【2786】 何とも言えない雰囲気  (若杉奈留美 2008-11-21 09:16:32)


「激闘!マナーの鉄娘」シリーズ。
今回は皆さんが一度は目にしたであろうあのアイテムがテーマです。


(最終章その3・怒涛ののし袋)



「家事マナー5種競技、第2戦!のし袋表書き対決!」


心臓が口から今にもごきげんようと飛び出しそうだ。
いや、全身が心臓になっているといったほうが正しいだろうか。
目の前に置かれているのは何種類かののし袋と、筆ペン。

(どうしよう、こんなのやったことないよ…)

真里菜は全身ガタガタと震えていた。
今日に備えて父親からのし袋の種類と書き方をひととおり教えてもらったが、
丸暗記したはずの表書きの種類が全部ぶっ飛んでしまっている。
そう、彼女はとてつもなく漢字が苦手なのだ。
国語のテストで「○肉○食」を「焼肉定食」と書くなど序ノ口で、
「烏龍茶」を「しまりゅうちゃ」、「流石(さすが)」を「りゅういし」、
「月極」を「げっきょく」と、ことごとく読み間違える。
あげくのはてに日本史のテストで

「こんなふうに書いていたのがいるけど間違いだぞー」

と、自分の間違い解答を黒板に書かれて大笑いされたのだ。
そのときの解答。

「満州事変」→「満週事恋」

このときのちあきのすさまじい怒りようを、今も忘れられない。
罰として漢字の書き取り1日10ページを1週間延々とやらされるはめになった。
そんな過去を思い出し、さらに震えが止まらなくなる真里菜。
ふと隣の聖を見ると、女でもドキッとするほどの横顔がある。

(聖さま…着物着てる!)

薄い青緑色で、すそにわずかなクリーム色と控えめな花模様が入る。
帯は金の糸がふんだんに使われ、その間に鮮やかなオレンジ色で模様が施されている。
すらりと伸びた背筋はあくまで凛として、まるでどこかの写真から抜け出してきたようだ。
着物には疎い真里菜でさえ、それが有名作家の一点ものだということは見ればわかる。
レンタルの着物にありがちな不自然さはまったくなく、さも普段着のように着こなしている。

(聖さまのおうちって…もしかしたら、うちよりリッチなの?)

対する自分は、まったくの普段着。
おまけに、まだ席についてから3分たっていないのに、
正座している足がすでに悲鳴をあげている。

(勝ち負けなんてどうでもいい、早く終わってくれ…!)

先に3回勝ったほうがこの勝負の勝者になるという事実は、真里菜の頭からとうの昔に消えうせていた。

「それでは両者、スタンバイをお願いします!」

全身から冷や汗が噴き出るのを感じながら、真里菜は震える手で筆をとった。
硯には墨汁がたっぷりと満たされている。

「用意、スタート!」

太鼓が、鳴った。


(し、深呼吸、深呼吸…)

息を大きく吸い込んでスーハーしても、心臓の鼓動はいまだにおさまってくれない。
それどころかさらに大きく早くなっている。
人前に出たことがまるでないわけではないのに、いったいこの緊張は何だろうか。
それでも分かる範囲で一生懸命書いたのだ、自分なりに。

「さあ、判定です!聖選手、1枚目を出してください!」

しばらくの間があって、

「正解!」

1枚目は結び切りののし袋に書く表書きである。
聖はここに「御結婚祝」と書いていた。

「真里菜選手、1枚目を出してください」

出されたのし袋には、「後冷前」。

「まったくダメですね」

オブザーバーとして参加しているマナーの先生に強烈なダメ出しをくらった。

「あぅ…」
「御霊前と書くのは薄いグレーののし袋です。しかも後冷前とはなんですか」

がっくりへこむ真里菜。
その後も次々ダメ出しをくらってしまう。

「『御呪』ではなく『御祝』です」
「『初七日』というのは人が亡くなって7日目という意味です。
お祝い用の袋に書くなら『お七夜』ですね」
「この袋は不祝儀なのに、なぜ『初夜』と書いてあるのですか」

まったく無表情で(でも笑いをこらえながら)指摘する先生に、真里菜はひたすら恐縮するばかり。
のし袋の種類、墨の色、表書きすべてが間違っていた上に、白紙の袋が6枚。
文句なしに聖の勝ちである。
しかし次世代にとっての悲劇はまだ終わらない。
試合が終わって立ち上がろうとした、そのとき。
もはや感覚のなくなった足がもつれ、態勢を立て直そうととっさにつかんだのは、
墨汁たっぷりの硯!

「うわ〜っ!」
「ま、待て、こっちに来るな!」

聖の必死の叫びもむなしく、バシャン!という世にも嫌な音。
見れば整った顔からいかにも高そうな着物のすそまで、
これ以上ないほど見事に墨染になってしまっている。
しかも、聖にのしかかるように転んで着物のすそがいい感じにはだけて、
観客側からはあたかも真里菜が聖を押し倒しているように見える。
あまりのことに、居合わせた人々は笑いをこらえるのに必死だ。
なんとも言い難い雰囲気が会場を包む。

「真里菜ちゃ〜ん…?派手にやってくれたよねぇ…?」

墨の飛んだ口元を、袖でぬぐいながらニヤリ。
元祖エロ薔薇の見せるとんでもない殺気を感じた次世代エロ薔薇は、
0.05秒でその場から逃げるという決断を下した。

「失礼します!」
「待て!逃げるなゴルァ!」

墨で真っ黒に染まった白薔薇同士の追っかけっこ。
こらえきれずに爆笑する観客たち。
後日リリアンかわら版にこんな見出しが躍った。

『壮絶!墨汁だらけの新旧白薔薇鬼ごっこ大会!』
『観客爆笑、大絶賛!リリアン史上最狂のエンターテイメント!』

一部始終を見ていたちあきは、もはや真里菜を処刑する力も失せ、その後3日間寝込んだそうである…。


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