開かれた山百合会。人で賑わう薔薇の館。それが、紅薔薇さまである水野の蓉子ちゃんの願いでした。
その願いをなんとか叶えようと、
(薔薇の館という名前が悪いのかしら? 確かに、お堅いイメージがあるものね)
多少、見当違いの方向に頭を悩ませていた蓉子ちゃん。
(身近なものに変えるとすると、家よね。薔薇の家。……なんとも、締まりのない名前だわ)
困った蓉子ちゃんは、ついに 「うんうん」 と頭を抱えて唸り始めてしまいました。
唸り始めて五分ほど過ぎた頃でしょうか。天からの啓示か、突然、自分の妹である小笠原の祥子ちゃんの姿が頭の中に浮かびました。
小笠原の祥子ちゃんは蓉子ちゃんが妹にした当時、 「冷血で青い血が流れている」 と、ご近所さんでも評判の朝に弱いお嬢さまでした。けれども最近は、 「随分と気性が穏やかになった」 とあちこちで囁かれているのをよく耳にします。
祥子ちゃんが変わった原因は、彼女の妹にありました。祥子ちゃんの妹は、福沢祐巳ちゃんという名前のクルクルと変わる表情がとても愛らしい子狸です。祥子ちゃんは、祐巳ちゃんの持つ愛らしさの虜になってしまったのでした。
(……愛らしい?)
そうか、と蓉子ちゃんは手を叩きました。
そうです。蓉子ちゃんは、願いを叶えるための突破口を見付けたのです。
それが、愛らしさだったんです。
愛らしさは、人を変えるんです。
冷血人間だった祥子ちゃんが、普通の人間っぽくなったように。
山百合会のメンバーが皆、祐巳ちゃんのように愛らしくなれば、この薔薇の館にも自然と人が集まってくるようになるでしょう。
(そうとわかれば、まずは基本となる自己紹介からね)
早速、物は試しと声に出してみました。
「水野蓉子でーす♪ よろしくね☆」
(こ、こんなの私じゃない……)
思わず吐血してしまいそうなほどの羞恥に、蓉子ちゃんは机に突っ伏して悶えます。
けれども、こんなことでは蓉子ちゃんは負けません。
(な、何事にも犠牲というものは付き物よね)
と、プライドとか原作での自分の性格とか色々なものを投げ捨てて、すぐに立ち直りました。
それから十分後。
蓉子ちゃんは、 「あーでもない、こーでもない」 「お兄ちゃん、は入れた方がいいのかしら?」 などと試行錯誤の末、ついに自分なりの愛らしさというものを完成させてしまいました。
それでは、やってみましょう。
まず、大きく息を吐いて心を落ち着けます。それから、呼吸が整ったところで両手を後ろ手に組みます。
上体をほんの少し前に傾けて、蓉子ちゃんはクルッと身体を回転させました。すると、その回転に合わせて、ふわりとスカートの裾が持ち上がります。けれども、この学園のスカートは長いので、残念ながら聖域が見えるようなことはありません。
これ以上ないくらいに愛嬌を振り撒きながら、自己紹介です。
「ごきげんよう、お兄ちゃんたち。水野蓉子だよっ♪」
いったい何のニーズに応えようとしたのか蓉子ちゃん自身にもわかりませんでしたが、最後に 「エヘヘ」 と照れたようにはにかんでみせました。
(決まったわ。我ながら、恐ろしいほどの出来ね)
蓉子ちゃんは、上手くいった、と心の底から喜びます。けれど、これを実際に人前でやるかといえば、そんな気は全くありませんでした。生真面目な蓉子ちゃんは、一度考え始めたことを途中で投げ出すことができなかっただけなのです。
ですから、
「な、何やってるの蓉子……」
耳に届いてきた聞き覚えのある声に、 「み、見られてたーーーーっっ!?」 と蓉子ちゃんは全身を硬直させてしまいました。
ギギギと錆付いた音を立てながら声の方へと顔を向けてみると、そこには 「とっても信じられないものを見た」 と言わんばかりの顔をした佐藤の聖ちゃんが立っていました。
「……」
「……」
気まずい沈黙が訪れます。蓉子ちゃんの額に、びっしりと脂汗が浮かびました。気を抜けば、ひっくり返ってしまいそうなくらい足も震えています。
十秒ほど経った頃でしょうか。
「蓉子はさ、働き過ぎで疲れているんだよ。少しの間、休んだら?」
聖ちゃんが、蓉子ちゃんから目を逸らしながら言いました。
言葉は気遣っているように聞こえるのに、態度から憐れみを感じるのはなぜでしょうか?
「しぎゃぁぁぁぁーーーーっっ!」
蓉子ちゃんは聖ちゃんから記憶を奪うべく、ものすごい勢いで飛びかかりました。
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「今となっては、良い思い出ね」
「ずっと何かを忘れているような気がしていたんだけど、たった今思い出したわ」
卒業前。
そんな会話が、蓉子ちゃんと聖ちゃんの間であったとかなかったとか。