【2961】 銀杏臭漂ういろんな武勇伝  (bqex 2009-05-31 00:10:56)


幻想曲シリーズ

※注意事項※
登場人物が天に召される描写があります。
パラレルワールドを題材にしています。
連載で【No:2956】→【これ】→【No:2964】→【No:2975】→【No:2981】→【No:2982】→【No:2996】→【No:3010】→【No:3013】→【No:3015】→【No:3020】(完結)になります。
以上を踏まえて、お読みください。



 由乃は薔薇の館を飛び出して、昇降口の方に向かいかけて苦笑した。
 こっちの世界じゃ由乃は死んでいるのだから下駄箱があるはずがない。
 仕方がない。
 上履きのまま図書館脇からマリア様の前を駆け抜ける。

「え?」

「あれ?」

「きゃっ!」

 聞き覚えのある声がしたような気もするが、今はただ家を目指して走る。
 銀杏並木を通って、校門近くで不意に現れた人にぶつかりそうになり急ブレーキをかける。
 向こうはひらりとかわしたが、由乃はバランスを崩して顔から派手に転ぶ。
 地面にキスする前になんとか手で顔だけはガードした。

「ったたた……」

「大丈夫ですか?」

 ん? この感じ、どこか覚えがある。
 つい先日。そう、あの子と会った時だ。
 顔を上げるとまさに「あの子」有馬菜々が由乃の顔を覗きこんでいた。

「うわっ」

 びっくりして思わず由乃はのけぞった。

「ごめんなさい、びっくりさせてしまったみたいで」

「べ、別に──」

 手を貸してくれようとするのを断って起き上がるとギンナンを下敷きにしてしまったらしく、悲惨な事になっていた。
 菜々も「あー」っと声にならない声をあげている。
 制服のあちこちにべったりとギンナンのシミが出来てしまっていた。

「それ、早くなんとかしないと──」

 それはそうなのだが、今はどうしようもない。

「いいわ、家は近いから帰って洗えば何とかなるもの。じゃあね、菜々」

「えっ!?」

 再び駆け出して校門を出た頃に由乃は過ちに気づいた。

 こっちの世界じゃ知らない仲なのに、菜々って呼んじゃったよ……。

 通い慣れた通学路を家まで走った。
 片道8分のところを5分で来たのだから上出来である。
 乱れた息を整えて、支倉家の門をくぐっていつものようにドアを開け、階段を駆け上がった。

「こらっ、令! 今日も出てこない気なのっ!!」

 令ちゃんの部屋のドアに向かって江利子さまが座って呼びかけて、いや、怒鳴りつけていた。
 令ちゃんってば卒業したお姉さまの手まで煩わせているらしい。
 もう、どこまでばかなのよっ。
 ダダダッと駆け上がる由乃の足音を聞いて江利子さまは由乃の方を見た。

「えっ!?」

 現れた由乃の姿を見て流石の江利子さまも仰天してらっしゃる。
 念仏を唱えたりはしないが、口を開けてのけぞって由乃を見ている。
 
「よ、由乃ちゃん!」

 江利子さまは立ち上がって由乃に近づこうとして、動きを止めた。

「臭っ」

 由乃の鼻はマヒしてしまったが、ギンナンの匂いは由乃にしっかりしみついてしまったようだった。

「ちょっと、由乃ちゃん、なんなのよお。ギンナンの上を転がったみたいじゃない」

 ええ、自発的じゃあありませんが、転げましたとも。
 江利子さまったらツボにハマったらしく涙を流しながらヒーヒー笑っている。

「令ちゃんは?」

 由乃はわざとスルーして質問した。

「え、ああ。令は生きてるはずよ。毎日ご飯は食べてるみたいだから」

 涙をぬぐいながら江利子さまは答えた。
 江利子さまの側に食事の乗ったお盆が置いてある。令ちゃんのお母さんである伯母さんが作った昼食だろう。

「ひきこもったままだって、本当なんですか?」

「ええ。自分で付けたらしくて鍵をかけてご両親とも顔を合わせようとしないのよ。何とか半年ぐらい前に、由乃ちゃんの声を録音したテープをかけて、ダンダンってドアを蹴って顔を見るのに成功したんだけど、それっきり」

 そんな事をやったのか。
 テープは祥子さまが用意したものだろうけど、蹴ったのは江利子さまだろう。きっと楽しそうに。
 「由乃ぉ」って言いながら出てきた令ちゃん、ニヤリと笑う江利子さまに襟首つかまれて引きずり出されて……ってそんなところだろうか。

「令ちゃん、令ちゃんっ! 開けて」

 試しにドアを叩いて呼びかけるが全く反応はない。同じ手には引っ掛からないという事なのだろう。

「まったく、もう……」

 なんて手間のかかる令ちゃんだ。
 由乃は階段を駆け下りて外に出ると庭の方に回った。
 目指すは庭の物置。この中にたしか……あった、梯子。
 梯子を持って令ちゃんの部屋の窓の下に立てかける。
 そして、由乃は庭の石を物色する。
 これは大きすぎる、これは小さすぎる、よし、これだ、と思ったら横から手が伸びてきて取り上げられた。
 伸びてきたのは江利子さまの手だった。

 ニヤリと江利子さまは笑った。
 どうやらこちらのやろうとしている事がわかったらしい。
 由乃も江利子さまのやろうとしている事がわかったので譲った。

 江利子さまは早速梯子に飛びつくとスルスルと上っていき、そして、石を振り上げて──

 ガシャン!

 令ちゃんの部屋の窓ガラスを割って、ロックを外し、窓とカーテンを開けてさっと中に入った。
 それを見届けると由乃も梯子に飛びついてしがみつくように上がって行った。
 窓から中をうかがうと、オデコの辺りを赤くして気絶した江利子さまをベッドに寝かせようとする令ちゃんが、いた。

 上履きを脱ぎ、慎重に部屋に入る。ガラスはカーテンがうまくバリアになったらしく飛び散っていない。
 江利子さまが体を張ってくれたおかげで無傷で侵入に成功した。
 その江利子さまを仕留めた竹刀が転がっていて、万が一を考えてそれを令ちゃんの届かないところに置く。
 これで竹刀で殴りかかられる事はない。
 念のために部屋を見回す。

「……」

 由乃は驚いていた。
 由乃の知っている令ちゃんの部屋はいつも綺麗で可愛い少女の部屋だった。
 趣味で作ったクッションとベッドカバーは季節によって変わり、机の上にはレース編みが敷かれ、その上にはたまに編みぐるみが並び、ある時は花瓶が置かれて花が飾られたりする。本棚は整頓され、参考書の他スクラップされた新聞や雑誌のファイルと一緒に大好きなコスモス文庫が並んでいる。もちろん掃除は毎日きちんとされている。
 なのに、今の部屋は、乱雑に散らかり、掃除も行き届いておらず、ところどころに埃がたまっていて、本は無造作に積み上げれられている。
 令ちゃん自身も様変わりしていた。
 清潔に刈られたベリーショート、シンプルでボーイッシュだけどだらしないわけじゃないカジュアルなジーパンにシャツといった定番のスタイルではなく、ボサボサに伸びた髪、だらしないジャージで清潔感がまるでない。
 これは違う。
 こんなの、令ちゃんじゃない。
 由乃は深呼吸すると両耳に両手を突っ込んで出せるだけの大声で叫んだ。

「令ちゃんのばかっ!!」

 令ちゃんは一瞬動きを止めた。

「ばかばかばかっ! 江利子さまをKOする体力があるのに、なんで学校に来ないのよっ!!」

 由乃はぺしぺしと令ちゃんの背中を叩いた。
 令ちゃんがゆっくりと振り返る。

「……誰?」

 目を合わせて、真っ直ぐに由乃の顔を見ているのに令ちゃんはそんな間抜けな事を平気で言った。
 令ちゃんってば、そこまでばかになっちゃったのっ!?
 由乃はもう止まらなかった。

「よくもまあ、私に向ってそんなひどい事が言える事!! このっ! そんな大事な事まで忘れてるから生きてる事まで忘れちゃうんだわっ!!」

 そばにあったクッションを投げつけギロリと由乃は令ちゃんを睨んだ。
 令ちゃんも目をそらさないで由乃を見ている。

「もうっ!! 何もかも忘れても、忘れちゃいけない事があるでしょうっ!?」

 由乃は踏み込んで令ちゃんに顔を近づける。
 令ちゃんはじっと由乃の顔を見ている。

「あなたは私の大切だった人に本当によく似ているわ」

 令ちゃんは呟くように、独り言のようにそう言った。

「でも、その人はもう、いないの。いないのよ……」

 令ちゃんの目からぽろぽろと涙がこぼれた。

「いるわよ! ここに!!」

 由乃は両手で令ちゃんの頬を包むようにして、令ちゃんの顔に由乃の顔をキスするぐらいの距離まで近づける。

「……臭っ」

 令ちゃんが顔をしかめる。
 おのれ、ギンナン。
 銀杏並木などみんな切り倒してくれようか。

「に、匂いはいいから、よく私の顔を見て頂戴」

 令ちゃんは生気のない目で由乃の顔を見つめて、やがて静かに言った。

「……由乃?」

 か細い泣き声で令ちゃんが聞いた。

「そうよ! 正確には『由乃が死ななかったパラレルワールドから来た由乃』で生き返ったわけじゃないんだけど、でも、令ちゃんの由乃には変わらないわよ!!」

「由乃っ!」

 全部言い終わらないうちにいきなり令ちゃんは思い切り抱きしめてきた。
 力強い。
 温かい。
 しがみつくようにギュッと強く令ちゃんは号泣しながら由乃を抱きしめる。

「由乃……由乃ぉ……」

 由乃はそっと抱き返した。
 きっと令ちゃんもギンナン臭くなっちゃうだろうが、そんな事どうだって良かった。
 だって、わんわんと泣く令ちゃんは何故かとても幸せそうだったから。
 もう、いいやって思った。



 しばらく抱き合っていた由乃だったが、大切な事を忘れてはいなかった。
 頃合いを見計らってそっと令ちゃんを離すと告げた。

「さ、令ちゃん。着替えて」

 まだ涙ぐんでいた令ちゃんは不意にそんな事を言われて全くわかっていない。

「着替えてって?」

 キョトンとした表情になって令ちゃんは聞いた。

「制服に」

「どうして?」

「学校に行くからに決まってるでしょう?」

 由乃は薔薇の館にみんなを待たせている。

「……でも」

 令ちゃんは時計を見て何か言いたげだった。
 授業は終わって、放課後もだいぶ経って、もうすぐ下校時間になる頃だった。

「……明日にしよう。今日はこんな時間だし」

「ダメよ。明日にしたら今度は『また明日にしよう』って言って、そうやって1年も学校サボったんでしょう? そんな人の言葉誰が信じるってぇ言うのよ!」

 ちょっと芝居がかって由乃は言う。
 令ちゃんは黙って立っている。
 由乃は令ちゃんのクローゼットを開けて制服を取り出した。

「さ、早く着替えて。学校に行こうよ。みんなが待ってるよ」

 令ちゃんは由乃に差し出された制服を前にしても、まだ立っているだけだった。
 その時、力強い援軍が由乃に味方した。
 江利子さまが起き上がって後ろから令ちゃんを羽交い締めにしたのだ。

「うわっ!」

「由乃ちゃん! 抑えてるから、下、脱がして! こうなったら2人で着替えさせるわよ!」

 こういう時の江利子さまは本当に話がわかる。

「はいっ!」

 由乃がジャージに手をかけると令ちゃんは慌てた。

「き、着替える! 着替えるから、脱がせないでっ!」

 令ちゃんは必死に叫んだ。

「本当に着替えて学校に行く?」

 江利子さまはとても嬉しそうに片手でジャージの上をたくるようにして令ちゃんのお腹を出そうとしながら耳元にそう囁く。
 令ちゃんは体をよじって必死に抵抗する。

「行きます! 行きますってば!」

 令ちゃんは真っ赤になって叫んだ。

「じゃあ、5分で支度なさい! それより遅れたら、わかってるわよね?」

 江利子さまが手を離すと、令ちゃんは慌てて着替え始めた。
 由乃に令ちゃんの上履きを用意するよう指示を出しながら江利子さまは手早く令ちゃんの髪をとかして、伸びた髪を一つに縛ってくれた。
 部屋の鍵を開け、階段を降りると悲鳴が聞こえた。

「きゃあぁ!!」

 伯母さんが買い物から帰ってきたところで由乃を見て気絶してしまったらしい。玄関のドアにもたれかかるように倒れていた。

「うわっちゃ〜」

 伯母さんには悪いが、意識が戻って問い詰められると学校に行くどころではなくなってしまう。
 せっかく令ちゃんが部屋から出て学校に行く気になっているのに、それは避けたい。

「ここは任せて、お行きなさい!」

 江利子さまが伯母さんを抱えてそう言った。

「行って来ます!」

 由乃は靴箱から令ちゃんの靴を取り出すと再び自分の上履きを履いて外に出た。
 令ちゃんが続いて外に出る。
 すっかり夕方になっている。
 こんな時間に学校に行くなんて変な感じがしたけれど、みんなが待っている。

「さ、行こう」

 由乃は令ちゃんの手を握って走り始めた。
 令ちゃんも握り返してきて走り始めた。

続く【No:2964】


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