【2810】 他人事じゃないドリルがドリドリこれが私の答え  (いぬいぬ 2009-01-05 00:22:56)


・このSSは、新刊「ハロー グッバイ」のネタばれを含んでおります。




 予期せぬ空からの闖入者や、リリアン女学園高等部における妹誕生最年少記録更新など、色々とあった一日も、ようやく無事に終わりを迎えようとしていた。
 祥子たち卒業生を中心にした山百合会(+元山百合会)の面々は、記念撮影を始めようとてぐすね引いて待つ蔦子の元へと連れ立って歩いていた。 
 どこからか聞こえるウグイスの鳴き声に耳を傾けながら、祥子は感慨深げにつぶやく。
「 不思議な気持ちね… 」
 姉のつぶやきに、祐巳は「 何がですか? 」と顔で問いかけている。
 妹のいつもと変わらぬ表情の分かり易さに笑いつつ、祥子は祐巳の「問いかけ」に答える。
「 今、自分がどういう気分なのか分からないのよ。卒業して寂しいような… でも、全てが終わってほっとしているような… 複雑な気分 」
 祥子はそう言うと、今の気分を良く表しているような、寂しさと晴れやかさが入り混じった何ともいえぬ笑顔を見せる。
 祥子の感じた複雑な気分。それは、終点にして始点であるという二面性を持つ「卒業式」という門をくぐった者たち全てが持つ感想であろう。
 終わりの後の始まり。
 別れの後の出会い。
 「これまで」と「これから」が交わる、昼と夜のはざまに一瞬だけ見える、濃い蒼を映し出す空のような時間。
 人生の中でふと立ち止まってしまったかのような今、確かに分かるのは、これから何かが変わってゆくということだけ。
 どこか遠くを見ているような祥子の複雑な笑顔を、しっかりと目に焼きつけながら、祐巳は姉の言葉に応える。
「 ミルクティーみたいですよね… 」
「 ミルクティー? 」
 不思議そうに問い返す祥子に、祐巳は目を閉じ、そっと胸の辺りを両手で押さえながらつぶやく。
「 ミルクと紅茶みたいに気持ちが溶け合って、この辺をじわっと暖かくしてくれるみたいな… 」
 祐巳は目を開けると、祥子の目を見ながら微笑む。
「 “それまで”の疲れとかを優しく溶かしてくれて、“それから”先へ進む力をくれるような… そんなところが似ているかなぁって 」
「 なるほどミルクティーね。なかなか上手いことを言うわね 」
 妹のたとえに祥子は感心しつつも、そんなふうに冷静にたとえ話ができる妹に驚いていた。
( 本当に、最後まで私を驚かせてくれる妹だこと )
 大好きな姉にほめられて微笑む祐巳につられるように、祥子もそれまでとは違う晴やかな笑顔を浮かべた。
「 なんて… 実は中等部の卒業式の時に思ったことなんですけどね 」
 祥子と入れ違うかのように、今度は祐巳が複雑な笑顔を浮かべた。
「 高等部の卒業式はまた違う気持ちになるのかなぁ… 」
 一年後の自分を探すかのように、祐巳は遠い目をしてつぶやく。
「 そう… 違うかも知れないわね。いえ、きっと違うものよ 」
 祐巳の肩を抱きながら、祥子は優しく答える。
「 私には私の、そして、祐巳には祐巳の“卒業”が来るわ 」
「 お姉さま 」
 見つめ合う祐巳をそっと離すと、祥子は優しく祐巳のタイに手を伸ばす。
「 でもね、きっと祐巳にも私みたいに… いいえ、私よりも素晴らしい“卒業”が訪れるわ。だって、あなたは私の自慢の妹だもの 」
 そう言って微笑む祥子の笑顔が眩しくて、祐巳はようやくおさまったはずの涙がまたあふれ出してきた。
「 …ありがとうございます、お姉さま 」
 涙がこぼれ落ちそうな祐巳に、祥子がハンカチを差し出そうとすると、祥子よりも早く、横から別のハンカチが差し出された。
「 鬼が笑いますわよ、お姉さま 」
 やや不機嫌そうな顔でそう言ったのは、瞳子だった。
「 来年の話よりも、まずはきちんと紅薔薇さまらしくなっていただかないと困りますわ 」
 泣き虫なお姉さまにはっぱをかける意味もあるのだろうが、瞳子の表情から察するに、大好きなお姉さまを祥子に独占されるのが我慢ならなかったのだろう。たとえ祥子が卒業する今日という日であっても。
 差し出されたハンカチと瞳子の顔を見比べ、祐巳は少し考えたあと、頑張って微笑んでみせる。
「 もう、瞳子は容赦無いなぁ 」
「 …お姉さまが卒業するなんて悲しいことを言い出すからいけないんです 」
 とりあえず祥子から祐巳を引き剥がしたことにほっとしたのか、瞳子の口から思わず本音が出る。
 ハンカチを握り締めたままうつむいてしまった妹を見て、祐巳はぎゅっと目を閉じ、涙を追い出した。
「 うん、そうだね。一年後のことよりも、まずは紅薔薇さまとして頑張らないとね! 」
 そう元気良く言いながら、祐巳は瞳子の手をハンカチごと両手で包み込む。
「 でも、こんな頼りない紅薔薇さまだからね、瞳子が頑張って支えてくれないとダメだと思うよ? 」
「 言われなくとも支えます 」
 瞳子はつんと横を向きながらそう応えると、消え入りそうなほど小さな声でこう付けたした。
「 ……他の誰にも、その役目を譲る気はありませんから 」
 顔が赤くなったことを自覚したのか、そのまま顔を背けている瞳子。
 そんな、器用に見えて実は不器用な妹が愛おしくて、祐巳は瞳子を力いっぱい抱きしめた。
「 ありがとう、大好きだよ瞳子! 」
 真っ直ぐな祐巳の愛情を受け、瞳子は少しの間黙っていたが…
「 ………わ、私もです 」
 耳まで赤くしながらも、ちゃんと祐巳の愛に応えたのだった。
 やはり、消え入りそうなほど小さな声だったけれど。
 新しい紅薔薇さまと紅薔薇のつぼみの確かな絆を見て、祥子は思う。
 ああ、もう私がいなくても、祐巳には支えてくれる妹がいる。
 これで、本当に何の心残りも無く、私は旅立てる。
 それが嬉しくもあり悲しくもあり、祥子はまた複雑な… でも先ほどよりも晴やかな笑顔を浮かべた。
 祥子の視線の先で、やっと顔を上げた瞳子と祐巳が見つめ合っている。
( でも… やっぱり少し羨ましいわね )
 どうせ明日からは私という邪魔者もいなくなるのだ。祥子はそう思い、いたずらな笑顔を浮かべる。
 最後に孫をからかってみるのも面白そうだと思い、祐巳と瞳子の間に割って入ろうと、二人ほうへと一歩踏み出そうとし…
「 やっぱりニックネームがあったほうが良いと思うんですよ 」
『 うわぁ!? 』
 いちゃいちゃと見つめ合うふたりの間に、突然にゅっと現れた顔に驚き、祐巳と瞳子は揃って悲鳴を上げた。
「 …な、菜々ちゃん? どうしたのいきなり 」
 いくらか回復の早かった祐巳が、突然の闖入者… 菜々にそう問いかける。
 その横では、瞳子が「 良いところで邪魔しやがってこのアマ 」とでも言いたげな顔で、視線に殺意すら乗せて菜々をにらんでいた。
( …やらなくて良かった )
 自分のやろうとしていたことを奪われ唖然としていた祥子だったが、瞳子のあまりにも強烈な拒否反応に、やらなくて良かったと心底思ったりしていた。
 祥子がほっとしている横で、菜々は冷静に祐巳の問いかけに答える。
「 だからニックネームです 」
「 ニックネーム? 」
 訳が分からないという気持ちを顔全体で表している祐巳ために、菜々は説明を始めた。
「 ええ、先ほど私も江利子さまからナナッチという立派なニックネームをいただいて… 」
「 ちょっと待って! そのネタまだ引っ張るの!? 」
 聖から「ノリリン」というありがたいニックネームを頂戴し、嬉しさのあまりリリアン史上初の「卒業した先輩に飛び蹴りを喰らわせた女」として歴史に名を残そうかとすら考えていた乃梨子が敏感に反応する。
 珍しく大げさな反応を見せる乃梨子と対照的に、菜々はごく落ち着いた声で答える。
「 ええ引っ張りますとも。…もしかして乃梨子さまはイヤなんですか? 」
「 もしかしなくともイヤに決まってるでしょ! 」
「 ニックネームというものは、親しみを込めた呼び名ですよ? 」
「 親しみどころか嫌がらせにしか思えんわ!! 」
「 またまた、そんな照れ隠しをしなくとも… 」
「 全力で嫌がっとるんじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 」
 突然始まった白対黄のつぼみ対決に、姉との時間を邪魔された瞳子までがあっけにとられた顔になる。
( …ちょっと、この突発性問題児のお姉さまはどうしたのよ? )
 唐突に乃梨子と言い争い… と言うか、一方的に乃梨子をもて遊びだした菜々を見ながら、祐巳は菜々のなりたての姉、由乃の姿を探した。
 キョロキョロと辺りを見回すと、由乃はすぐそばにいたのだが、先ほど黄薔薇姉妹のスール成立の時に肩を抱いてきた令と、いまだに絶賛いちゃいちゃ真っ最中だった。
( おーい! 自分こそ妹といちゃいちゃとかいちゃいちゃとかいちゃいちゃとかしなさいよ! このなんちゃって武士!! いや、回りの助けが無いとスールも作れない、なんちゃってヘタレ武士!! )
 祐巳は、勝手に令の“ヘタレ”の称号を由乃に受け継がせ、全力でそう叫んだ。
 実際に発声すると、ぐーで殴られた後に自分の百倍の罵詈雑言で罵られそうな気がしたので、心の中だけで。
 実際には、いまいち迫力の出ないタレ目でにらむにとどめた程度だったりする。
 肝心の由乃はと言えば、完全に令と二人だけの世界を作り出し、こちらには全く気づいた様子も無い。
 そんな由乃の姿を見て、菜々がむっとした顔になる。
( ああ、せっかく姉妹になったばかりなのにほったらかしにしちゃうから、菜々ちゃん拗ねておかしな方向に突っ走り始めちゃったのか… )
 珍しく祐巳が真っ先に菜々の気持ちに気づいたが、あまり菜々と付き合いの無い彼女には、菜々の機嫌を直す術が無い。
 それどころか、菜々の機嫌を直せる唯一の存在である由乃が、なおも令の肩にもたれかかったまま、よりディープに二人だけの世界を醸し出したりしているので、菜々は益々不機嫌な顔になっていった。
「 私はあれが自分のニックネームだなんて認めた覚えは無いんだからね! 」
 ニックネーム断固拒否の体勢を取る乃梨子が叫ぶと、菜々はふいと由乃から目をそらし、全くひるまず話を進めようとする。
「 …それで瞳子さまのニックネームなんですけど 」
「 無視すんな! 」
「 やはり、つぼみの中で瞳子さまだけがニックネームが無いというのは問題があると思うんです 」
 菜々のこの一言に、乃梨子の反応がガラリと変わる。
「 …それもそうね 」
 優秀な頭脳で「自分以外にも道連れができそうだ」と0.01秒で判断した乃梨子は、あっさりと菜々に賛同したりする。
 これに慌てたのが瞳子だ。
「 ちょっと、私は別にニックネームなんて… だいたい蓉子さまは『瞳子ちゃんは瞳子ちゃん』だって言ってくれたじゃない! 」
 ニックネームを付けてもらうのはやぶさかでないが、この二人が絡むなら話は別である。次期暴走機関車に冷静で有能な軍師が加われば、きっと自分にとって不本意なニックネームが飛び出すであろうことは間違いない。そんな予感に恐怖した瞳子は、慌ててそう反論する。
 だが事態はもう、瞳子の反論ごときで収まりはしないところまで来ていた。
 具体的に言うと、暴走機関車にターボを効かせてくれやがりそうな元黄薔薇さま、江利子がこの騒動に気づき、目を(ついでにデコも)輝かせながら、こちらに接近中だったのだ。
「 そうね、私も瞳子ちゃんには是非ともニックネームが必要だと思うわ 」
 天使のような微笑で、実は「面白そうだから」という悪魔のような理由のみで、江利子も菜々に賛同する。
「 やっぱりニックネームで親愛の情を込めて呼んでこそ、姉妹の絆は深まるというものよ 」
 もっともらしい理由を0.2秒ででっち上げ、さも「私は紅薔薇姉妹のためを思って言っているのよ?」とでも言いたげな顔で、呼吸するが如く平気でウソを吐く江利子。
「 あ〜、瞳子ちゃんだけ仲間外れっていうのも可哀そうだしねぇ 」
 先ほど乃梨子にニックネームを付けてからかったのが余程面白かったのか、「あの感動を再び」とばかりに、聖までもがニヤニヤしながら菜々の意見に乗る気のようだ。
 さすがにこれは助け舟が必要かと祥子が思い始めた時、まるで正義の味方のように、祥子よりも強力な援軍がさっそう現れた。
「 ちょっと江利子、聖。別に姉妹の絆とニックネームは関係無いでしょう? 」
 蓉子がそうたしなめると、江利子と聖は同時に「ちっ… もう少しだったのに」と、残念そうな顔になる。さすがは元とは言え最強の紅薔薇さまである。
 だがしかし。この程度で諦めるほど可愛げのある性格なら、「すっぽんの江利子」などと呼ばれるはずが無いのだ。
「 ねえ蓉子 」
「 何よ? 」
 一瞬で余裕を取り戻し、逆に薄ら笑いすら浮かべた江利子が蓉子に問いかける。
「 そんなこと言ってあなた、実は自信が無いんでしょう? 」
「 …な、何に対する自信よ 」
「 上手いことニックネームを付ける自信 」
「 そ… そんなこと… 無いわよ 」
「 そうかしら? だってあなた、ニックネームを付けるとかの“ちょっと捻った考え方”が苦手だったじゃない 」
「 ………… 」
 紅薔薇さまの頃のように威厳に満ちた顔で江利子を止めに入ったはずなのに、逆に江利子の一言に、急にソワソワと自信無さげな顔になる蓉子。
 元三薔薇以外の面々が不思議そうな顔で蓉子を見ていると、江利子が今度は聖に向かって話を振る。
「 ねえ聖 」
「 うん? 」
「 実はね、蓉子は以前、ゴロンタをあなたがゴロンタと呼びだす前に、自分で名前を付けようとしたことがあるのよ 」
「 え? そうなの? 」
「 そうなのよ 」
「 ちょ、ちょっと江利子! あれは… 」
 江利子の一言で、何故か慌てだす蓉子。
「 で、どんな名前だったの? 」
「 それがねぇ… 」
「 ま、待ちなさい江利子! 」
 普段からは考えられないほどオロオロとしだした蓉子が江利子を止めようとするが、江利子は巧みに蓉子の手をくぐり抜け、何故か無駄に厳かな口調でその名を告げる。
「 リリアンにいるキジトラの猫だから“リキトラ” 」
 江利子の口から放たれたその名に、聞いていた一同はしばらく無言だったが、わずかな沈黙の後、いっせいに蓉子の方を向き…
「 何? その無駄に力強い名前 」
「 …もう少し捻れなかったんですか? 」
「 メスにリキトラは無いですね 」
「 まだゴロンタのほうが良いかも… 」
 容赦無い突っ込みが次々と放たれたのだった。
 順番に、メス猫に“ゴロンタ”と名づけた「オマエが言うな」状態の聖。妹で味方なはずの祥子。ほぼ面識の無い菜々。そして、何故か突然話に混ざってきた志摩子と立て続けに突っ込まれ、蓉子は一撃で立ち直れないほどのダメージを受けた。
「 なによ… 分かりやすくて良いじゃない“リキトラ”… 」
 その場にうずくまり、ブツブツと言い訳らしきことをつぶやき始めた蓉子。
 もはや彼女の心は折れてしまったようだ。
 そんな蓉子を見て、この流れを仕組んだ江利子と、流れに乗って「瞳子にニックネームを付ける」という目的を果たしたい菜々が、同種の笑みを浮かべていた。
 この時、菜々の笑顔に往年の江利子の影を見出した祐巳は、「面白いこと至上主義者な黄薔薇さま再降臨」というヤバすぎる未来予想図に、心の中の警告灯が五回点滅。それはヤ・バ・ス・ギ・ルのサイン。
 まあ、予想が予想で済めば良いが、恐らく祐巳の描く未来予想図は、思ったとおりにかなえられてゆく未来設計図とも言える訳で。
 それはともかく。
 頼みの綱である蓉子が撃沈され、瞳子は菜々と江利子と言うイヤすぎるコンビにイヤすぎる笑顔で「とんでもないニックネームを付けられる」という最高にイヤすぎる未来の予感に恐怖していた。
 このままではいけないと、事態を打開してくれる味方を探すべく辺りを見回すが…
 親友である乃梨子… は、今は菜々サイドで「イヤなニックネーム仲間」という道連れを求めて蠢く“敵”である。
 では江利子と対等に戦えるはずの由乃… は、いまだ令といちゃいちゃ真っ最中で、この事態に気づいてすらいない役立たずだ。それどころか、彼女の姿は菜々にとって「晴れて妹となった自分をほったらかしにして他の女といちゃいちゃしている裏切り者」にしか見えておらず、益々菜々の暴走を加速させる燃料でしかなかった。
 それでは乃梨子以外の白薔薇家… は、聖は聖で面白そうだといった顔で眺めているだけだし、志摩子は今話に交ざってきたばかりで、先ほどの蓉子への突っ込み以外の働きを求めるのは無理そうだ。
 ならば身内の紅薔薇家… に視線を送れば、蓉子はいまだ膝を抱えてしゃがみこんだままブツブツと言い訳を繰り返しているし、祥子は自分で蓉子をノックアウトしてしまった罪悪感からか、蓉子のフォローに必死でこちらを見ようともしない。
「 お姉さまは私の味方だけど、こういう時には役立たずだし 」
「 ………本音が声に出て私の心に突き刺さってくるよ瞳子 」
「 すみません、嘘の付けない性格なんです 」
「 こういう時は優しく騙して欲しいよ瞳子… 」
 驚くほどの潔さで祐巳を切り捨てる瞳子と、今はどうも役に立ちそうも無いという自覚からか、言われるまま反論もできない祐巳。
 君らさっき、愛と絆を確かめ合ったばかりじゃなかったのか?
「 さて。それでは瞳子さまのニックネームですが… 」
 障害が排除され、いよいよ本題に入る菜々。一方、何の打開策も見出せないまま菜々に行動を開始され、益々焦る瞳子。
 だいたい、この自分にニックネームを付けるなんてことになれば、一番目立つアレにかかわるものでしかないのは分かり切っていることだと、瞳子は自覚していた。
「 ニックネームと言えば、名前からもじるとか見た目の特徴を使うとかが相場ですけど・・・ 」
 やはり菜々は瞳子の特徴的なアレをニックネームに使おうというのだろうか?
 だがそれだけは、それだけは避けたい。少なくとも、瞳子はこの髪型に誇りを持っているのだ。だから、「ド」から始まるあのニックネームだけは、何としても避けたいのである。
「 でも、名前をもじる場合、二文字で区切りができると使いやすいですけれど、瞳子さまの場合、名前を二文字で区切るとゴロが悪いですし… 」
 だが、「ド」から始まるあのニックネームを避ける手段が思い浮かばない。「名前を使うとゴロが悪い」と、明らかに見た目の特徴を使ったニックネームにしようとする気満々な菜々に精神的に追い詰められた瞳子は、もはやこれまでかと半ば覚悟を決めつつあった。
 …が、ここで菜々の口から、予想外の言葉が飛び出す。
「 …困りましたね。見た目に分り易い特徴とかもありませんし… 」
 ………特徴が無い?
 菜々のセリフを聞き、一同は不思議そうに菜々と瞳子の特徴的なアレを見比べた。
 瞳子も思わず「 え? このギュインギュイン回りそうな髪が見えないの? 」と突っ込むところだった。
 誰もが菜々のセリフに突っ込みたい雰囲気の中、江利子だけが真っ先に菜々の真意に気づく。
「 そうねぇ… 何か見た目に特徴的なところでもあれば良いのだけど 」
 江利子が自分の意図に気づいたことに気づき、菜々は一瞬だけ笑みを浮かべた口元を即座に引き締めると、江利子のセリフにかぶせるように続けた。
「 そうですよね、何か見た目に特徴的なモノがあれば… 」
 困ったわねとでも言いたげに、じっと瞳子を見つめる二人。
 ここでようやく、乃梨子も菜々の意図に気づく。
「 ああ、瞳子の見た目に何か特徴的なところがあれば良いのにねぇ… 」
 薄ら笑いを隠そうともせず、乃梨子は真っ直ぐに瞳子を… いや、瞳子のアレを見つめる。
 そして、やっと瞳子たち(二人だけの世界な黄薔薇姉妹と、沈みゆく蓉子&それをサルベージ中の祥子を除く)も菜々の真意に気づく。
 ああ、これは突っ込み待ちなんだと。
 そして、突っ込んだら負けなのだと。
「 ものスゴイ特徴的なドリルがあるやん! 」
 そう瞳子以外の誰かが突っ込めば、それ以後の瞳子との関係にヒビが入りかねない。
 かといって瞳子本人が突っ込んでしまえば、自らドリルだと認めてしまうということになり、プライドが打ち砕かれる。
 そんな菜々の仕掛けた狡猾な罠に、誰もが言葉を失うのであった。
「 そ、そうかしら。何かあるんじゃないですか? 特徴なところ 」
 ここまで来たら、ニックネームを付けられるのは避けられそうもない。ならば、何が何でも菜々か江利子か乃梨子に「ドリル」と口に出させ、思いっきり突っ込んでやる。そう決意した瞳子は、さりげなく右手で特徴的なアレをかきあげながらそう問い返してみる。
( …さりげなさを装ってアレを強調してる時点で負けじゃないのかなぁ )
 すぐ横で瞳子の動きを見ていた祐巳はそう思ったが、イヤな駆け引きにイラついている瞳子の表情を見て、ぐっと突っ込みの言葉を飲み込んだ。
「 特徴的なところねぇ… 」
「 ありますかねぇ? 」
 だが、敵もさるもの。さりげなさを装いアレをかきあげる瞳子を見ながらも、江利子と菜々は「なんのことですか?」とでも言いたげにすっとぼける。
 明らかに視線はドリルを捕らえているのに、あえて無視する二人の様子に、瞳子のイライラは臨界点間近である。
「 な、何かあるんじゃないですか? ほら、何か! 」
 そう言いつつ、右手でふぁっさー… 左手でふぁっさー… と、交互に特徴的なアレをかき上げる瞳子。
 その度にびよんびよん揺れるアレの姿に、聖は思わず笑い出しそうになり、慌てて口元を押えて後ろを向いた。
「 どうしました? お姉さま 」
 そう言って聖を気遣い、一緒に後ろを向く志摩子。
 だが良く見れば、志摩子の肩も小刻みに揺れていた。どうやら白薔薇姉妹は、これ以上見ていると爆笑してしまうと判断し、乃梨子に後を託し戦線を離脱するつもりなようだ。
 プルプルと震える白薔薇姉妹の肩を横目に、瞳子の焦りは益々強くなる。
「 ほ、ほら! 何かあるでしょう何か! 特徴的なところが!! 」
 どうにかして菜々か江利子か乃梨子の口からアレの存在を導き出そうと、もはやなりふり構わずにアレの付け根をガッチリつかみ、ぐりんぐりん振り回し出す瞳子。
 明らかに見えているアレを完全に無視し、「何のことだろう?」という顔ですっとぼけ続ける菜々、江利子、そして乃梨子。
 もはやストレスが限界まで高まり、「 もうはっきりドリルって言えよ!! 」と瞳子が叫び出す直前まで来た瞬間、乃梨子の口から意外なセリフが飛び出した。
「 ………髪型… とか? 」
 何故いまさら?
 江利子と菜々は、せっかく瞳子を追い詰めて楽しんでいたのに、何故乃梨子がいまさら瞳子を助けるようなマネをするのだろうと不思議に思う。
 だが、一度口に出してしまったからにはもう遅い。江利子と菜々は、乃梨子の真意が読めず、彼女の顔を見ながら次の出かたをうかがうしか無かった。
 一方、瞳子は「 これでやっと突っ込める! さすが私の親友ですわ! 」とばかりに、キラキラした笑顔で乃梨子の次のセリフを待っていた。
「 そ、そうかしら? 私の髪型って特徴的かしら? 」
 心の中では「 早くドの付くあの単語を言え! 」と思いつつ、瞳子はなおも乃梨子に向けてアレをばっさばっさと振り回す。
「 そうね、あまり他には見ない髪型かと… 」
 ああ、これでやっと突っ込める。まるで犬が嬉しさのあまりシッポを振りまわすように、アレをぶんぶん振りまわす瞳子。
 横で見ていた祐巳は、そのあまりに激しい瞳子の動きに「 歌舞伎の連獅子みたい… 」とか思いながら、少しひいていたりする。
 さあ言うがいい! ドの付く単語を言うがいい!! そんな思いを込めた興奮でイヤな輝きを見せる瞳子の目を見ながら、乃梨子は落ち着いた様子で次のセリフを言った。
「 瞳子の髪型と言えば… 」
「 私の髪型と言えば!? 」
 さあ早く! 早く言って!! 「ド」の付く単語を言っちゃって!!
 右手で突っ込む気なのか、まるで卓球のラケットを構えるような体勢で乃梨子のセリフを待つ瞳子。
 そんなテンションの上がりきった瞳子の期待に満ちた目を見つつ、乃梨子は静かに続ける。
「 前髪一直線でストレートのロングだから日本人形みたいだったよね 」
「 それは『三年生を送る会』の時だけだし日本人形はアナタでしょう!! ってイヤァァァァァァァァァァァァァァ!!! 何? この突っ込んだのに突っ込みきれてない感覚!!! 」
 秘儀『半端突っ込み生殺し』
 乃梨子は瞳子に「突っ込めると思わせておいて別のことを突っ込ませる」という、突っ込みにとってみれば消化不良な感覚を残すだけというイヤな高等技術を使うことにより、瞳子にさらなるストレスを与えたのだった。
「 ああああああああ!! 余計イライラするぅぅぅぅぅぅ!!! 」
 さんざんじらされた挙句、結局は思うとおりに突っ込みきれなかったストレスから、瞳子は激しく頭をかきむしり始める。
 それを見て、菜々と江利子は「 ああ、何だか良く分らないけど、さらに追い込めたんなら良いか 」と納得し、ニヤリと笑いながら瞳子を眺めるのだった。
 結局「ド」の付く単語が出てこなかったので、ストレスから半狂乱に陥っている瞳子。そんな妹の姿を見て、今の瞳子を助けられるのは自分しかいないのだと、祐巳はある覚悟を決めた。
「 いやぁぁぁぁぁ!! もう誰かはっきり言ってぇぇぇぇぇぇぇ!! 」
 叫ぶ妹の姿に、もはや一刻の猶予も無いと判断し、祐巳は瞳子に向けて、きっぱりと「あの単語」を言い放つ。
「 瞳子! そんなにかきむしったらドリルが取れちゃうよ!! 」
 その瞬間、確かに祐巳は見た。瞳子の目が喜びに輝くのを。
「 ドリルって言うなぁぁぁぁぁぁぁ!!! 」
 
 す ぱ ー ん ! 

 小気味良い音をたて、見事祐巳の後頭部に決まる瞳子の突っ込み。
( お姉さま、おかげでスッキリしましたわ! )
( 良かったね瞳子。でもできればもう少し手加減して欲しかったよ )
( お姉さま、それは無理な相談ですわ )
( いや無理とか言わないで… 頭がジンジンするから、突っ込みの手加減を覚えようよ瞳子 )
( 前向きに善処しますわお姉さま )
( 何? その政治家の答弁みたいな玉虫色の返し )
 一瞬のアイコンタクトで瞳子とそんな会話を交わした後、突っ込みの破壊力に負け、ぱたりと倒れ伏す祐巳。
 自ら体を張って瞳子を救った祐巳の「姉の愛」に、江利子と乃梨子は驚愕し、菜々は何やら羨ましそうな顔をしていた。
 …いや、ココは別に羨ましがるところじゃないと思うよ?


 そして、途中からこの騒ぎに気づき、蓉子をはげましながら一部始終を見ていた祥子は思った。「私にはああいった愛の形を体現するのは無理」と。
 
 ああいうノリに染まる前に卒業できて良かったのかも。そんなことも思いつつ、今日卒業できた喜びを噛みしめる祥子だった。
 
 

 
 


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