ねぇ、志摩子さん。と、乃梨子が言った。
なぁに? と、私は答えた。
そのやり取りから始まった、ただ、それだけのお話。
***
「雨、止まないね」
「そうね」
乃梨子の視線は窓の外。
ヴェランダの鉢植えは激しくはないが強い雨に打たれ、悲鳴をあげている。
私の視線は乃梨子の背中。
小さくもあり、頼もしくもある、不思議な背中。
「今日、さ」
「うん」
「私、ね」
「うん」
「志摩子さんを、ね」
「うん」
「壊してしまおう、って思ってたんだ」
「そう」
「うん」
リリアンの高等部にいたころが懐かしく感じる。
あれから3年。
私はとある場所にある、カトリック系の学園の付属大学へと進んだ。
理由は単純で、乃梨子と同じ場所にいたくなかったからだ。
乃梨子は卒業後、実家に戻った。
今はアルバイトをしながら、いい就職先を探しているらしい。
なぜ、乃梨子と同じ場所にいたくなかったか。
その理由も単純で、あのままだと乃梨子が壊れてしまうと思ったからだ。
ある日。
私と乃梨子は一線を越えた。
それはリリアンのいわゆる姉妹制度で生まれた姉妹にとって、日常が壊れた瞬間でもあった。
あの時の唇の感触は、いまだに忘れることはない。
だが。
その時の乃梨子の泣きそうな表情も、忘れることはできない。
私は、私の軽はずみな行動により、姉妹関係を壊してしまい、そして一方的にその関係を無かったものにしようとした。
「忘れて」なんて一言で、彼女の純粋な心に刻み付けた傷は消えないというのに。
どんな時であれ、マリア様は優しく私たちを見ている。
だが、微笑を浮かべるその女神は、何を問いかけても、何も答えてはくれない。
私は、宗教にしがみついた。
神の存在を必死になって認め、神を崇め、あの一瞬を忘れようとした。
乃梨子は悲しそうな笑顔で答えたのだ。
「わかった」なんて一言で、自分の心に食い込んだ棘は抜けないというのに。
今思えば、あの瞬間に私は乃梨子を壊してしまったのだ。
「ねぇ、乃梨子」
「うん?」
「私を、壊すのでしょう?」
今思えば、あの瞬間に。
「うん」
私も、壊れてしまっていたのだ。
「志摩子さんを、壊したい」
振り向いた乃梨子は、とても素敵な笑顔を浮かべていた。
***
ねぇ、志摩子さん。と、彼女は言った。
なぁに? と、私は答えた。
壊してしまう前に。と、彼女は言った。
そうね。と、私は答えた。
あの時の感触を上書きする、とても甘美で、とても邪悪な口づけ。
私は乃梨子を壊して。
乃梨子は私を壊して。
私たちは、本当に姉妹になる。
***
心の奥で、あの頃の乃梨子が微笑んだ気がした。