【255】 カウンセリング蓉子さま  (いぬいぬ 2005-07-24 03:17:13)


古い温室に、少女が一人、佇んでいた。
彼女は薔薇の花を見つめている。その瞳には、憧れと恐れが同居していた。
彼女の名は福沢祐巳。いずれその身に、大輪の薔薇を咲かせる事を望まれる身である。しかし、今はまだ、その蕾にすらなりきれていないのではないか。幾度目かの自問を彼女は胸の内で繰り返す。
「祐巳ちゃん?」
「あ、蓉子さま。ごきげんよう」
「どうしたの?こんな所で黄昏ちゃって。何かあったの?」
「いえ、何かあったという訳では・・・」
この人には判らないのかも知れない。
祐巳は、それがひがみである事を自覚しながらも、そう思う事をやめる事ができない。
祐巳の蓉子を見つめる目は、先ほどロサ・キネンシスを見つめていた時のように、憧れと恐れが同居していた。
「気になる事があるなら、話してみて?私相手で良ければ。口に出すだけでも気分が変わる物よ」
「・・・・・・・・・ええ」
この人には判らないのかもしれない。
再び祐巳はそう思いながらも、自分一人で答えが出せる訳でもない。そんなジレンマも口に出せば少しは晴れるだろうか?祐巳はゆっくりと語りだした。
「私、このままで大丈夫なんでしょうか?」
「何が?」
「このまま行けば、来年は紅薔薇の蕾に。そしてその次の年には・・・」
「なるほど。祐巳ちゃんは、紅薔薇様になるのが不安なのね?」
「はい」
この人には判らないかも知れない。また祐巳は思う。祥子さまも蓉子さまも、自分とは比べ物にならないくらい、優秀で美しい。そんな人に、平凡な自分の悩みを共有してもらえるとは思えない。祐巳は、雲をつかむような気分を味わっていた。
「蓉子さまもお姉さまも、紅薔薇様にふさわしい方達です。でも、わたしは紅薔薇様になれるような人間なんでしょうか?」
漠然とした不安。そしてそれは、2年後に必ずやってくる現実でもある。
「私は本当に、紅薔薇様になれるんでしょうか・・・」
祐巳はうつむいてしまった。

「そうね・・・なれないんじゃない?」
「・・・・・・そ、そんな?!」

自分は蓉子に見放される程、役に立たない存在なのか?祐巳はすがるように蓉子を見つめた。
「勘違いしないで、祐巳ちゃん。“いまはまだ”なれないってことよ。今のあなたはまだ、蕾すらつけていない、薔薇の苗木なのよ」
「苗木・・・ですか?」
「そう。ねえ祐巳ちゃん、あなたは紅薔薇様に、大輪の花のイメージでも持ってるのでしょう?」
「はい。蓉子さまもお姉さまも、綺麗に咲いた薔薇みたいです」
「ふふっ。そう言われると、照れるわね。でも祐巳ちゃん、考えてみて?薔薇が、植物が花を咲かせるには、大事なものがあるでしょう?」
「大事な物・・・ですか?」
「そう。花が咲くためにはね?幹や葉で、養分を貯めなければならないわ」
「・・・はい」
「そして、苗木のあなたは、まだ幹と葉しかないの。でもね?幹や葉は、花ほど目立つ存在ではないけれど、大事な部分だし、幹や葉で養分を貯えていれば、いずれ自然と花は咲くものよ?」
「自然に・・・」
「そう。それに花なんかね?次の世代に種を残す、いわば最後のオマケみたいなものなのよ?」
「・・・オマケですか」
「そうよ。だから今は、花を咲かせることなんか気にせずに、しっかりと養分を貯えなさい」
「私にとって・・・紅薔薇にとっての養分て何ですか?」
「これは、私が1年生の時の紅薔薇様の受け売りなんだけど・・・ 『このリリアン女学院全体が、大きな植木鉢みたいなものなの。あなたはその幹で、人との触れ合いという名の養分を吸い上げて、山百合会の仲間という名の光を葉に受けて、大きく育つ力を貯えなさい。そうすれば、最後のオマケに、大輪の薔薇がついてくるわよ』ってね?」
「人との触れ合い?」
「そうよ祐巳ちゃん。自分の中に無い物は、いくら頑張っても産まれては来ないわ。自分の中に無い物は、よそからもらってくれば良いの」
「よそ・・・触れ合った人達から?」
「そして、もらった物は、山百合会の仲間達の力を借りて、自分の力にしていくの。私は『包み込んで護るのが姉。妹は支え』なんて言ったけど、自分の周りにいる仲間だって、支えになるんだから」
「仲間が支え・・・」
「だから祐巳ちゃん、今はまだ、花が咲かない事に焦る必要は無いの。きっとあなたなら、大きな幹に育つと私は信じてるから。だって、あのプライドの高〜い祥子が惹かれて妹にした子ですもの。人を引き付ける力があると思うの。きっと誰もがあなたの元に集まってくるだろうから、養分には事欠かないはずよ?」
悪戯っぽく蓉子は微笑んだ。
祐巳は思う。今はまだ、蓉子さまやお姉さまには届かない。でも精一杯、自分の幹を伸ばそう。たとえ花が咲かなくとも、今より育った自分を見てもらえるように、自分なりに精一杯、葉を広げて見せようと。
それが、不器用な自分の育ち方なんだ、と。
「ありがとうございます。蓉子さま」
「少しは気分が晴れた?」
「はい!」
「じゃあ、その元気で、祥子に怒られに行きましょうか?」
「!」
「きっと心配してるわよ?なかなか顔を見せない妹の事を」
「ううっ・・・」
さっきまでの元気が、嘘のようにしおれてしまった。
自分が何をすれば良いかは、蓉子さまに教わった。しかし、お姉さまの怒りが怖いことには変わりが無いのだ。
「こんな事も、養分にしていけそう?」
「・・・もう少し、幹が伸びるまで待ってもらえませんか?」
ぷっと蓉子が吹き出した。そして、笑いながら祐巳の肩を抱き、薔薇の館へと歩いて行く。
肩を抱かれ、しょんぼりと薔薇の館へ連行される祐巳だったが、その背中に、さっきまで薔薇を見つめてうつむいていた時の暗さは、もう無かった。


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