あらすじ:
最近休みが多いリリアン女学園。山百合会でも祥子、令、志摩子、由乃が休んでいた。 そんな中、呪いのビデオらしきものを見てしまう祐巳、乃梨子と桂。 途中で、瞳子も巻き込んでしまう。祐巳と瞳子のやりとりを見て、妹を思いビデオから手をひく桂。 土曜に呪いを受けた志摩子と対面した乃梨子は一度は逃げてしまうものの、なんとか想いを伝える。 そして日曜日、乃梨子、祐巳、瞳子の三人は乃梨子のマンションに集まりビデオを調べることになった。 祐巳と瞳子が昼食の買い物に出かけ、残った乃梨子に呪いが降りかかってしまう…。
作者より:メインタイトル『もこもこしてたりする柔らかくてびっくりわっか的ビデオ』
【No:2709】→【No:2712】→【No:2716】→【No:2721】→【No:2733】
→【No:2736】→【No:2748】→【No:2752】→【No:2769】の続きです。
今回もホラー少ないですが。
「…リコ」
ん…、薫子さん?もう少し寝かせてよ…。
なんか体がだるいのよ…。
「…リコ。…きて、…リコ」
ゆさゆさゆさ。
う…ん…、誰?薫子さんじゃないの?
「のり…ちゃん、起きて。…リコちゃん」
ゆさゆさゆさ。
うーん、そんなに揺らさないで…起きるからさー…。
「乃梨子。目を開けて、乃梨子」
ゆさゆさゆさ。
あー、んもう。起きるってば!
「…だから、そんなに揺らさないでっ」
がばっ。
むにゅ。
「ひゃっ」
ひゃ?
なんだか聞き覚えのある声に重い瞼を開けると、目の前にいたのは真っ赤な顔の複雑な表情をした瞳子と同じく複雑な表情を浮かべている祐巳さまだった。
あれ?
二人の複雑な表情の意味合いが違うことに気がつくのに、さほど時間はかからなかった。
「あ、ごめん。瞳子」
起きた拍子に伸ばした手が瞳子の…その、胸に当たっていたのが原因の様だった。
と、当然のように自分の手に視線を移した私は信じられないものを見ていた。
自分の手、と思われるところに長く太い獣毛の塊。
いや、塊ではなく獣毛の生えた手。
その手は見慣れた自分の手よりも一周り程大きくて。
それでも、やはり見慣れた自分の手の表情だった。
あー、やっぱり夢じゃなかったか…。
『それ』を見ても、自分でも意外な程冷静に受け止める私がいた。
そして、二人の複雑な表情のもう一つの、そして恐らく主な原因にも思い当たる。
んー、こういう時は…。
「瞳子って、意外と胸無いのね」
わざと最悪な選択肢を選んでみる。
「なっ…」
当然のように、赤い顔がさらに赤くなって…。
「乃梨子も同じくらいじゃないのっ。大体、体育の着替えの時は一緒なんだから今更なことだわっ」
「いやー、今更だけどさ。触るの初めてだったし、その、実感としてと言うか…」
「当たり前でしょ。そんなことが何度もあってたまるもんですかっ」
「それにしてもさー…」
「なにっ」
「お腹空いたー。買い物行ってきたんでしょ」
「の、ののののの…」
「のーさんきゅー?」
「乃梨子ぉーーー!」
ばたんっ!
案の定、爆発した瞳子は、そのまま買い物袋を引っ掴んで私の部屋を出て行った。
「台所のものは好きに使っていいからねー」
部屋の出入り口から、瞳子の背中にそう声を飛ばしながら、今見えている自分の手と先ほど見えた瞳子の目の端の光るものに、私は少し切なくなった。
「…乃梨子ちゃん」
程なくして、背中から掛けられたのは祐巳さまの窘める声…ではなく。
なぜか優しい声だった。
「…祐巳さま」
振り返った私を迎える表情も、その声と同じく優しかった。
「ごめんなさい、祐巳さま。ちょっと寝ぼけ…」
「ありがとう、乃梨子ちゃん」
少しだけバツの悪そうな顔―になっているか自分ではよく分からないが―をしながら謝る私を遮って、祐巳さまの口から出てきたのは感謝の言葉。
「え?」
思わぬ方向から思わぬ言葉が耳に飛び込んできた私は、思わず聞き返さずにはいられなかった。
「ありがとう、乃梨子ちゃん」
再び聞こえてくる言葉に、私はやっと理解した。
祐巳さまが瞳子の姉なんだってこと。
自分の感情を素直に出さない瞳子の。
「ありがとう、乃梨子ちゃん」
そして、瞳子と対照的に感情を素直に出す人だってことを。
いつの間にか私は祐巳さまの腕の中にいた。
「ゆ、みさ、ま…」
私は逃げただけ。
現実を見るのが怖くて、逃げただけ。
瞳子と祐巳さまの辛い顔を見るのが怖くて、逃げただけ。
でも、許されるなら。
少しだけ、少しだけ。
私は恐怖に塗りつぶされずにいられることに安堵を覚えながら、頬に当たる冷たさと温もりを感じていた。
「台所のものは好きに使っていいからねー」
乃梨子の声を背中に聞きながら、私は台所で買い物袋を開けていた。
「…本当に馬鹿なんですから」
私が、親友の私が、それくらいの小芝居を見抜けないとでも思ったのかしら。
本当に…馬鹿…。
さっきの、そして帰ってきた時の乃梨子の姿が頭に浮かぶ。
見つけた時は、本当に何か毛の塊のようにも見えたし、そこら中に散乱していた赤い獣毛が、まるで血の跡のようにも見えた。
その中から乃梨子の顔が覗いていたのに気づいた時は、頭の中が真っ白になったように思う。
思う、というのは乃梨子が起きるまでの間のことが、朧げにしか思い出せないから。それほど、自分が焦っていたのだろう。
そして目覚めた時、乃梨子の獣毛に覆われた手が私に伸びてきた時、思ってしまった。
怖い、と。
とんとんとんとん…。
心とは裏腹に小気味いい音と共に野菜を刻んでいく。
その目に自分の手の甲が映る。それに先程の乃梨子の大きくなった手がダブる。
「つっ」
包丁が指を少し掠めたのか、滲む赤い滴。
包丁と指を水で洗いながら、滲んだ滴が頬を伝っていた。
私は逃げただけ。
現実を見るのが怖くて、逃げただけ。
自分の恐怖心を乃梨子に知られるのが怖くて、逃げただけ。
私は手を止めると、指から伝わる冷たさと頬を伝わる温かさを感じていた。
「…ありがとうございます、祐巳さま…ずずっ」
暫くして、落ち着いた私は祐巳さまにお礼を言うと体を離した。鼻をすする音が締まらないけど。
「いえいえ。…それで、あの、やっぱり聞きたいんだけど…」
「はい。あ、その前に…」
「うん?」
「鏡、いいですか」
「あ、うん」
腕とか、脚からなんとなくは分かるけど、やっぱり自分の顔がどうなっているのかは知りたいところ。まあ、以前に見た志摩子さんから想像するにそんなに酷くはない…いや、志摩子さんの場合、むしろ…いやいやいや…。
「はい」
そんな思考の渦に飲まれていると、祐巳さまが鏡を手渡してきた。
変わってしまった手で鏡をなんとか受け取ると、恐る恐る覗きこむ。
「…ふう」
思わず出るため息。こんなに鏡を見るのが怖かったのは生まれて初めてだな、と心底思った。
志摩子さん、そして自分の声が変わってないことから、外見も骨格も大きな変化はない。
ただ、顔から伸びる獣毛や、獣特有の大きな耳、それに、少し伸びた犬歯が印象そのものを変えてしまっている。
「大丈夫?」
心配そうに聞いてくる祐巳さま。
「ええ、まあ全く平気とはいきませんけど」
「そう…そうだよね」
その顔が曇る。まるで自分のことのように。
「…くすっ」
「どうしたの?」
「祐巳さまも私と同じようになるかも知れないのに、ご自分の心配はなされないのかな、と」
「あ、そうだよね」
本当に今気づいた、とばかりにきょとんとした表情を見せる祐巳さま。
そしてまた困ったような、悩んでいるような表情に変わる。
「んー、一つだけ聞いておきたいんだけど…いいかな?」
「はい、何でもいいですよ」
ころころ変わる表情を見ていると、不思議と肩の力が抜けるのを覚えていた。
「やっぱり、怖かったの…かな?」
「はい…あれ?」
「どうしたの?」
「なんだかよく思い出せないような…」
怖かったり、恐ろしかったり、気持ち悪かった…そんな感覚は覚えているのだけれど。
何が、どうなった…そういう肝心な部分が朧になっていた。逆に言えばそれだけ怖かったんだろうけれど。
「あ」
「何か分かった?」
「はい」
記憶の糸を手繰り寄せる内に、一つのものに辿り着く。
あれは確か…。
「ビデオ…ビデオデッキの中には何か入ってます?」
「中…?」
そう言いながら確かめる祐巳さま。
私の想像が正しければ…。
「あれ?…何も入ってないよ」
「そう…ですか」
やはり。
「乃梨子ちゃん、ビデオ見た…んだよね?呪いの」
「はい。えっとですね…」
「ビデオが?」
「はい。恐らく…」
呪いのビデオではなく、あのビデオそのものが『呪い』だとしたら。
非科学的と言われるかも知れないが、実際に姿が変わってしまっている以上、どんなことでも『ありうる』と考えた方がいい。
私の出した結論はそれだった。
「ビデオをいくら調べても手掛かりが見つからなかったのも?」
「はい。考えても見てください。呪いをかける時点で、相手を救う気は更々ない訳ですから…あれは手掛かりというよりは、罠だったんじゃないかと」
「罠?」
「はい」
とんとんとんとん…。
台所の方から、小気味いい音が聞こえてくる。
「瞳子が見てしまった時のことを思い出してください。私たちが手掛かりを探そうとしてビデオを見ようとしなければ、瞳子…いや瞳子だけではないですけど、他に塁が及ぶことは無かった。そしてどうして手掛かりを探そうかと思ったかと言うと…」
「…あのビデオにそう書かれていたから」
「そうです」
ぞくり。
頷くと共に部屋に満ちる静寂。うすら寒い感覚さえした。
とんとんとんとん…。