【2549】 くれた希望に  (篠原 2008-02-15 06:16:44)


 がちゃSレイニーシリーズ外伝 『多重スール狂想曲』 【No:2427】の続きです。


「沙羅」
「はい?」
 振り返った沙羅に、浅葱はにやにやという表現がふさわしい笑みを浮かべて教室の入り口を親指で指し示した。
「あのコ、また来てるわよ」
 その方向に視線を向けて、沙羅は、苦笑とも困惑ともつかない微妙な表情を浮かべた。
「………春菜ちゃん」
 あの騒ぎ以来、なぜだか懐かれてしまった少女だ。
 特に沙羅が何かしたというわけでもない。スールの申込みをして手酷くふらたらしく、泣いているところに出くわしただけだ。ろくに慰めた覚えもない。ただ大まかな話を聞いただけだった。
 それだけで、勝手にさっぱりしたという彼女を強いというのか軽いというのか、沙羅にはわからない。
 以来、時々こうして沙羅に会いに来る。沙羅が暇な時は、一緒に昼食をとったりもする。
「沙羅さまー」
 嬉しそうに手を振る少女の姿に沙羅はこんどははっきり苦笑した。

 沙羅は自分の名前があまり好きではなかった。
 平家物語が好きな両親が沙羅双樹からとったらしいが、音だけ聞くと外人みたいだし、そんな諸行無常な感じの名前は縁起が悪そうな気がする。
 また、リリアンでは名前にさん付け、さま付けで呼ばれるのが基本だ。沙羅さん。さらさま。語呂が悪いと自分でも思う。
 だから友達は呼び捨てが基本だった。

「えー、格好良いじゃないですか。サラって」
 春菜はそう言って屈託無く笑う。
「でも、呼びにくいでしょう。他の呼び方にしたいとは思わない?」
「そ、そんなことは」
 そう言いかけてなぜか顔を赤らめる。時々謎な反応をするコだ。
「友達は沙羅って呼ぶけど」
「それはさすがに……っていうか無理です」
 リリアン女学園は上下関係に厳しい。1年生が3年生を呼び捨てにするというのは、たとえ当人同士がよくても周りが黙っていないだろう。
 それは、そんなどうでもいいような話をしながらミルクホールに向かう途中のことだった。
 春菜の足がピタリと止まった。
 振り向いた沙羅は、春菜の強張った表情を見て戸惑った。
「春菜ちゃん? どうかした?」
「え? あ、いえ。別になんでもないですよ」
 すぐに浮かべられた笑顔は一瞬ひどくぎこちなく見えた。
 春菜が見ていたと思しき視線の先には数人の生徒達が連れ立って歩いていた。おそらくは2年だろう。元気そうなコ、おとなしそうなコ、お嬢様然としたコ。特別変わったことは見当たらない。
 ああ、でも。
 なんとなく。
 理由は聞かなかった。
 沙羅はなんとなく春菜の頭を撫でる。
 春菜はなぜかひどく驚いた表情で沙羅を見上げた。
「あ、と、ごめん。驚いた?」
「いえ。私、沙羅さまにこうされるの好きです」
 そう言って、春菜は泣き笑いのような表情を浮かべると俯いた。
「もうちょっとそうしていていただいていいですか」
「……いいけれど」
 ああ、でも。考えてみれば人前でこれはちょっと恥ずかしいような気がする。

「妹にしないの?」
「え?」
 教室に戻った途端、沙羅は浅葱につかまった。
「かわいいじゃない。沙羅の顔見ただけであんなに嬉しそうに」
「この時期に?」
 思わず苦笑する。
 沙羅は3年だ。ましてや、もうじき2学期も終わろうかというこの時期。
 3年と1年の姉妹がいないわけではないけれど、残りの時間を考えたら、今更スールになるのはナンセンスだろう。
「それ、何か関係あるの?」
 何言ってんの? とでも言いたげな口調は、あまり細かいことにこだわらない浅葱らしい言い様ではあった。
 好意で言ってくれているのだろうとは思う。
 だが浅葱は知らないのだ。沙羅には別に妹にしたいコがいたのを。そして既にふられていることを。





 クリスマス恒例のミサに参加する為に浅葱と共にお御堂に入った沙羅は、なんとなく1年生が固まっているあたりに目を向けた。
 一人の少女と目が合う。春菜だ。沙羅が気付いたことに気付いたのだろう、春菜の顔に笑顔が浮かぶ。
 まったく。沙羅はクスリと笑った。
「なににやけてるのかなー?」
「べ、別ににやけてなんてないわよ」
 めざとい。
「さっさと妹にすればいいのに」
 二人が知り合うことになった事情を知らない浅葱は無責任かつ気楽に言う。
「そういうんじゃないんだってば」
「あのコ、こっち来たよ?」
「え?」
 どうやら浅葱の存在に気付いていなかったらしい春菜が慌てるのに笑いながら、浅葱は自分の妹と一緒に参加するからと離れていった。
「え?」
 聞いてないよ、浅葱さん。あいかわらず恐ろしいまでのマイペース。あるいは、気を利かせたつもりか。
 しきりに謝る春菜の頭にぽんと手を乗せ沙羅は笑って言った。
「浅葱さんは元々ああいう人だから気にしなくていいわ。それより春菜ちゃんこそ友達と一緒だったんじゃないの?」
「ああいう? あ、いえ、私は、できればご一緒させていただければと思って」
「私はかまわないけれど。でも、春菜ちゃん。友達と一緒の時間を潰してまで私のところにばっかり来てちゃダメよ?」
「ええと、ばっかりというわけでは」
「あとは、もっと2年生に接近してお姉さまを探すとか」
 一瞬だけ、春菜の表情が消える。
 自分と一緒にいては春菜がお姉さまを見つける機会が減るのではないかと、沙羅は若干の危惧を抱いていた。
「無理ですよ」
「え?」
 春菜は照れたように笑って言った。
「私、こう見えてけっこう人見知りですし」
「えっ?」
 どこが!?
「ああっ、酷いですよ沙羅さま」
「いや、別に……」
 ミサが始まるまで、そうして二人は他愛も無い話を続けていた。

 そういえば、以前妹にと望んだコの方を探そうとは思わなかったな。と沙羅が思ったのはその日の夜のことだった。





「沙羅さま。チョコレートです」
「あ、ありがとう」
 バレンタインのお約束。くれるんじゃないかとは思っていたけど、いざ貰ってみると、これはまあ、なんというか、けっこう嬉しい。
「日頃お世話になっている感謝の気持ちを込めて」
「私は何もしていないけどね」
「そんなことはありません」
 その瞬間だけ、ひどく真面目な表情をしてそう答えると、春菜はすぐに笑顔になって言った。
「沙羅さまには、とても感謝しているんです。感謝するなと言われても無理です」

「意外とあっさりしてたわね」
「……見てたの?」
「廊下で堂々と渡してれば嫌でも目に付くわよ」
「浅葱さんこそ貰っているじゃない」
「貰ったわよ。妹から」
 堂々と言われると返す言葉が無い。まあ、妹からのチョコに言い訳する理由も無いのだろうけれど。
「それよりも、妹でもないのにわざわざチョコを? もう、ラブラブ?」
「だから……」
「はいはいごちそうさま。さぞかしそのチョコは甘いんでしょうね」
「……聞こうよ、人の話」

 意外なことに、チョコレートはビターだった。





「沙羅さま、ご卒業おめでとうございます」
「ありがとう。春菜ちゃん」
 春菜はひどく真剣な目をしてじっと沙羅の目を覗き込んだ。
「今までうるさくつきまとってすみませんでした」
「え?」
 意外な言葉だった。春菜がそんな風に思っていたなんて考えもしなかった。
「ご迷惑かなとも思ったんですけど……」
「そんなことはないわよ。私も楽しかったし」
 そう言って、沙羅は自分の言葉が事実だったことに今更のように気がついた。
 そう、楽しかったのだ。
 結局、沙羅は妹を待つことなく卒業を迎えてしまったが、もし妹を作っていたらこんな感じだったのかもしれないと夢想することはできた。
「そう言っていただけるとホッとします」
 微笑む春菜に、大袈裟だが幸せになって欲しいと、沙羅は素直にそう思えた。
「2年になったら、素敵なお姉さまと妹を見つけてね」
 その言葉に、絶えず沙羅に向けられていた春菜の笑顔が。
「………」
 笑顔がひび割れた。
「そんなの、無理です」
「春菜……ちゃん?」
「…………………………」
 じっと沙羅を見ていた春菜は、やがてついと視線を逸らした。
「ご存知ですよね。私が以前玉砕したこと」
「ええ、だからこそ、春菜ちゃんには頑張って楽しい高校生活を送って欲しいって、」
「私、頑張って、頑張ったつもり、だったんですけど……やっぱりダメだったみたいです」
 そう言って、春菜は笑った。
 泣きそうな笑顔だった。

 私は何をしてるのだろう。
 沙羅は呆然と立ち尽くす。
 いつも笑顔だったから。もう立ち直っているのだろうと思ってた。
 知っていたはずだ。手酷くふられて泣いていたことを。
 姉妹関係に対してひどく臆病になっているだろうことは、容易に想像できたはずだ。
 それは、沙羅も同じだったのだから。

 それを、全く考えなかったわけじゃない。
 でも、すぐ卒業してしまう自分なんかを姉にするよりも、あと1年を一緒に過ごしてくれるお姉さまを見つけて欲しかった。
 それがこのコの為だと思ってた。
 けれどもそれは、結局はただでさえ臆病になっていたこのコをさらに傷つけていただけじゃないのか。
 そして、沙羅自身が逃げていただけじゃないのか。
 ロザリオは、ある。
 けれどそれは別の少女の為に用意したものだった。
 あれは確かに本気だったから、それを別のコに渡すことには躊躇いがあった。それを認めるのに抵抗があった。
 けれどもそれで、このコがすこしでも自身を持てるというのなら。
 いや、そうじゃない。
 結局は沙羅自身が春菜を妹にしたいのかどうかだ。
 沙羅は自問した。

「すみません。卒業式だからってちょっと感傷的になってしまって。私、本当に沙羅さまには感謝していて。本当に今までありがとうございました」
 私は何もしていない。まだ、何もしていない。
「待って!」
 ペコリとお辞儀をした春菜が、踵を返して走り去ろうとした瞬間、沙羅はとっさに春菜の腕を掴んでいた。
 自答する暇も無かった。いや、とっさにその手を取ったこと自体がたぶん答なのだろう。
 掴んだ手に感じる震えは春菜のものだったのか、沙羅自身のものだったのか。
「私、これからすごく馬鹿なこと言うかもしれないけど、聞くだけでいいから聞いてくれる?」
 振り返った春菜の目には戸惑いの色。それでもとりあえずはこくんと頷くのを確認して、沙羅はロザリオを取り出した。
「話したこと無かったと思うけど、私、妹にしたいコがいたの」
 春菜の目が大きく見開かれた。
「そう、だったんですか」
「ふられたけどね」
「えっ?」
「ああ、そのコには既にお姉さまがいたから当然なんだけどね。それがあなにに会う直前の話。これはその時に用意したロザリオ」
「………意外です」
「自分でもバカなことしたと思ってる。だから、もう妹を持つ気は無かったの」
「そうだったんですか」
 春菜は納得したように頷いた。
「わざわざ打ち明けてくださってありがとうございます」
 そして何故かお礼。なんかもう、これで思い残すことはありませんみたいな雰囲気だった。
「いや、ちょっと待って。本題はここからだから」
「は?」
「その気は、無かったんだけどね。ホントに今更なんだけど……」
 いざとなると、怖かった。あの時は断られるのが前提だったが、それでも結構堪えたのだ。
「今の話をふまえたうえで、それでもよかったら」
 それでも、決めた。今決めた。
「このロザリオ、あなたの首にかけてもいい?」
 春菜の表情が戸惑いから驚きへと変わっていく。
「あ、あのっ、私、私も、最初はただ辛くて他に事情知ってる人もいなくて、だからわかっていて何も言わずに一緒にいてくれる沙羅さまと一緒にいるのが楽だったから」
 沙羅自身、そこまで考えていたわけではない。
「だから、最初のうちは、ホントにそれだけで、でも、それですごく救われて、だんだん一緒にいること自体が嬉しくなって、だからっ、そんな」
 ええと?
「そんな私でいいんでしょうか」
「………うん」
「……………」
「私の妹になってくれる?」
「………はい。喜んで」
「ありがとう」
 そして、ロザリオの授受。春菜の瞳から涙がこぼれた。春菜の涙を見るのは、出会った時以来だ。
「ほら、もう泣かないで」
「無理です」
 ぽろぽろと涙をこぼしながら、春菜は幸せそうに微笑んだ。


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