「ごきげんよう」
放課後、同じクラスの紅薔薇のつぼみ福沢祐巳と黄薔薇のつぼみ島津由乃が、いつものように連れ立って薔薇の館を訪れたところ。
「あれ、まだ誰も来ていないんだ」
無人の二階はサロン兼会議室。
しかし。
「いえ、どうやら志摩子さんが一番乗りみたい。お手洗いにでも行ってるのかな?」
白薔薇さま藤堂志摩子がいつも座る席には、宿題でもしていたのだろうか、見慣れた筆入れと、教科書やノートが置いたまま。
「そう」
とりあえずいつもの席に座る二人。
「ところで祐巳さん、これどうする?」
由乃が、カバンから紙ペラを取り出しつつ、祐巳に問い掛ける。
「あー、進路希望のプリントかぁ……」
本日のホームルーム時に配られた、将来の進路や希望を書いて提出するプリント。
第一志望から第三志望まで書いて、来週の月曜日に提出しなければならない。
「祐巳さんってば、将来は何がしたいの? 何か考えているのかな」
まだ漠然とした考えしか持っていないので、何をどう書いていいのか分からない由乃は、祐巳の意見を、役に立つかどうかは別にして、参考にする気らしい。
「う〜ん、やってみたいことは、幾つかあるんだよね。例えば、ケーキ屋さんとか」
「どうせ、毎日ケーキが食べられるからとか、そんな理由なんでしょ」
「えへへ、分かる?」
「あったり前じゃない」
由乃に分からないハズがない。
「一応言っておくけど、ケーキ屋さんや寿司屋さんって、毎日毎日味見やなんやでしょっちゅう口にしてるし、匂いも嗅いでいるから、とても食べる気にはなれないそうよ」
「えー、そうなの?」
残念そうな顔の祐巳を、まぁアンタなら気にせず食べてしまいそうだけどね、と思いつつ見やる由乃。
「それで、他には?」
「うん、お父さんみたいに、建築の仕事もいいなぁって。ホラ、中程にドーナツみたいなワッカが付いて先端が球になった円錐型のビルとか、途中に無意味なループが付いた透明なチューブ内を通る乗物とか、そんな街を造ってみたい」
「昭和の子供向け雑誌でよくある“未来の街”想像図か!?」
思わず突っ込む由乃だが、アンタもよくそんなこと知ってるな。
「そういう由乃さんは?」
「う〜ん、職業とかじゃなくって、なりたい物はあるんだけど……」
「なになに?」
ハッキリ言って、由乃が将来就く職業なんてとても想像できないので興味津々。
ピッタリするイメージが、まるで存在しないのだからして。
「えーとね、武士とか」
「たけし?」
「違う! ブシよ、サムライ、モノノフよ!」
「……あー」
なにやら同情が混ざった生暖かい目で、由乃を見詰める祐巳。
「何よ、その憐れむような目付きは」
「いえ、なんでもないよ。他には?」
「柳生十兵衛とか、丹下左膳とか、秋山小兵衛とか」
「時代劇か!? しかも最後は妙に渋いし」
どうやら由乃は、当分の間サムラーイからは離れられないらしい。
「まぁ真面目な話をすれば、“殺陣師”がいいな、とは思ってる」
「でもそれって、結構体力仕事だって言うよ?」
「だから、あくまで希望、夢ってところよ」
「そっか……」
人生のおよそ94%は心臓病と付き合ってきた由乃の体力は、低学年の女子小学生並。
成人しても、恐らく人並みにはなれないだろう。
「ところで、志摩子さんはどうなんだろ?」
なんだかちょっとしんみりしてしまった祐巳の気分の方向を変えようと、由乃は話題を志摩子に切り替える。
「そうだねぇ……」
何気なく、儚げな友人の席に目をやった二人は、教科書とノートの間に、例のプリントが挟まれていることに気付いた。
「ねぇ、ちょっと見てみない?」
ボールを見つけた犬のような目の由乃に、
「え? 勝手に見たら悪いよ」
大きな音に怯える犬のような目の祐巳。
「大丈夫よ、見られたくなかったら隠しているだろうし。それに、志望が書いてあるかどうかも分からないんだから」
「それもそうか」
あっさり丸め込まれた祐巳に、大丈夫かと思いつつ、プリントに手を伸ばす由乃。
「あ、ちょっと待って。どうせなら、第三志望から順に見ていこうよ」
「そうね。いきなり全部は興が冷めるわ」
教科書をゆっくりずらしながら、第三志望の欄を出すとそこには。
『シスター』
「まだ諦めていなかったんだ」
「でもでも、第一志望じゃないってことは、以前ほど執着しているわけじゃないってことだよね」
「そうね、シスターが悪いとは思わないけど、志摩子さんにはもっと人生を楽しんでもらいから、いい傾向なんじゃないかな? 乃梨子ちゃんもいることだし」
ちなみに乃梨子とは、志摩子の妹で白薔薇のつぼみを務めている一年生、二条乃梨子のことだ。
「それじゃ、お次は……」
再び教科書をずらしながら、第二志望の欄を出すとそこには。
『天使』
「……皇帝になりたいってこと?」
「それは“天子”。にしても、これは……前よりヒドイことになってる? いくらなんでもねぇ……」
「巨大化して、襲来でもするつもりかな。でも、背中が大きく開いた白いドレスに身を包んで、頭上に輪をいただき羽を生やした姿は、とっても似合ってそうだね。あと、左手に盾、右手に槍を持っていれば完璧」
ちょっと“戦乙女”とごっちゃになっているな。
「それもどうかと。さて、最後の……」
三度教科書をずらし、第一希望の欄を出すとそこには。
『神』
二人は言葉を失った。
程なくして戻って来た白薔薇さま。
祐巳と由乃は、しばらくの間、志摩子の目を見て話すことが出来なかったという……。