「うぅ……」
「う〜……」
何やら閑散とした雰囲気のここ薔薇の館では、つぼみがたった二人だけで、身体をガタガタと振るわせつつ、のたくる文字で書類と格闘していた。
真冬の館はやたらめったらクソ寒く、おまけに今日は配電盤の工事中で電気が使えないから、部屋の中は薄暗いまま。
何もそんな日に仕事をしなくても良いと思うが、急ぎの書類だからやらざるを得ない状態。
今日に限って、薔薇さま三人とも用事があって既に帰宅しており、もう一人のつぼみも、体調不良で早退していた。
すなわち今ここに居るのは、黄薔薇のつぼみ島津由乃と白薔薇のつぼみ二条乃梨子の二人だけで、幸いなのは、薔薇さまでなくても出来る仕事だった。
「うぅ、お湯も沸かせないなんて……」
「あぁ、温かい紅茶が懐かしい……」
電気が使えないからポットも使えず、お湯を沸かすこともままならない。
あまりの寒さに、流石の乃梨子も脳味噌が冷え切っているらしく、自販機でホットドリンクを購入する考えすらも浮かばないようだ。
「ちょっとゴメン」
何を思ったか、乃梨子の正面に座っていた由乃が、乃梨子の隣に移動した。
「隣に誰かいれば、少しは暖かいわよね」
せいぜい気持ち程度だろうが、それでも気分は少しはマシになる。
しかし、その気分も最初だけ、寒さは少しも収まらない。
「うぅ、ちょっとゴメン」
今度は由乃は、乃梨子の左手を取って、自分の両手で包み込むように握った。
「うぅ、な、何を……?」
「あぁ、乃梨子ちゃんの手って、温かいわねぇ」
それを聞いて、赤面する乃梨子。
「志摩子さんってば、いつもこの手を握ってるのねぇ。羨ましいわぁ」
何と返したら良いか分からないまま、少し恥ずかしげな表情しつつも冷静を装い、書類を埋めて行く乃梨子。
そのまま、由乃が乃梨子の手を取り続けることしばし。
片手では仕事をし難い乃梨子だが、無碍に振りほどくことも出来ず、字が歪んでも直せない。
「あぁもう!」
急に大声を出して、乃梨子の手を離しながら立ち上がる由乃。
「?」
先程から急展開過ぎて、乃梨子は由乃の言動について行けない。
とにかく、ようやく左手が解放されたので、歪んでしまった文字を書き直していたところで。
「こうだ!」
由乃は、突然乃梨子の背中に抱き付いた。
襟元に手を回し、乃梨子の後頭部に頬を寄せる。
「ってうわぁ!? な、何を!?」
さしもの乃梨子も、これには驚いた。
まさか、黄薔薇さま命の由乃が、白薔薇のつぼみに抱き付くとは。
もう少しで「アンタはせーさまか!?」とやってしまうトコロだったが、思った以上の動揺で、硬直したまま動けない。
「あぁ〜〜、暖かい……。しかも、なんだか良い匂い」
それを聞いて、かなり赤面する乃梨子。
「志摩子さんってば、毎日この香りを楽しんでいるのねぇ。羨ましいわぁ」
自分の匂いなんて考えたこともなかった乃梨子が、由乃の言葉が気恥ずかしくて、なんだか居た堪れない。
「う〜ん、暖かいんだけど、何か物足りないわね……」
確かに乃梨子も、背中の由乃が暖かい。
だが、やはり背中だけなので何だかちょっと物足りない気分。
「乃梨子ちゃん、ちょっと立って」
返事も待たずに、椅子の背を引く由乃。
何をする気か分からないが、相手はとりあえず一応先輩のはしくれ、言われるままに立ち上がった。
「こっち向いて」
彼女の思惑は分からないが、相手はそれなりに概ね先輩のはしくれ、言われるままに振り向いた。
目の前には、何かイタヅラを思い付いた少年のような瞳の由乃が、口元に笑みを浮かべて立っている。
その顔に乃梨子は、違う寒さを感じてしまう。
「えい♪」
警戒する間もなく、乃梨子は真正面から由乃に抱き付かれた。
「う…え? はい?」
さっきから、まともなことが全く言えていない乃梨子、何が起きたのか理解が及んでいない。
「あぁ、やっぱりこうよね。とっても暖かい……って乃梨子ちゃん、ちゃんと背中に手を回してよ」
言われるがままに、由乃の背中に手を回してお互いしっかり抱き合ったところ、前も背中も、とっても暖かくなった。
照れか恥ずかしさによって体温が上がったのかもしれないが、それでも暖かいのは事実。
二人して、姉のこともすっかり忘れてしっかりと抱き合ったまま、無言で時間が過ぎて行く。
そこに、
「ごきげんよう、お仕事は捗って……」
足音もなく現れたのは、乃梨子のクラスメイトにして親友の、演劇部所属松平瞳子。
薄暗い部屋の中、満更でもなさそうな顔で抱き合っている二人を見た彼女は、驚きのあまり、手にしていた差し入れらしい二本の缶──恐らく温かいコーヒーか紅茶──をゴトゴトと落っことした。
「って、うわ瞳子? いや、これは違うの誤解しないで。あのね……」
言い訳しながら慌てて振りほどこうとするも、由乃はしっかり抱き締めて離さない。
しかも由乃は、
「あぁもっと、もっと強く抱き締めて……」
などと言い出したからたまらない。
「あの、その、ええと……」
しばらく混乱していた瞳子だが、どうやら自己完結したようで、ニヤリと嫌な笑みを浮かべると、
「お邪魔しました!」
と、一言残して、足早に去っていった。
「えーと……?」
乃梨子は、困惑したまま由乃と抱き合い続けていた。
程なくして、写真部のエースと新聞部部長が駆け込んで来たのだが、その後どうなったのかは皆さんの想像にお任せすることに……。