――最近、お姉さまが怖いんです。
「いや、お姉さま本人が嫌いなわけじゃないんです。ただ、その、視線が何だか粘っこいというか、ねっとりとしているというか……全身をくまなく舐められているような感じがするんです」
「それで私に相談しに来た、と」
「はい」
私、福沢祐巳は先代白薔薇さまである佐藤聖さまと喫茶店で向かい合っていた。
外は昨日降った雪がまだうっすらと残っていていつも以上の寒さを感じさせる。私は最近とみに感じる寒気を強引に冬のせいにして、まだ湯気の立ちのぼるホットココアに口をつけた。あっつつ、舌を火傷したかも。
「ふぅん、ということは、やっと祥子に嫌気がさして私のところに来てくれる決心がついたわけだ」
「そ、そんな! 私はお姉さまが嫌いになったわけじゃなくて、その……ただ……」
「ははは、わかってるって。祐巳ちゃんは祥子にベタ惚れだもんね〜」
「……もう!」
そうなのだ。私はただ、お姉さまに喜んでもらいたかっただけ。それが、こんなことになるなんて思いもしなかったのだ。その原因の一端が目の前の聖さまにあることは私は忘れていない。聖さまがあの時あんなことを言わなければと、何度思っただろう。
あれは、黄薔薇革命が一まずの解決を見せ、山百合会に平穏が帰ってきたときのことだった。祥子さまをお姉さまと呼べるようになって浮かれていた私は、お姉さまが用事で遅れると伝えられた日に、おばあちゃんにあたる当時の三薔薇――蓉子さま、江利子さま、そして聖さまに囲まれていた。
「ねぇ、祐巳ちゃん、最近祥子とうまくいっているのかしら。まだ祥子の妹になって日が浅いから、とても心配なのよ」
「そうそう、二人しかいないときは祥子のヒステリーが祐巳ちゃんに全部向かっていっちゃうわけでしょ? 私としてはそれが不憫で不憫で」
「そ、そんなことないです! さ……お姉さまは本当に優しくて、タイが曲がっているのは毎日怒られてるけど、あの、えと、一緒に帰ることも多いですし」
「祐巳ちゃん、また百面相してるよ?」
「え? あぅ……」
この頃の私はお姉さまたちの玩具といっても差し支えなかったかもしれない。お姉さまの助けが求められないこの状況で私はわたわたするしかなかったのだ。それにしても、一緒に来ているはずの志摩子さんと由乃さんは助けを求めても遠巻きに微笑んでいるだけで、近づけば自分も餌食になることがわかっているのだろう、決して近づいてくることが無かった。
その後で私特製のコーヒーをプレゼントしてあげましたが。詳しくは秘密です。あえて言うなら、そうですね、三倍は伊達じゃないんです。
そんな中で聖さまがおっしゃった一言がすべての引き金となりました。
「ねぇ、祐巳ちゃん、祥子ともっと仲良くなりたくない?」
この頃の私にはまさに悪魔の囁きでした。私が肯いたのは言うまでもないでしょう。それを見るやいなや、聖さまは抱きしめ、言い放ったのだ。
「それじゃあ、祐巳ちゃんをもっとかわいく変身させましょー!」
これに江利子さまと蓉子さまが乗らないはずはありませんでした。
私はあっという間に下着以外をひん剥かれ、いつの間にか用意されていたメイド服に着替えさせられていました。
ただ着替えさせるだけでは飽き足らなかったのか、聖さまたちは猫耳だとか銀のおぼんだとか、なぜここにあるのかわからないものを次々につけたり持たされたりしました。
ちょうど、そこらにあったメガネをかけさせられて、その度数にふらっとへたり込んでしまった時でした。そう、お姉さまがビスケット扉を開けて姿を現したのは。
「ゆ、祐巳……あなた……」
私を見た瞬間、お姉さまは石のように固まりました。それを見た私は「嫌われた」と思い、目から涙があふれそうになりました。結局それは杞憂に終わったのですが、さらに大変なことが起こったのでした。
――じゅるり。
どこからか、そのような音が聞こえました。発生源を見ると、それは固まっていたはずのお姉さまでした。そして心なしか顔色も赤みが差して、息が荒いように感じられました。その視線の先には私。思い直してみると、私の今の状況はメイド服に猫耳ではなく犬耳、そしてしっぽ。へたり込んだ際にずれ落ちそうになっているメガネと両腕で抱え込んでいるおぼん。まっすぐな視線だとメガネのレンズを通してしまうのでどこか上目遣いだったと思います。図らずも、後ろから「萌え」という言葉が聞こえたように思いました。でもきっと気のせいです。
この日執拗に自分の家に泊まるよう迫ってきたお姉さまに、初めて貞操の危機を感じました。
それからというものの、ほぼ毎日お姉さまの持ってきた服に着替えさせられました。ナース服から巫女服、スクール水着に何故かリリアンとは違うセーラー服。……お腹が出てちょっと寒かったです。そういえば、途中から令さまも感化されたのか、いろんな服を作ってきました。それもお姉さまからの注文を受けたものも少なくない。というか、最初のひらひらした服以外すべてである。しかし、持ってくるたびに申し訳なさそうな顔をするくらいなら是非ともしっかりと断ってほしいものです。まぁ、ヘタ令さまだし仕方が無いですが。
加えて、お姉さまの視線も日々を経るごとに強くなっていきました。最初のうちはお姉さまが喜んでいるのだとうれしく思っていましたが、気づいたときにはもう、手遅れでした。
幸いなことに、お姉さまにもスイッチが出来たようで、外や人の見ている場所ではあまり襲われなくなりました。聞くところによると、蓉子さまが諭してくださったようです。蓉子さま、ありがとうございます、このご恩は忘れません。
ただ、どうも最近おかしいのです。
ただ熱いだけだった視線がどこか粘り気のあるものに変わってきたというか……。どうやらお姉さまのレベルが上がったようです。当分は瞳子が守ってくれているので安心なのだけれども、だんだん懐柔されているような気配がするので何かさらに対策を立てなきゃなと思っているのです。
ほら、瞳子には乃梨子ちゃんを当てて難を逃れるとか。でもこの案だと志摩子さんがネックなんですよねぇ。
「……聖さま、どうしたらいいと思います?」
「ん〜、こればかりは私にもどうにもならないかなぁ。祐巳ちゃんがはっきりと意思表示するしかないかもしれないね。確かにきっかけを作った私も祐巳ちゃんには悪いことしたかなって思うけどさ」
聖さまは軽く片手で謝罪のポーズをしながら苦笑した。私は半ばがっかりしながらも、多少は答えを予測していたこともあって、「やっぱりか」程度の認識で受け入れていた。それだけならまだ良かったのだ。
「あとさ、もうひとつ謝らないといけないことがあるんだ」
途端に、嫌な予感が体を駆け巡った。
まさか、まさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさか……………………
おそるおそる振り向くと、着物を持ちながらハァハァいっているお姉さまと目が合ってしまった。隣には帯を持った瞳子が控えていた。
「祐巳ちゃんはね、きっと祥子たちにとって刺激剤とか興奮剤みたいなものなんだよ。しかも依存性のとっても高い、ね。そうそう、実は今日も途中からずっと耳をそばだててこっちを覗いていたんだよ。祐巳ちゃんは背中の方で見えなかったけど。お、ドリルちゃん……うん、確かに受け取ったよ。脱ぎたてはなかなか手に入らないからねぇ。持ちつ持たれつ、需要と供給だよねぇ……わかってるって。でもちょっとは私にも分けてほしいなぁって……冗談冗談。んじゃ、志摩子によろしく言っといてね〜」