「リリアン女学園の七不思議?」
「そ。祐巳さんは聞いたことある?」
ジメジメした梅雨もすっかり明けて、半袖の夏服でも暑苦しさを感じつつある毎日が続くようになった頃。
新聞部として話があると薔薇の館を訪れた真美さんが口にしたのは、なんとも夏らしい話題だった。
「うーん、私は聞いたことないけど……?」
祐巳が首を捻って隣の志摩子さんを見ると、志摩子さんも同様に戸惑ったように首を振った。その向こうに座る由乃さんも「何を言い出すんだこの七三は」とでも言わんばかりの、胡散臭げな視線を真美さんに向けている。
「聞いたことない? 三人とも?」
「ないわよ。大体、何よ七不思議って。小学生じゃあるまいし」
「いやまぁ、私も眉唾物だとは思うんだけどね」
呆れたような由乃さんのセリフに、真美さんも苦笑する。
「実際、私も去年までは聞いたことなかったし。でも、どうも今年になって突然知れ渡ったみたいなのよね。新聞部に、是非調査して欲しいって嘆願が来たのよ」
言って真美さんは一束の紙を机に広げる。いくつか拾い上げてみれば、いずれも七不思議に関する報告や調査をして欲しいという依頼など。ざっと見ても20枚はあるだろう。
「これが教室の隅でこそこそ噂されているレベルなら、私も無視したんだけどね。見ての通り、それなりの投書が来ているわけ。そうなるとちょっと気になるじゃない?」
「アホらし……」
由乃さんは投書を摘んで呟いたけれど、祐巳としては真美さんの気持ちもちょっと分かる。2〜3件なら無視できるだろうけど、20件ともなると無視できない数だ。
「……一年生からの投書が多いみたい」
由乃さんとは逆に、丹念に投書をチェックしていた志摩子さんが言う。
「そうなのよ。目撃証言は主に一年生。あるいはそのお姉さまとかが多いみたい」
となれば、菜々ちゃんの出番である。
祐巳と志摩子さんが由乃さんに目を向けると、由乃さんは心底イヤそうな顔をした。アドベンチャー好きの菜々ちゃんにリリアン女学園の七不思議なんて話題を振るのは、ライオンの前に生肉を投げ捨てるようなものだと思う。
けれど薔薇の館にいる一年生は、現時点では菜々ちゃん一人。むしろ行動力に長ける菜々ちゃんのこと、こんな面白そうな話題を見逃しているとは思えない。
「分かったわよ。呼んでくるわよ……」
由乃さんがため息を吐いて立ち上がる。今日も菜々ちゃんは剣道部に出ているので、薔薇の館にはいない。ついでに言うなら瞳子も演劇部なので、つぼみは乃梨子ちゃん一人だ。
「乃梨子ちゃんは何か聞いたことない?」
「いえ、そういうことには余り興味もありませんし」
祐巳の問いに乃梨子ちゃんが首を振る。
「こういう話なら、むしろ瞳子の方が耳聡い気もします」
「そうね。祐巳さん、瞳子ちゃんも呼んできたらどう?」
「うーん……でも、演劇部に顔を出すと、瞳子って不機嫌になるんだよね」
祐巳は何度か演劇部に仕事で赴いた時のことを思い出してため息を吐いた。典さんに誘われて、仕事ついでに練習風景も見せてもらったのだけど、練習後に薔薇の館に来るや否や、顔を真っ赤にして文句を言われた。三回やって三回とも文句を言われ「仏の顔も三度までです」と、怖いことまで言われているので、祐巳としては演劇部に向かうのに二の足を踏んでしまう。
「でも、話さなかったらそれはそれで、へそを曲げそうな気がしますけど」
「う……ま、まぁ、後でちゃんと話せば大丈夫だよ。多分」
「祐巳さん……紅薔薇さまが妹の尻にしかれてる、って噂、本当だったのね……」
そんな風に白薔薇姉妹と真美さんと話していると、やがて「とんとんとん」と軽快な足音と、「ぎしぎしぎし」と鈍重な足音とが聞こえてきた。多分、軽快な方がテンションを上げた菜々ちゃんで、重い方がそんな菜々ちゃんに直面した由乃さんだ。
「ごきげんよう、皆さま。お待たせしました!」
案の定、扉が開いて生き生きとした菜々ちゃんが、すちゃっと手を上げて登場する。その背後から、生気を菜々ちゃんに吸い取られたかのような由乃さんが続く。
菜々ちゃんは練習途中に抜けてきたからか、体育着姿で顔中を汗で濡らしている。その様子を見た乃梨子ちゃんが素早く立ち上がり、給湯室に消えた。多分冷たい飲み物でも用意しに行ったのだろう。
「それで、七不思議の噂をご所望と聞きましたが?」
椅子に座って身を乗り出しつつ、菜々ちゃんが真美さんに聞く。
「え、ええ。最近、主に一年生の間で噂になっていると聞いたんだけど」
「ハイ、そうですね。残念ながら私自身は本物に遭遇したことはありませんが、クラスメートにも何人か体験者がおります。タイムリーなことに、ここに目撃者のインタビューを書きとめたメモまで」
じゃじゃん、という効果音と共に取り出したのは一冊のノート。表紙には「リリアン七不思議調査書」と書かれている。凄いご都合主義のような展開だけど、まぁ相手は菜々ちゃんなのだし、驚くよりもむしろ納得の展開だ。
「本当はよりモノホンを見れそうな条件を絞り込んでから、お姉さまでも誘って七不思議巡りに繰り出そうと思っていたのですけど、仕方ありません。調査を行うのなら大勢の方が何かを目撃、捕獲する可能性は高いですからね。恐怖に慄くお姉さまよりも、モノホンの捕縛を優先ですよ」
うきうきとノートをめくる菜々ちゃんに、由乃さんは深いため息を吐く。色々とツッコミどころ満載の菜々ちゃんのセリフだったけど、満載過ぎて面倒なので、由乃さんを筆頭に全員がスルーすることにした。
ここで菜々ちゃんのために冷たい麦茶を淹れた乃梨子ちゃんも合流し、菜々ちゃんによるリリアン七不思議の説明が始まった。
「まずは、魔の13階段です」
「……ベタベタねぇ」
菜々ちゃんの読み上げたタイトルに、由乃さんがため息を吐く。祐巳も同感だ。
「場所は3階の東側の階段ですね。屋上に繋がる最後の階段が、13段になるという怪奇現象です。3階が一年生の教室になっていますから、一年生の間で広がったのだと思います」
そこでパタン、と菜々ちゃんがノートを閉じる。
「では、参りましょう!」
「……はい?」
がたん、と椅子を鳴らして立ち上がった菜々ちゃんを、一同が目を点にして見上げる。
「百聞は一見にしかず、と言うじゃないですか。大体、七不思議観戦ツアーなんて面白いこと、新聞部だけにやらせちゃって良いんですか、お姉さま! 山百合会の沽券に関わりますよ!」
「かかわんない、かかわんない」
ぐっと拳を握る菜々ちゃんに、由乃さんは手を左右に振るけれど、もちろん菜々ちゃんは聞いていない。
「えっと、菜々さん? 新聞部としてもまだ記事にするかどうかは未定で、とりあえずどんなのがあるのか調べるための許可だけもらいに来ただけで、別に現場巡りまではまだ――」
「何を言うのですか、真美さま! 事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんですよ!」
菜々ちゃんを宥めようとした真美さんに、菜々ちゃんは良く分からない主張を行う。その顔は既に現場を巡ることが決定事項であり、多分、かつての江利子さまを誰も止められなかったのと同じ理由で、誰も止めることは出来そうになかった。具体的に言うと、下手に止めると何か弊害が振りかかりそうで止めたくなかった。
「だから言ったじゃないの……」
由乃さんが諦めたように立ち上がる。こっちを見る由乃さんは「あんたらが菜々を呼んだんだから最後まで付き合え」って雄弁に語っていた。
祐巳と志摩子さんは顔を合わせて「仕方ないよね」と視線で会話する。志摩子さんが立ち上がれば、乃梨子ちゃんもそれに続くわけで。そうなると話を持ってきた真美さんも無視するわけにはいかない。
まずは情報収集のための取材許可を取りに来ただけだったのに、いつの間にか主題は七不思議観戦ツアー(なんで観”戦”?)になっていた。
恐るべきは黄薔薇の系譜。黄薔薇一家のこの行動力は、七不思議の末席に追加できないのだろうか。
菜々ちゃんを先頭に、由乃さん、真美さん、祐巳、志摩子さん、乃梨子ちゃんという順に並び、祐巳たちは校舎東側の階段へやってきた。校舎の1階が三年生、2階が2年生、そして3階が1年生の教室になっている。
「ご存知の通り、この階段は途中で踊り場がありますが、どちらも12段ずつ、合計で24段になっています」
菜々ちゃんがガイドよろしくノートを開きながら説明し、「1・2・3・4」と数えながら踊り場に向かって階段を上がっていく。
「10・11・12っと。皆さんも是非、数えながら上がってきて下さい」
菜々ちゃんに促され、それぞれが小声で段数を数えながら階段を上がる。確かに菜々ちゃんの言う通り、踊り場までが12段。そこから折り返して2階までも12段だった。普段、段数なんて気にしていないので、なんかまた無駄な知識を得てしまった気がする。
菜々ちゃんの先導で祐巳たちは3階までを同じようにして上っていった。2〜3階も12段+12段で同じ作りだ。
「さて、問題はここからです」
菜々ちゃんが1年生の教室が並ぶ3階から、屋上へ続く階段を見上げる。ここも同じように踊り場があり、折り返した先が屋上への出口になっている。
「あの踊り場の先――最後の階段だけが、13段になると言うのです。ご存知の通り、首吊りの処刑台の階段が13段だったり、13番目の……っと、これは今は言わない方が良いですよね」
菜々ちゃんが途中で志摩子さんを見て、説明を打ち切る。まぁ確かに、13番目の使徒とか13日の金曜日とか、下手なことを敬虔なクリスチャンである志摩子さんの前で言うのはよろしくない気もする。
「とにかく、最後の階段だけが13段になるそうなんです」
色々なことを端折って、菜々ちゃんは踊り場まで歩を進めた。これまで通りに12まで数を数えて。
全員が踊り場まで到達したところで、菜々ちゃんは再び説明を始める。
「ちなみに、13番目の階段を踏んでしまったものは……魔の13階段に呪われ、命を落とすとか落とさないとか、不幸が降りかかるとか降りかからないとか言われています」
「どっちなのよ」
曖昧な菜々ちゃんにツッコミを入れる由乃さん。ちなみに現在、屋上からは合唱部の声出し練習(あえいうえおあお、みたいな声)が聞こえてくるため、どんなに菜々ちゃんが頑張っても、これっぽっちも怖い雰囲気にはなっていない。正直、時間帯が失敗だと思う。せめて日が沈んでからなら、雰囲気も出たと思うのに。
「というわけで、最後の階段を――お姉さま、代表してどうぞ」
「なんで私が!?」
当然のように由乃さんの背中を押した菜々ちゃんに、由乃さんが抗議の声を上げる。
「あれあれ? お姉さま、もしかして怖いんですか? 13階段の呪いが怖いんですか? 黄薔薇さまともあろうお方が、そんな、眉唾物の七不思議を怖がるのですか?」
「だ、誰がっ! 私は別にっ!」
菜々ちゃんの挑発に憤然と由乃さんが言い返す。なんていうか、由乃さん。簡単すぎると思うよ。
それと菜々ちゃんも、自分で眉唾物とか言っちゃうのはどうかと思うんだけど。
「いいわよ、行ってやろうじゃないの。1! 2! 3! 4!」
由乃さんがどすどすと荒い足取りで階段を登っていく。その様子をにこにこ笑いながら見送る菜々ちゃんは――うん、一言で言うと「なんか企んでいる顔」な気がする。
「8! 9! 10! ……11……」
と、階段を登っていた由乃さんの声のトーンが、急にガクンと落ち込んだ。おやっと思って振り仰いで見ると、由乃さんが途中で足を止めて固まっていた。
「お姉さま、どうかしましたかー?」
菜々ちゃんの呼びかけに、由乃さんがゆっくりと次の一歩を踏みしめる。
「……12……」
「えっ!?」
思わず祐巳は声を上げていた。同じく、志摩子さんがはっと息を吸うのが分かる。
何故なら、12段まで数えた由乃さんの足元には……まだもう一段、階段が続いていたからだ。
「……え、え、え? ホントに? ホントに?」
焦ったような真美さんのセリフ。誰もが「なんだ、ここも12段じゃない!」と笑い飛ばす展開を予想していたはずなのに――
「じゅ、じゅうさ……」
「だ、ダメだよ、由乃さん!」
最後の一歩を踏み出そうとした由乃さんを、祐巳は慌てて止めようとした。
だって13段目を踏んだら、呪われてしまうのだ。でもここで引き返したら、呪いは無効かもしれない。
でも――祐巳の制止は遅すぎた。
「……ん」
由乃さんが最後の一歩を踏み出し、今まで一度も口にしなかった13の数字を読み終える。
シン、と静まり返った踊り場。じっと動かない由乃さん――
その沈黙を破ったのは――乃梨子ちゃんだった。
「――と言いますか、元々その階段、13段ですよ?」
「……えぇえ!?」
一瞬、乃梨子ちゃんのセリフの意味を理解できずリアクションが遅れたけれど、その意味を理解した祐巳は、大いに驚きの声を上げた。
「の、乃梨子、どういうことなの?」
「どういうことも何も、去年、そこの階段の掃除係りでしたから。私の記憶が確かなら、普通に13段で一年中変わってないはずです」
「そ、そうだったっけ?」
祐巳も1年生の頃はこの辺りの掃除係りだったはずだ。でも、段数なんて覚えてない。ただ、3ヶ月前まで1年生だった乃梨子ちゃんが言うのだから、かなり信憑性がある。
「ですから、最初から不思議だったんですよね。どうして13段だと七不思議なのかって」
祐巳と志摩子さん、そして真美さんが揃って菜々ちゃんの方に顔を向けると、菜々ちゃんは「ふっ」と軽いため息を吐き、寂しげな表情で階上に佇む由乃さんを見上げた。
「学園七不思議、その1――魔の13階段。他の階は全て12段なのに、何故か最後の階段だけが13段だという不思議! 業者の手抜きか、設計ミスか、それとも最後の一段に何か意味があるのか!? ちなみに13階段の呪いとは、屋上に出る時に一段分下がる必要があるので、転ぶ人が多数という恐ろしい呪いです! お姉さま、屋上に出る時は足元にお気をつけ下さい!」
徐々にテンションを上げ、最後は両手をメガホンのようにして由乃さんに注意を促す菜々ちゃんは、なんか無駄にキラキラしてた。
そんな菜々ちゃんを、ふるふるとちょっぴり震えながら振り返った由乃さんは――なんかちょっと涙目っぽかった――すぅ、と大きく息を吸い。
「菜々――――――――――――っ!」
と、屋上で発声練習中だった合唱部が束になっても敵わない程の叫びを上げて、階段を駆け下りてきたのだった。
>第2の不思議に続く
※ホラー風味のSSに触発され、便乗して書いてみました。
※ホラー……なの、か?(違う)
※投票の「感動だ」を「怖かった」に……変えないで良いです……。
※いずれ、きっと、ホラーな展開になるに違いないかもしれません。
※ちなみに意外と七不思議を扱ったSSが多い……ネタが被ってもご愛嬌ということでひとつ。