえ、どうしてここまで来られたのですか?」
私はちょっと久しぶりなお姉さまの顔を見てどんな顔をしていたのだろう?
ただ、お姉さまが自ら私の教室に来るなんて今まで無かったことだから、ちょっと驚いていたことは確かだった。
「……姉が妹の顔を顔を見に来るのに理由が必要かしら?」
「いえ、そんなことは無いですけど」
私とお姉さまは四六時中べたべたくっついているような関係では無かった。だから思わず聞いてしまったのだ。
「試験は上手く出来たようね?」
「はい。まあ大丈夫だったと思いますけど」
手ごたえは上々。不安があった理数系科目も試験勉強で何とかなった。図書委員の先輩には感謝しなければ。
「そう。じゃあ良いわ」
そう言うとお姉さまは行ってしまわれようとした。
「あ、あの? 何かご用があったのでは?」
「いいのよ。本当に顔を見に来ただけだから」
「で、でも」
そのそっけない態度に何か憤りを感じ、私はお姉さまを引き止めた。
というか、せっかく試験が終わったというのにろくに話もしないで行ってしまうなんてどういうつもりなのか?
「なあに?」
「あ、いえ、お姉さまは試験はどうだったんですか?」
私が何とか会話を続けようとそう聞いたのだけど、口に出してすぐ話題の選択に失敗した思った。
「……」
お姉さまは半分振り返って私を睨んでいた。
でもそれは、単純に成績が悪かったというような、私が思ったようなことでは無かった。
「それはアレ? あてつけってやつかしら?」
「はい?」
「良かったじゃない。いい“お姉さま”が見つかって。頭の悪い私とは一緒に勉強できないものね」
「え!? な、何を言ってるんですか!」
お姉さまと一緒に勉強しないのは私と一緒だとお姉さまが勉強に手が付かないからであって、というか『いいお姉さま』!?
「図書委員の、ええと春子さんだっけ?」
「だ、誰ですかそれ!」
全然心当たりが無かったのだけど、
「私と会わないって言った後、ずっと仲良く試験勉強してたんですって?」
そう言われてやっと、お姉さまの言う「春子さん」が試験直前まで勉強を見てもらっていた『親切な先輩』の名前であることが判った。
そう。私は勉強を見てもらっている間、その先輩の名前を呼んだことが一度も無かった。それどころか互いに自己紹介すらしていなかったのだ。
もっとも彼女は図書カードからだろうけど、いきなり私の名前を呼んでいた。
「確かに試験勉強は見てもらいましたけど、お姉さま、何か誤解もしくは曲解なさってませんか?」
「もう、いいわ」
お姉さまは踵を返して去っていこうとした。
「よくありません!」
私は慌ててそれを追いかけた。
追いついてもお姉さまは歩を止めようとしないので私は言った。
「待ってください、誤解したまま行かないでください!」
「誤解なんてしてないわ。あなたは春子さんに勉強を見てもらっただけなのでしょう?」
なんだ。判っているではないか。
「それじゃ、何で怒っているんですか?」
「別に怒ってないわ」
「いいえ、怒ってます」
「怒っていないって言ってるでしょ! あんまりしつこいと怒るわよ!」
「やっぱり怒ってるじゃないですか」
「だから!」
「はい、そこまで」
「「はい?」」
気が付くと階段のところで立ち止まって言い合いをしていた。
横から声をかけてくれたのは、
「なんだか私の責任もあるみたいだから。でもちょっと頭を冷やしてくれます? でないと……」
「春子、さま?」
名前で呼ぶのは初めてだから控えめにそう呼んだ。勉強を見てくれた図書委員の先輩だ。
「はい。春子ですよ」
「……あなたですか」
いかにも友好的でない表情でお姉さまはそう言った。
「あなたが、この子のお姉さま?」
「あなた、どういうつもり?」
「どういう?」
「私の可愛い妹を誑かしておいて、よくもまあのうのうと出てこられたわね?」
いけない。
お姉さま、完全に頭に血が上っている。
そんなお姉さまを前に春子さまは、怖気づく様子も無く言った。
「話は聞いたわ。要するに、姉であるあなたを差し置いて、妹が他人に勉強を見てもらって成績が安泰なのが気に入らないのよね?」
うわあ。
やっぱりこの人、言い難いことでも平気でずけずけと口にする人だ。
「お、お姉さま?」
お姉さまは口をつぐんで俯いてしまった。おそらく図星を突かれたってことなのだろう。
そんなお姉さまを見て私はパニック寸前だった。
別に進んで春子さまに教えを乞うた訳ではなかった。偶々、成り行きでそういうことになってしまっただけなのだ。
なのにどうしてこんなことに?
マリア様、私はなにか悪いことをしましたか?
春子さまはお姉さまの様子を見て更にこう言った。
「もしかして、追試になっちゃっいました?」
お姉さまの肩がびくっと跳ね上がる。
というか、歯に衣着せないにも程がある。
ダメだこの人。はやく黙らせないと。
私は、リリアン生の習性で最低限の礼儀はつくして、それでもこの場から追い払いたいという意図が見え見えな態度で言った。
「あ、あの、春子さま、勉強を見ていただいたのはとても感謝しています。そのせつはありがとうございました。でもこの場は一旦お引取り願えますか?」
「あら? 良いの?」
この期に及んで何が言いたいのか。これ以上私達姉妹を引っ掻き回さないで欲しい。
それは、後で考えてみれば、春子さまは純粋に親切心で関わってきたのであって、私の思いは被害妄想以外の何物でもなかったのだけど、パニックしていた私はそこまで考えが及ばなかった。
「あ! お姉さま!?」
お姉さまは俯いたままこの場を去ろうとした。そのとき春子さまはお姉さまに聞こえる声でこう言った。
「私も軽率だったみたいだから。そうだわ。お詫びに『お姉さま』の追試にも協力ってことでどうかしら?」
その言葉にお姉さまが足を止めた。
追いかけようとしていた私はお姉さまの背中にぶつかりそうになったけど、辛うじてブレーキが間に合った。
そして背中を見せたまま、お姉さまが私の名前を呼んだ。
「……は、はい?」
「正直に言って。春子さんって勉強できるの?」
ここで、春子さまを褒めるようなことを言うのは憚られたが、「正直に」というお姉さまの命令である。
「は、はい。特に理数系科目の教え方は大変判りやすいので、成績は良いものと思われます」
緊張してなんか妙な言い方になってしまった。
春子さまは私とお姉さまのやり取りを聞いていなかったのか、
「なんか、大きなお世話だったみたいね。私は帰るわ……」
そんなことを言う春子さまに、すごい勢いですがりついたのは、
「お、お姉さま……?」
もう判ったと思うのだけど、私のお姉さまだった。
あとで聞いた話だけど、お姉さまが一番気に入らなかったのは、成績がヤバイいお姉さまでなく私の方に勉強を見てくれる人間が現れたって事だったそうだ。
試験が終わって早々私の所に来たのは、別に私の顔を見に来たのでも、噂を聞いて嫉妬に駆られたのでもなく、その“妹に勉強を教えてくれた親切な同級生”に追試対策を教われないか、私を通して打診するためだったらしい。お姉さまはそれほど追い詰められていたのだ。
結局、プライドが邪魔してストレートに言い出せずにあんな結果になってしまったのだけど。
そんなこんなで、お姉さまは無事、追試を乗り切ることが出来た。
そして、これを縁に、お姉さまと春子さまはクラスが違うにも関わらずとても仲良くなったのだった。
リリアンの姉妹(スール)で、姉の親友が妹とも仲良くなるなんてことは、別に珍しいことでもないだろう。
もともとべたべたくっついている姉妹でなかったこともあり、二学期になって私とお姉さまと春子さまは、頻繁に三人で行動するようになっていた。
そんな時だった。
“あの瓦版”が配布されたのは。
「いいんじゃない? なっちゃえば?」
私と一緒にリリアン瓦版を読みながら、お姉さまはそう言った。
でも私は……。
「私の妹になりなさい」
私にそう言ったのは、部活の先輩だった。
「えっと、あの、私にはお姉さまが……」
「これ、まだ読んでなかったの?」
彼女はそう言って、例の瓦版を私に差し出した。
「いいえ、今朝教室で読みましたけど」
「だったら判ってるでしょう?」
「は、はい……」
実はお姉さまにも春子さまにも指摘されていたことなのだけど、私は上級生の命令に弱かった。
それはリリアンで小さい頃から培われた習性とでも言うべきもので、流石に高等部に上がって、先輩と言えども所詮は一年先に生まれただけの人間で、同学年に賢い人やお馬鹿な人が居るように先輩にも尊敬すべき人とそうではない人が居ることくらいは理解していたが、それでも上級生に面と向かって命令されるとその是非を問う前に従ってしまう癖はなかなか抜けなかった。
そんな訳で、その部活の先輩に、いつ用意したのかロザリオを押し付けられてしまったのだ。
その先輩とは、同じ部活なので面識はあるし、指導を受けたこともあるのだけど、部活以外で付き合ったことなんて無かったしそんなに親しい部類でもないのにだ。
これはなんか違う。
と、受け取ってしまったロザリオを見ながら思ったって、受け取ってしまったのだから後の祭り。
そんなわけで。
「そんないとも簡単におっしゃいますけど」
「というか、もう受け取っちゃったんでしょ?」
「まあ、そうですけど……」
再三『受け取った』と言っていることで判るように、首にかけてもらったわけではなく、その先輩、何処か急いでいるようで、私が同意したのを見るとポケットから出したロザリオを私の手に握らせてさっさとどこかへ行ってしまったのだ。
「あの子ね、競争してるって噂よ」
「何の競争ですか?」
「何人妹に出来るか」
「はぁ……」
ロザリオだってそんなに安いものでもないのに、頑張るなあ。というのが私の感想だった。
「なんか大変なことになってるみたいね」
「春子さまも誰かに申し込まれましたか?」
「いいえ。私、図書委員以外に学年の違う知り合い居ないから」
私とお姉さまは、部活が終わってから図書館で春子さまをまじえて話をしていた。
図書館は閉館時間。
私達は春子さまの当番の日はいつもこうして閉館の後片付けを手伝って、一緒に下校しているのだ。
「それより聞いて。この子、もうお姉さまを一人増やしてるのよ」
「あら。それは大変ねぇ?」
「……それだけですか」
春子さまの反応があまりに淡白だったので思わず突っ込みが入ってしまったが、私としては、これは何とかしてもらいたい問題だったのだ。
そして帰り道。
「だったら返してくれば?」
「そんないとも簡単におっしゃいますけど」
我がお姉さまも、淡白っていうんじゃないけれど、頓着が無いというか、物足りないと言うか。
その『お姉さまを何人持とうが関知しない』っていう態度には憤りを感じざるを得ない。
「ふふん、あなたのことだから、何にも考えないで受け取っちゃって、後で『これは違う』とか思ったんじゃないの?」
うっ。鋭い。
伊達に何ヶ月も私のお姉さまをやっていないってことか。
「まあ、そのロザリオはあとで返却するとして」
「そんな扱いで良いんですか?」
まるで落し物を返すような気楽さだ。まあ私としても渡され方がアレだったので同意せざるを得ないのだけど。
「いいのよ。それより、春子さん」
「なあに?」
「折角だからこの子、妹にしない?」
「……やっぱりそういう話になっちゃうのね?」
「私のクラスメイト達もなんか期待してたんだけど」
「ああ、それなら私のクラスも」
ちなみに、私達仲良し三人組は知り合いの間では割と知れ渡っている。
私なんか瓦版が教室に届いた後、真っ先に話題にされて、「お二人とも素敵なお姉さまだから羨ましい」と散々持て囃された。
彼女らの中では春子さまが私の二人目のお姉さまになることは決定事項になっていたようだ。
「でもね」
と、春子さまは言うのだ。
「でもなに?」
「妹にするんだったら二人ともだし」
「ちょっと待ちなさい。それはどういう意味かしら?」
「下の子だけ贔屓にしたら駄目よね」
「まだ言うか。あなたが私をどういう目で見ているか良く判ったわ」
「二人とも可愛い妹よ? ロザリオ欲しい?」
「……いらない」
「あ、拗ねた」
「ふん、今に見てろよ」
とリリアン生らしからぬ捨て台詞を言って、お姉さまは私の肩を抱いて早足になった。
「あの、お姉さま?」
「いい? あんな奴に誑かされちゃ駄目よ。ロザリオ差し出されたら投げ返してやりなさい」
そういう台詞は、部活の先輩から渡された時に言って欲しかった気がする。
とりあえず、お姉さまと春子さまはいつもと変わることなく。
私も明日、あのちょっと勘違いな先輩から渡されたロザリオを返却して、速やかに日常に復帰しようと思ったのであった。