【2558】 ドラマみたいチャンネルはそのまま  (海風 2008-03-07 09:01:35)



 これは間違いなくフィクションで現実とも原作とも一切まったく関係ありません。注意してください。





「ごきげんよう」
「ごきげんよう」

 さわやかな朝の挨拶が、澄み切った青空にこだまする。
 マリア様のお庭に集う乙女たちが、今日も天使のような無垢な笑顔で、背の高い門をくぐり抜けていく。
 汚れを知らない心身を包むのは、深い色の制服。
 スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは翻らせないように、ゆっくりと歩くのがここでのたしなみ。もちろん、遅刻ギリギリで走り去るなどといった、はしたない生徒など存在していようはずもない。


 涼やかな空気の中を、少女が一人歩いている。
 両サイドで結んだ髪が一歩ごとに跳ね上がる様は、その人の秘めた元気の証。

 いつものようにマリア像の前で立ち止まり、祈りを捧げる。
 無垢な少女に微笑み掛けるマリア像は、この日、奇跡を起こした。

「お、おわまっ」




   「カットーーーーーー!!」




 どこからともなく響いた野太い怒鳴り声に、少女は思いっきり激しくスカートのプリーツを乱して白いセーラーカラーを翻らせまくりで振り返った。

「あんた何度噛んだら気が済むの!? 『お待ちなさい』の一言も言えないの!?」

 声が聞こえた途端、福沢祐巳役の少女は、瞬時にお嬢さまの仮面をかなぐり捨てた。

「ご、ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! すみません!」

 怒声の先にいた黒髪が美しい長身の少女、小笠原祥子役の少女が、顔を青ざめてユミや関係者各所に頭を下げまくっていた。

「あーもうダメ! 監督、いったん休憩入れよう! 今はもうダメ!」

 情けない相方の姿を見て、ユミは髪を結んだリボンを解いてしまった。

「ユ、ユミちゃん……予定が押してるんだよぉ〜」

 髭モジャのおっさんが愛想笑いを張り付かせて懇願するが、ユミは一瞥もくれずに「コレ今使い物にならないでしょ!」とピシャリと言い放ち、コレたるサチコの元へスタスタ歩み寄る。

「はいはい15分休憩! あんたちょっと来なさいよ!」
「す、すみませんすみません!」

 相変わらず謝りっぱなしのサチコの腕を引っ張り、二人は休憩用テントへ消えていった。









「おつかれー」
「おつかれ」
「大丈夫? サチコちゃん」

 テントには、制服の上にコートだのダウンジャケットだの引っ掛けたキャストたちがくつろいでいた。

「す、す、すみません、皆さん……わたしのせいで時間が……」
「あーあー泣かない泣かない」

 三つ編みに勝気な瞳、スカジャンを羽織った島津由乃役の少女が笑いながら、涙目になっているサチコを抱きしめる。身長差があるので逆に見えなくもないが。

「ユミちゃん激しいけど悪気はないから。ね?」
「悪気なら山盛りあるわよ! もうっ、だから新人は嫌なのよ! 泣けば済むと思ってるの!?」

 パイプ椅子にドカッと座り、ユミはイライラと言葉を紡ぐ。

「期待の新人アイドルだかなんだか知らないけど、演技ってのは顔やスタイルでするものじゃないのよ! なんでこんな素人起用するかなぁ!? 合わせるこっちの身にもなれってのよ!」
「いや、気持ちはわかりますけど……」

 だがユミの気持ちがわかるだけに、「落ち着いてください」とも言えないのは、水野蓉子役の少女だ。
 今までも、サチコが出演するところでは5回以上は必ずNGが出ている。サチコと競演するシーンが多いユミが怒るのも無理はない。

「ほら、ユミちゃんさ、そろそろアイドル適齢期終わっちゃうから焦ってるのよ。ここでヒット出せばセカンドシリーズもユミちゃんで続投だろうしさ」

 無責任にユミのイライラに油を注ぐのは、佐藤聖役の少女。

「とっくにアイドル終わってるセイさんがそれ言うの!?」
「去年の助演賞貰ってるからねー。今後は女優一本でやってくつもり。映画のオファーも数本あるし、事務所もそっちで売っていくみたい」
「くっ…!」
「国民的アイドルなんて呼ばれてるユミちゃんは、CMは多いけどまだ賞貰ってないもんねー。そりゃ焦るよねー」

 イヤミったらしいわけでもない気楽な声がまた腹立たしい。

「……一回練習しようか」

 冷めた目でユミとセイのやり取りを見ていた藤堂志摩子役の女性が、ゆっくり立ち上がった。
 その何気ない動作には一片の無駄も力みもなく、確実にお嬢さまの品格を備えていた。

「シマコさん制服似合いますよね。まだまだ高校生役やれるんじゃないですか?」

 同じく付き合う気で立ち上がるのは、鳥居江利子役の少女だ。

「あなたたちと違ってもう二十代半ばだけど? 気分的に苦しいよ」

 苦笑するシマコだが、その姿は誰が見ても女子高生である。

「まあ役所が落ち着いてるから、まだいいけどね」
「そーですねー……私はどうもまだキャラ掴めないんですよね」
「アニメ版観てる?」
「いえ、原作だけです」
「観た方がいいよ。江利子すごく難しいと思うから」
「……そうなんですか? あんまり出番ないからって余裕こいてたんですけど」

 すーっと目を細めて笑うシマコ。

「ごまかしごまかしやってます、って感じよね?」

 エリコは「ははは……」と乾いた笑いを返すしなかった。

「サチコさん、いい? やれる?」
「は、はい! シマコさんエリコさん、よろしくお願いします!」

 外野で騒がれたせいか自然と気楽になったサチコは、自分の台本を取り上げた。中にはびっしりと注意点や演じるポイントなど、自分が気付いた部分が赤ペンで注書きが加えられている。
 そんなサチコの背中を、ヨシノがバシッと気合い注入。

「がんばれ!」

 少し離れた場所に移動する三人を見送り、ヨシノはとある一角に目を向ける。

「――おいレイちゃん! いつまで原作読んでるの!?」
「あ?」

 騒ぎに気付いていないくらいテントの片隅で熱心に文庫本を読んでいた支倉令役の少女は、ヨシノの声に顔を上げた。

「え? なに? 原作すごく面白いって?」
「んなこと言ってない! 同感だけど言ってない!」

 ちなみにレイとヨシノの二人、年齢は一歳違いだが、デビューが同じで事務所も同じで住んでる部屋も同じという理由で相当仲が良い。

「これ面白いねー。ぜひとも完結までドラマ化しないかなー」
「そのためにも今良い仕事しないといけないんでしょ! こういうの1クール終わったらキャスト総替えってケース多いんだから!」
「ん、確かに!」

 バタンと勢いよく文庫本を閉じて、レイは立ち上がった。

「良い仕事して気持ちよく打ち上げやって、作者の人も呼んでサイン貰う! サイン欲しい! イラストの人にもレイの顔描いてもらう!」
「おうよ! 私も貰う気満々だ!」
「ヨシノちゃんもっかいやっとくか!?」
「おうよ! ロザリオ返すところ、もっかいやるよ!」
「でも顔に投げないでね? 鎖が跳ねて何度か顔に当たってるんだから……」
「NG大賞も視野に入れてる!」
「それ狙うって意味!? ねえヨシノちゃん!? それ顔狙うって意味!?」

 ぐだぐだ言い合いながら、ヨシノとレイもテントから離れていく。




「……やれやれ」

 ユミは深い溜息をつくと、ふっと顔を緩める。
 そこには「怒り」の仮面も外した、素のユミがいた。
 
「新人育成は大変だよね」

 やはり気楽なセイの声に、ユミは「はっ」と鼻を鳴らす。

「フォローが充実してるから遠慮なくいじめられていいわ」
「サチコちゃんこれから絶対伸びるもんね。そりゃいじめ甲斐もあるでしょー」

 そんな二人の会話を聞いて、ヨーコは目を白黒させる。

「……え? あれ? 本気で怒ってたんじゃ……?」

 ユミは呆れた。

「……天然ね、ヨーコさん」
「あ、すいません。よく言われます」

 毒気なく笑うヨーコ。これで演技力はずば抜けているのだから、人はわからないものだ。
 
「それよりさ」

 セイはずずいっと二人に身を寄せ、声を潜ませる。

「やっぱあの監督、絶対原作読んでないよね?」
「読んでない。絶対読んでない」
「そうなんですか? 面白いのになー」

 同意するユミに、微妙にズレてるヨーコ。

「こっちで色々がんばらないと駄作決定ね。これだからアニメ上がりだと思ってナメてる監督は……」
「使えないわよね、あの髭。だから売れないのよ。自分からチャンス潰しまくってるのに気付いてないのよ」
「やりやすくはあるんですけどね。でも演技指導が的外れなのは困りますよね」

 ヨーコの言葉に、ユミとセイは強くうなずいた。
 
「ほんと、ヨーコさんとシマコさんが居てくれてよかったわ。ヨーコさんはのほほんとしつつズバリ言うし、シマコさんは黙っててもこっちの意思を組んでくれるし」
「シマコさんいいよねー。私、今回初めて一緒に仕事するんだけど、すごくやりやすい。やっぱ舞台から来た人はすごいわ」

 やりやすいやりやすい、と三人は声を揃えて盛り上がる。

「年齢的にオファー受けるかどうか悩んだらしいですよ」
「あ、私も聞いた。普通の今時の女子高生役ならやらなかった、って」
「へえ、そうなの? たまに出る関西弁とかすごい可愛いなーって思うのに」
「思う思う! あんな静かな口調の関西弁って初めて聞いた!」
「しかもあの制服姿で言うんだから可愛いですよね! 年上ですけど!」

 更に盛り上がる三人。




  ――「休憩終わりまーす!」




 その声に、女優もスタッフも慌しく動き始める。

「はいはい今行きますよー」

 サチコが戻ってくるのを確認して、ユミは至極面倒そうに腰を上げる。

「ユミちゃん」
「何よセイさん」
「たまには鬼が褒めるのも効果的よ。飴と鞭でメリハリ付けなきゃ」
「考えとく」









 涼やかな空気の中を、少女が一人歩いている。
 両サイドで結んだ髪が一歩ごとに跳ね上がる様は、その人の秘めた元気の証。

 いつものようにマリア像の前で立ち止まり、祈りを捧げる。
 無垢な少女に微笑み掛けるマリア像は、この日、奇跡を起こした。

「お待ちなさい」


 凛とした通る声が、澄んだ空に鐘のように響いた――








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