新生山百合会が発足して、はや三ヶ月が経過しようとしていた。
以来、毎週のように挙がる議題が一つ。
それは、先々代紅薔薇さま水野蓉子よりの悲願、『生徒達で賑わう薔薇の館』、それを実現するにはどうすれば良いのか?ということ。
二年越しの宿願を叶えようと言うのだ、そう簡単にはアイデアも浮かばない。
先々代は、優等生の見本とも言うべき要素を全て体現した『完璧超人』とまで称された人物だし、先代小笠原祥子も、眉目秀麗成績優秀威厳に溢れたお嬢様で、薔薇さまとはかくあるべし、と言わんばかりの人物ではあったが、残念ながらと言うべきか、両者とも近寄り難い雰囲気という点では、まったく甲乙付け難い薔薇さまだったのだ。
おかげで薔薇の館は、あまりにも恐れ多くてかえって人を避けてしまう結果となる始末。
そんな二人が叶えること能わずだった事柄を、今誰に実現できようか。
だが、それを叶えることが出来そうな人物が、山百合会には一人いる。
そう、威厳とは正反対の特質である『親しみやすさ』が最大の売りである現紅薔薇さま、我らが福沢祐巳その人。
しかし、祐巳だけでは、その特質が仇となり、かえって舐められてしまう恐れがある。
そこをフォローするのが、嘗ては『妹にしたい一年生ナンバーワン』と称されるも、その実態はノンストップ内弁慶、ツッコミの黄薔薇さま島津由乃と、生粋の日本人でありながら日本人離れした容姿の、『西洋人形』と称される天然ボケのお色気担当白薔薇さま藤堂志摩子。
この最凶トライアングルがガッチリ噛み合えば、実現も不可能では無いと、事情を知る一部の生徒の間では、共通した見解となっていた。
更に、そんな薔薇さまを支えるつぼみたちも、並の生徒とは一線を画した有能な生徒会役員。
今日も彼女達は、その議題で意見を交し合っていた。
「つまり人が、まるで街路灯に集まる虫ケラのように、どうしようもなく誘われる状態にすれば良いってことですよね」
控えめに質問したのは、白薔薇のつぼみ二条乃梨子。
外部受験者でありながら主席を取り、あっと言う間にブゥトンに納まった彼女は、一年生の時点で白薔薇さま当選確実と目されて来た逸材。
彼女は先々代の紅薔薇さまは直接知らないので、そこまで真剣に論じ合う必要性をあまり感じないのだが、姉も真剣に考えている一人である以上、協力するのに吝かではないってものだ。
「その例えはどうかと思うけど、それがそう簡単に出来るなら、これまでの議論はなんだったのって話よね」
由乃が、少々呆れたように呟く。
「でも、乃梨子ちゃんの口ぶりからして、何かアイデアがあるみたいだけど」
祐巳が促すと、乃梨子は席から立ち上がった。
「一応おざなりには考えて来ました」
『おざなりかよ』
「冗談です」
一斉に突っ込む一同を、乃梨子はクールに軽く受け流す。
「で本題ですが、これを入り口のところにぶら下げておけばどうでしょう」
彼女がポケットから出した、30cm四方のハンカチのような布。
それには、波のような絵柄と共に、一文字の漢字が書かれていた。
氷──と。
意外と効果があったようで、氷の幟に誘われて、一般生徒はともかく、運動部の部長や主将といった、クラブでも豪気な生徒が数名、実際に氷を求めてやって来た。
念のため、クーラーボックスに大き目の氷とシロップ、カキ氷機(先代黄薔薇さまが、父の門下生に譲ってもらった、鉄製で重い本格的なヤツ)を準備していたので、実際に提供することが出来たのは幸いだった。
せっかく来てもらったので、二階に席を設け、軽い雑談を交えて送り出すこと十数人。
「実際に効果があったのは驚きだけど、これは乃梨子ちゃんの功績だね」
祐巳が、手放しで乃梨子を褒め称えた。
「でしょでしょ、何でもやってみるもんです」
「まったくその通りだわね。皆、次のアイデアを出して頂戴。どんな荒唐無稽でバカバカしいものでもいいから」
本格的に乗り気になったのか、由乃が促す。
「それじゃ私が出した“氷”のアイデアが、バカバカしいものに聞こえるんですけど」
由乃の発言に、ジト目で見返す乃梨子。
「はい。二番煎じと言われるかもしれませんが、提案が一つ」
「はい瞳子」
祐巳は、手を挙げた妹、紅薔薇のつぼみ松平瞳子を指差した。
同じつぼみでありまた親友でもある乃梨子に、対抗意識がメラメラ。
「クラスメイトの美術部員にお願いして、これを描いて貰いました」
彼女が取り出した、チラシのようなポスターのような紙には、こう書かれていた。
冷やし中華始めました──と。
割と効果があったようで、やはり色気より食い気の生徒達が、実際に冷やし中華を求めてやって来た。
夏もだんだんと近づき、次第に暑くなってくるこの時期、まさにタイムリーな提案だ。
資金は言いだしっぺの瞳子が、寄付という形で提供したが、準備出来る量は知れているため、一日20食限定になってしまうのは仕方がないところではあるが。
わざわざ来てもらったので、二階に席を設け、軽い談笑を交えて送り出すこと十数人。
「これも、実際に効果があって良かったわ。瞳子ちゃんの功績ね」
志摩子も、手放しで瞳子を褒め称える。
乃梨子と瞳子、ブゥトン二人が活躍し、祐巳や志摩子に褒められるのを見て、内心面白くないのが黄薔薇さま。
彼女の隣では、一年生にして黄薔薇のつぼみの肩書きを背負う有馬菜々が、カキ氷をかっ食らいつつ、冷やし中華をズルズル啜っていた。
「アンタも食べてばっかりいないで、何かアイデアを出したらどうなのよ!?」
「ぼひろんがんがべでいばずどぼ!」
「食べながら喋るな!」
麺や具のカケラが、ボロボロと由乃に降りかかる。
もぎゅもぎゅゴックン、と口の中を空にした菜々。
必ずしも完売するとは限らないので、余った分は、山百合会で始末するようにしているが、主に活躍しているのが当の菜々。
「もちろん考えていますとも!」
握り拳を固め、グッと天に突き出す。
「これまでの傾向から、生徒達を広く招き寄せる口実があれば良いという事が判明しました。そこで!」
ガサゴソと、カバンから封筒を取り出した。
「これを各所掲示板に貼り出せば、千客万来間違いなしです!」
封筒の中から取り出した紙には、こう書かれていた。
閉店セール──と。
一週間後、確かに薔薇の館には、多くの人が集まった。
しかしそれは、薔薇さまたちが望んだような形ではなかった。
『閉店セール』のポスターを見た生徒達が、何を勘違いしたのか山百合会が解散すると受け止めてしまい、継続嘆願のデモ活動として、薔薇の館を包囲してしまったのだ。
怒りの形相で叫ぶ者や、よよと泣き崩れる者など、その数は極めて多く、中等部生や大学部生らしき者まで含まれている模様。
更に、この噂を聞いたOGや生徒の家族、近隣世帯住人、花寺学院等周辺の中学高校生とその関係者から、百十二万四千六百九十一名にも及ぶ、下手な政治家なぞ足元にも及ばない量の嘆願署名が届くという、前代未聞の珍事まで巻き起こった。
なんとか誤解であることを、薔薇さま自ら説明し、ようやく納得して帰って貰ったのは良いのだが……。
その後、薔薇さま三人は、学園長にしこたま説教されてしまった。
つぼみは、薔薇さまの監督不行き届きでお咎め無しという、少々理不尽な結果に。
由乃は、菜々共々先々代に「よくやった」と称えられ(先代には苦笑いされた)、志摩子と乃梨子も先代に「面白かった」と褒められた。
しかし祐巳と瞳子は、先々代はともかく、先代にボロクソに叱られたのは、言うまでも無いお約束……。