注意事項:この話には原作のネタバレしかありません。
ある日の薔薇の館。
祐巳と由乃が瞳子の入れたお茶で一息ついていると誰かがバタバタバタっと階段を駆け上がってきて、勢いよくビスケット扉を開けた。
「事件です!」
「ごきげんよう」
「ごきげんよう。乃梨子ちゃんどうしたの?」
いつもならちゃんと挨拶する乃梨子が挨拶もせずに、刑事ドラマの新人刑事のようなセリフと共に現れたのだ。一体何事かと祐巳と由乃は身構えた。
「事件?」
「これを見てください」
乃梨子は手にしていたプリントをバンっと机の上に広げた。
「これは某gokigenyouなHPをプリントしたものね」
「このページなら私もお気に入り登録しているよ。でも、何が問題なの?」
祐巳は首をかしげた。
「ここです」
「あ」
乃梨子が指さすところを見て一同は青ざめた。
「こ、これは……」
「ごきげんよう……どうしたの? みんな、深刻な顔をして」
志摩子は部屋に入るなり、一同の異様な表情を見て聞いた。
しかし、誰もがうつむいて答えようとはしない。
「乃梨子、何かあったの?」
お姉さまに聞かれて答えないわけにはいかない乃梨子が代表して答えた。
「『お釈迦様もみてる』の2冊目が発売になるんです」
「まあ……」
志摩子はそう言ったきり言葉が出なくなった。
「無理もありません。企画一発物と侮っていた『お釈迦さまもみてる』の2冊目がまさかこのタイミングで発表されるだなんて……」
乃梨子は下唇をかみしめた。
ガタン、と音がすると、瞳子が膝をついて崩れ落ちていた。
「瞳子!!」
祐巳が駆け寄って瞳子の肩を抱いた。
「瞳子ちゃん、わかるわ。せっかく姉妹になったのに、『薔薇の花かんむり』では3年生を送る会で忙しくてイチャイチャできず、『キラキラまわる』では祐巳さんは祥子さまとイチャイチャ、『マーガレットにリボン』でちょっとだけイチャイチャできたかとおもったら、『卒業前小景』ではやっぱり祐祥、そして『ハローグッバイ』で──」
「もうやめて! 由乃さん!」
祐巳は声を荒げて由乃の話を遮った。
「ごめん、瞳子。私のせいだ。私が『特別でないただの一日』のラストのお姉さまのセリフを『瞳子を妹にしなさい』の意味だと正しく解釈できていれば、私達はもっと早く姉妹になって、『妹オーディション』でパニックになる由乃さんを尻目にイチャイチャできたんだ。ごめん」
祐巳は泣きそうな顔で瞳子に頭を下げた。
「お姉さま……」
瞳子は首を横に振った。
「悪いのは私もです。私も『未来の白地図』から『大きな扉小さな鍵』あたりでは意固地になりすぎました。お姉さまと真正面からぶつかっていれば単行本1冊くらいで済んだ事だったのに……」
「瞳子……」
ひしっと抱き合う紅薔薇姉妹。
「まあ、2人の世界に入った人達は置いといて、話を戻しましょう。問題はあの話の2冊目発売よ」
由乃は機嫌悪そうに席に着いた。
志摩子も席に着く。
乃梨子がお茶の準備をし、祐巳と瞳子も落ち着いたのか、席に戻った。
「状況を整理しましょう」
志摩子が一同を見回してから言った。
「『ハローグッバイ』において書かれていた『─了─』そして、あとがきにおいての『今後は形を変えて』という言葉。そして今回の出来事」
「うかつでした。てっきり『祐祥編』が終わって、次からは『志摩乃梨編』に戻ると思っていたのに」
乃梨子が悔しそうに言った。
「乃梨子! これからは『祐瞳編』よ! それに戻るとは、何よ?」
乃梨子の言葉に瞳子が反応する。
「『志摩乃梨編』はこの世に『マリア様がみてる』という作品が読み切りで誕生した時のエピソードで、単行本では『チェリーブロッサム』収録の『銀杏の中の桜』として収録されました。この事から考えて元祖は『志摩乃梨編』、連載にあたり登場した『祐祥編』は究極のスピンオフといっても過言ではありません」
乃梨子の説明に険しい顔をして瞳子がガタンと音をたてて立ち上がる。
「乃梨子、口を慎みなさい」
志摩子が静かにたしなめる。
「仲間割れしている場合ではないわ。これは『マリア様がみてる』の形が変わった物語が『お釈迦様もみてる』になってしまうという私達の存在理由がかかった問題なのよ」
乃梨子は止まらなかった。
「私は、その……この際だから言ってしまいますが、もっと姉妹になってからの志摩子さんと私のいろいろなエピソードを描いて欲しかった。でも、私はお姉さまを困らせて大騒ぎした後自己完結したり、問題を起こしてお姉さまの新たな魅力を引き出したりするようなキャラクターじゃないし。志摩子さんだって、妹を振り回して傷つけながら好きだからで済ませたり、立て続けに問題を起こしてリリアンかわら版にネタを提供し続けるようなキャラクターじゃないし……何よりも、私は志摩子さんを困らせたり、悲しませたり……そんな事、私には出来なかった。たとえ空気薔薇と言われても、私は志摩子さんに微笑んでいてほしかった。全ては志摩子さんの微笑みを独占しようとした私が……私が……」
乃梨子は涙を流し、語った。
「乃梨子……。私も努力はしたのよ。でも、後付けされた家庭事情は学園モノではうまく生かしきれない内容で不発になってしまって……」
志摩子はハンカチで乃梨子の涙を拭きながらやさしく言った。
「いいじゃないそれでもっ!」
黙って聞いていた由乃がついに爆発した。
「私は確かに問題も起こした。出番もあった。『令ちゃんのばか』と言い続け、菜々と出会い、振り回されるお姉さんキャラにっていうオイシイところがあったのに、4期アニメでは次回予告の15秒ですべて片づけられたのよ! そして、菜々と妹になった本に『─了─』って……それならばいっそ、イチャイチャし続けた空気薔薇の方が気持ちがいいってもんだわ!」
祐巳と瞳子はうつむいた。
ピザ○ットのせいにしてしまう事も出来たが、それを自分たちが言うわけにはいかない事はよく心得ていた。
「……話を戻しましょう」
志摩子は乃梨子が落ち着いたのを見計らってから言った。
「『マリア様がみてる』は現在単行本未収録の短編がいくつかあるわ。そして、短編集が出る時は必ずそれをつなぐ形で表題作が書き下ろされる。まだ、何もかもが終わったというわけではないはずよ」
一同の目に希望の光がともった。
「そうだよ!」
「たしかにそうですわ!」
「そういえば、5月号にも短編が載るんだよね。特集も組まれるし」
「甘いわね」
薔薇の館に聞き覚えのある声が響き渡った。
一同は辺りを見回す。
流しの扉ががたがたと音を鳴らす。
「え!?」
一同が注目して見ると扉が開くとそこからはなんと小笠原祥子さまが現れた。
「お、お姉さま!?」
「何でそんな所から!?」
「ごきげんよう。小笠原の力で、ここは隠し通路にしたのよ。祐巳に何かあったとき駆けつけられるようにね。ちなみに隠しカメラと隠しマイクで薔薇の館の様子は24時間把握できるわ」
「そんな、無茶苦茶な」
無視して祥子は埃を払って席に着く。
祐巳は反射的に祥子にお茶を入れていた。
全員が席に着いた。
「今までの話を聞いていたけれどあなた達、甘すぎるわよ」
「な、何がですか?」
祐巳は恐る恐る聞いた。
「『お釈迦様もみてる 学院のおもちゃ』の発売日を知っていて?」
「このHPによると4月1日……あっ!」
祐巳は血の気が引いて行くのがわかった。
「さすがに気づいたようね。これは『釈迦みて』主人公の福沢祐麒の誕生日、4月1日に合わせたものよ」
「えっ!」
全員が息をのんだ。
慌てて由乃と瞳子がHPのプリントを確認する。
「私達、『マリみて』の主要キャラクターで誕生日が明らかになっているキャラクター、何人いたか知ってるわよね? 聖さまの12月25日以外は明らかになっていないのよ」
「そ、それは、元々細かい設定は後付けになっている作品で、蓉子さま達のお名前も必要になってから出てきましたし、由乃さんですら、1巻では苗字がなかった……」
祐巳は力なく反論した。
「いいえ。これは重要な要素なのよ。キャラクターのプロフィールが明らかにされるとファンサイトなどでは誕生日イベントと称してそのキャラクターの特集が組まれることなどは当たり前だし、主人公の細かい設定はファンに感情移入を促すとして歓迎されている傾向にあるわ」
「つまり、それは、これからは『釈迦みて』が主流になるという事なのですか?」
乃梨子が聞いた。
「雑誌Cの傾向からいって、『釈迦みて』は続いてしまう。そして、いつしか『マリみて』は過去の作品として──」
「お待ちください」
志摩子が立ち上がった。
「さっきから『釈迦みて』なんて、略称を使っておられますが、それは『お釈迦様もみてる』派をつけあがらせる要素の1つではありませんか? 今、これだけは言っておきます。私は、今後どんなに『お釈迦様もみてる』の人気が出ようとも『釈迦みて』という略称を使って煽り立てるような真似はしません」
「志摩子……」
祥子は志摩子を見つめて呆然とした。
「あ、私わかった」
由乃が急に立ち上がる。
「この話、祐巳さんと祥子さま、瞳子ちゃんはちっとも困らないのよ。何故だかわかる?」
「私が困らないですって? 何を言うんですか? 由乃さま」
瞳子が由乃を冷やかに見た。
「まずは祐巳さん、あなたは祐麒さんの姉として確実に出番がある。いいえ、前回1人だけ抜けがけして出演してもいる」
「えっ!」
ノーチェックだったのか乃梨子が声を上げた。
「そ、それは、祐麒だけじゃ『マリみて』スピンオフは任せられないっていうか……その……」
「出たんですね」
乃梨子が低い声で言った。
「出たんですね? あんな、萌えのない作品に、主人公の姉の立場で出たんですね? 『マリみて』では祐麒さんが出ない回の方が多いのに、出たんですね」
「乃梨子」
志摩子が乃梨子を制した。
「私、出演しました」
祐巳の告白に全員から驚きとも、残念ともとれるような複雑な声が上がった。
「そう。祐巳さんはあの話が進んでもちっとも困らないのよ。それどころか、エピソードは今5月くらいだから、再び祥子さまと姉妹になって感動する場面すらあるかもしれない」
祐巳は祥子以外からの殺気を帯びた視線を感じた。
「同じ理由で祥子さまと瞳子ちゃんも困らない。それは身内が主要登場人物だから」
「あら、私は出番はなくてよ。何故なら、この時期優さんを避けてたもの。瞳子ちゃんはわからないけど」
優雅に祥子は微笑んだ。
「私だって、この時期は優お兄さまには何度かお会いしましたが、祐麒さんにお会いしたのは『真夏の一ページ』の『略してOK大作戦(仮)』が初めてです」
瞳子は反論した。
「でも、巻数が進んで、今までのエピソードの裏側が描かれるようになったら? たとえば『未来の白地図』とか。『銀杏の中の桜』の裏エピソードが『BGN』として書かれた事を忘れてはいないでしょう?」
瞳子は反論できなかった。
祥子も黙った。
「つまり、紅薔薇はあの話が進んでも困らないのよ」
由乃の意見に紅薔薇は沈黙した。
「あと、先代──先先代になっちゃったか。江利子さまたちなんかむしろ喜んでるんじゃない?」
「え?」
由乃は続ける。
「これから花寺の学園祭のエピソードが書かれたら、そこにはゲストとしてリリアンの三薔薇さまとして、当時の薔薇さまだった江利子さま達がミス花寺の審査員として登場するのよ。『マリみて』ではとっくに卒業して出番なんか見込めないけど、あの話では将来確実に出番が約束されてるんですもの」
「確かに」
「あと、志摩子さんはその時期まだ聖さまと姉妹になっていないから出番は厳しい」
「……」
「私は病気だったし。祥子さまは逃げてたけど、令ちゃんはちゃんと打ち合わせにも出ていた」
「皮肉なものね。リリアンを去った人ばかりが出番があるなんて」
志摩子さんはため息をついた。
「あ、あのう」
乃梨子が切り出した。
「それって、その話、実は『出番のない人の救済企画』って事じゃ──」
「あり得ないわ。さっき、祥子さまも言っていたけど、主人公の誕生日に発売日をぶつけてくるんですから。力の入り方が違うのよ」
全員が押し黙った。
「私達、どうすればいいんだろう?」
祐巳のつぶやきに全員が答える事が出来なかった。
「でも、皆さん、これでいいんですか? 私達はそのう……BLと呼ばれる分野の登場人物になってしまうんですよ! これは神の教えに背く大罪です!」
志摩子はきっぱりと言った。
志摩子の口からBLなどという単語が出たのには驚いたが、そこにツッコミを入れる余裕のあるものはいなかった。
「私も反対です! 直接的な表現が少ないとはいえBL小説の脇役に志摩子さんだなんて、絶対に許せません!!」
乃梨子は叫んだ。
「私だって! 私だってBL小説の主人公の姉だなんて、それは嫌」
祐巳が慌てたように言った。
「BL小説ですって!? そんな男だらけの本に何故私が出演しなくてはいけないんですの!」
祥子がヒステリーを起こしながら同調した。
「私だって反対です!」
瞳子も立ち上がる。
「私はずっと反対してたわよ」
由乃も立ち上がった。
全員が静かに薔薇の館を出て行った。
──次のニュースです。
集○社の雑誌Cの編集部に女子高生たちが押し掛け、現在も立てこもっています。
女子高生たちは「萌えない本を出すな。百合小説は文化だ」と主張しています。
「この人たち、何をやってるんだ?」
家のテレビで祐麒はそのニュースを見ていた。
そしてその犯人がよく知る人物とは全く思わず、さらに、原因が自分にあるとは知らずに見ていた。