【2802】 知りたくないファンタジア  (海風 2008-12-22 10:22:41)



季節外れの夏休みスペッシャル









 長い長い夏休みが、ついに終わりを迎えようとしている8月31日の夜。

「夏休みと言えばなんだろう」

 島津由乃は、夏休みの宿題の追い込みの最中、棒付きバニラアイスを食べながらそんなことをポツリと呟いた。

「外は暑くて集中できないから自宅で勉強しなさい、っていう期間だと思うよ」

 まっとうな、それでいてつまらないことを言って宿題のプリントから顔も上げないその人は、由乃の従姉妹でお姉さまの支倉令。

「そんな正論聞きたくない」

 キッパリと言い放つ由乃に対して、令は心の中でつぶやいた。

(少しは聞いてよ……)

 朝寝に昼寝にスイカの種飛ばしに、外へ行くのはアイスを買いに行くくらい。それもアイス買い出しの大半は令がこなした。
 そんな微妙に引きこもり状態の妹には、再三「夏休みの宿題は?」「宿題、ちょっとはやった?」「今年は手伝わないからね」「あれ? このプリントの束は?」「……そろそろ手をつけないと終わらないよ?」「あ、このプリント……え、手付かず!?」「ちょっと! もう8月末よ!?」と言ってきた。
 そして最後に「……手伝うからやりなさい」と、いつも通り甘やかしてしまったわけだ。
 宿題をやらずに新学期を迎えてしまうことが、由乃本人以上に気になってしまう令。
 正直、どうだろうか。

「祐巳ちゃんも志摩子も、もう終わったって言ってたよ」

 山百合会の仕事で学校へ集うことはあろうと、それでも毎日半日以上は自由に使える時間があったのだ。にも関わらず、由乃は宿題にまったく触れていなかった。行きも帰りも家に直行で日中クーラーをつけて地球温暖化問題を無視した「女子高生の夏休みはこれでいいのか?」と問い詰めたいほどの自堕落な生活で、ほとんど毎日を無為に過ごしてきた。内容的にはゴロゴロウダウダしていた。
 この三日は、由乃の部屋で二人で宿題をこなしてきたわけだが、令にしてみれば高校最後の夏休みまで妹に振り回されてしまったような印象だ。特に由乃のやる気がないのが腹立たしい。まあ、富士登山だけは良い思い出になったと思うが。
 支倉令、忍耐の極みに近き者である。

「真面目よね、あの二人。まあ私もやる気になればあっと言う間に終わるんだけどね」

 じゃあやれよ、人に自分の宿題やらせといて宇治金時食うなよ、と令は思った。だが言えなかった。

「そう言えばさ。夏休みの絵日記って、いつまで宿題で出てたっけ?」
「初等部まで」
「あれ、あとからまとめてやると天気だけは困るよね。台風直撃してた日に外で遊んでたことになってたりして」
「ありがちよね」

 令は、初等部の頃に同級生だったクラスメイトが電話で聞いてきた時のことを思い出した。由乃の場合は、令の日記をほぼ丸写しすればOKだったので問題なしだ。

「でさ、夏休みと言えば、何?」
「宿題でしょ」
「――そうそう、夏休みと言えば、デビューよね」

 勝手に話を進めやがった、と令は思った。だが言えなかった。

「夏休みデビュー。果たして令ちゃんは今年の夏、何にデビューしたのかな?」

 したり顔でしゃりしゃりと南国シロクマを食らう妹が悪魔に見え始めた令だが……

「……姉妹で外泊じゃない?」

 律儀に答えちゃう辺り、令にも確実に問題がある。
 それはともかく。
 由乃の心臓病のせいでこれまでできなかった思い出を挙げるなら、やはり泊まりがけで富士山を制覇したことだろう。
 良いことも悪いこともあったが、振り返れば思い出である。

「あ、そうね。登ったよね。二人だけでどこかに泊まったの、初めてだったよね」

 由乃がブラックモンブランを開封しつつ言い、「そうそう」とうなずく令の手も意識も宿題から離れていく。

「それで由乃、夏休みデビューって何?」
「何って……え? 令ちゃん知らないの?」
「どこかで聞いたことはあるし、たぶん意味もそれらしくわかってはいる。でも具体的にはわからない」

 夏休みデビュー。どこかで聞いたことはあるが、正確な情報としては知らない。なんとなくはわかる気はするのだが。

「とりあえず夏休みにデビューしたもののことよ」

 だがガリガリくんに手を伸ばす由乃も具体的には知らなかった。ノリで憶えているような感じだ。

「夏休みにデビューねぇ……初めてのコンタクトレンズとか?」

 テレビのCMで観たようなものを言うと、由乃は「そう」とうなずく。

「今年は『二人で夏祭り』もデビューしたよね」
「あ、したね」

 令もうなずく。二人でちょっとだけ夏祭りを覗いてきた。これも由乃の心臓病でできなかったことだ。
 ただ、あまりの人込みに圧倒されたせいで、長居はできなかったのだが。主だった屋台、カキ氷にリンゴ飴にたこ焼きにヤキソバにカキ氷にお好み焼きに焼きイカにカキ氷にわたあめのハシゴは令がこなしたので、由乃も納得したのだ。
 令は思った。
 「金魚すくいや射的でキレそうだからこれでOK!」と。「絶対に熱くなって予想以上の散財に繋がるだろうからこれでOK!」と。

「でさ、令ちゃん」
「ん?」
「完全に手が止まってるね。私、『宿題をやってこなかった』デビューは絶対したくないんだけど」

 じゃあ自分でやれよ、むしろ自分がやれよ、と令は思った。
 だが、やはり、言えなかった。
 支倉令、今年も着実に「忍耐を極めし者」へと近づいている。
 そして由乃はハーゲンダッツの蓋をべリィッとはがしたのだった。




「というわけで、夏休みデビューの話をしましょうよ」

 翌日、薔薇の館。
 「宿題をやってこなかった」デビューを回避できた由乃は、面々に向かってさわやかに微笑んでいた。
 本日始業式につき、仕事はなし。
 花寺の学園祭も近づいてきているが、現段階でやれることはない。集まったのは、これからの予定を再確認するためで、それももう終わった。
 姉の小笠原祥子と話をしていた福沢祐巳も、藤堂志摩子も、各自に紅茶のお代わりを配り終えて席についた二条乃梨子も、由乃の隣で「あ、やっぱりその話するんだ」という顔をしている令も。
 由乃の言葉に反応し、注目する。

「夏休みデビューって?」

 またなんか言い出したよ、という遠慮したい一同の意思に気付かず問い掛けたのは、志摩子だ。

「いやいやいやいや! ちょっと待ってくださいよ!」
「お?」

 予想外も予想外、なぜか乃梨子は慌てふためいて話を止めた。

「どうしたの乃梨子ちゃん?」
「ど、どうしたの、じゃないですよ! 何を言い出すんですか由乃さま! 気は確かですか!? 暑さでアレがアレしちゃったんですか!?」

 かなり失礼なことを言われた由乃だが、乃梨子の必死の剣幕に、言葉を飲まざるをえなかった。
 怒るタイミングを逃したせいで、今度は考えてみる。
 乃梨子の反応に唖然とする一同と、由乃。
 つまり?

「……乃梨子ちゃん、夏休みデビューの意味を知ってるわね?」
「え?……えっ!? し、知らないで話してたんですか!?」

 由乃はニヤリと笑った。

「言葉通りの意味として捉えてたんだけど、乃梨子ちゃんの反応を見る限り、言葉通り以上の意味があるのね?」
「……」

 乃梨子は「しまった!」という顔をして口をつぐみ、助けを求めるように姉を見る。

「夏休みデビューってなあに?」

 救いの手は降りてこなかった。むしろ背中を押されてしまった。
 大好きなお姉さまに聞かれては仕方ない。乃梨子は自分が知りうる「夏休みデビュー」のことを話すことにした。

「えー……一般的には、真面目な子が夏休みの間に、その、グレちゃったり、恋人ができて派手になっちゃったりすることです……」

 さすがに「子供ができたから学校に来なくなってそのままやめたり……」などとは、口が裂けても言えなかった。
 そんなことを言えば、今の説明でさえ不快の顔を隠しもしない紅薔薇・小笠原祥子が怒り狂うのは目に見えている。
 が、乃梨子の心配をよそに、それ以上の追及はなかった。

「ふうん……一般的にはそういう意味なんだ」
「いえ、どちらにせよ、あまり広くは使われていないと思いますよ。たぶん『高校デビュー』と混じった誤用みたいになっているんじゃないかと」
「高校デビュー? 何それ?」
「それより『夏休みデビュー』の話はいいんですか?」
「……ああ、そうね。それじゃその話は今度聞かせて」

 乃梨子はホッとした。新学期早々、これ以上祥子を不愉快にさせたくはない。




「まあ一般的に違うのはわかったけど、あくまでも『夏休みの間に初めて体験したこと』って意味で」

 由乃はそう触れ、「みんな知ってる通り、私はお姉さまと二人で富士山に登ったり夏祭りに行ってきたよ」と簡単に述べた。
 具体例を挙げられた面々は、なるほどとうなずく。

「私達で言えば、別荘に泊まったことよね」
「はいっ」

 祥子が話を振れば、大好きな飼い主に呼ばれた子タヌキのように嬉しそうに返事を返す祐巳。

「私達は、お寺や教会を二人で巡ったわよね?」
「はい」

 志摩子が話を振れば、大好きな飼い主に呼ばれた訓練されたドーベルマンのように冷静に返事を返す乃梨子。
 そんな各姉妹を見て、由乃は「そうね」とうなずく。

「祥子さまの別荘に集まった時にも聞いたから、それは知ってる。今聞いてるのは個人での夏休みデビューよ」
「「個人での?」」

 由乃の言葉に、思わず自分の姉や妹を見てしまう一同。
 それぞれの姉妹が仲が良いことは知っている。姉妹での思い出はもちろん作ったし、由乃の言う「夏休みデビュー」にも該当する。
 だが、個人で?
 そう言われると、全員が考え込んだ。

(……あれ? この夏休み、一人でなにかしたっけ?)

 口には出さないまでも、由乃以外の全員がこんなことを思っていたりした。隣の令も、昨日は「個人で」のことは聞かれなかったから、考えもしていなかった。




 しばらく無言のまま過ごし、紅茶を半分ほどいただいた由乃は、そろそろいいかと動き出す。

「祥子さまはどうですか?」
「え? そ、そうね……」

 考える時間は十分あった。
 この夏に初めて体験したこと。
 「何もない」と言うのは、少し寂しい。花の女子高生の夏休みの思い出が「何もない」は、さすがにちょっと嫌だ。
 まあ、祥子としては、女子高生云々より「祐巳にいいところを見せねば」という、姉の威厳と尊厳のプレッシャーに寄るところが大きいが。
 姉として変に気負う辺り、祥子もまだまだである。

「………はぁ」

 眉間にしわを寄せる祥子は、諦めのような溜息をついた。

「魚沼産コシヒカリデビューかしら……?」

 どんなに考えても、これしか出なかった。
 祥子にしてみれば、「暑いから自宅で勉強する期間」が夏休みなのだ。「夏休みだから」と特別何かをする思考はない。強いて言えば別荘へ行くくらいだ。
 そんな祥子の夏休みに、特別があるとすれば。
 やはり、どうしても例年にない妹の存在が絡んでしまう。

「こしひかり? あ、祐巳ちゃんの家から別荘に届いたっていう?」

 何気なく令が問うと、祥子は不機嫌そうに睨んだ。

「そうよ。悪い? 私はとても美味しいと感じたし、その話をしたら興味を示したお母さまが気に入って、うちのお米もこの夏から時々魚沼産コシヒカリになったりするわよ。悪い?」

 悪いけれど家族にも好評よ、文句あるの、と祥子の不機嫌は増していく。別に責めているわけでもなんでもない令からすれば、とんだとばっちりだ。

  小笠原祥子、この夏の初めての体験=米

 冷静に考えると、それはそれですごいかもしれない。
 夏休みデビューが米というのは、日本で十七年生きてきた生粋の日本人の答えとしては次元が違う。来日した異邦人並だ。

「清子小母さま、気に入ってくださったんですか?」

 今の祥子を抑えられるのは、祐巳しかいない。

「え? ええ。私も父も気に入っているわ。お米なんて大して意識したこともなかったけれど、確かに違うわね」
「気に入っていただけたなら良かったです」
「祐巳……」

 微笑む祐巳に、祥子も微笑みを返した。




 祥子の夏休みデビューも意外と綺麗な形で片付いたようなので、由乃の視線が次へと向けられる。

「志摩子さんはどう?」
「え、ええ……」

 志摩子は戸惑っていた。
 基本的に志摩子も、祥子同様に夏休みだから何かをする、という思考はない。
 夏休みは、外出する用がなければ宿題をして、家の手伝いをして、本を読んだり庭の掃除をして。
 姉である佐藤聖は、夏休みが終わって少し経ってから姉妹の契りを交わしたので、夏を一緒に過ごしたことはない。
 そう考えると、やはり祥子と同じように、これまでいなかった妹の存在が絡んできてしまう。
 だが。

(二人の思い出はあるけれど……)

 一人で、となると、少々微妙だ。
 この夏を振り返ると、どうしても乃梨子の存在があるのだ。乃梨子がいない日常の思い出など、霞んでぼんやりとしか思い出せないくらいに。
 何かないかと探してはいるが。
 必死に探してはいるが。
 いるが……

「……ない――あっ」

 ないわ、と言いかけたその時、ふと頭に蘇るはあの時の記憶。

「あった、あったわ!」

 いつになくテンション高めの嬉しそうな声を上げた志摩子に、由乃「お、おぉぅ」と意味不明なうめき声を漏らす。

「私にもあったわ! この夏にデビューしたこと!」

 瞳が輝いている。本当に嬉しそうだ。いったい何が彼女のテンションをここまで上昇させたのか。

「父の頭を平手で叩いたデビューよ! ピシャリと!」

  藤堂志摩子、この夏の初めての体験=父親に対する暴力……

「…………」

 全員が引いていた。
 嬉しそうな志摩子にも、そのピシャリと叩いたと語る事実にも。
 全面的な好意と支持を送っている乃梨子でさえも。

「……あら?」

 無反応な皆――特に話を振った相手である由乃の返事がないことに、志摩子は遅まきながら場の空気を察した。

「あの……だ、だめ?」
「いや、ダメって言うか、ね…………その……か、家庭内暴力……?」
「えっ!?」

 ――内容を聞いてみると、「なーんだ」である。

「なるほどね。夏の風物詩、蚊ね」
「ええ。うちの父は剃髪しているから、蚊が止まるととても目立つの。それで、思わずピシャリと」

 ほぼ反射的に殴った志摩子も、殴られた父も、その時はものすごく驚いたらしい。そしてあまりの良い音っぷりに二人で笑いあったんだそうだ。

「あの時は、乃梨子との待ち合わせの時間が迫っていたから、ちょっと焦っていたのよ。普段なら父に話して自分でどうにかしてもらうけれど、そんな余裕もなかったのよね」

 そんな姉の言葉に、間接的な原因となったことを謝るべきか、余裕がなくなるくらい自分との待ち合わせを大切にしてくれていることを喜ぶべきか。
 トップクラスの学力を持つ乃梨子でも、判断できなかった。
 でも、どちらかと言うと喜ばしい方の比重がかなり大きいようで、すんごいニヤニヤしているが。


 

 あわや一大事かと焦らされた志摩子の話も聞き終わり、由乃は次のターゲットに目を向ける。

「じゃあ、乃梨子ちゃんは……聞かなくていいか」

 「志摩子のいる夏」を初めて体験した乃梨子は、だいたい全てが志摩子絡みだろう。個人を塗りつぶすほどに。
 自分との約束で普段にない志摩子を引き出すことができた。その事実に乃梨子はもう、ちょっと意識がアッチ側へ逝ってしまっている。
 わざわざ連れ戻したところで、うんざりしそうなノロケ話を聞かされそうな気がする。

「それじゃ、祐巳さんは?」
「ん? うん」

 祐巳は余裕だった。
 この夏の思い出に関わらず、普通に過ごしていれば、何気なく普通に初体験しているものだ。むしろ何を話すか、の方で迷ったくらいだ。
 夏休みデビューで思い出すのは、やはり一番大きいのはアカペラデビューだろう。あの時は近くに祥子もいたが、自分の意思で前に出た。これは該当するはずだ。それに避暑地でモカソフトを食べた、というのも、場所もモノもこれまでの夏休みにはない思い出だ。
 それに、夏休み後半にプライベートでみんなと集まった、というのも山百合会入りして初めての夏を過ごした身からすれば初体験。一年生の時は恐れ多いと思っていた薔薇さまを呼び出しちゃったりして。
 だが、できればみんなが知らないものがいいだろう――祐巳はそんな思い出を選ぶ事にした。

「ちょっと趣旨とはズレるかもしれないけれど、がっかりデビューかな」
「がっかり?」

 鸚鵡返しに問う由乃に、祐巳はうなずく。

「こう、信用していたのに裏切られた、みたいなね」

 一瞬祥子がビクッと震えたが、祐巳は気付かなかった。

「みんなは当然、『アフロさまがみてる』っていう小説、知ってるよね?」
「アフロさま? ああ、もう十年以上も続いていて女性向なのに女性キャラがメインっていう異色作でしょ? いまだに新規購読者がちょくちょく増えてて、もう面白いやら先が気になるやらで初期ファンはヤバイくらいに中毒者が多いっていう」
「詳しいね、由乃さん」
「まあね」

 美の女神アフロディーテが見守る、女学園に通う女学生達が主役の十代向け小説である。決してアフロヘヤァの誰かが誰かを見ているような危なげで怪しげな内容ではない。

「あの焦らしっぱなしの進展の遅さが賛否両論らしいね」
「そこがいいんだよ」
「あと登場キャラに名前がない人が多いよね」
「作者はわかっててやってるんだよ。わざとだよ。だからいいんだよ」

 いいかどうかも賛否両論、だろうか。

「で、その『アフロさまがみてる』だけどね。8月の頭に『Oh! チャカさまもみてる』っていう関連した小説が出たのよ」

 「アフロさまがみてる」の隣の男子校の話で、上級生に撃たれたら「アニキ」と呼ぶという特殊な伝統を持つ仁義溢れる小説である。

「うん、知ってる」

 ここからどう「がっかりデビュー」に繋がるのか。一同は祐巳の言葉を待った。

「私ね、正確な発売日を知らなくてね、五日くらい遅れて近所のミ○ミに買いに行ったのよ」
「○スミ? あの全国に店舗があるCDとかDVDとかレンタルしてて、もう飛ぶ鳥を落とす勢いで売上絶好調の大型店?」
「絶好調かどうかは知らないけれど。まあ、とにかく買いに行ったのよ。そうしたら――」

 祐巳は顔を曇らせた。

「……なかったの」

 その一言に、会議室は凍りついた。

「……えっ!? あの全国に店舗があるCDとかDVDとかレンタルしてて、もう飛ぶ鳥を落として焼き鳥にして食べちゃうくらいの勢いで更に店舗を増やしつつ近隣の小さなレンタルショップや本屋を潰しまくってそのうち日本制圧しそうな雰囲気はある、あのミス○になかったの!?」
「それはどうかと思うけれど、なかったのは本当」

 「そんなばかなっ!」と、由乃は両手で顔を覆い首を振る。

「そ、それはがっかりだね……まあ○スミにも大きい小さいはあるみたいだけれど……」

 しかしまさか……令も冷や汗が出てくるのを禁じえない。
 あの「アフロさまがみてる」の関連商品である「Oh! チャカさまもみてる」を、あのミス○が切らすほどしか入荷していないなんて、まさかのがっかりである。信用を裏切られた気分である。

「どんなに探しても、平積みはなんか『マ』が付いた感じのものとか『中華な感じの国』のしかなかったんです。イラストの人が同じっぽい小説のタイトルを何度も見直しちゃったりしたんです。それでもなかったんです。――もう、がっかりしました」

 表情豊かな祐巳の今の顔は、事情を知らない者から見ても「がっかり」にしか見えない。

「けれど、その時は『本当に出たのかな?』と、ミ○ミになかった=まだ発売されていない、と思ったんですよ。それくらい私の○スミに対する信用は大きかったんです。でも……」

 祐巳は続けた。

「どうだろう、って思いながら本屋をハシゴしたら……あったんですよ」
「『Oh! チャカさまもみてる』が?」
「……それが置いてあったと思しき場所に広告が。宣伝ポップっていうんでしょうか?」
「そこでも売り切れてたの!?」

 悲鳴のように聞いた令に、祐巳はずーんと暗い顔で首を縦に振った。

「『アフロさまがみてる』の人気を侮ってました。これまでいつも発売日近くに買ってました。買えましたし。……でも、その二件目の本屋ですけれど、下の平積みで『Oh! チャカさまもみてる』だけがそっくりなかったんですよ。他は綺麗に並んでいるのに、『Oh! チャカさまもみてる』だけが売り切れていたんです」

 自分の認識の甘さにもショックを受けましたよ、と語る祐巳は自嘲気味に笑った。

「多少出遅れたからって、まさかミ○ミにないなんて思わないじゃないですか。もうミス○にも自分にもがっかりしましたよ」
「――もういい! 聞きたくない!」

 悲鳴のように声を発した由乃は、テーブルを叩いて立ち上がった。

「結局買えたんでしょ!?  あの全国に店舗があるCDとかDVDとかレンタルしてて、もう飛ぶ鳥を落として焼き鳥にして食べちゃうくらいの勢いで更に店舗を増やしつつ近隣の小さなレンタルショップや本屋を潰しまくってそのうち日本制圧しそうな雰囲気はありつつそろそろ世界進出とか考えてる挙句に行く行くはマイ○ロソフト辺りと提携して電気屋も兼ねそうな感じのミス○を冒涜するのはもうやめて!」
「……その発言こそ冒涜してるんじゃない?」

 「ちなみにまだ買えてないよ」と祐巳が言うと、由乃は本気で「ヒィィッ」と背筋を震わせた。




 こうして祐巳のがっかり恐怖体験を最後に、夏休みデビューの話は終わった。
 令が「あれ? 私の話は?」とつぶやいたものの、乃梨子と同じくどうせ由乃絡みだろうと思うと由乃も含めて全員が聞きたくなかったので、みんなで無視したとか。









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