◆久々に投下するというのに、黒くてひどくてごめんなさい。カナコチャンハ、ダイスキデスヨ。
*
「嘘はよくないわ、瞳子さん」
暗い廊下。月明かりのみが、差し込むだけ。ゆっくりとした足音が響く。私は、荒い息を整えながら、いかにしてこの空間から逃げ出そうか、と考える。
私を追うのは、細川可南子だ。祐巳さまの狂信者とも言える彼女は、私が祐巳さまと姉妹になってから、その行動がエスカレートしたのだった。
遊園地での皆とのデートは楽しかった。私は朝からずっと可南子さんと二人で行動していた。
そして、その帰り道。
「瞳子さん」
直後に私の口元に押し当てられたのは、甘い匂いのするハンカチ。麻酔だと気付いた時には手足の力が抜けた後だった。
目覚めれば、そこは見知らぬ場所。古い工場か倉庫か。そこで私は後ろ手に縛られ、可南子さんに抱き締められていた。
「私、祐巳さまよりも好きな人が見つかったの。今日はとっても楽しかったわ……瞳子さん」
背筋に冷たいものが走った。私は縛られた身体を激しく動かし、可南子さんの顔に頭突きを食らわせた。彼女は倒れ、動かない。気絶したのだろう。
割れたガラスを使って縄を切り、口を塞いでいたガムテープを剥がす。一息ついた時、私の背後から声がした。
「素直じゃないのね、瞳子さんったら。私が好きなんでしょう? 嘘なんかつかないで」
振り向くと、鼻血を流しながら笑う可南子さんがいた。どこから取り出したのか、右手にはナイフが握られている。
「逃げたらどうかしら? 私は走ったりしないから。嫌なら、さぁ、逃げなさいよ」
私は即座にその場を逃げ出した。
闇雲に走り、私は階段の近くにいた。だが、下手に動くと、細川可南子に見つかってしまう。注意をひかなければ。
……靴を脱ぐと、私は細川可南子が向こうを見たのを見計らい、反対側に投げた。
「……そう。そこにいるのね、私の天使さま」
笑顔のまま、彼女は私の隠れていた場所を過ぎ、通路の奥に消えていった。
私はゆっくりと階段に向かって移動し、一階へと下りた。
入り口は近くに見えた。このまま、真直ぐ行けば−−。
私は小さく悲鳴を上げた。靴を脱いだのが失敗だった。割れたガラスが右足の裏に刺さっている。
痛みを堪えながら、私はガラスを抜こうとした。しかし。
「待って。抜くなら、私が戻るまで待って」
細川可南子がいた。青ざめた顔なのは、鼻血を流したからではないようだ。
「肩を貸すから、階段に座りましょう。鞄を取ってくるわ。応急処置くらいはできるから」
私は従うしかなかった。破片を足に刺したまま、走れるほどの勇気は、私にはない。
階段に座り、痛みを堪えること数分。私と自分の鞄を持った可南子さんが帰ってきた。
私は口にハンカチをくわえる。
「いい、いくわよ……」
ガラスが抜かれる。痛みは気が狂いそうだったが、悲鳴はハンカチが吸収した。可南子さんは手際よく、水による消毒や包帯を巻き付けてくる。
「早く病院に行きましょう。今、靴を拾ってくるから」
可南子さんが階段を上がる。私に優しくした可南子さんと、私を襲った可南子さん。どっちが本物の可南子さんなのだろうか。
そう考えた時。小さな悲鳴と共に、何かが階段から転がり落ちてきた。可南子さんだった。
目を開いたまま動かない彼女は、胸の辺りが真っ赤に染まっていた。
「見つけた、瞳子さん」
階段の上からは、鼻血で汚れた笑顔の可南子さんが、私を見ていた。
−−ああ、いつか聞いたことがある。
祐巳さまの狂信者だった可南子さんは火星に行ったんだ、と。
階段をゆっくりと下りてくる可南子さんの手には、もう一人の可南子さんの血を吸って、真っ赤に染まったナイフ。
歪んだ笑顔の可南子さんが私の目の前に立つと、ナイフを振り上げる。
私も微笑んだ。
「−−おかえりなさい」
赤く染まる月は、火星のようだった。