微妙に【No: 2411】の続き。長いので注意してください。
☆
「由乃さまは本来の意味を履き違えているんです」
あれはいつ頃の話だっただろうか。
頭の中にある答えの前には壁のような霞がのんびりと漂い、ぼんやりとしか中を見せてくれない。
「由乃さまみたいな方からしたら、『メガネなんて鈍臭い人の代名詞』って思っているかもしれませんけれど」
でも、あの時の違和感というか、しっくり来ない感じは、答えがなくても憶えている。
あれはなんだったか……
「でもメガネとは本来、目の悪い人の生活必需品なんですよ?」
あれは、……意外な人が、意外なことをしていた時の感覚だったような気がする、けど。
「いや……瞳子ちゃん、いくら似合うメガネが見つからなかったからって、そんな絡まれても……」
「わからないんですか? 瞳子にメガネは必要ないんです」
「そ、そう?」
「そう、必要ないんです。いいですか? たとえばメガネを掛ける必要がある人と、オシャレで伊達メガネを掛けている人がいるとしましょう。この二人はどちらも、メガネを外すと絶世の美女です。しかし前者は必要だから掛けているのであって、後者のように、ここぞという時にいつでもメガネを外して魅惑の素顔を使うことができないのです」
うーん……なんだったかなぁ。
「どうです? 後者の伊達メガネの方は、非常に腹黒いとは思いませんか? 必要でもないメガネを掛けることで、冴えない自分を演出しているのです。必要な方からすれば、これはもうメガネに対する冒涜ですよ?」
「は、はあ……」
「由乃さまは腹黒い人がいいんですか? 卑劣な美女に心奪われて身も心も貢いでしまうんですか?」
美女か……やっぱり美女には貢ぐって感覚あるもんなぁ……
「……じゃあ、瞳子ちゃんは?」
「え? 瞳子が何か?」
「瞳子ちゃんと祐巳さんは、どっちが美女で貢いでるの?」
「それはもちろん瞳子です! お姉さまはタヌキじゃないですか! ええむしろ可愛いタイプの人材ですわ!」
「――額揃えの童顔が何言ってんだか」
「…………」
…………
「……由乃さま、今、自爆しましたね?」
「……すみませんでした」
うーん……由乃さんの額揃えは、瞳子よりきちっと横一直線だからね。って、今はそっちじゃなくて。
「令さまを見習ってください。あのショートカットはその辺の男性より男らしいです」
「いや瞳子ちゃん、そのドリル手で隠してもショートカットっぽく見えないから。むしろ童顔が際立つから」
うん、なんか顔だけ見るとすごく幼いね。……いやだから、考え事でしょ?
「……あのさ、なんで私こんなに絡まれてるの?」
「え? 何ですか? また一から話せってことですか?」
「あ、いや、もう、絡むのやめてと……」
「今ここでちゃんとメガネの必要性を認識しておかないと、瞳子のようにメガネの必要のない人にまたメガネを勧めてしまう二の舞を演じてしまうことになるんですよ」
「え、演じる? 二の舞って踏むものじゃないの?」
「踏むのは二の足です。『二の舞を演じる』と『二の足を踏む』がごっちゃになった誤用です」
……瞳子は意外なことを知ってるなぁ。そう、見た目によらず結構ギャップが激しいんだよね、中身と。
そのギャップに私が心奪われてきたのは、いつ頃からだったか。
「祐巳さま、そろそろご自分の友人を助けてあげたらどうですか? 由乃さま困ってますよ?」
乃梨子ちゃんの通る声が、頭の中に掛かっていた霞を、答えごと綺麗に消し去ってしまった。
――ここは会議室。
私の妹の瞳子も、由乃さんも、志摩子さんも乃梨子ちゃんもいる。
春休みも終わり、私たちは三年生となり、新たな、そして最後の高校生活が始まろうとしていた。
もうすぐ志摩子さんと乃梨子ちゃんには思い出深いマリア祭がある。私たちは準備に追われることになるが、もう少しだけのんびりした日々が送れるはずだ。
桜が咲き誇る春。
薄紅色の花弁がポカポカした陽気を運んでくる。
でも、ずっと一緒だった人が二人も卒業していなくなってしまったこの光景に、少しだけ感傷に浸ってしまう。
いないのは今年に入ってずっと、というような印象もあるけれど、もうあの二人は校内を探してもいないんだと思うと、どうしても寂しい。
それと余談だが、「メガネ探し」という瞳子との初デートも済んでしまった。瞳子に似合うメガネは見つからなかったものの、それはオマケのようなもので、他諸々でガッチリ楽しんできた。
「……そう言えば祐巳さん、ずいぶん静かね。どうかしたの?」
人の妹に捕まって傍目にも当人的にも嫌な絡まれ方をしていた由乃さんは、不思議そうに私を見る。
私も、由乃さんを見る。
「由乃さんを見ていて、何かを思い出しそうになって」
思い出を振り返っている内に、私が薔薇の館の住人と出会った頃にまで行ってしまったわけだけれど。
その過程で、何かが引っ掛かった。
キーワードは由乃さんだ。
「何かって……またそれなの?」
うん、また、って感じだね。
「まだ気持ちの切り替えがちゃんとできてないみたい」
ふと気がつくと、お姉さまや令さまがいた頃を思い出している自分に気付く。
でも、時間が経って、日々に追われるようになってしまったら、思い出すことも少なくなってしまうだろう。
だから、今は無理に切り替えなくてもいいんじゃないか、って思う。
「あの頃はよかった」なんて後ろ向きなわけじゃないから。自然と、恐らく近い内から、もうこういう浸り切る感覚からは追われてしまうから。
「切り替え、ね……」
「そうね。祐巳さんの気持ち、わかるわ。だから仕事もないのにみんなここに集まるのよ」
かつてその人がいた場所を感慨深く見詰める由乃さんと、思い出を懐かしむように目を細める志摩子さん。
私ほど露骨じゃないにしろ、二人も、瞳子ちゃんも乃梨子ちゃんも、同じ気持ちがなくもないようだ。
「ま、ほどほどにね。これから忙しくなるんだから」
「うん」
由乃さんの人のことを言えない忠告に、素直にうなずいておいた。たぶん自分にも言い聞かせているから。
「で? 今度は何を思い出せないんですか?」
しんみりした空気になりかけたところで、乃梨子ちゃんが止めてくれた。早めに復帰しておかないと、全員で思い出話でも始めてしまいそうだ。
「それがなんだったのか思い出せなくて……」
「また私……というか、お姉さまに関係あるの?」
「今度はいつ頃よ?」
志摩子さんも由乃さんも、私の思い出せないことにまた興味を抱いたようだ。
やっぱり仕事もないので、暇潰しにちょうどいいのだろう。
「『いばらの森』の終わり頃、ってことは確か」
「終わり頃? じゃあバレンタインのイベントは行き過ぎ?」
バレンタインか……今後も恒例になりそうだけれど、あの時が初イベントだったよね。
あの頃気になったことと言えば、こっそりバレンタインチョコを用意しようとしてお姉さまに叱られたり、リリアンの生徒で「紅薔薇のつぼみの妹」だったにも関わらずスカートもセーラーカラーもバッサバッサ翻して走り回ったり、紅薔薇のカードがあったりなかったりと不可解な現象が起きたり。
なんていうか、若かったなぁ。いろんな意味で。
「行き過ぎた、ような……」
「じゃあ……うーん……やっぱりいばらの森の終盤?」
……うーん……
「たぶんその頃だったような気がするんだけれど……」
「『いばらの森』って何か事件があったんですか?」
乃梨子ちゃんが何気なく疑問を投げかけると、答えに窮する私と志摩子さんの代わりに、由乃さんが「私たち、プロの小説家に会ったのよ。すごいでしょ。サイン貰い忘れたけど」と、さらりと答えた。さすがだ。
やはり聖さまの過去のことは、軽々しく話すようなことじゃないから。
でも、そう、確かあの頃だったような……
「祐巳さん、それってやっぱり聖さま絡んでる?」
「んー……たぶん」
「じゃあ、また私と祐巳さんの思い出かな?」
「いや、それがちょっと違うみたい」
由乃さんを見て思い出しそうになったけれど、今度は志摩子さんを見ていても思い出しそうなんだよね。なんか記憶が揺れてしまう。
その旨伝えると、二人は揃って首を傾げた。
「え? 私と志摩子さんの思い出?」
「つまり、祐巳さんが私たちを見ていた……という感じになるのかしら?」
うんうん。近い近い。
「となると……いばらの森終盤で、志摩子さんとの二人だけの記憶……志摩子さん、なんかあったっけ?」
「さあ……でも二人でいるところを見たというのなら、薔薇の館でのことじゃないかしら?」
あ、掠った。答えに掠めた。そうそう確か場所は薔薇の館だ。
「薔薇の館で? というと、相当時期が限られるわね。……クリスマス辺りかな?」
「あっ!」
由乃さんが更に限定してくれたことで、ようやく霧の向こうの忘れ物をまたまた拾うことができた。
「思い出した?」
「うん! そう、あの時の二人を見て、なんとなく気になってたんだ!」
「あの時の二人、って?」
二人が「早く言え」と言わんばかりに視線をくれる。
そんな中、私はゆっくりと、あの時の二人を思い出してみた。
あれはクリスマス・パーティーだった。
幼稚園児になって飾り作りに精を出す蓉子さま、セッティングに余念のない江利子さま、この時ばかりはなぜか園児を見守るお姉さんに見えた聖さま。
お姉さまはまだ来ていなくて、令さまはブッシュ・ド・ノエルを作っていて、由乃さんと志摩子さんは流しで並んで洗い物をしていて。
どこに手を出すこともできなかった所在ない私は、聖さまに「いい所に行こうね」と拉致されたのだった……
(具体的には『いばらの森』P197辺り)
「で、私は聖さまに連れていかれようとしたところで、志摩子さんに助けを求めるように二人を見たの。そしたら二人して笑ってるだもん」
「「ああーっ!」」
由乃さんも志摩子さんも、ようやくすっきりした顔を浮かべた。
「そうそう! 私と志摩子さんで洗い物やってて、すんごい笑ってた!」
そう、志摩子さん大爆笑しててこっちの動きに気づいてなかった。志摩子さんと由乃さんが遠慮なく笑い合う、っていう珍しい光景だったから、ちょっと引っ掛かってたんだよね。
「私も思い出したわ。由乃さん」
どうやら二人も、肝心の「笑い話」を思い出したようで、クスクス笑い始めた。
「どんな話?」
あの志摩子さんをも笑わせる話だ、期待もしてしまう。
「大した話じゃないわよ」
由乃さんが「ねえ?」と言えば、志摩子さんも「ねえ?」と返すわけで。だからそれが気になるんですが。
「でも、祐巳さまが引っ掛かるっていうのもわかります」
乃梨子ちゃんも、無言でうなずく瞳子も、やはり引っ掛かるようだ。性格がほぼ反対の二人が共通して笑っていた、というのが意外なんだろう。
特に志摩子さんは、一般的な笑いのポイントが若干ズレているような気がするから。
志摩子さんを大爆笑させた由乃さんの話とはいかなるものか?
こう考えてみると、やはり気になる。
「そう? まあ聞きたいなら話すけど、本当に大した話じゃないわよ? ……というわけらしいけど、志摩子さんが話す?」
「由乃さんにお任せするわ」
「了解。後半はよろしくね」
「え、また前後編で?」
少しばかり戸惑っている志摩子さんを置いて、由乃さんは「あれは、そう――」とさっさと語りに入ってしまったのだった……
あれは、そう。
山百合会の内輪でやったクリスマス・パーティーの準備中だった。
「え? クリスマス・パーティー?」
途中で一緒になった志摩子さんと、薔薇の館に踏み込んだ時。ちょうど一階の物置部屋から、見慣れない段ボール箱を持った蓉子さまが出てきたところだった。
挨拶もそこそこに、志摩子さんが素早く蓉子さまの持った段ボールを横取りしつつ、「この荷物は?」と聞いて、返ってきた答えが「クリスマス・パーティーの準備に使うのよ」だ。
その返答に、志摩子さんは面食らったようで、目を丸くしていた。
上級生の仕事を横取りできなかった私は、仕方なく志摩子さんの鞄やコートという荷物を横取りしておいた。やっぱり気配りは志摩子さんの方が上手いようだ。
「そうよ――あ、そうか。一年生には話してなかったか」
毎年恒例なのよ、と紅薔薇さまは先陣を切って階段を登っていく。志摩子さん、しんがりに私が続く。
「由乃ちゃんも聞いてなかった?」
「いえ、お姉さまから聞いてます」
だから今朝、令ちゃんが市販のロールカステラ等を家から持ってきたのを、違和感なく見ていたわけだ。
――祐巳さんも知らなかったことを推察するに、もしかしたら基本的に一年生には伝えないことも恒例だったのかも知れない。いやいや、あの三人のことだし、あえて黙っていた、と考えた方が自然かな。
「具体的に何をするんですか?」
真面目な志摩子さんは、パーティーと聞いても、中身がよくわからないらしい。別に何かしないといけないものではないと思うけど。
「ケーキ食べておしゃべりしてゲームして……それくらいかしら」
ギシギシと階段を登りきり、蓉子さま率いるパーティー準備隊は無事本隊と合流を果たした。
会議室には、すでに江利子さまと令ちゃんの姿があり、それぞれ何かを始めていた。
「ほら紅薔薇さま、見て見て」
入ってきた蓉子さま他二名を見るなり、挨拶も飛ばして江利子さまが、手にしたそれを宝物のように両手で掲げる。
なんだか渋く輝くそれは、画用紙にホイルを張った王冠。手元にはハサミと画用紙の切れ端が散乱していた。
「あら、上手くできたわね」
子供も騙せないようなチャチな代物だと思うが、存外蓉子さまは嬉しそうに顔をほころばせているのだから、ちょっと驚きだ。
「さあ女王さま、こちらのお席へどうぞ」
導かれるまま席に着く蓉子さまに、江利子さまは恭しくその頭にそっと王冠を乗せた。
「似合う?」
「バッチリ。まさしく女王さまよ」
「そう? そう?」
本当に嬉しそうだな蓉子さま。
「んー、でも、気分はどっちかと言うと王女さまかしら?」
「贅沢言わないの。年長者」
「知らないの? クリスマスは女性を少女に変えるのよ」
「男にプレゼント貢がせて?」
「高級レストラン予約入れさせて?」
……ずいぶん現実的で俗物的なスレた少女ですね。
「極め付けに、白馬の王子さまのエスコートで?」
「…………」
「…………」
「……女王でいいや」
「……そうね」
テンションがうなぎ上りだった二人は、「白馬の王子」でリアル王子を思い出したようで、急激に冷めてしまった。ヒントは銀杏だ。
そしてテンションが下がると同時に、現実にも気づいたようだ。
「……こほん。志摩子、段ボールこっちにちょうだい」
見詰める私と志摩子さんの視線に気づいて、蓉子さまは恥ずかしそうに咳払いをした。
「はい」
志摩子さんは笑いを噛み殺しながら段ボールをテーブルに運んで行った。可愛いなぁ、とか思っているんだろう。私も少し思っている。
私も邪魔にならない場所に鞄と志摩子さんの荷物を置いて……さてどうしようかと悩む。
持って来た段ボールの中身は紙やらなんやらのようで、蓉子さまと江利子さまは早速飾り作りに突入していた。
令ちゃんはこの騒ぎにも動じず、集中してペタペタとロールカステラを別のケーキに生まれ変わらせようとしている。
……うーん。
令ちゃんの手伝い……は、失敗するのが目に見えているからパス。邪魔にしかならないだろう。
ならば、向こうの飾り作りに参加するべきだろうか?
なんか二人してすごく楽しそうだし。
「黄薔薇さま、何それ?」
「サンタさんのお面」
「……節分の鬼の面?」
「サンタだって言ってるでしょ! サンタに豆でもぶつけるつもり!?」
「それはサンタじゃない! サンタとは認めない!」
「認めないって何よ!? じゃあ赤い鼻のトナカイでいいわよ!」
「トナカイでもない! なんか変な空想上の生き物よ!」
「生き物って何よ!? せめて人って言いなさいよ!」
「人じゃないわよそれは! 形だけ見るとエイリアンよ!」
「エイリっ……じゃあもう変な生き物でいいわよ! 今度は紅薔薇さまがサンタ作ってみなさいよ!」
「やってやろうじゃない!」
ケンカ腰ながら楽しげに言い合ってるし。
「あの、何かお手伝いを」
志摩子さんも同じように考えたのか、私より一足先に声を掛けていた。
「ダメよ」
だが蓉子女王さまは厳しい顔で、きっぱりと否を言い下した。
「これは代々三年生だけが携われる由緒正しき仕事なの。手出し無用よ」
「そうよ。サンタを作るのは三年生の仕事なのよ」
「は、はあ……そうなんですか……」
いや嘘でしょそれ。騙されるな志摩子さん。画用紙ホイルの女王と、サンタをエイリアンとして創造したおでこに騙されるな。
……まあ騙す騙されないは別として、三年生が断固として許可しないなら、参加できるはずもないか。勝手なことをしたら本当に怒られそうだ。
「…………」
「…………」
所在無さげに困った顔で志摩子さんと顔を見合わせていると、見かねた令ちゃんが「洗い物をしてくれないかな?」と、苦笑しながら仕事を割り振ってくれたのだった……
「――これで前半終了」
由乃さんの声に、ほうと息が漏れた。それぞれが経験した「山百合会のクリスマスパーティー」から想像していただろう過去の光景は、ここでいったん現実に戻ってきた。
「なんというか……噂に聞く先々代とは、まったくイメージの違う方々のようですわね……」
瞳子の感想はもっともだと思う。というか、知っている人からしても、あの時の蓉子さまたちは普段と掛け離れていたと思う。
本当に楽しそうだったもんなぁ、あの時の蓉子さま。確かあの時作った飾り、一階の物置に取ってあったっけ。
「結局、サンタのお面は作れないってことで早々に諦めたみたいよ」
そうなんだ。ある程度何でもできそうな蓉子さまと、何でもこなす黄薔薇さまと言えど、即興で切り絵まではできなかったらしい。逆にほっとした。人間らしくて。そもそも造れても誰がそれを被るのかって時点でも問題だし。
それにしても、まず下絵を書いてから切るべきなんじゃないだろうか。知能まで幼稚園児になってどうするんだか。
「それから、問題の志摩子さん大爆笑に?」
乃梨子ちゃんが問うと、由乃さんと志摩子さんは同時にうなずいた。
「そうそう。乃梨子ちゃんが本当に興味があるのは、これからってわけね」
意地悪にヒッヒッヒッと笑う由乃さん。なんか魔女っぽい。
「じゃあ志摩子さん、後半よろしく」
「上手く話せるかしら……」
バトンを渡された志摩子さんは、少しだけ難しい顔をしていた。
――令さまに仕事をいただき、私と由乃さんは並んで流しに立っていた。
「童心に返っちゃったわね」
由乃さんがポツリとつぶやく。何が、と聞くまでもない。
「意外と言うべきかしら」
「意外も意外よ」
大した差はないにしても、山百合会では私より先輩の由乃さんがそう判断するなら、そうなんだろうと思う。
急いでやると仕事がなくなってしまいそうなので、私たちは話9割くらいで洗い物を始めた。普段はしまってあるお皿など、長く使っていないので、一度洗っておかねばならない。
「ところで志摩子さん。パーティーって何するか知ってる?」
「いいえ」
家がお寺なのもあるけれど、あまり友達も作らないよう過ごしてきただけに、クリスマス・パーティーなんて参加したこともなかった。普通のパーティーだって未経験だ。ご近所寄り合いの酒盛りのようなものだろうか。
「特別なことをするの?」
「……本当に知らないのね」
呆れているのか苦笑しているのか、由乃さんはそんな横顔を見せていた。
「ほら見なさい! 紅薔薇さまだってサンタ作れないじゃない!」
「ち、違うわよ! これはその……白薔薇さまよ! 聖よ!」
「いやいや! いくらなんでも白薔薇さまはこんなアンパン○ンに髭つけたような微妙な顔じゃないわよ!」
「じゃあ練習よ、練習! 本番はこれから!」
「へー。ほー。ふーん。それで? あと何枚、画用紙が必要なの?」
「一枚で十分よ! 何よ!」
「何よって何よ! 上手く作れないからって八つ当たりはやめてよね!」
向こうは盛り上がっているようだ。
「さっき紅薔薇さまが言ってた通りよ。特別なことは何もしないと思うわ」
「そうなの?」
確か、ケーキ食べて、おしゃべりして、ゲームして、だったかしら。
「……ゲームって、ファミコン?」
「え?」
「え?」
思わずこちらを向いた由乃さんを、私も思わず見返す。
「……なんでファミコン?」
「……違うの? ゲームと言えばファミコンじゃないの?」
「……志摩子さんの家ってそうなの?」
「……違うの?」
「……広い意味で間違いではないわよ。ただ……今時ファミコンかぁ……」
と、由乃さんはまた、洗い物に目をやった。
「せめてPSとか言ってほしかったな」
「……追伸?」
「……意外と天然ね、志摩子さん」
「そ、そう?」
かなり的外れなことを言ってしまったらしい。なんとなく恥ずかしくなって、私も洗い物を再開した。
「ファミコンじゃなくて、……そういや何のゲームするんだろ?」
そうだった。由乃さんも私と同じ一年生で、山百合会のクリスマスパーティーは初参加なのだ。あまり無遠慮に聞いても困らせるだけだ。
「……そもそも、リリアン高等部の淑女らしいゲームって、何?」
「何、と言われても」
ゲームと言われればファミコンしか思いつかない私に聞かれても。
「チェスとか?」
「それが淑女らしいゲームなの?」
「……微妙に違う気がする」
「私もそう思うわ」
カチャカチャカチャ
しばらく無言で冷たい水に手をさらしていると、由乃さんが小声で「令ちゃん」と令さまを呼び寄せた。考えたってわからないから、人に聞くことを選んだようだ。確かにその方が話が早い。
「どうしたの?」
令さまは手にしたままの板チョコを持ってやってきた。
「去年、パーティーでゲームした?」
「やったよ」
「どんな? 淑女らしいの?」
「淑女…………らしいかどうかは知れないけど、とにかくやったよ。ジェンガとか」
へえー、と由乃さんは納得していた。ジェンガ……って、何かしら?
「ケーキの方はどう?」
「もうすぐできるよ。水冷たいでしょ?」
令さまは板チョコを割ると、「ご苦労様」と由乃さんと私の口にチョコを一欠けら放り込んで、また作業に戻って行った。ビターなチョコレートが口の中に溶けていく。
「だってさ。ジェンガとかやるみたいね」
「その……ジェンガって?」
「積み木を抜いていくゲーム。あ、ほら、将棋のコマでやったことない? 山を作って一個一個抜いていくっていうの」
「ああ、あれならわかるわ」
なるほど、ジェンガとはああいうものらしい。
「でもジェンガって淑女らしいのかな」
どうだろう。
「淑女らしいジェンガのやり方でもあるのかしら」
「え? まさか、姿勢矯正みたいに、頭の上にお皿とかコップを乗せて?」
「祥子さまなら可能かも知れないわ」
「…………」
「…………」
想像してみる。
頭の上に水の入ったコップを乗せ、背筋を伸ばした祥子さまが、真剣な目で将棋のコマをそろそろと抜いていく光景を。
…………
「シュールだわ」
「そうね」
その光景を考えるだけなら笑い話にもなるだろうけれど、あの祥子さまがやるとなったら、至極真面目に適用されそうな気がする。
しばらく会話もなくのんびり作業をする。
向こうを見ると、蓉子さまと江利子さまはいつの間にかサンタクロースのお面作りを諦めたらしく、色紙を切って輪を作る作業に没頭していた。令さまは、チョコレートをザクザク切って、何かの飾りを作っているみたいだ。
言葉がない。
どことなく色彩が失せてしまったような雰囲気。
流れていく冷たい水だけが、時間を感じさせてくれる。
「志摩子さんってさ」
「え?」
急に由乃さんが話し掛けてきて、私はちょっとだけ戸惑った。
「サンタクロースって、いつまで信じてた?」
「サンタ……?」
どうやらクリスマスつながりで、何か思いついたようだ。
「いつまでだったかしら……由乃さんは?」
「お金じゃ買えない物を求め始めた頃まで、かな」
なんだか悟りのような答えだった。隣にいたはずの人が、この数分でとんでもない境地にまで行ってしまったようだ。
「病気のこと?」
「うん。初等部の二年生くらいだったかな。ツリーに『けんこうなしんぞうをください』なんて書いて吊るしておいて、枕元に赤い靴下用意して……もちろん心臓が入ってても怖いだけだけど、まあ当然入ってなくて」
その時のプレゼントがまた、と由乃さんは笑った。
「心臓の代わりに何が入ってたと思う?」
「……何かしら?」
ぼんやりと考えてみる。
「肝臓?」
「誰のよ。心臓と一緒で入ってたら怖いわよ。第一肝臓は要らないわよ」
「腎臓?」
「だから誰のよ。ゾウモツから離れなさいよ」
「牛タン?」
「なぜタン? せめて心臓にしてよ」
「……人体模型?」
「そんなの貰っても窓から投げ捨てるわよ。ガッカリも行き過ぎると怒りが沸くのよ」
ことごとく却下され、私は答えに詰まった。
「…………わからないわ。いったいなんだったの?」
「ギブアップ早いわね。……まあいいけど。正解は、小さなマリアさまの像よ」
あ、なるほど。「心臓」ではなく「神像」ね。
「遊び盛りの子供にマリア像ってどう思う? どうしろっていうの?」
「飾っておけばいいんじゃないかしら?」
「まあ……ね」
ちょっと呆れたように、由乃さんは小さく息を吐いた。
「……なんかさ、トンチで負けた気がしてね。それに綺麗なマリアさまに当たり散らす気にもなれなかったし」
辞書で調べてでも漢字で書くべきだったわ、と由乃さんは嘆いた。
「でも漢字で書いていても、同じように切り抜けたのではないかしら」
「でしょうね。ま、私だってサンタを困らせる気はないし、そういう無茶はそれっきりだけど」
チラリと令さまを振り返る辺り、由乃さんのサンタクロースは彼の人のようだ。「神像」と聞いてマリアさまの像を選ぶ辺り、明らかにリリアン生の発想だものね。ご両親からしたら、願いが切実すぎてそういう切り抜け方はできないでしょうし。
「志摩子さんは?」
「サンタクロース? うちはそういう伝統、なかったの。クリスマス・パーティーというのも今日が初めてよ」
「え? そうなの?」
意外だったようで、由乃さんは軽く驚いていた。
――この頃はみんな、私をお寺の娘とは知らなかったから。普通の家庭では、強いて特別なことはしないまでも、それでもケーキやチキンを食べたりはするみたいね。
「……あ、一度だけ妙な出来事があったわね。かなり小さい頃に……、いくつだったのかはっきり憶えていないけれど」
「一度だけ、妙な出来事?」
「ええ。クリスマスの夜中、私の部屋に、赤い服を着た人が枕元に立っていたことがあって」
「…………」
由乃さんは、なぜか眉を寄せて、微妙そうな顔で「それで?」とうながした。
「暗がりの中ごそごそと何かをしていたの。物取りかと思って怖くなってしまって、思いっきり叫んだわ。そうしたらその人は慌てて逃げて行ったのだけれど」
「…………それから、どうなったの?」
「母が起きてきて、父も遅れてやってきて、大騒ぎになってしまって」
「…………」
由乃さんは、更に微妙そうな顔。
「いったい誰だったのかしら」
お寺に泥棒なんて、ちょっと罰当たりよね。そんなにお金に困っていたのかしら。
「いや、志摩子さん」
「え?」
「クリスマスの夜中、赤い服を着た人が、枕元に立ってたんだよね?」
「ええ、そうよ」
「それ、サンタじゃないの?」
「…………」
あれはサンタクロース。良い子にプレゼントを運ぶおじいさん。
「それも、たぶんお父さんが変装してたんじゃないの?」
「父が?」
「そういうことするお父さんじゃない?」
「……いえ、しそうだわ」
あの父なら、本当にやりそうだわ……言ってくれれば全てが丸く収まったのに。本当に怖くて、しばらくは一人で眠れなかったくらいなのに。
あ、そういえば。
「もう一つ、妙なことがあったわ」
「また?」
「私に直接関係していなかったから、普通に流していたのだけれど」
もしあれが父だったのなら、もしかしたらあれも何か関係あったのかもしれない。
「兄がいるんだけれど」
「志摩子さんに?」
「そう。先の話の翌年だったかしら。クリスマスの翌日、朝起きたら」
「起きたら?」
「父と兄が怪我をしていて、朝食を食べながら小声でぶつぶつ文句を言い合っていたの。『良い歳してこのハゲ』だの『サンタを殴るとは何事だ。神罰が下るぞ』だの」
「……ああ、お兄さんもサンタに扮したお父さんを不審者と間違えて、ケンカしちゃったのね」
「私は意味がわからなくて黙っていたのだけれど、母が『いいかげんにしなさい』って怒っていたわ」
「何その笑い話」
由乃さんは吹き出した。
「今気づいたけれど、あれはそういうことだったのね」
自然と私の顔も緩む。長年私にとっては妙な思い出でしかなかったことだけれど、真実がわかれば笑い話だ。
不審人物だと思って怯えていたあの頃の自分も妙におかしい。普通の子供なら、クリスマスに赤い服を着た人が部屋にいたら、まずサンタクロースだと思うだろうに。どうやら私は、最初からサンタクロースの存在なんて信じていなかったのかもしれない。
「プレゼントも当然なしだったの?」
「ええ。元々クリスマスに何かやる家ではないから、それを不思議と思ったこともないの」
いくら私がキリスト教を信仰していても、実家は仏教だから。……そういえば、イエズス様とサンタクロースってどんな関係があるのかしら? あまり関係なかったような気がするけれど。
「でもお父さんが部屋に忍び込んで来たんでしょ? ってことは、プレゼントは用意してあったんじゃない?」
「それらしいのは……ああ、そうそう。その時はそれと気づかなかったけれど、ケンカしていたその日、父と兄に妙な物を掴まされたことはあるわ」
「掴まされた?」
「ええ。そっと手に握らされたのよ。開いてみたら――」
「みたら?」
「どちらも走り書きでいかにもさっき作りましたというものでね、兄からは『父を平手で殴っていい券』で、父からは『兄の靴をどこかへ埋めてもいい券』だったわ」
「あはははははっ! そりゃ確かに掴まされたって感じね!」
由乃さんは大笑い。私もなんだか楽しくなってきた。
これこそ、友達と過ごすクリスマスって感じだ。よくはわからないけれど、なんだかパーティーって感じがする。
「で、使ったの!?」
「それがね」
プレゼントをせがむ子供のように期待に満ちた由乃さんに、ふふふと笑いながら私は言った。
「その券の意味がわからなくて母に渡したら、どちらもその日のうちに消化してしまったようなの」
「やっちゃったの!?」
「やっちゃったの」
二人して大笑いしてしまった。
全ての「妙な出来事」が一つの線で結ばれた全景が、約十年越しで私にもようやく見えてしまって、笑いが込み上げてきたのだ。
――恐らく、祐巳さんはこの時の私たちを見ていたんだと思う。祐巳さんが来たのも、お姉さまが来たのも、気づかなかったのよね。
「すごかったわよ。夕飯時、顔に紅葉を浮かべた父。健康サンダル以外の全ての履物を失って茫然自失の兄。無言の食卓。母は不機嫌で」
その時も意味がわからなかったから、黙っていたのだけれど。でも今ならわかる。それは母も怒るだろう。娘や妹を使って報復を考える男衆なんて、両成敗されても仕方ない。
「志摩子さんのお母さんって、結構激しい方?」
「そうでもないわよ。ただ、父は冗談が好きだから、それをたしなめるために怒る時はしっかり怒るのよね」
それも意外、と由乃さんは笑いながら感想を漏らした。
「真面目なばかりの家庭環境じゃないのね」
「……そうね」
それが一番の問題な気がするのだけれど……
「――これで、だいたいの話は終了よ」
志摩子さんは微笑みながら、そう話を締めくくった。
「あの時は突っ込んで聞かなかったけど、お寺の娘だから、クリスマスは自分とはほとんど無関係だと判断してたわけね」
「ええ」
由乃さんは「納得」とうなずいた。
「そうなのよ。私が一番不思議だったのは、志摩子さんはどうして子供心に赤い服の人を見て不審者だと思ったのか、よ。普通はサンタって思うでしょ。子供なんだし。天然じゃさすがに強引かな、と思ってたんだけど。よっぽど現実主義だったのか、とか。単に家庭の事情だったわけね」
その時の志摩子さんがいくつくらいかわからないけれど、よく憶えていないくらい小さかったんだろう。物心ついて間もなく、クリスマスの夜に部屋にいる赤い服の人を見たら、私もサンタさんだと判断したはずだ。
「それにしても、お坊さんがサンタに……」
「いいんでしょうか」と、乃梨子ちゃんは首を捻りまくっている。
「いいんじゃないの? 子供に夢を与えるのも親の務めよ」
私が気楽に言うと、由乃さんが「見事に失敗してるけどね」と鋭くツッコんだ。
「あ、そうそう。由乃さん」
「ん?」
「あのあと、家に帰ってゆっくり考えてみたら、クリスマスプレゼントはちゃんと貰っていたのよ。恐らく父がくれようとしていたものだと思うけれど」
「そうなの? 何貰ったの?」
「扇子」
そういえば、志摩子さんは日舞の名取でしたっけ。
「不審者が出たクリスマスの翌日、母から普通に渡されたから、プレゼントと認識していなかったのよね」
「……やっぱり志摩子さん天然だわ」
由乃さんが苦笑する。志摩子さんは「そう?」と笑う。ずいぶん遅れて、過去の話が清算できたようだ。
しかし、なるほどね。
実家がお寺の志摩子さんでも、クリスマスの思い出はあったんだね。ちょっと意外な気もするし、志摩子さんのお父さんのことを鑑みるに当然のようにも思えるし。なんか不思議な家庭環境だ。
「瞳子はいつまでサンタ信じてた?」
ふと、私は妹に話を振ってみた。
「瞳子は結構遅かったと思います。初等部五年生くらいまででしたわ」
おー、と、由乃さんと乃梨子ちゃんが感心したような声を上げた。
「乃梨子ちゃんは知らないよね?」
「何がですか、由乃さま?」
「リリアン生って、誰も『サンタはいない』って言わないの」
「……え?」
「だから。友達とかにね、私は昨日サンタさんになになにを貰いました、って話したとするじゃない? そしたら、誰もそれを否定しないってわけ。良かったわね、で済ませてしまうのよ」
「あ、そういうことですか」
そうそう。思い返せば私の周りにも「サンタはいない」って言った人はいない。私も言ったことはない。みんな何かしら自分で気づいて、初めて「サンタさんはお父さんだ」とか、気づいちゃうわけだ。
「逆に言うなら、私と志摩子さんはほぼ例外。瞳子ちゃんくらいまで信じてるの、リリアンでは珍しくないと思うわ」
むろん、何かしらの事故でバレちゃうという例外もあるだろうけれど。
「ちなみに瞳子ちゃんは、どんなきっかけで気づいたの?」
「瞳子の場合、むしろ親の失敗だったのかも知れません。毎年のように『遅くまで起きている悪い子のところにサンタさんは来ないぞ』と言われていたので、瞳子は早く寝ていました」
よく言われる言葉だと思う。私も子供の頃言われた。
そして瞳子の問題は、その寝た時間だった。
「早く寝れば早く明日になるとも思っていたので……さすがに夜の八時に寝てしまえば、夜中の二時や三時に起きてしまっても不思議ではないですわ」
逆に瞳子のお父さんは、確実に瞳子の寝ている時間を狙ってサンタになろうと子供の夢を大切にした結果、二時とか三時まで十分に待ってから行動を開始。小学生では我慢して起きているのは難しい時間帯だ。
そんな親と子が気を遣った結果、悪い方向に向かってしまって夜中に鉢合わせた、と。
「その時は、お父さまがあまりにも済まなそうに謝り続けるものだから、『気づいていたからいい』と嘘をついたんですけれど。でも子供心にショックでしたわ。もしかしたら自分はサンタさんにプレゼントを貰えない悪い子で、お父さまはそれを隠すためにプレゼントを用意したのではないか、と」
リリアン生らしい、なんだか微笑ましい悩みだった。でも本人はすごく真剣なんだよね。
「それで、それを祥子さまに相談したんです」
え、お姉さまに?
「そうしたら祥子さまは、『サンタクロースは特定の人物ではないのよ。子供を大切にする人たちみんながサンタクロースなのだから』と教えてくださって。それでなんとか落ち着きました」
ほう……さすがお姉さま、良いこと言う。
「なんかいいね、瞳子ちゃんの知り方は」
「そうですか?」
いや、由乃さんの言う通り、いいよ瞳子のは。親の言い付けを守った良い子と、子を思う親の気持ちが不幸な結果を招いただけであって。
「私なんて“健康な神像”を貰った翌日、露骨に様子のおかしい令ちゃんの態度でわかっちゃったから。もうね、明らかに私の反応うかがってるの。しつこくサンタに何貰ったか、気に入ったか、って聞いてきて。バカでもわかるわよ」
ぶつぶつ文句は言うものの、由乃さんはなんだか嬉しそうだ。ちなみにその年から、プレゼント選びは由乃さんのご両親ではなく、令さまが選んでいるらしい。もちろんお金は由乃さんのご両親が出しているそうだけれど。
「乃梨子ちゃんはいつまで信じてた?」
「小学校の二年生か三年生くらいだったと思います。クラスの男子が『サンタなんていない』って言っていたので」
やっぱり普通の小学校では、そういうものなのかもなぁ。
「知らない人に物を貰うのもどうかと、子供心に強く共感したのをよく憶えています。むしろ親から、と考えた方が納得できたんですよね。無償でプレゼントを配り歩くおじいさんっていうのも不気味ですし」
夢がなくてすみません、と乃梨子ちゃんは苦笑するものの、こっちも苦笑するしかない。クールな乃梨子ちゃんらしい話だ。
「じゃあ祐巳さん」
……そろそろ来ると思ったよ、由乃さん。
「最後は祐巳さんで落としてね」
オチ役か。責任重大だ。
「祐巳さんはいつまで信じていたの?」
志摩子さんも興味があるらしく、子供のように目が輝いていた。
「初等部一年生まで、だから……みんなより早かったのかな」
「「え」」
うそ、という顔で見られてしまった。全員に。
「私は最悪、今でも信じているのかと……」
さすがにそれはないよ、乃梨子ちゃん。どこまで夢見がちなのよ。
「瞳子は中等部くらいまでかと……」
さすがのリリアン生でもそれはちょっと遅すぎるよ、瞳子。まあいないとは限らないけれど。
「平均が売りなだけに、初等部四、五、六年生辺りだと思ってた」
さすがに鋭い予想だけどこれは平均関係ないと思うよ、由乃さん。身体能力に寄るものじゃないから。
「最初から信じていないのかと」
……志摩子さん。今でも普通を地で行く私に、なぜそんな無茶な期待を。
「私の場合は、誰から知ったとかじゃなくて、瞳子と同じく親の失敗だったのよ」
もっとも、こっちはもっとあからさまで単純明快だったけれど。しかも美談でもない。
「じゃあ、お姉さまも親の言い付け通り早く寝て?」
残念ながら違うのだよ、妹よ。
「私は、やっぱりサンタさんに会いたいと思って、ベッドに入って寝るのを我慢してるタイプだったから」
由乃さんや乃梨子ちゃんに「あーなるほどー」と賛同を得て、いかに幼少時の自分も普通であったかを再確認してしまった。まあ意外性を求められても困るけれど。
「でも子供だからね。我慢してる最中にいつの間にか寝ちゃったのよね」
これも大部分の「サンタさんに会いたいとがんばって起きていた子供」と、同じ結末ではなかろうか。気がついたら朝で、すでにプレゼントがあった、とか。
「で、運命の初等部一年生のクリスマス。弟と『今度こそサンタさんに会おうね』なんて無邪気なことを言いながら、それぞれベッドの中でがんばって、それでやっぱり二人とも寝ちゃったわけ。
起きたらプレゼントが届けられていて、でも、サンタさんに会えなかったながらも嬉しくてね。着替えもせずにプレゼントを大事に抱えて両親に報告しに行ったのよ」
うんうん、と相槌を打ってくれる仲間たち。ほど良い食いつきだ。オチまであと少しだからね。
……思えば、私のボケとか天然とかって、やっぱり両親譲りなんだよね……遺伝子レベルでアレだから、もう矯正は無理だろうな。
「こら祐巳さん。何急にたそがれてるの?」
おっと。食いついている魚が騒ぎ出した。今はこっちに集中せねば。
「私が大はしゃぎしてる時に、弟もプレゼントを抱えて走ってきたの。お父さんもお母さんもニコニコしながら『よかったね。早く開けてごらん』って言って。それから私たちは丁寧に包装紙を取りに掛かった。
プレゼントってさ、中身は何かな、って期待して開ける時が一番楽しいと思う。あの時のワクワク感だけは今でも憶えてるよ」
で、ここからだ。
私は目を伏せて、当時のことを振り返りながら、今を閉ざした。
「それで、開けてる途中から、中がチラチラ見えてくるのよ。私と弟は普通の例に漏れず、当時流行ったオモチャとかをサンタさんにお願いしてた。私はお人形の家とか、弟はラジコンとか。
……で、包装紙の隙間からチラチラ見えるのは、明らかに期待とは違うものなの。ピンク色のものじゃなくて、青かったり黒かったりして。
ふと横を見ると、弟の手もずいぶんノロノロしてた。甘いものと思って食べたものが苦いものだった、って感じで、微妙な顔をしてね。
――もうわかったでしょ? サンタさんは、私へのプレゼントと弟のプレゼントを、間違えちゃったのよ」
ぷっ、と、誰かが……いや、たぶん全員が吹き出した。でも私はあえて、まだ面々を見ない。
「でもプレゼントはプレゼント。たとえ弟が持っているものが欲しい私でも、私が持っているものが欲しい弟でも、貰ったプレゼントを交換しよう、なんて発想は出なかった。だってサンタさんが……というか誰かがプレゼントしてくれたんだから、大切にしないといけないじゃない。
そんなわけで、お互いが持っているものを物欲しそうに見詰め合う私たち。喜びの声を今か今かと待っていたお父さんが不思議そうに私たちを見て、叫んだの」
ここで一拍置いて、目を開き、私はその一言を告げた。
「『あ、すまん! 祐巳ちゃんと祐麒のプレゼントを間違えた!』……ってね」
――大爆笑のオチがもらえたので、お父さんの失敗は、無駄ではなかったんだろう。
「さすが福沢家! 面白い!」
いや由乃さん、本人たちはヘコんじゃったりしたんですが。その時はもう、すごく。
「言われたあと、私たちはしばらく、お父さんの言葉の意味がわからなくてね。先に気づいたのが祐麒でさ。『お父さんはサンタさんなの?』って聞いちゃったのよ」
「それでそれで!? 福沢父はなんて!?」
いや由乃さん、食いつき過ぎなんですが。もう釣り針上げてるんだから落ち着こうよ。
「純粋にサンタさんを信じてた私たちにとって、サンタさんは……なんていうか……ファンタジーな存在だったの。妖精とか、神様……とまでは言わないけれど、空を飛んでやってくる何者よりもすごい存在だったのよ。それがお父さんだなんて……と、子供の夢が壊れる寸前だった」
そして、その時だった。
「もしそこでお父さんが、平然と『サンタさんがプレゼントを間違えたみたいだね』とか言ってたら、なんだそうか、ってことで丸く収まったかもしれない。いや、私たちのことだから、きっと騙されてた。
でもお父さん、祐麒に聞かれるまで自分の失敗に気づいてなかったの。祐麒に聞かれて一目瞭然で『しまった』って顔してね……もう答えを聞くまでもなく、そうなんだってことがわかっちゃって」
あの時は……ショックだったなぁ。遠い目もしてしまうってものだ。
「もうわんわん泣いたよ。望まないプレゼントを抱いて。夢が現実に壊されたショックって、記憶に残ってる内ならあれが初めてだったと思う。
お母さんは激しくお父さんを叱るし、お父さんまで半泣きになって、ごめん、ごめんって……クリスマスムードが一瞬にして真っ暗になっちゃった。陽気なクリスマスソングがただただ虚しくて」
いや、もちろん、お父さんに悪気はないってことは、最初からわかっていた。ただ、幻想的な存在であるサンタさんがわざわざ届けてくれていたと思い込んでいただけに、ショックだっただけで。
ずいぶんと当時の記憶は薄れてしまって、あまり思い出せないけれど、あの時のショックは忘れられない。
「……それで、その後の福沢家は?」
乃梨子ちゃんが問う。そう、真っ暗になってしまったクリスマスを、どう過ごしたのか。
「泣き疲れて眠っちゃって、起きて。弟とプレゼントを交換して」
「交換して?」
「プレゼントで遊んで、普通にチキンとかケーキとか食べて、終わり」
「え? 終わっちゃうんですか? 何事もなく?」
「だってお父さん、ずっと沈んでたんだもん。可愛そうに見えちゃって」
幻想のサンタさんはいなくなったけれど、しょぼくれたサンタさんよりは、いつものお父さんのサンタさんの方がよっぽど良いと思ったから。なんか矛盾を感じる気もするけれど、そう思ったから。
そんな風に言うと、温かい眼差しで見詰められてしまった。
「なんだか人柄が出てますね」
「そう、かな?」
……って、今も昔も変わらないってこと?
「もし由乃さまがその子なら、もう手も付けられないほど大暴れしたと思いますよ」
「おい」
「否定できますか? 否定できるんですか?」
「……乃梨子ちゃん、鋭いから嫌い」
由乃さんはぷーっとむくれてしまった。
「……それにしても」
志摩子さんは溜息をついた。
「クリスマスに妙な思い出があるのって、私だけなのね」
それは家庭環境に寄るところが多いから、しょうがないんじゃないでしょうか。
「ところで、クリスマスで思い出したんだけど」
コメントしがたい志摩子さんのつぶやきは流しちゃったようで、由乃さんはニヤニヤと笑い出した。
「私さ、昔、パーティーグッズっていうのを貰ったことがあってね」
パーティーグッズ?
「瞳子ちゃん、あなたさっき自信満々で『伊達メガネを勧める必要はない』って言ったわよね?」
「え?」
……ああ、なんか、かなり最初の方で熱く語っていたっけ。
「甘いわね。あるのよ、人に勧められる伊達メガネが」
「……ま、まさか。そんなのあるはずありませんわ」
いや、ある。あるよね。
アレを知っている私と乃梨子ちゃんも、由乃さん同様にニヤニヤし始めた。そうか、由乃さんアレ持ってるのか。由乃さんらしいというかなんというか。
「明日持って来るから。上級生に説教するなんて百年早いってことを教えてあげる」
――翌日。
今度のメガネ持参者は由乃さんのみなので、昼休みに集まってみた。
そして。
「「あはははははははっ!!」」
薔薇の館、大爆笑。
由乃さんはパーティーグッズの花形、あの「鼻メガネ」を持ってきたのだった。
瞳子がなぜか妙に鼻メガネを気に入って、今度の日曜日に鼻メガネ探しに行くことになったのは、余談である。