【2599】 宇宙へ可南子祐巳を追いかけていた  (クリス・ベノワっち 2008-04-14 03:46:41)


『可南子さん、変わったよね』

そういう声が聞こえる度、私は頭の片隅で考える。
私が変われたのは、祐巳さまがいたからで。そして、あの頃のもう一人の祐巳さまは、きっと今も火星にいる。
それならば、変わる前の私も。ちょっと不器用だった頃の私も、あの方の傍にいるのではないか、と。

『お姉さま』『瞳子』と、あのお二人の様に。

『祐巳さま』『可南子ちゃん』と。
いえ、もしかしたら『お姉さま』『可南子』と。

今の自分はとても好きだけれど、後悔なんて微塵もないけれど。
……けれど、頭で描いたその世界は、とても魅力的で。

だから今、私はたまに火星に遊びに行っている。
と言っても、それは想像の中のお話。
眠る前の5分間、ベッドに横になって空想する、私の密かな楽しみ。

温室で肩を寄せ合い、たわいない話をしたり。
満開の桜の下で二人、お弁当を広げてみたり。
放課後の薔薇の館で、紅茶を飲む祐巳さまをずっと眺めていたり。
バス亭までの帰り道、人目を気にせず手を繋いで歩いたり。

そして二人、『そら』を眺めてこう言うのだ。

「ごきげんよう地球の私達。貴方達が造ってくれた世界は、とても素敵だよ」


そんな、ささやかな幸せが、ずっと続いていくはずだった。
いや、続いてはいる。続いてはいるのだけど、最近何か違和感があって。
以前のように、自由に祐巳さまを動かす事が出来なくなってきているのだ。

『紅茶の用意をしている私に、後ろから抱き付いてくる祐巳さま』
そんな場面をイメージしながら、私は黙々と紅茶の用意を進める。けれど、後ろから祐巳さまの気配はするのだけれど、一向に抱きしめてはくださらなくて。結局、紅茶の準備が出来てしまった私は、それらをテーブルに持って行くべく振りかえると、

顔を真っ赤にして固まっている祐巳さまがいた。

両腕を広げて、今にも抱きつかんとしている様にも見える。
私と目が合うと、恥ずかしそうにうつむいて呟く。
「あ、あのね、可南子ちゃん」
はい、祐巳さま
「私から抱きつくのは、その、恥ずかしいというか、なんというか」

…その時は、煮え切らない祐巳さまを私のほうから抱きしめましたけど

そんなふうに、私の中の祐巳さまが少しずつ変化している様な気がしていた。
もちろんそれは嫌な変化ではなくて、むしろ今の、現実の祐巳さまに近いもので、それは私が祐巳さまを理解してきたのかな、と、ちょっとほこらしくもあって。

そして、今の祐巳さまと関係を築いているという事に、ちょっとだけ驚いて。

瞳子に悪いかしら、と、考えなくもなかったけれど。夢の中でくらい祐巳さまに甘えたいという願望の方が強かったから、私の密やかな楽しみは、その後も続いていたのだ。
最近では自分が何もイメージしなくても、目を閉じればそこに世界が広がっている事がある。
そんな時は、必ず祐巳さまがそこにいて、『遅いよ可南子ちゃん』と言わんばかりに手を振る。

これは、きっとデートだ。以前の様な私の妄想じゃなく、祐巳さまが『らしく』動いてくれる、私達だけの場所。人に言えば笑われるかもしれない世界だけれど、この『火星』は私の宝物だ。


そして、私はその火星を大切に、大切に育てていた。



そして、私は教えられる。

放課後の薔薇の館。演劇部に出ている瞳子の代打で、私は祐巳さまのお手伝いを買って出た。
1年前とは違って自分から。そして私は『火星』のせいで、ずいぶんと祐巳さまの事が好きになっていたから。だから、なんとなくこのまま学園祭の劇のお手伝いも出来るといいな、なんて。
そんな事を考えながら、これから来るであろう皆様の為に紅茶を用意していた。

ふと感じた気配に『あ、祐巳さまだ』と振りかえろうとした刹那。後ろから抱き付いてくる柔らかい感触が、私の身体を包み込む。心を絡め取る。
既視感。とは、いえないかもしれないけれど、これに似た想像を私は確かにしたはずで、でもあれは『火星』の出来事のはずだから。そんな事を回らない頭でグルグル考えていると、

「ずいぶんと、待たせちゃったね」

ああ、これは遅れた事の謝罪なんだ。別に抱きしめてくださった事に意味はないんだ。

「可南子ちゃんが抱きしめてくれた事はあっても、私からは初めてだよね。向こうでも無かったし」

ドクン。と自分の心臓が跳ねた。何と言った?祐巳さまは今、何を?

固まったままの私を残して、祐巳さまは窓際に向かう。そしてクルリと振り返った。
「私は、割とすぐに気づいたけど、可南子ちゃん全然気付かないんだもの」
「だって……あれは、私の想像で」
「違うよ。育てたのは可南子ちゃんだけれど、あの世界を創ったのは私。つまりは二人の世界なんだよ」
「二人の世界?」
「うん。だから、そこに可南子ちゃんが行けるのであれば、当然、私も行けるよね」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
じゃあ何か、あの日から、私が初めて火星に行ったあの日から、祐巳さまに『イタ』した事が全て本物の祐巳さまだったと、全て祐巳さまに筒抜けであったと。
『顔から火が出る程恥ずかしい』を体感しながら祐巳さまを見ると、同じく祐巳さまも真っ赤だった。
「えーとね、多分、私が向こうに行ける様になったのは、可南子ちゃんより遅くて」
あぁ、じゃあ全部ってわけでも、
「でも、その、可南子ちゃんて結構えっちだよね」

「………」
「………」

「でも、何故今になって、それを私に知らせるんですか?」
理由が知りたい。だって、もし私の行動に歯止めをかけようとしているのなら、それは大問題だ。まだ、着ぐるみ祐巳さまとか、一緒にお風呂でいちゃいちゃとか、一緒にベッドで
「じゃなっくって!」
「ひっ」
「あ、ごめんなさい」
どうやら説明していた祐巳さまを無視して、モンモンとしていたらしい。
「もう、ちゃんと聞きなさい」
珍しく上級生モードになって祐巳さまは告げる。
「気付いてもらってからじゃないと、意味がないなぁと思って」
何がですか?
「今夜、温室で」
そう言うと祐巳さまは小走りでビスケット扉に向かい『バイバイ』と私に口を挟む間を与えず去って行った。


そして、その夜。

私は『火星』の温室で祐巳さまを待っている。いまだ理由を教えてもらっていない事と、今日ここに来るのは、紛れも無く本物の祐巳さまだという事が、私をとても不安にする。
何故だろう、幸せになる為の世界だったのに。祐巳さまはきっと、最近エスカレートしてきた私の行動を止めようとしているのだろう。だって、あの方には瞳子がいるから。

祐巳さまには『妹』がいるから

キィ、と、温室の戸が開いて祐巳さまが入って来る。その真剣な顔は怒っている様にも見えて、私は自分の考えが間違っていないと思った。
「今迄、すいませんでした」
頭を下げる私に、祐巳さまは告げる。
「この世界と、あの世界は違うから」
そう、違うから。だから私は祐巳さまに甘える事が出来た。ここには瞳子がいないから。
「だから『火星』にいる間は、地球に縛られなくてもいいんじゃないかなって」
祐巳さまと私が微妙にかみ合ってない気がして、顔を上げる。祐巳さまも気付いたらしく真剣だった表情を若干崩す。
「えっと、私のセクハラ行為に怒っていらっしゃるのでは?」
「へ?別に怒ってないけれど……ていうか、その『すいません』だったの?」
「他に何が?」
思い当たることが有り過ぎて、もうどれのことやら。
「ずーっと、私が本物だって気付かなかった事」
「それだけ、ですか?」
「うん。とりあえず、そこは重要。じゃないと先進めないし」
先に進む、その意味を図りかねていると祐巳さまは、
「でも、何で私が怒ってるなんて思ったの?」
「表情が堅かったので」
「うわー堅いかぁ、やっぱり緊張するなー」
祐巳さまは、自分の両頬を手のひらでパチパチと叩き、私に向き直る。

「細川可南子ちゃん」

祐巳さまは一つ息を吸って、そして

「私の妹になりなさい」

……えっと

「すいません、意味がわかりません」
「何で?」
「だって、祐巳さまには瞳子が」
「地球にはね。でもここは火星でしょ?」
いつの間に取り出したものか、祐巳さまの右手には光るロザリオが掛けられていて、
「それにね、可南子ちゃん、今更だよ。あれだけ『可南子とお呼びください、お姉さま』とか言ってたのに」
「だからあれは妄想で」
「願望でしょ」
違うの?と、見つめられて、私は降参した。
「分かりました。認めます。ええ、認めますとも」
「じゃあ受けてくれる?」
ロザリオを、姉妹の儀式を。

「お受けします」

私は片膝をつき、祐巳さまの前でうつむく。

「私、福沢祐巳は、貴方を妹として迎える事をここに誓います」

髪を傷つけない様に、優しく降りてくるロザリオを感じながら私は、結婚式みたいですね、と。そう思っていた。


「行こっか」
優しく差し出されたその手を取って
「はい、お姉さま」
私は立ち上がる。

そして私達は歩き始める。二人で一緒に、新しい世界を創り始める。


一つ戻る   一つ進む