祐巳と瞳子は寄り添うようにして歩いていた。どちらも消耗の激しさゆえに。
それに先に気付いたのは瞳子だった。指差す先に視線を向けた祐巳は奇妙なものを目にする。でっかいボロ雑巾のような物体と、その傍らで何か途方に暮れたようにへたりこんでいる少女。
近寄ってきた祐巳に気付いて、その少女はぴくりと顔を上げ、そして……
『真・マリア転生 リリアン黙示録』【No:2627】から続きます。
「祐巳さんっ!」
「えっ!?」
その少女に突然名前を叫ばれて、祐巳は驚いてその顔をまじまじと見た。
「……………」
「……………」
しばし無言で見詰め合う二人。
「……祐巳さん?」
「ゴ、」
「ご?」
「……ゴモ、ラ?」
「だれが古代怪獣よっ!? 似ても似つかないじゃない!」
「あれ? えーと、今日はラクダは乗ってないんだ?」
「ラクダなんて乗ったことないわよ。え? 何それ? 何のネタ? わかんないわよ!」
以前、ラクダにのったゴモなんたらいうひとに話しかけられたことがあったと思いねえ。
「ああ、いや、ええと、桂さん?」
「そうよ! ていうかなんで疑問形? まさかホントに名前忘れてたわけじゃないわよね!?」
「ソ、ソンナワケナイデスジョ?」
「なんで視線そらすの!? 棒読みで! しかも噛んでるし!!」
「お姉さま」
見かねたように瞳子が口を挟んだ。
「そんなことより」
「そんなことって!」
抗議の声をきれいに無視して瞳子はさらに言葉を続ける。
「そこのボロ雑巾は……」
「誰がボロ雑巾よ」
傍らに転がっていたボロ雑巾が口を開いた。
「だから誰がボロ雑巾――」
「可南子ちゃんっ!?」
祐巳が驚いて声を上げる。
そう、傍らに転がっていたのは、でっかいボロ雑巾こと細川可南子だった。
「誰がでっかいボロ雑巾――」
「うわっ、誰がこんな酷いことを!? はっ! まさか桂さんが?」
「違うわよっ!」
慌てたように否定する桂に、瞳子がフォローするように言葉を重ねた。
「それは無理というものでしょう」
「そうよ! なんかひっかかるけど、その通りよ」
いわゆる普通の人の代表のような桂に、可南子をボロボロにするような戦闘力があるとは思えない。いや、実はレアスキル持ちであり、ある意味かなり特殊と言えなくも無いが、少なくとも戦闘には向いていない。
「って、気づいたの? 可南子ちゃん」
「なにやら愉快な会話が聞こえてきたもので」
「愉快な会話って何っ!?」
なんだか泣きそうな表情の桂を気にするものは誰もいなかった。
「それでどういうことなの、桂さん」
たまたま通りかかって、拾ったはいいけど重くて運べないので途方に暮れていた、というのが桂の説明だった。
「拾ったんだ」
「私が重いわけじゃありません」
「重いでしょ。普通の人と比べたら」
ぼそりと呟く瞳子にキッと鋭い視線を叩きつける可南子。とりなす様に、祐巳が横から口を挟んだ。
「まあ確かに自分より大きい人を運ぶのは大変だよね」
「ただ比較の問題で、運ぶ人の方が私より小柄だったというだけです。相対的に」
「絶対的にでっかいでしょう。あなたは」
再びぼそりと呟く瞳子に、今度はギロリと殺気のこもった視線を向ける可南子。
「え、えーと可南子ちゃんがここでボロ雑巾になってたってことは――」
「祐巳さままで」
なぜか妙にへこんだ様子の可南子に、祐巳は首を傾げた。
「大丈夫?」
「……………」
なんとか身を起こそうとしていた可南子だったが、いまだ体が動かなかった。
「頑丈な可南子ちゃんをいったい誰がここまで」
「私が白薔薇ファミリーに接触しているのですから、黄薔薇ファミリーでしょうね」
「見た目がぼろぼろなのは黄薔薇のつぼみとの戦いによってですが」
「菜々ちゃんか」
「つぼみとまともに戦ったんですの?」
「見逃してくれるような相手じゃなかったわ」
厳密に言えば、あの場からおとなしく引き返していればおそらく見逃してくれただろうが、可南子にとってはそれはまた別の話だ。
「ただ、動けないのはおそらく黄薔薇さまの最後の一撃のせいかと」
「由乃さんも出て来たんだ」
祐巳が難しい顔をしている傍らで、桂がビクリと身を震わせた。
「申し訳ありません。目的を果たせず途中リタイアになってしまって」
「薔薇さままで出てきたんじゃしょうがないよ。無事……じゃあないけど、合流できてよかったよ」
「そうね、あれはどうしようもないわね」
暗い目で呟いたのは桂だ。未だロウにもカオスにも属さず、祐巳のもとへ身を寄せる予定だった人達はロウの天使達に狩り散らされ、カオスの、というよりは黄薔薇さま一人に薙ぎ払われたのだ。運良くその場から無傷で逃げ延びた桂ではあったが、その時の恐怖が心に刻み付けられていた。
「瞳子も氷付けになってたしね」
「即行で逃げたお姉さまに言われたくありません」
「いや、逃げるでしょ。勝ち目無さそうな相手に闇雲に立ち向かうのは勇気じゃないよ」
「現時点で勝ち目無さそうなのが問題なんです」
「な、なるほど」
ひとつため息をついて、口惜しそうに瞳子は続けた。
「正直に言いますと、こと魔法戦に限定すれば薔薇さまともそれなりに戦えるつもりでした」
「そんなに?」
「次元が違いました。少なくとも今の私では。そんなわけでお姉さま、帰ったら特訓です」
「ええーっ!」
「だ、だいじょうぶかなー」
祐巳のもとへ身を寄せるという選択肢自体に、ちょっと疑問を感じた桂だった。
「どうして止めを刺さなかったんですか?」
菜々の問いかけに、由乃はわずかに首を傾げて問い返した。
「さしたかったの?」
「さしたいかではなくて、倒せる時に倒しておくべきだという話です」
「さすがに、そこまでやると祐巳さんが本気で怒りそうだし」
まだ祐巳を仲間にすることをあきらめていない由乃だったが、それはそれでもう充分やり過ぎてるというか、いろんな意味で甘いんじゃないかと思う菜々である。
「後で手痛いしっぺ返しをくうことになりかねませんよ。というか、回復したらまた出てきますよ、あの人は」
「そうしたらまた倒せばいいでしょ。それとも、自信無い?」
いたずらっぽく問う由乃に、菜々はほんの少しだけむっとしたようだった。
「そんなことはありませんよ。さっきも私の勝ちでしたし」
「うん、まあ勝負付いたから声かけたんだけどね」
「……いつから見ていたんですか?」
「4分身の前あたりから」
「……………」
「邪魔しちゃ悪いかと思って」
「……お気遣いどうも」
「キャリアの差が出たわね」
あるいは、さすがは紅薔薇ファミリーの切り込み隊長と可南子を誉めるべきか。
「……」
菜々がムッツリと黙り込む。こちらもさすがは由乃の妹というべきか、菜々もこれでかなりの負けず嫌いである。
「まあちょっと私も反省してる」
実のところ、菜々の実戦経験は意外なほどに少ない。それは由乃のせいでもあった。主に由乃が先陣きって飛び出してしまう為、そしてほとんど一人で敵を殲滅してしまう為、菜々にはほとんど出番がまわってこないのだ。
一方で、可南子は実戦経験が異様に豊富だった。戦い慣れていたし、その一撃の重さも、くらったらただでは済まないだろうことは菜々にも充分、そして容易に想像できた。予想以上に粘られ、あわやひっくり返されかけたのもその経験値の高さ故だ。
「でも、挑発だっていうのはわかっていたんでしょう?」
由乃が指摘したのは最後の菜々の突撃のことだ。
「だからといって何ができるとも思えませんでしたし……」
何か狙いがあったとしてもそれごと粉砕っできると、菜々は思っていた。実際は逆に、可南子の狙い通りにことは展開してしまったわけだが。
菜々にもわかっていた。あれは油断だ。既に勝負は決していると思った菜々の慢心が呼び寄せた結果だ。なかなか倒しきれずにいたことに焦っていたといえば焦っていたのかもしれない。それが経験の少なさ故であり、キャリアの差なのだといえばそうなのだろう。
「戻ったら、少しやろうか」
軽く木刀を掲げて見せて、由乃は言った。
ブン、と無造作に振り抜かれた一撃が、踏み込んだ菜々を捉え、吹き飛ばした。
「くっ!」
受けた剣ごと押しきられた形になった菜々は、両足だけでは足りず、左手までも地につけて減速、ようやく体の行き足を止める。
その圧倒的なパワーは、だが初めからわかっていたことだ。全ての攻撃が必殺級と言われているのもダテではない。むしろ菜々にとってショックだったのは、由乃に簡単に捉えられたことだった。
スピードなら、まだ菜々に分がある。そのはずだった。事実、由乃は菜々の動きについてくることはしていない。
だが、菜々が打ち込む瞬間、そのタイミング、そのポイントに、狙い済ましたように打ち込まれた一撃は、いかに菜々とて避けられるものではなかった。一見無造作だが、ろくに予備動作もないその動きは、結果的に無駄なく的確に菜々の動きを捉えたのだ。それが偶然なのか狙い通りなのかはわからなかったが……
可愛い妹相手に、この容赦の無さがステキです由乃さま
次の瞬間、菜々は横に跳んだ。由乃は動かず、目で追うだけだ。フットワークを活かした高速機動戦を得意とする菜々にとって、こんなふうにじっくりと待ち構えられるのは意外なほどにやりにくかった。
そもそもこれは本来の由乃のスタイルではない。真っ向から突貫し、一撃で粉砕するのがいつもの由乃のやり方だったから、対菜々用に敢えてそうしているのだろう。由乃は手合わせと言っていたが、稽古をつけられているようなものだ。
さてどうしよう。と、考えたところでできることなど他に無く、菜々は左右にジグザグにステップを踏みながら加速していく。
間合いに入る直前、由乃はその場でぐるりと回転した。
なにそれ
と思う間もなく、遠心力を乗せた一撃が、菜々の突進を横殴りに弾き飛ばす。フル加速した乗用車が横から突っ込んできたダンプに弾き飛ばされるような、とでも言えばイメージの一端なりとも伝わるだろうか。
跳ばされた勢いをそのまま横への回転運動に変換(要するに横転)し、菜々は1回転した勢いで立ち上がる。厳密には当たったのは打ち込んだ菜々の竹刀にだったが、それでこのありさまだ。
「ありゃ、ちょっとタイミング速かったか」
どうやら菜々の体を捉えるつもりだったらしい。あれをまともにくらっていたらと思うとぞっとするが、タイミングをあわせるのは至難だろう。
「敵の目の前で背中を見せるのはどうかと」
「まだ改良の余地ありかな」
「そんな繊細で緻密なタイミングを必要とする技、私ならともかく由乃さまには無理なのでは」
「なんだとう」
由乃の文句を流して、左右へのステップを踏みつつさらに加速しながら菜々は突っ込む。間合いに入る瞬間、菜々はさらに横へ、強引に自分の軌道を捻じ曲げた。
由乃の剣が空を切る。が、動きは止まらずそのまま横に薙ぎ払う。だが既にその間合いの外にいた菜々は、そこから即座に逆方向へ、今かわした由乃に向けて、足にかかる負荷を無視して無理矢理溜め込まれた力を開放する。
薙ぎ払った由乃の剣は一瞬だけ止まり、振り切った勢いをそのまま反動にしたように逆方向へと跳ね上がる。
菜々の突進は由乃を捉え、直後、菜々は横からの激しい衝撃を受け、弾き跳ばされた。当然ながら菜々の攻撃は逸れ、
チッ
ほんのわずかに由乃をかすめていった。
「お?」
避ければ避けられたのかもしれない。それでも、あえて避けずに、自分の攻撃を当てることを由乃は優先させた。避けたら負けだ。魂的に。
「このへんにしとこうか」
その言葉と同時に菜々はその場に崩れ落ちた。
「菜々!?」
驚いて駆け寄る由乃に、菜々は顔をあげて「大丈夫です」と応えたものの、やはり限界だったらしくその場で大の字に寝転がった。
「さすがに、黄薔薇さまとの手合わせはハードですね」
だが、まあ収穫だ。かすっただけとはいえ、一撃入れたことに違いはないし。
それにしてもと菜々は思う。攻撃することで相手の攻撃を無力化する。あくまで回避より攻撃優先なその姿勢がステキです由乃さま
「そこまで無理しなくてもよかったのに」
「せっかくですから」
「何がせっかくなんだか」
笑って手を貸す由乃に支えられながら、菜々はかすかに笑みを浮かべた。