【2946】 なぜかしらそれはこの日の為に  (bqex 2009-05-13 14:51:02)


 水曜日。

「ねえ、チケット余ってない?」

 ごきげんようもそこそこに、瞳子が乃梨子さんにそう声をかけられたのは教室に入ってすぐの事だった。
 ここで言うチケットとは学園祭の入場チケットの事で、リリアンの関係者以外はチケットがなければ入場できない事になっている。
 チケットは1人5枚が配られる。瞳子のようにずっとリリアンならともかく、外部入学の乃梨子さんのように家族と友人を呼んだら足りなくなってしまう事は珍しくない。だが、学校に申請する手続きはちょっと面倒だった。

「ごめんなさい。もう、瞳子の分は行き先が決まってるから」

「あ、そうなんだ。じゃあ、他の人を当たるから。あ、百さん、ごきげんよう」

 すぐに瞳子の側を離れて乃梨子さんは別のクラスメイトに声をかけていく。
 チケットが手に入らないのか、片っぱしから声をかけて行く。切羽詰まっているのか普段あんまり話さない恭子さんにまで声をかけていた。
 まもなく、朝拝の時間になる。乃梨子さんは席に戻るが、先生が来るまでに周りの者に尋ねている。
 乃梨子さんは昼休みまでに半分以上のクラスメイトに声をかけたようだった。



 昼休み。
 今日、乃梨子は志摩子さんと講堂裏で一緒にお昼を食べる約束をしていた。
 最近薔薇の館でお昼を食べるとつい仕事をしてしまうから、たまには、と昨日帰りに誘われたのだ。

「ごきげんよう。待たせたかしら?」

「ううん。今来たところ」

 並んでお弁当を広げる。
 乃梨子は昨日の夜からの事を話し始めた。
 昨夜、友達からメールがきて、急に5人でリリアンの学園祭に来たいと言い出したのだ。
 入場にはチケットが必要だが、乃梨子の分はすでに全て出払っている。

「……でね、片っぱしから声をかけて、現在キャンセル待ちが1枚」

 今朝の思わしくない成果を披露する。

「キャンセル待ち?」

 志摩子さんが聞き返す。

「さゆりさんが、知り合いが来るかどうかわからないんだけど、来ないならくれるって」

 しかし、キャンセルされなければそのチケットは乃梨子のものにはならないのだ。

「それでチケットは何枚必要なの?」

「全部で5枚だからあと4枚かな。まあ、まだ声をかけてない人もいるから。当日までにはなんとかなると思う」

 5枚は無理だけど、と前置きして志摩子さんは言った。

「1枚ならいいわよ」

「え?」

「今は持ってないから、明日薔薇の館でね」

「いいの?」

 乃梨子は聞き返す。

「ええ。1枚分しか力になってあげられないけれど」

 ちょっと申し訳なさそうに志摩子さんは言う。

「ありがとう、志摩子さん」

「もし、どうしても集まらなかったら土曜日に言ってね。私が代わりにそのお友達をご招待するから」

 志摩子さんには、乃梨子がタクヤ君の事をなんと学校に説明してよいかわからない事もお見通しのようだった。

「ううん。それは大丈夫。なんとかするから」

 志摩子さんがそこまで言ってくれた事の方が乃梨子は嬉しかった。



 放課後。
 乃梨子は祐巳さまと一緒に花寺のメンバーを迎えに行く道すがらチケットの事を切り出した。
 祐巳さまもチケットは全部配ってしまったらしい。
 しかし、祐巳さまは考えた後言った。

「祐麒の分のチケットを取り上げよう」

 花寺学院生徒会長の祐麒さんは山百合会から1枚、祐巳さまから1枚チケットを手に入れていてチケットがダブっているので、それを都合してくれるというのだ。

 しかし、祐巳さまの目論見は外れてしまった。
 祐麒さんのチケットは柏木さんにとられてしまったという話だった。

「あんたね、大体何で学校にチケットを持って行ってるわけ? せめて家に置いておけば奪われなかったのに」

 呆れたように祐巳さまがつっ込む。

「そ、それは……」

 祐麒さんはしどろもどろになる。

「乃梨子ちゃん、本当にごめんね」

 申し訳なさそうに祐巳さまが頭を下げる。

「いいえ。お気持ちだけで充分です」

 妹でもない自分のために弟のチケットを渡そうとしてくれたのだから、乃梨子はそう思った。
 
 祐巳さまと会話をしている時に可南子さんに声をかけていない事を思い出した。
 リリアン出身のクラスメイトには片っぱしから声をかけていたが、可南子さんは外部入学で、乃梨子と同じようにチケットが足りないくらいなのではと思って始めから除外していたのだ。
 ダメ元で一応声をかけてみる事にした。

「あるわよ」

 可南子さんはさらりと言った。

「何枚いるの?」

 まさか何枚もくれるくらい余っているなんて。

「な、何枚あるの?」

「2枚……待って、4枚までならいいわ」

 可南子さんが4枚のチケットを差し出してくる。
 これを全部貰えばもうチケットは集めなくてもいい。

 でも、今の可南子さんの態度は気になった。
 本当は招待したい人がいるのかもしれない。
 私の友達を呼んで、可南子さんの呼びたい人が来れなくなるのは、それは違う。

 そう思った乃梨子は2枚だけ頂くと、ありがとう、と2枚を返した。

「どうしたの、2枚じゃ足りないんでしょう?」

 教室での会話を聞いていたらしく可南子さんが言う。

「あとはどうにかするからいい」

 その後可南子さんには男の人には渡さないでよ、と釘を刺された。
 花寺のメンバーが聞き耳を立てているのに、まったく、もう。と思いながらも、了解の返事をする。

 可南子さんのおかげであと1枚になった。
 そんな気持ちのゆとりが乃梨子にお節介させる気になったのだろう。

「可南子さん、とりあえず送ってみるのも一つの道だと思うよ」



 木曜日。
 乃梨子が昼休みに薔薇の館にきてみると由乃さまと祐巳さまがいた。
 乃梨子は由乃さまに聞いた。

「由乃さま、チケット余っていませんか?」

「ごめんなさい。うちはぴったりで。うちとお姉さまの両親、祖父母でぴったり10枚」

「失礼しました」

 由乃さまは令さまの分も一緒にカウントして内訳まで教えてくれた。令さまに当たる必要はない、という事だ。

「ごきげんよう」

 志摩子さんと祥子さまが現れた。

「そこで一緒になってね。令は、今日はクラスの方でやる事があるって」

 お茶を入れて席に着く。

「乃梨子、はい」

 志摩子さんが封筒を差し出してくる。
 一応確認すると、思ったとおりチケットが入っている。

「ありがとうございます。お姉さま」

 恭しく受け取る。

「喜んでくれてうれしいわ」

 にっこりと志摩子さんが微笑む。
 乃梨子はチケットをしまうとお弁当を食べ始めた。

 この日の放課後までにクラスメイトにはすべて声をかけた。
 これだけ声をかけて実際に譲ってくれたのは志摩子さんと可南子さんだけで、1枚がキャンセル待ち。
 リリアンのチケットがかなり貴重なものである事を改めて思い知った。



 金曜日。

「乃梨子ちゃん、ちょっと」

 放課後、乃梨子は薔薇の館で祥子さまに呼ばれた。
 階段を下りて陰の方に移動する。

「なんでしょうか?」

「聞いたのだけど、乃梨子ちゃん、チケットが足りないんですって?」

「はい」

 隠してもバレてるだろうから正直に言った。
 山百合会のメンバーなんだから、チケットが足りない時はちゃんと手続きを踏んで申請しなさいと叱られるのかと思った。

「もう人数分集まったのかしら?」

「いえ、その……」

 あと1枚足りない。

 祥子さまが乃梨子の前にチケットを差し出した。

「これを使いなさい」

「え」

 びっくりして乃梨子は固まった。

「いいんですか?」

「ええ。本当は別の方に差し上げようと思ったのだけど、その方は既にチケットを持っておられるの。そして、その方は、自分が2枚受け取るよりも、必要としている誰かがもう1枚を受け取る事を喜ぶ方なのよ」

 そう言って祥子さまは優雅に微笑まれた。
 乃梨子にはわかった。
 たぶんこれは祥子さまのお姉さまに渡そうと取っておいた分で、事情を知った祥子さまが乃梨子にまわしてくれたのだという事を。
 そして、祥子さまに事情を話したのは、きっと乃梨子にチケットを渡せなかった祐巳さまだろうという事を。

「遠慮しなくていいのよ」

「ありがとうございます」

 乃梨子は最敬礼してチケットを受け取った。
 これで後はさゆりさんのキャンセル待ちのチケットが手に入れば大丈夫だ。



 土曜日。
 瞳子は久々に薔薇の館を訪れた。
 今日は学園祭前の山百合会の劇の最終稽古だ。
 いろいろあって演劇部の方に集中していたので1週間ぶりになる。
 衣装をつけ、演じ始めるが、熱演しすぎて祥子さまに「もうちょっと抑えて」と言われてしまった。
 周りは演劇部のメンバーではなく、山百合会と花寺の生徒会メンバーなので仕方がない。

 乃梨子さんと一瞬目があった。

 乃梨子さんのチケットは1枚足りないみたいだ。
 今朝、さゆりさんに謝られ、もう全部集まって大丈夫だからとフォローしていたが、明らかに当てが外れて落ち込んでいた。
 さゆりさんとの約束は1枚。
 そして、その1枚を瞳子は持っている。

 今日、瞳子は優お兄さまに会ってチケットを渡すつもりなのだ。
 でも、優お兄さまはたぶん祥子さまからもチケットを貰っているはず。そうだとしたら優お兄さまにチケットが2枚いく事になる。瞳子の分が無くても優お兄さまは入場するのに際して何の問題もない。

「ね、祥子さま。優お兄さまに学園祭の入場チケット贈られた?」

 瞳子はそれを確認するために祥子さまに話しかけた。

「チケット? ええ、一応」

「それじゃあ瞳子が贈ったら、チケットが二重になってしまいますね。実は今夜、柏木の家に行く用があって、その時にお兄さまに演劇部のチケットと一緒にお渡ししようと思っていたのだけど、やめた方がいいですよね?」

 だが、祥子さまはこんな事を言った。

「あら、お渡ししたらよいのではなくって? 実際に使うのは1枚でも瞳子ちゃんが来てほしいという気持ちは伝わるわ」

 それは容易に想像できた。
 瞳子からの入場チケットがなくて、がっかりする優お兄さま。
 入場するのに問題はないとしても、瞳子の心はチクリとしてしまう。

「そうね。そうしますぅ」

 瞳子は無邪気を装ってそう言った。
 乃梨子さんには約束しているわけでも、余っていると言ったわけでもないのだから。これでいいのだろう。

「……2重じゃなくて3重だしな」

 話を聞いていたのか、花寺のメンバーが何やら言っている。
 3重?
 優お兄さまは他にもチケットを貰ったのだろうか?

 稽古が終った時、瞳子は妻役の小林さんを捕まえた。

「あの、私の従兄の柏木優について伺いたい事があるのですが」

 瞳子は可憐な少女の微笑みを作りながら小林さんを問い詰めた。



 夜。
 瞳子は柏木邸を訪れた。
 優お兄さまと挨拶をした後、瞳子はチケットを取り出した。

「お兄さま、これ、学園祭の入場チケットと、演劇部のチケットよ」

 どうぞと優お兄さまに渡す。

「ありがとう、嬉しいよ」

 チケットを確かめながら嬉しそうに優お兄さまが言う。

「あら、祥子お姉さまがお渡しになった時も同じように言ったんでしょう?」

「瞳子は妬いてるのかい?」

「祥子お姉さまに聞きましたわ」

「さっちゃんに聞いたのか。じゃあ、入場する時は瞳子のチケットを使うよ」

 優お兄さまはそう言ってウィンクする。

「それだけじゃありませんわ。祐巳さまのチケットまでお持ちなんでしょう?」

 瞳子が言うと、優お兄さまはちょっと驚いた顔をした。

「おや、詳しいね」

「今日、山百合会の劇の稽古の時に花寺の方に聞いたわ。祐麒さんの持っていたチケット取ったんですって?」

「ははは。あれは取ったんじゃなくって、祐巳ちゃんがくれるって約束してたんだよ」

 優お兄さまが笑いながら言う。

「祐巳さまがあげると約束したのは乃梨子さんにですわ」

「え?」

 瞳子の言葉に優お兄さまが笑うのをやめる。

「乃梨子さんのお友達が急に学園祭に来る事になって、乃梨子さんはチケットが足りなくなったのよ。それで、祐巳さまが祐麒さんのチケットを乃梨子さんにまわすって約束したのに、お兄さまったらそれをとっちゃうんだから。何枚あれば気が済むのかしら」

 ちょっと拗ねたように瞳子は言った。

「そうか、それは悪い事をした」

 優お兄さまは立ち上がって部屋を出て行った。そしてすぐに戻ってくると、瞳子にチケットを差し出した。
 受け取って裏を見ると「福沢祐巳」とゴム印が押されている。

「これは乃梨子さんのチケットだ。瞳子、すまないがお前から返してやってくれ」



 日曜日。
 乃梨子のところに瞳子から電話があったのは昨夜の事だった。
 乃梨子のチケットを渡したいから今朝、薔薇の館にきてほしいという。

「ごきげんよう」

 乃梨子は随分早く出てきたはずなのに、瞳子は既に薔薇の館で待っていた。

「ごきげんよう、乃梨子さん」

 瞳子は挨拶しながらチケットを差し出した。

「これ、いいの?」

 これを受け取れば今度こそ全員分である。

「いいも何も、あなたのチケットでしょう?」

 瞳子の言葉に乃梨子はうなずいてチケットを手にした。
 裏を見ると「福沢祐巳」とゴム印が押されている。

「あれ? これ、祐巳さまのチケットじゃない」

 乃梨子は慌てる。

「さあ? 私、優お兄さまに頼まれただけだから」

「は?」

「優お兄さまから、これは乃梨子さんのチケットだから返しておいてって頼まれただけですもの」

 ちょっと怒ったように瞳子が言う。
 少し考えて、瞳子の従兄の優お兄さまのフルネームは柏木優で、祐巳さまのチケットを取った柏木先輩と同一人物だと言う事に乃梨子は気づいた。
 そして、その優お兄さまなる人物がどうしてこのチケットが乃梨子のものだと知って瞳子に返すように頼んだのかという事もわかった。

「瞳子、ありがとう」

 乃梨子は瞳子の手を取って礼を述べた。

「わ、私は頼まれただけだって言ってるじゃない!」

 瞳子は忙しいと言っていなくなってしまった。
 乃梨子は妹のチケットを取り上げずに済んでほっと胸をなでおろした。



 おまけ
 聖が貰った山百合会からのチケットを夕子ちゃんに渡して受付に並んだ。
 蓉子は山百合会からのチケットを出す。
 聖はごそごそとバッグを探っている。

「ん? ん」

「どうしたの?」

「学生証、忘れてきたみたい」

 聖がはははと笑う。

「えっ」

 蓉子は絶句した。自分だってチケットは1枚しか持ってないのだ。自分が渡すように促したのだから、ここは自分のを聖に渡して、と思った時に聖が言った。

「仕方がない、切り札を使おう」

 と言いながら出したのは入場チケットだった。

「何でもう1枚持ってるのよ」

 内心ほっとしながら蓉子は聞いた。

「志摩子から貰ったに決まってるでしょう」

 聖はそう言ってチケットを受付に出した。
 3人はパンフレットを受け取って中に入る。
 ふと、蓉子は先ほどのやり取りを思い出して聖に聞いた。

「……ねえ、どうして私が1枚しかチケットを持ってないってわかったの?」

 蓉子が聞いた。

「バレンタインの時みたいに、蓉子は貰ってないだろうと思って──」

「あの子はそんな子じゃありません」

 蓉子は聖の足を思い切り踏んでやった。


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