今年もやって来た、恒例の山百合会主催の一年生歓迎式。準備の為に何時もよりも早い時間に薔薇の館にやってきた祐巳は、テーブルの上に見慣れない箱を見つけた。
(なんだろう、これ?開けて…いいのかなぁ)
特に包装もされていないその箱を見つめ思案していると、階段の軋む音が聞こえてきた。
「ごきげんよう」
挨拶と共に入って来たのは、黄薔薇さまこと島津由乃さん。その後には今日の主役の一人でもある新一年生の有馬菜々ちゃんも居る。
「ごきげんよう、由乃さん、菜々ちゃん」
「ごきげんよう、祐巳さま」
「ねぇねぇ祐巳さん、これ何?」
鞄を置こうとテーブルに近寄った由乃さんは当然それを見つけ、祐巳に聞いてきた。
「さー?私が来たときには既に在ったよ」
「ふーん、何が入ってるんだろ?」
「勝手に開けちゃダメだよ、まだ誰の物かも判らってないんだから」
しかし、祐巳の言葉を掛ける前に由乃さんは箱を開けてしまった。
「もう、由乃さん!開けちゃダメだって言ってるのに」
「まぁまぁ祐巳さん、固いこと言わないでよ。それよりこれ、誰が置いて行ったんだろう」
「こ、これは――」
後から覗き込んでいた菜々ちゃんが中身を見て驚きの声を漏らす。同時にビスケット扉が開き、白薔薇さまである藤堂志摩子さんとその妹の二条乃梨子ちゃん、次いで祐巳の妹の松平瞳子がやって来た。
「志摩子さん、これ…志摩子さんが持ってきたの?」
「いやだ、祐巳さん。昨日は皆揃って学校を出たじゃない」
「そうだよね…って事は乃梨子ちゃんでも瞳子でも無いよね?」
「はい、私も初めて見ました」
「同じくです、お姉さま」
志摩子さんの否定の言葉に続き、二人も首を振っている。
(ん〜、一体誰がこんな物を…)
「お姉さま、一度羽織ってみては如何です?」
考え込もうとしていた祐巳の耳に、そんな声が聞こえてきた。
「ちょ…ダメだよ、そんな勝手に」
「いいじゃない祐巳さん、元通りに戻しておけばばれないって。それに私、こういうの一度着てみたかったのよね」
「もう…知らないからね」
「そうだ、折角だから祐巳さんも志摩子さんも着てみようよ!丁度三着有るんだし、しかも紅・白・黄と三色揃ってるんだしさ」
祐巳も志摩子さんも、当然由乃さんの提案には反対だったのだが……イケイケ青信号の由乃さんがそれ位で留まってくれる筈も無く、結局は押し切られる形になってしまったのだった。
まさかそれがとんでもない事になるとは、この時は思いもして居なかった。
「ぬ、脱げない!!」
そろそろ薔薇の館を出てお聖堂へと向かおうかと言う時になって。
羽織っていたそれを脱ごうとした祐巳は叫んでいた。
「ええええ!!」
「ちょっ、祐巳さん嘘でしょ?」
「本当だって」
「…あら、本当ね」
「志摩子さんまで冗談…あれ、本当だ、脱げない」
いくら頑張ってみても、それは吸い付いたかの様に、いや呪いでも掛かっているかの如くに体からは離れてくれないのだ。
「ちょっと瞳子、引っ張ってみて」
「は、はい」
うーんうーんと力を込めて引っ張るも、やはり現状は変わらずである。
とそこで乃梨子ちゃんが、あっと大きな声を上げた。
「乃梨子、どうしたの?」
「祐巳さま、さっき呪いとかって思いませんでした?」
「…良くわかったね」
「お顔がそう言ってましたから」
またここでも百面相していたらしい。
「それがどうかしたの?ハッ…もしかして!」
「ええ、呪い…掛かってたみたいです」
申し訳なさそうに呟く乃梨子ちゃん。それを聞いた由乃さんは『おのれあの凸め』と悔しそうに呟いていたが、それは無いだろう。だっていくら面白いもの好きの江利子さまだとは言え、呪いにまで手を出すとは思えない。しかも歓迎式のある大事な今日と言う日に、こんな手の込んだ事をするだろうか。
(でも、あの江利子さまだもんね。しないとは言い切れないか…)
祐巳がそんな失礼な事を考えていると、遮るようにして乃梨子ちゃんの声が聞こえてきた。
「多分これは…この世界の物じゃないですね」
…は?
一体何を言い出すのだろう。
「皆さまはパラレル・ワールドってご存知ですか?」
パラレル・ワールド?
「ええ、四次元宇宙に、この世界とともに存在しているとされる異世界のです。簡単に言いますと並行世界とでも言いましょうか。この世界とほぼ同一の世界で在りながら、どこか微妙に違う世界の事です」
「そんな世界、在るわけないじゃない!仮に在ったとして、これとどう繋がるって言うのよ!」
「昨夜、凄い雨だったじゃないですか。しかも雷まで。その影響で時空に歪が生じたのでは無いかと…」
「乃梨子、貴女やけに詳しいですわね」
「そりゃね、私が読むのは何も仏像関係の本ばっかりじゃないもの。SFとかも読むし、そう言った物語の中じゃ定番の設定だしね」
――定番
果たしてそうだろうか?
祐巳もSF小説は何度か目にした事は有るが、彼女が言うパラレルなんとかって話は読んだ事が無いのだ。
「あのぅ、それは兎も角…どうするんですか?」
「ん?菜々どうしたの?」
「もうすぐ式が始まる時間では?」
「「「あっ!」」」
菜々ちゃんの言葉に、祐巳を始めとする薔薇様三人が揃って時計を見る。
「うわっ急がないとやばいわよ。薔薇様たちが遅刻だなんて、洒落にならないわ」
「で、でもどうするの、この格好?」
「仕方無いわ、このまま行きましょう」
こうして、今年の新一年生歓迎会は
【 紅 薔 薇 】
【 白 薔 薇 】
【 黄 薔 薇 】
の刺繍を背負った特攻コート姿の薔薇様が繰り広げる事となり――伝説となったのである。
<おわり>