「魔王召喚？」
「そうなんですよ！　これは絶対見に行くべきだと思いませんか」
　由乃の問いに、菜々は嬉々として頷いた。


　『真・マリア転生　リリアン黙示録』【No:2793】から続きます。


「カオスとしては、これは是非ともひやかしに行かねばと！　ついでに警備も」
「菜々、ホンネがだだ漏れしてるから」
「冗談ですよ！」
　テンションたっかいなーと思いつつ由乃は水を差す。
「でも私、魔王に興味は無いし」
「ええっ！？　そんな、酷い！」
「別に酷くはないんじゃ」
「カオスの旗頭、ガイア教筆頭がそれは問題発言では？」
「私はね、魔王が世界をカオスに染めるより、ロウとカオスの争いが絶えない今の状況が結構気に入ってるのよ」
「それはある意味確かに混沌としてますが……」
「それに厄介よ。魔王に仕切られたら今迄みたいに好き勝手できなくなるかもしれないし」
「邪魔になったら由乃さまがぶち倒せばよいのでは？」
「まあそうだけどね。神だろうが魔王だろうが」
　カオスとして、それはいいのか？
「それに魔王召喚の儀式って見てみたいじゃないですか！」
「やっぱりソレがホンネか！」





「大丈夫？」
　ギリメカラのレアスキル『物理反射』の洗礼を受けた乃梨子に祐巳が心配そうな声をかけた。
「試しに一当てしただけで、本気で打ち込んだわけではありませんから」
　ギリメカラのことは乃梨子も話に聞いていたが、実際に見たのは初めてだった。伝承には一つ目とか２本足という記述が見当たらなかった為（少なくとも乃梨子の知る限りでは）、すぐにそれとは気付かなかったのだ。
　とはいえ、迂闊だったのも事実だ。
「ちょっと、乃梨子らしくなかったわね」
「すみません」
「別に責めているわけではないのよ」
　ただ心配しているだけ。志摩子の少し困ったような顔がそう言っているのがわかるから乃梨子は余計に情けなく思う。
　いいところを見せたかったわけではない。ただ、祐巳の存在に動揺していた、というのはあるが。
「あれ？」
　突然祐巳が怪訝そうな声を上げる。
　倒れたギリメカラの体が崩壊していた。こぼれ出した赤い光が明滅しながらゆっくりと流れていく。その先に奥の大釜があることに気付いて志摩子はハッとした。
　奥では、数体のアクマがうろたえていた。
　犬頭やら雪だるまやら小柄であばらが浮いていながら腹が膨れたのやら背中に蝙蝠の羽を生やした妖艶な美女やらの言葉が断片的に聞こえてくる。

　ギリメカラガ！　ヤラレタッ！　ドウスルドウスル　召喚ヲ！
　マダ早イ　足リナイ　ムリダムリダ　やっちゃえ！

　最後の声と同時に光を発する魔法陣。召喚陣を起動させたらしい。
「まさか！？　まだ早いはず」
「事実は事実よ」
　驚く乃梨子にそう返し、志摩子はさせじと氷結呪文を放つ。
　驚いても事態は変わらない。どうせやられるなら無理を承知で、となるのは別に珍しいことでもない。自棄とも言うが。
　氷結呪文が魔法陣の外縁部に到達した瞬間、激しいスパークを起こしながら呪文が弾かれた。魔法陣自体が強力な結界のような役割をしているらしい。
　歓声を上げるアクマ達。走り出す３人。
「いと高き」
「聳え立つようにご立派な！」
「あのご立派な」
「ご立派なマーラ様！」

「マーラ！」
「そんなに大物なの？」
　乃梨子の反応に、祐巳が驚いて問いかける。
「……ある意味かなり。まあ魔王という時点で…けどまさかアレを？　ああでも、なるほど」
「何がなるほど？」
「ギリメカラはマーラの乗り物とされていたなと」
「へえ」
　移動しながらのんきに会話する乃梨子と祐巳だが、その間にも事態は進む。
「現れ出でよ！」
　魔法陣がぼこりと泡立ち、その表面から何かがのっそりと浮き上がる。
　ビキッと魔法陣の一部にひびが入り、そこから現れた何かが突如伸長し、アクマ達の１体に直撃した。おそらく何が起きたかも理解できなかったろう。瞬時に崩壊した体から赤い光がこぼれ出し、魔法陣の中に吸い込まれていく。
　逃げ出す雪だるま。呆然と立ちすくむその他。
　ビキリ、と魔法陣にさらに亀裂が入る。
　大釜と倒れたアクマのマグネタイトをも取り込み、魔法陣を引き裂きながら

　オオオオオオオォ

　咆哮とも悲鳴ともつかぬ声（音？）とともに、それは現れた。

　魔王『マーラ』。
　悟りを開こうとする釈迦の妨害に現れたことで有名。人の心を迷わし善事を妨げる誘惑者としての面を持ち、その意味でサタンに通じるという説もある。
　サンスクリット語のマーラは漢字では魔羅と表現される。羅は音を合わせる為の字でありその本質は『魔』そのものといえる存在だ。

「おおっ！　……おぉ？」
　歓喜と感嘆の声が懐疑と困惑の声に変わる。
　聳え立つかと思われたその動きが途中で止まり、崩れ落ちるように低くなっていく。低いといっても見上げる程だが。
　そこにはご立派どころか、ぐんにゃりとした半スライム状の物体がでろでろと蠢いていた。
　志摩子が珍しく顔をしかめる。祐巳も気持ち悪そうだ。
「何、これ？」
「魔王、マーラ？」
　祐巳の素朴な疑問に、疑問形で返す乃梨子。
「失敗したのでしょうね」
「失敗？」
「召喚者が未熟だったのか、準備が整っていなかったからか、いずれにせよ完全な状態で実体化できなかったのよ」
　マーラは体を震わせるとまた聳え立つかのように盛り上がり、今度は召喚者達の方に覆い被さるように雪崩れ込み、おし包み、押し潰す。断末魔の悲鳴、崩壊する体、溢れ出る赤い光。吸収し、身を震わせる物体Ｘ。
「……喰った？」
「な、なんで！？」
「おそらく、足りないマグネタイトを補おうとしているのよ」
　召喚者を喰らったマーラはわずかに身を震わせると、うぞり、と体の向きを変えた。
「うわっ！　なんかこっち見た！？　……ような気がっ！」
　目らしきものが無いので実際のところはわからない。ただ、意識がこちらに向いたことだけは感じられた。
「召喚されてしまった以上、倒すしかないわね。幸い不完全な状態のようだし」
　志摩子の言葉に祐巳は頷く。一人じゃなくて良かったと心底思う。
「スライムっぽいから炎とかよく効きそうだよね」
　杖の先端から瞬時に炎が発生。
「アギダイン」
　おなじみの火炎呪文が唸りを上げてマーラへ向かう。
　着弾。したと見えた瞬間、ギチリ、と表面で何かが擦れるような音がする。直後に轟音。そして爆炎。圧倒的な火力で焼き尽くす。祐巳お得意のやり方だ。
　が、爆煙がはれた後には無傷の魔王が平然と、でろでろと蠢いていた。
「レジストされた？」
　志摩子の、驚いたという程ではないが意外そうな声。
「腐っても魔王、ですね」
「ホントに腐ってるみたいなのが凄く嫌なんだけど」
　祐巳の呟きに、乃梨子は苦笑しつつ同意。
　一口に魔法が効かないといっても、その原因はいくつかある。
　１つは一般的な属性相性。特定の属性魔法が効かないケースだ。炎の巨人スルトのように炎を纏った姿に火炎系の呪文が効かないのは感覚的にわかるだろう。
　１つは魔力による対魔法防御。属性とは無関係に、攻撃の魔力に防御の魔力をぶつけて相殺するというニュアンスが近い。防御魔法も含めて、単純に攻撃力と防御力の力比べだ。
　１つは『魔法無効』や『魔法反射』等の特殊属性。個々の持つ特性や呪文等のレアスキル、同じ働きをするレアアイテム等。
　１つは魔力の無効化。これはジャマーのようなもので、魔法をではなく魔力結合、魔力による効果そのものを打ち消し、魔法の発動自体を抑えるものだ。
　いずれにしろ厄介なことに変わりはなく、不完全とはいえ魔王には違いなかった。

「ζΘ∝δψ！」

　軋むような咆哮とともに、身を震わせたマーラから放たれた衝撃波が一行を襲う。
　ガードに入る乃梨子を制するように、志摩子が一歩前へ出る。その動きと同時に流れるような動作で抜刀。
　抜き打ちでその衝撃波を切り裂いた。だけに留まらず、斬撃がそのまま衝撃波を切り裂きながらマーラへと到達し、見えない刃がその体をも切り裂いた。
「こちらは効くようね」
　志摩子はそう呟いて振り返る。
　そんな器用なマネのできない祐巳はとっさに魔力による対物理障壁を張っていた。魔力制御の訓練の成果だ。
　やはり、と志摩子は思う。パワーはあれど、ひどく拙かった祐巳の魔力制御が格段に進歩している。
「祐巳さん、ケルベロスを」
「え？」
「魔法は効かなくても、物理攻撃は効いたわ」
　祐巳の武装は杖だ。打撃戦用の特殊な機能でも無い限りは、魔法戦に特化しているのだろう。つまり、直接戦力としてはアテにしない（できない）ということだ。そう判断して、志摩子は首から下げていたクルスに手を添える。
　祐巳が指を打ち鳴らしながらケルベロスを呼ぶ。指が鳴らないのはお約束だ。
　微妙にへこんでいる祐巳の横で、志摩子も２体の天使を召喚する。下級二位第８階層の天使『アークエンジェル』と中級三位第６階層の天使『パワー』。どちらも戦闘に向いた天使だ。不完全とはいえ魔王相手にどれほど有効かは疑問だが。
　マーラは身を震わせ、淡い光を発すると見る間に傷口が塞がっていく。
　「うわっ、インチキ」
　ケルベロスと２体の天使が左右から、志摩子と乃梨子は正面から攻撃。祐巳は後方でサポート。志摩子の指示で戦闘再開。
　急激に膨れ上がる魔力に、志摩子は思わず振り返った。
「祐巳さん、何を？」
「反射されないなら、試してもいいよね」
　通常の攻撃魔法は魔力に属性を付加させる形で発現させる。その方が発現させ易いし、付加属性による追加効果（燃やす等、実際にはメインの効果）が期待できるからだ。
　しかし今祐巳から感じる魔力はいつもの火炎属性ではない。ただ純粋な魔力のみだ。溢れ出し、荒れ狂う魔力が杖の先に集束する。
　志摩子がとっさに思ったのはメギド（万能属性）系呪文だ。万能属性魔法と言われるそれはあらゆる属性に有効で、魔法でありながら『魔法無効』系の特性すら無視してダメージを与えるという摩訶不思議な呪文だ。基本は集団攻撃用で、派生形もメギド（基本）、メギドラ（中位）、メギドラオン（高位）という特殊な魔法だった。
　だが、違う。
「乃梨子ちゃんどいて！」
「えっ！」
　２連撃を叩き込んだ直後の乃梨子が慌てて跳び退く。
「いっけえぇぇぇーーー！」
　腰を落とし、反動で体が後ろに流れるのに耐えつつ祐巳はその一撃を放った。
　圧縮され、練り込まれた膨大な魔力が一気に開放される。純粋に魔力のみによる砲撃。それは、しいて言うなら無属性魔法とでもいうべきものだった。
　ギシリ、と何かが擦れ軋むような音がする。マーラの表面にぶつかった力が悲鳴を上げる。
「貫けぇー！」
　祐巳の声に呼応するかのように、目に見えない波紋が起こり、ビキィと何かが割れた。
　魔王の体を大出力の魔力が貫く。貫通した部分がごっそりと消滅した。
　杖の捩れた螺旋の一部が開き、そこからバシュウと余剰魔力が放出される。祐巳は荒い息とともに膝を付いた。
「うまくいったぁ」
　見ていた乃梨子はあっけにとられ、志摩子の口元に本人も自覚していない笑みが浮かぶ。
「神の……裁きを」
　使ったことはない。だが今なら使える気がした。大天使に見出され、その加護を受けている志摩子だからこそ可能な魔法を。

　　シナイの頂より来たれ契約の箱
　　神の炎にて全てを焼き尽くせ

　志摩子の体が淡く白い光に包まれる。
「メギド・アーク」
　それは集団攻撃用（実質範囲攻撃）とされるメギドラオンを集束させ、単体攻撃用にアレンジした呪文だった。アレンジ魔法にほとんど名前をつけない志摩子が唯一名前をつけた呪文だ。
「っ！」
「し、志摩子さん！」
　志摩子の指先を伝う血を見て、乃梨子は取り乱した。
　今迄の戦いの中で、志摩子が自らの血を流したことなど、乃梨子の知る限り皆無だ。どころか、返り血ひとつ見た記憶が無い。
　攻撃を受けたのではない。魔法の制御による負荷で毛細血管が破裂したのだろう。ただでさえ大魔力を必要とし、制御の難しいメギド系をさらにアレンジして集束させているのだ。制御にも膨大な力がいるし、体にかかる負担も大きい。
　神経が焼き切れそうになるのを無視して志摩子は術の制御を続ける。
　目の前の空間が白熱した。
　天から降り注いだ一条の白い光が、マーラを包み込んだ。