【2897】 何味ですか?トロトロの三角関係  (柊雅史 2009-03-16 22:51:36)


「へぃらっしゃい!」
「へぃらっしゃい!」
 威勢の良い掛け声が、薔薇の館にこだまする。
 マリア様のお庭の一角に集った職人たちが――以下、省略。
 私立リリアン女学園。
 うんたらかんたらで乙女の園――のハズなんだけど。



 こんなのもう、乙女の園ぢゃねーだろう。



 とりあえず薔薇の館に突如として出現したカウンター席に腰を下ろし、由乃は状況を把握するべく視線を巡らせた。
「何握りやしょうか!?」
「何握りやしょうか!?」
 カウンターに左右に並ぶのは、壮年の男性料理人。頭に鉢巻を結び、白い割烹着を腕まくり。正に職人を絵に描いたような二人である。
「とりあえずエンガワ」
「あいよ! エンガワ一丁!」
「あいよ! エンガワ一丁!」
 揃って復唱し、見惚れるような手付きでエンガワを握る。タン、と威勢良く目の前に置かれたエンガワ2丁。口に入れれば、職人の腕も素材の新鮮さも文句のない素晴らしさだった。
 もぐもぐ、とエンガワを咀嚼して熱いお茶を一口。ふぃ〜と一息ついてから、由乃は初めてそこで、冷ややかな視線を隣の席に投じた。
「で」
 おしぼりで手を拭きながら。
「これはどういうことなの、祐巳さん?」
 由乃の問いに、2貫のお寿司を前に固まっていた祐巳さんが涙目を向けてきたけれど。
 泣きたいのは、愛すべき執務室である薔薇の館がこんな惨状になり、戸口で固まったまま動かない令ちゃんだと思う。


       †   †   †


 発端は祐巳の何気ない一言だった。
「もうすぐ卒業式ですね。やっぱりお姉さまの家では、パーティーとかやるんですか? きっと美味しいご馳走とか、出るんでしょうねぇ……」
 はふぅ、と祐巳がため息を吐いたのは、たまたまその日のお昼休みに、桂さんとK駅グルメマップで盛り上がったためだろう。
 豪華絢爛なフレンチのフルコースだとか、瑞々しいお寿司だとか、イタリアンにロシア料理に中華料理……お昼ゴハンを食べた直後なのに、お腹がぐ〜と鳴りそうになったのは、育ち盛りの高校生としては仕方のないことだろう。
 そんな昼休みを過ごしたからか。放課後にちょっとした雑談の中で、祐巳は先ほどの台詞を口にしていたのだった。
「パーティーをやる予定はないわね」
 くすくすと笑いながら、祥子さまが答えた。
「ご馳走も、どうかしらね。お母様が腕を奮って鍋焼きうどんでも作るかもしれないけれど――あまりご馳走とは言わないでしょうね」
「そうですかぁ……」
 別に祐巳が食べられるわけではないのだけど、なんとなく残念だった。TVのグルメ番組を見る心理に近いのかもしれないけれど、例え自分が食べられなくとも美味しいゴハンの話は、想像しているだけでも楽しい気分になる。それには少々、鍋焼きうどんでは物足りない。
「まったくもう、何を言い出すのかと思えば。お姉さまらしいと言えばらしいですけど、もう少しこう、色気のある話題はないのですか」
「そうは言われても……気になるじゃない、やっぱり。どんなご馳走なのかなぁって」
 苦笑した瞳子に祐巳は口を尖らせる。そんな祐巳にころころと笑いながら、祥子さまが聞いてきた。
「じゃあ、祐巳にとってのご馳走は何かしら? 祐巳なら、何が食べたい?」
「えーと、そうですねぇ……」
 うーん、とグルメマップを思い出しつつ、祐巳は力強く答えた。
「お寿司とか、良いですよね! トロとか! 私まだ、美味しいトロって食べたことないんですよ!」
 えへへ、とまだ食したことのないトロを思い浮かべて、思わず祐巳の頬は緩むのだった。


       †   †   †


「――で。昨日の今日でこんなことになった、と」
 呆れたように聞く由乃に、祐巳さんがこくん、とうなずく。
 その前には美味しそうなトロの握りが2貫。
 由乃の見立てでは、一方は大トロで、もう一方は中トロであろう。まぁ由乃も上等な本マグロの握りはほとんど食べたことがないので、TVや雑誌で見た姿と見比べての判断だけども。
「さぁ祐巳、どうしたの? 遠慮はいらないわ。マグロと言えば大間。中でも大トロは絶品よ。大トロを握らせたらこの梅さんの右に立つものはいないんだから!」
「お姉さま、遠慮なさらずに。トロと言えばなんでも大トロと言う人もいますけど、瞳子は中トロこそ至高の一品だと思いますわ。赤身と脂の絶妙なバランス――その見極めにおいて、この留吉さんの右に出るものはおりません」
 祐巳さんの左に陣取った祥子さまが言えば、右に陣取った瞳子ちゃんが挑戦的に応じる。そしてそれぞれの勧誘に呼応して、カウンターの向こうでも職人さんたちが、力強くうなずいてから、互いに睨み合っていた。
「あらあら、瞳子ちゃん。それは聞き捨てならないわね。真に上等な大トロはくどさや生臭さとは無縁。爽やかな脂の甘みが、蕩けながら口の中に広がるのよ。この大トロを食べずして、何を食べると言うのかしら?」
「お言葉ですが祥子さま。この瞳子が用意した中トロは、そんじょそこらの大トロにも負けない脂の甘みと、それを引き締める赤身が売りですわ。その絶妙なバランスこそ、お姉さまに真っ先に味わって頂かなくては」
「うふふ、言うわね瞳子ちゃん。けれど真の大トロはもはや大トロの域を超えた珠玉の一品なのよ。中トロよりもより深い旨みをこそ、祐巳には味わってもらわなくては嘘じゃなくて?」
 祐巳さんの頭の上でバチバチと火花が散る。このままでは祐巳さんの丸焼きが焼け上がり、大トロも中トロも炙りトロになってしまうだろう。
「さぁ、祐巳! この大トロを!」
「いいえ、お姉さま! この中トロを!」
 迫る祥子さまと瞳子ちゃん。どっちを先に口にするべきか苦悩する祐巳さんを前にして、互いに一歩も譲る気はなさそうだ。
 由乃がコハダや海老やつぶ貝などを味わいながら見守っていると、ついに祐巳さんが意を決したように顔を上げ――
 そしてすっとお寿司に手を伸ばした。
「――!」
「――!」
 息を詰め、見守る祥子さまと瞳子ちゃんの前で。
「い、いただきます!」
 祐巳さんは2つのお寿司をいっぺんに引っ掴むと、「むがぁ!」と大口を開けながら、一気にお寿司を口の中に詰め込んだ!!


「祐巳、なんてはしたない! お寿司は1貫ずつ食べるべきでしょう!」
「お姉さまには、テーブルマナーを一から教え込む必要があるようですわね!」
 もぐもぐと涙目でお寿司を咀嚼する祐巳さんに、左右から特大の雷が落ちている。
 そんな祐巳さんを横目に、晴れて解禁となった中トロと大トロを注文しながら、由乃は後で祐巳さんに聞いてみよう、と思った。


 初めてのトロのお味はどうだったか、と。


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