【2576】 二人だけの秘密狸の純情  (杏鴉 2008-03-26 19:05:54)


『藤堂さんに古手さんのセリフを言わせてみる』シリーズその2

これは『ひぐらしのなく頃に 綿流し編』とのクロスオーバーとなっております。
本家ひぐらしのような惨劇は起こりません。しかし無駄にネタバレしております。
そしてある人物の設定が、かなりおかしなことになっています。
諸々ご注意くださいませ。

【No:2386】→【No:2394】→【No:2398】→【No:2400】→【No:2428】→これ。






どうして私はあんなことしたんだろう……。
私はマリア様に手を合わせながら自問する。途端に、昨日の光景がありありと脳裏によみがえってきた。
祥子さまの柔らかな掌。ほんのりと染まった頬に、潤んだ瞳。そしてずっと包まれていたくなるような髪の香り――。
もう頬が熱くなるどころか、この場で頭を抱えてゴロゴロ転がりだしたくなるくらい恥ずかしい。

昨日の私は「いや〜、やたらリアルな夢だったなぁ。あはは」と現実逃避をしていたのだけれど、
お母さんと顔を合わせるたびに「もう一度、きちんと祥子さまにお礼とお詫びを言いなさいね」なんて言われ続けたら、なかったことにはできないわけで。
いや、なかったことになんてしちゃいけないのは分かっているんだけれど……。

「はぅ……」

マリア様の御前であるにもかかわらず、私はため息のような、そうでないような微妙に力の抜ける声をもらした。
あの時、私はただ抱きしめてほしかっただけだ。べつにやましいことをしたつもりはない。ないのだけれど、
私はどうしてもマリア様のお顔を見ることができなかった。

……もしもあの時、電話が鳴らなかったら。

私は合わせていた手を離し、指先でそっと唇に触れてみた。
すべすべした掌に心を直接撫でられたような気分になって、私はギュッと目を閉じた。
私、どうしちゃったんだろう……。

不意に誰かの手が、私の肩に触れた。

「ごきげんよう。祐巳」
「ひゃぁあいっ!?」
「……あなた、なんて声だすの。これじゃあ、まるで私があなたを襲っているみたいじゃないの」
「すすすいませんお姉さま!」

慌てて謝りはしたものの、このタイミングなら叫び声の一つや二つ上げても仕方ないんじゃないかと思う。
だって昨日あんなことがあったわけだし……。

うろたえている私を尻目に、祥子さまは優雅にお祈りを始めた。
どうして普通でいられるんだろう。私なんかお祈りしてる横顔すらまともに見れなくなっているのに。
祥子さまにとっては、べつに大したことじゃなかったのかな……。
タイの結び目がある辺りを押さえてみる。服越しにも分かるほど、私の胸は激しいリズムを刻んでいた。
私はこんなにドキドキしてるのになぁ。

うつむき加減になっていた私の視界にほっそりとした綺麗な手が、すうっと入ってきた。手から腕、腕から肩へと視線を滑らせていくと、祥子さまの微笑みにたどり着いた。

――祥子さまが私に触れようとしている。

それに気付いた時、私は考えるよりも先に身体を引いてしまっていた。
手を宙に浮かせたまま固まっている祥子さまの目の前に、祥子さま以上に驚いている一匹のタヌキがいた。
な、なんで?……私いったい何やってるの?お姉さまはいつものようにタイを直してくれようとしただけなのに。

「ち、違うんですっ。べつにお姉さまにタイを直していただくのが嫌とかそういうのではなくてですね!えっとえっと……!」
「少し落ち着きなさい祐巳。大丈夫よ。私あなたに嫌われただなんて思ってやしないから」

プチパニックに陥っている私を、祥子さまは苦笑しながら宥めてくれた。
確かに祥子さまは傷ついたり悲しんだりしているようには見えない。ただ、中途半端な位置に浮いたままだった手を下ろす姿は、どことなく残念そうではあった。

「さぁ、もう行きましょう」
「はい……」
「隣を歩くくらいは、いいのでしょう?」
「も、もちろんですっ」

並んで歩きだしたけれど、会話はない。
普段から祥子さまはあまりベラベラおしゃべりする方ではないけれど、今は私に気を遣って黙っているんじゃないかと思う。
挙動不審な妹に、これ以上刺激を与えないようにと考えてくれているんじゃないだろうか。
けれど私の推測がもし当たっているとしたら、祥子さまの心配りは申し訳ないがあまり意味がない。
だって、隣に祥子さまがいるというだけで、今の私にとっては十分すぎるほどに刺激的だから。

ただ一緒に歩いているだけなのに、どうしてこんなに私はドキドキしているんだろう。
すぐ傍に祥子さまがいる。ただそれだけで私は……。

こっそり祥子さまの横顔を盗み見る。鼓動がさらに速くなった。このままいくと心臓がどうにかなってしまいそうだ。
早く視線を逸らさないと。そう思うのに、私の瞳にはいつまでも祥子さまが映っていた。
ずっと見つめていたい。もしも、一生傍で見つめていてもいいという許しを得られるのなら、私はどんな代償だっていとわないだろう。

あなたの傍にいられるのなら。この両足を失ったとしてもかまわない。
あなたが私を抱きしめてくれるのなら。私の両手はあなたを受け入れるためだけに使ったっていい。
あなたが私の名を囁いてくれるのなら。あなたへの言葉だけこの唇にのせましょう。

だからお願いです。
どうか私をひとりにしないでください。




――さて、今日の授業はぜんぶ終わったし、ホームルームも済んだ。教室の掃除も終わっている。
後は薔薇の館に行くだけ、なわけだけど……。
私は一緒に遊ぶ約束をした友達が迎えに来るのを待っている子供みたいに、ぼーっと自分の席に座っていた。
べつに薔薇の館に行きたくないわけじゃない。むしろ一刻も早く祥子さまに会いたいと思っている。
でも、二人っきりになるのは出来れば避けたかった。

今日のお昼。お弁当を食べようと薔薇の館へ行くとそこには祥子さましかおらず、舞い上がった私はお弁当どころではなくなってしまった。
幸い、というか何というか、すぐにみんなが来てくれたから私はなんとか自分を立て直すことができたけれど、放課後はそういうわけにはいかないだろう。
令さまは部活があるし、志摩子さんも委員会がある。乃梨子ちゃんは山百合会以外は所属していないけれど、掃除当番や何かの都合で遅くなるかもしれない。
……やっぱりもう少しだけここにいよう。

今すぐ会いたいのに、会うのが怖い。なんだろう、この気持ちは。
祥子さまを想うと、前よりもずっとずっと胸が苦しくなる。
私の中で何かが変わってしまったのだろうか。昨日、あの時を境に。

もしもあの時、電話が鳴らなかったら――

それはもう何度したか分からない、自分への問いかけ。
ホッとした?それとも残念だった?
答えは両方ともイエスだ。その答え自体は昨日から変わっていない。
でも時間が経つにつれ、残念だったという気持ちの方がどんどん大きく膨らんできて、私の胸を内側から圧迫している。
私は――

「その顔いただきっ」

――パシャ。

「えっ!?」
「憂いを帯びた祐巳さんもいい」
「もう!蔦子さん!」

突然のフラッシュに驚く私を、蔦子さんがファインダー越しに見ている。
毎度のこととはいえ真剣に悩んでいるところを邪魔された私は非難のまなざしを向けたけれど、カメラを下ろした蔦子さんはいつもの余裕のある笑顔だった。まったく動じていない。

どうせ威嚇したところで所詮はタヌキ。迫力なんかないでしょうよ。えぇ、えぇ。知ってますよーだ。
拗ねる私を気にも留めず、蔦子さんは自分のポケットをゴソゴソしている。完全なる放置だ。
本格的に拗ねた私は、蔦子さんにされた仕打ちを辞世の句のようにつらつらと机にしたため始めた。もちろんシャーペンでだ。小心者の私には、ボールペンで書くなんて難易度が高すぎる。

「あぁ、こっちのポケットだったか。って、祐巳さん何してるの?」
「友情について考えていたの」
「ふぅん。どうでもいいけれど机に落書きしちゃダメよ?」
「そうだね。今すぐ消すよ」
「さっきの顔もいいけれど、私はこっちの祐巳さんの方が、なおいいと思うわ」

ゴシゴシと机に消しゴムをかける私に蔦子さんは一枚の写真をチラつかせた。
私の目の前でヒラヒラと揺れていたのは、今朝の私と祥子さまで……

「えぇっ!?なななんで!?」
「なんでって、私がこの写真を持っている理由?今朝私が撮影して、お昼休み返上で現像したからよ。もうお腹ペコペコだわ」
「それは大変だねー。じゃなくて!どうして蔦子さんがこの写真を――」
「撮影したか?それ本気で聞いているの祐巳さん?」
「……」

愚問だ。
そこに被写体がいたから。それ以外の理由なんて蔦子さんには必要ない。
「よく撮れているでしょう」と得意げに笑う蔦子さんから写真を受け取る。
写真に写る私は、どこか遠くを見ている祥子さまの横顔に暑苦しい視線を送りつけていた。
うぅ……。なんて恥ずかしい写真だ。

「タイトルは『思慕』よ」

思慕って、蔦子さん……。いや、まったく間違ってはいないんだけどさ。
ん?ちょっと待ってよ。タイトルって……

「まさか蔦子さん……」
「ぜひとも展示許可をいただこうかと」
「ダメーっ!!」

こんな恥ずかし写真を曝されたら、もうマリア様のお庭を歩けないじゃないか。

「この写真、欲しくない?」
「欲しいです」

なんの迷いもなく即答した素直な自分がちょっぴり好きだ。
だって写真の中の祥子さまはあいかわらずお綺麗で、しかもツーショットだし。欲しくないわけがない。
でも、展示するのはちょっとなぁ……。
頭を抱えている私の鼻先に、蔦子さんが新たな写真をぶら下げた。

「もし展示許可をいただけるなら、こちらの写真も進呈しますわ」

その写真を見るなり私の体中の血は、勢いよくほっぺたに集まった。
それは一枚目と同様、私と祥子さまの写真だった。でも、一枚目とは違うところがある。二人の視線だ。
写真の中の私は頬を上気させてうつむいている。そしてそんな私を祥子さまが優しいまなざしで見つめていた。柔らかい微笑を浮かべて。
まるで目の前に何か大切なものでもあるみたいな、そんな表情を祥子さまはしていた。

「この写真ちょうだい!」
「もちろんいいわよ。さっきの写真同様、展示許可さえいただければね」
「え?この写真も?」
「あたりまえじゃない。この写真は『思慕』と対になる写真なんだから。ちなみにタイトルは『寵愛』よ」

私の視線が思慕で、祥子さまの視線が寵愛か……。
『躾』の時もそうだったけれど、蔦子さんのつけるタイトルは、なるほどと思うものが多い。
言葉が持つ微妙なニュアンスみたいなものも考えてつけているんだろうな。凄いなぁ、蔦子さん。
いや、今はそんなことに感心している場合じゃないんだけど。
どうしようかな……。展示は恥ずかしいから勘弁してもらいたいけど、写真は欲しい。めちゃくちゃ欲しい。
うーん……。




「祐巳。発明部にこの書類を届けてきてくれるかしら」
「はい。お姉さま」
「悪いわね」
「いいえ。ではちょっと行ってきますね」

薔薇の館を出て一人になった私は、ついため息をもらしてしまった。
私のポケットには二枚の写真が入っている。蔦子さんから預かった『思慕』と『寵愛』だ。

私は写真欲しさに、祥子さまから展示許可をいただいてくると蔦子さんに約束してしまった。
けれどまだ祥子さまはこの写真の存在を知らない。写真は一度も取り出されることなく、今も私のポケットの中に収まっていた。
蔦子さんと別れた後、腹を括って薔薇の館に行ったものの、私が着いた時にはすでに志摩子さんたちがいて出せなかった。
いくら仲間といえど、あの二枚の写真を見られるのは、ちょっと恥ずかしかったのだ。
まぁ、展示されれば仲間どころか多くのリリアン生に見られてしまうのだけど、まだ私にはその覚悟ができていない。

ポケット越しに写真を撫でてみる。すると映画館のスクリーンみたいに、写真の光景が頭の中でドーンと浮かび上がってきた。

――パタパタ。

火照った顔を書類で扇ぐ。
たぶん私の顔は赤くなっているんだろうな。
それをごまかしたくて、こんな顔なのは陽射しのせいだよとばかりに私は罪の無い青空に恨めしげな視線を向けた。




発明部の部室から出たところで、瞳子ちゃんと出くわした。昨日の放課後から浮かれていた私は、知らない人の家に突然放り込まれたような気分になった。

「ごきげんよう祐巳さま」

瞳子ちゃんは昨日と同じ可憐な笑顔で私を見ている。私はちょっと言葉に詰まって、それから挨拶もせずにこう返した。

「ねぇ、瞳子ちゃん。今ちょっといい?」
「はい?」

首を傾げる瞳子ちゃんの手を取り、私は歩きだした。

「ちょっと祐巳さま、何なんです?」
「ごめん。ちょっとだけ時間ちょうだい。――あ。ごきげんよう」
「……ごきげんよう。私、まだ部活中なんですけれど」
「もし怒られちゃったら、私に無理やり付き合わされたって、ばらしちゃっていいから」
「そんなこと言えるわけないじゃありませんか」
「どうして?本当のことなんだから、気にしなくてもいいんだよ?あ、何なら私も一緒に演劇部へ行って説明しようか」
「せっかくですが、お断りいたします。それと手を離してください。ちゃんとついて行きますから」

瞳子ちゃん怒ってる……?
ちょっと強引だったかなと反省しながら歩いていると、瞳子ちゃんからストップがかかった。

「祐巳さま。どちらへ向かわれているのか分かりませんが、単に人気のない場所ということでしたら、この辺りで……」
「うん。そうだね」

私たちはクラブハウスの裏で話すことにした。
部活途中の瞳子ちゃんを早く解放してあげなくてはいけないし、私もそんなに遅くなるわけにはいかないから、この辺りが妥当だろう。
日陰に入ると、直射日光で熱せられた建物の中よりは、いくらか暑さがマシだった。

「それで、いったい私に何の御用ですの?」
「昨日の話のつづきを聞きたくて」
「祐巳さまが何をおっしゃっているのか、瞳子には分かりませんわ」

愛らしく笑う瞳子ちゃんに、私は真面目な顔を返した。

「私なんでしょう?お姉さまを傷つけたのって」

昨日から熱に浮かされたように祥子さまのことばかり考えていた私は、瞳子ちゃんに言われたことも思い返していた。
祥子さまが誰かに傷つけられた、というアレだ。
いくら考えてみても、やっぱり私にはいつ祥子さまに異変があったのかは分からなかった。
けれど考えているうちに、ひとつの疑問が湧いてきた。

――どうして瞳子ちゃんは、私に忠告してくれたのだろう?それも、ああいった形で。

初めのうちは、妹のくせに祥子さまの変化に気付けないことを責められているのかと思った。
でもすぐに、それは違う。瞳子ちゃんはそんな子ではないと私は思い直した。瞳子ちゃんは時々厳しいことも言うけれど、本当は優しい子なのだから。
じゃあ、そんな瞳子ちゃんがどうして私を責めるのか?
答えは簡単。祥子さまを傷つけたのが私だから。

「ねぇ、そうなんでしょう?瞳子ちゃん」

重ねて問いかける私に、瞳子ちゃんはやっと笑顔の面を外してくれた。
自然な表情に戻った瞳子ちゃんは、気まずそうな、ほんの少しだけ怒ったような口調でいった。

「……べつに祐巳さまだけが悪いわけではありませんわ。祥子さまにもズルイところがあると思います」
「ごめんね瞳子ちゃん。私鈍いから、瞳子ちゃんがここまで言ってくれてるのに、まだ分からないの。お願いだから教えてちょうだい。私はいったいどんなことをしてお姉さまを傷つけたの?」

瞳子ちゃんがジッと私を見つめている。言おうか言うまいか、迷っているようだ。
私はまっすぐに瞳子ちゃんを見返した。一刻も早く私が仕出かしたあやまちを知り、祥子さまに謝りたかった。

「祐巳さま。祥子さまだって一人の女の子ですのよ」
「へ?……知っているけれど?」

何としてでも教えてもらおうと意気込んでいた私は、予想外の言葉にマヌケな返事をしてしまった。
ハテナを飛ばす私に、瞳子ちゃんはいたって真面目な視線を向けている。

「失礼ですが、本当に分かっていらっしゃいますか?」
「えっと……」
「祥子さまは紅薔薇さまである前に、祐巳さまのお姉さまである前に、ただの女の子だと私は申し上げているのです」

なんだかナゾナゾを言われているような気分になってきた。
祥子さまが女の子であることと、私が祥子さまを傷つけたことがどう繋がるのだろう……?

「それでは部活がありますので、これで失礼いたしますわ」

うつむいて考え込んでいた私が顔を上げると、瞳子ちゃんはもう背中を向けていた。
足早に去っていく後姿が『ヒントはここまでです』と私に告げている。

――そうだ。瞳子ちゃんは部活の途中だったんだ。ずいぶん長い間引き止めてしまった。
演劇部まで一緒に行って私が謝るのが筋だけど、きっと瞳子ちゃんはそれを断るだろう。
だから私はこう言った。

「ありがとう瞳子ちゃん。それから、部活の邪魔してごめんね」

振り返った瞳子ちゃんは何も言わず、丁寧に頭を下げてからクラブハウスの中へと入っていった。




瞳子ちゃん、演劇部で叱られていなければいいなぁ。
遅くなった罰として着替えさせられたゴスロリ服を持て余しながら、私は遠い目をしてそう思った。

「祐巳さん、どうかしたの?」
「うぅん。なんでもないよ」
「そう?それより……、ふふっ。祐巳さん可愛いわ」
「うぅ……。こういう服は私なんかより、志摩子さんの方が似合うのに」

視界の端で、乃梨子ちゃんが力いっぱいうなずいていた。
自分で言っておいてなんだけど、そんな赤ベコ並みにうなずかなくたっていいじゃないか、乃梨子ちゃんよ。

「あら?そんなことないわ。祐巳さんとっても似合ってるわよ」
「いいよ。べつに気を遣ってくれなくても……」

乃梨子ちゃんのリアクションにうっすら傷ついた私は、いじけて唇を尖らせた。
隣で「ごく……っ」と何かを飲み込む音が聞こえたけれど、まさか祥子さまが音をたてて紅茶を飲むとは思えないので、きっと聞き間違いだろう。

「今の祐巳さんは、最終回のガン○ム並みに強力よ?」

志摩子さんが何を言っているのか分からないことが、たまにある。

「可愛い祐巳さんは、きっとおもちかえりされてしまうのです。専属メイドとしてご奉仕させられる毎日なのですよ。かわいそかわいそ、なのです。にぱ〜☆」

志摩子さんが何を言ってるのか分からないことが、わりとある。

隣から「専属……メイド」とか「ごごご奉仕……」なんてフレーズがぼそぼそと聞こえてくるが、まさか祥子さまがそんな言葉を呪文のようにつぶやくとは思えない、というより信じたくないので、きっと聞き間違いだと私は自分自身に言い聞かせた。





机の上に乗っているのは『思慕』と『寵愛』。二枚の写真を前にして、私は頬杖をついていた。
けっきょく祥子さまに言い出すタイミングを逃してしまった私は、家に帰ってからようやく写真を取り出した。

蔦子さんに何て言おう……。
でもまぁ、今日中に許可を得る約束をしたわけじゃないから、明日頑張ればいいか。
それにしても……、相変わらずよく撮れてるなぁ。
ドアを叩く音が聞こえるまで、私はずっと写真を眺めていた。

「祐巳ちゃん宛てに郵便物がきてたわよ」

お母さんが白い封筒を私に差し出す。
どうせ夕飯まで下りてこないと踏んで持ってきてくれたらしい。「ありがとう」と言って受け取りつつ、私は首を傾げた。
ダイレクトメールだったら、お母さんもわざわざ部屋まで持ってきたりはしないだろう。
だからきっと誰か私の知っている人が送ってくれた物のはずなんだけど……。年賀状ならともかく、手紙を書いてくれるような人には心当たりがなかった。
封筒にある、うちの住所や『福沢祐巳様』という字は印刷されたもので、当然筆跡なんて分からない。
ハテナを飛ばしながら封筒をひっくり返した私は、お母さんがまだそこにいるのも忘れて「えっ?」と声を上げてしまった。

「どうしたの祐巳ちゃん?あ。それ、ひょっとしてラブレター?」
「ち、違うよっ」

しつこく絡んでくるお母さんをなんとか部屋から追い出し、もう一度差出人の名前を確認した。
見間違いじゃない。さっき見た時と同じ文字列が私の目に映っている――

『細川可南子』

私はしばらくの間、机の上に置いた手紙を腕組みしながら見下ろしていた。
これはどういうことだろう……?
手紙の横に置いている二枚の写真と見比べてみるけれど、当然ながらさっぱり分からない。

差出人の正体は分かっている。祥子さまだ。
分からないのは、どうしてわざわざカナコさんの名前で手紙を送ってきたのか、ということ。

『小笠原祥子』ではなく『細川可南子』として、何か私に伝えたいことがある。……とか?
そう考えたところで、私は「あっ」と声を上げた。
何だかいろいろあってすっかり忘れていたけれど、そもそも祥子さまはどうしてアルバイトなんかしていたんだろう。それも別人の名前を使って。

ひょっとすると、この手紙の中に答えがあるのかもしれない。
私は手紙の封を切った――。





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