【2962】 まだ遅くはないはず妹候補  (海風 2009-06-02 14:05:15)


【No:2941】から続いてます。

ものすごく長いです。注意してください。







六月の祥子




 1




 六月中旬。
 気温はぐんぐん上昇し、制服が半袖になって、少しだけ涼しくなった頃。
 リリアンでは、一人の少女が暗躍していた。




「過保護」
「身内贔屓」
「うるさい」
「妹差別」
「ツンデレ姉」
「誰がツンデレ姉よ」
「困った時はいっつもデレデレ甘やかしちゃって」
「だから祥子は妹作れないのよ。甘えるのが当然になっちゃってるのよ」
「うるさい!」

 お姉さまと白薔薇さまの抗議に、紅薔薇さまは真っ向から「うるさい」と言い放った。まるで五月の蝿を追い払うかのように。
 まあ、もっともうるさ……いや、もっとも腹に据えかねるのは。
 お姉さまも白薔薇さまも、笑いながら抗議していることだろう。さも「これは良いからかいのネタだ」と言わんばかりに、本気さの欠片もなく、でも言っていることは結構正しめに。
 そりゃ紅薔薇さまだってうるさいと言いたくもなる。言うなら本気で言え、本気じゃないなら言うな、と言いたくもなる。

「ところで黄薔薇さま」
「なによ白薔薇さま」
「祥子になにかあったの?」
「え、知らなかったの? 事件そのものを?」

 ……白薔薇さまはすごいなぁ。知らないで紅薔薇さまをいじめてたのか。

「はぁ……」

 紅薔薇さまは一瞬驚きに硬直し、のんきに「知らない」と答える親友を見て、思いっきり溜息をお吐きになられました。そんな言葉にできない気持ちを代弁した行為は、もちろん自分と同意見であろうと察することが当然のようにできたのでありました。




 とある六月の昼休み、薔薇の館会議室。
 水野蓉子さまこと紅薔薇さまと、令のお姉さまで黄薔薇さまの鳥居江利子さま。そして今日はたまたまやってきた佐藤聖さまこと白薔薇さまと、黄薔薇のつぼみである支倉令の四人が、顔を付き合わせてお弁当を広げている。白薔薇さまはパンみたいだが。
 学生の昼休みという授業半分を終えた開放感があるこの時間にも関わらず、この場のムードは和やかとは言い難い。
 ここ三日ほど、昼食時の話題といえば、あの小笠原祥子のことに終始する。
 先月末の闇に葬られし大事件が、未だ尾を引いているのだ。
 もう二週間以上が過ぎようというのに、お姉さまと白薔薇さまは格好のネタと言わんばかりに引っ張りまくっている。紅薔薇さまは、紅薔薇としての権力で事件を揉み消すという荒業をやってのけた以上、このくらいの――同じ立場の親友に文句を言われるリスクは覚悟していたのだろう。あまり強く反撃に出ることがないし、それは祥子へ文句が行かないようにするための壁代わりになっている行為だった。
 紅薔薇さまがネチネチしたいじめに遭っている頃、肝心の妹はここにいない。
 この三日、祥子は昼休みの集まりには参加していなかった――なんでもやることがあるそうだ。

「祥子が……あ、面倒臭い。令、続きお願い」

 な、なんだってー。
 お姉さまは白薔薇さまの興味と視線を令に丸投げしてしまった。自分で説明するのは面倒だから、という本音付きで。
 白薔薇さまの子供みたいな無邪気な目が、戸惑う令の視線とかち合う。

「令、詳細は?」

 お姉さまが振ったのだ、助けてくれようはずもない。紅薔薇さまは「なんでこいつらこうなのよ」と言いたげに少々怖いお顔をしているので、今はちょっと触れたくない。

「……私も詳しくは知りませんよ。それにもう二週間以上も前のことですから」
「二週間以上? ……というと、祥子がナンパがどうとか言っていた頃だっけ」
「そうです。色々ありまして、祥子が妹探しを本格的に始めたんですよ」

 令は“ちょっと空気読んでくださいよ”と思いながら、恐ろしい顔で自分のお弁当箱のご飯スペースを睨み、ふっくら炊き上がった米の一粒一粒に呪いを掛けるかのごとく瞬きすらせず凝視する紅薔薇さまをチラチラ気にしつつ答える。構えたままのピンクの可愛いお箸が、罪人に罰を与えんがためだけに開発された煌々と燃える火箸のようだ。

「妹探し? ……あーあーそうかそうか! だからいきなりナンパなんて始め出したのね!」

 「いやー私はてっきり目覚めゴホンゴホンいやなんでもない」と気になる言葉を強引に誤魔化したものの、しばしの時を経て、白薔薇さまは自分の持っていた情報と現在の情報が噛み合ったようだ。

「で? それが事件なの? まさか成功に成功が続いて身が持たなくなって修羅――」
「あなたちょっと落ち着きなさいよ」

 興味津々な顔で語る白薔薇さまの言葉を、お姉さまは鋭い一言で遮った。
 令は感動した。直感での判断にすぎないが、姉の割り込みは「今あなたはとても正しいことをした」と心底思えた。拍手したいくらい勇ましく、凛々しく、そして美しかった。
 自分の姉であることを誰彼構わず自慢して回りたいくらい、感動した。

「まああの祥子がいきなりアレをアレするようなアレにはならないか。じゃあ、軽い痴情のもつれが?」
「んー近いっ。遠くはないわよ」
「え、本当に? あの祥子が痴情のもつれ?」
「どう? 面白くなってきたと思わない?」

 感動は一気に引いた。遊ぶな。妹の親友、親友の妹の不幸で遊ぶなお姉さま。そして白薔薇さまも遊ぶな。紅薔薇さま見ろよ。横見ろよ。あんな怖い顔して。すぐ隣との温度差を感じてくれ。

「詳細は?」

 令に視線を向ける白薔薇さまは、どう見てもワクワクしている。まるでお笑いライブの当日チケットを確実に取ろうと最前列に並ぶファンのようだ。
 対する令は、非常に面白くなかったお笑いライブ直後のお客さんのようなシュールな無表情だ。

「ナンパが成功しすぎて、五人だか六人の一年生たちを落とした、って私は聞きましたけど」
「は? ナンパが、成功しすぎて? 落とした?」

 白薔薇さまは頭にハテナマークを浮かべる。まあ、この話は、祥子の美貌があってこそ筋が通る。逆に言えば祥子を知らないと理解できない。
 恐らくこれでわかるはず。

「まだ見慣れてない上に、至近距離すぎたんです」
「……あ、なるほど」

 やはり通じた。

「あのキツそうな祥子に、柔らかく微笑まれつつ手だか腰だかに触れられて“一緒にお茶を”なんて言われたら、行った先で時間と大切なモノまで奪われかねないと期待だか危機感だか抱いてしまう。そう考えたら未熟な果実である一年生の腰くらい抜けるかもね」
「あなた今日エロくない?」

 ちょっときわどい……いや半分アウト気味な白薔薇さまに、姉の鋭いツッコミが入った。その勇姿に令は拍手を送りたくなったが、変に姉に期待するのはもうやめようと思う。

「何言ってるの? 私は基本的にエロいよ」
「エロいはやめて。自分で言う時はせめてアダルトって言いなさいよ。いろんな意味でストレートすぎるのよ」
「はいはいごめんなさいごめんなさい。江利子って最近蓉子に似てきてない?」
「えっ…………」

 白薔薇さまはダメだ。なんかショックを受けているお姉さまも結構ダメだが、白薔薇さまもダメだ。久しぶりに元気そうだから安心していたが、これじゃ普段の方がマシ……でもないか。あの最近の痛々しい姿よりはマシか。でもダメな人ではある。ダメな人でしかない。……こんな人だったっけ。
 令は思った。紅薔薇さまが機能しなくなったら終わりだな、と。お姉さまも白薔薇さまも、令一人ではもう手に負えない。暴れ放題だ。

「で、それが事件に?」
「文字通りの意味で。危うくリリアンかわら版に載ってしまうところだったらしいです。それを紅薔薇さまが強引に握り潰したとかなんとか」
「ほー。そりゃ職権乱用だ」
「うるさい」

 意味もわからずからかっていた白薔薇さまにも腹が立っただろう。だが意味を理解してまたからかいのネタにし出した白薔薇さまも、さぞ腹が立つだろう。
 それにしても。
 あのクリスマスから考えたら、白薔薇さまもだいぶ元気になってきたように思う。「新生活に放り込まれる」という止むを得ない現実の変化が、ゆっくりとだが、白薔薇さまの錆び付いた時を動かし始めているのだろう。そうだったらいい。
 ……とは思うものの、元気すぎると大変だ。

「事情はどうあれ自分のナンパは通用しなかった、それどころか相手に不愉快な想いをさせたし体調不良にまで追い込んでしまった、という形でちょっと自信を失ったみたいです。祥子って、今まで壁に当たった経験がほとんどないみたいだから」

 勉強もできれば運動もできるし、家はお金持ちだし。幼少からの習い事で大抵のことはできるようになっているし、努力自体もあまり苦に思わない性格だし。努力を怠って恥を掻くのは絶対イヤ、ってタイプだし。
 その美貌も家柄も何もかも完璧と言えそうな祥子が、ついこの前、ボロッボロにボロ負けしたのだ。まさに完敗したのだ。
 十人以上の一年生をナンパして、ことごとく失敗した。
 おまけにその締め括りには――

「それに、祥子は更にナンパを決行しようとしたみたいですが、紅薔薇さまとお姉さまが、祥子を強引に止めたんです」

 祥子は自覚がなかった。
 ナンパする相手ナンパする相手がことごとく腰を抜かして「放っておいてください」と懇願し、鼻血を出して「た、食べてもおいしくないです私なんか!」とわけのわからないことを叫ばれ、何人かは本当に失神しかかった。
 そんな死屍累々の惨状の中心にいながら「今日はなぜかみんな体調が悪いようね」などと暢気に構えていた祥子は、確実に大物だ。良くも悪くも大物だ。

「そこで紅薔薇さまに自分が何をしたか教えられて……というか半ば怒られて」
「落ち込んだ、と」

 その通りです、と令は首を縦に振った。

「……だって下手をしたら人身事故じゃない」

 紅薔薇さまが、ふーと溜息を吐きながら復活した。

「倒れた拍子に頭でも打ったら大変だし、何より祥子……広い意味で祥子に似た人にトラウマでも持ったら、先の人生まで引き摺るのよ。やったことは仕方ないけれど、これ以上被害者を増やすわけにはいかないじゃない」

 紅薔薇さまとしては、叱ったことは叱ったがナンパを禁止したわけではない、らしい。だが祥子自身が令に言ったのだ、「ナンパはもうしない」と。まあその方が無難だろうとは思うが。

「もしかしたら、後になって事の重大さが理解できたのかもね」

 と、お姉さま。

「ナンパ失敗もショックだったかもしれないし、自分が知らず災いを振りまいていたこともショックだったでしょう。けれどそれ以上に、それで大きな問題が浮き彫りになったじゃない」
「果たして祥子に相応しい……というより祥子と一緒にいられる一年生がいるのか、って?」

 紅薔薇さまの問いに、お姉さまは何も言わずに肩をすくめた――その通り、と言わんばかりに。
 しん、と室内が静まる。女三人寄ればかしましい、と言うけれど、四人いたってまるでお通夜のようだ。
 白薔薇さまはずずーっとコーヒーをすすった。わざと音を立てて。

「で、肝心の祥子は今どこに?」
「やることがあるそうで、ここ三日ほど昼休みは集まってません」

 今の時期は比較的仕事も少ないので、昼休みに集まることは慣例化しているが義務ではない。令だって放課後は部活に行っているくらいだ。

「やること、ね……なんだろう?」

 その問いに対する答えは持っていないので、首を左右に振った。保護者じゃないんだからさすがに逐一行動を見守るわけにも行かない。

「……令」

 静かに、紅薔薇さまは令を見る。

「悪いけれど、お願いできる?」

 お願い。何を、と問うまでもなく、話の流れでちゃんと理解できる。
 祥子のことだ。
 あの手の掛かるお嬢様のことだ。

「本気ですか?」
「本気よ。貸し一つとでも思ってくれていいから」
「……わかりました」

 「やったー紅薔薇さまに貸し一つ!」「あなたに貸した覚えはない!」……ちょっと残念なお姉さまを見続けてきたせいか、紅薔薇さまの裏では甘めな姉としての接し方に、令の心の琴線は少々寂しげかつ羨ましそうな音を立てていた。
 まあそれはそれとして、令も祥子のことはかなり気にしていたので、紅薔薇さまのGOサインは良いきっかけになりそうだ。




 2




 これは戦である。
 戦い、争い、奪い合い、そして勝ち得るものである。
 ――小笠原祥子は暗躍していた。

「あ、紅薔薇のつぼみ」
「最近よく見るわね……一年生の誰かに会いに来ているのかしら」
「もしかして、妹候補に?」
「かもね。……それにしても目立つわね」

 身長も女性としては少々高め、特徴を聞かれれば誰もが答えるだろうさらさらロングのストレート。そして全てのパーツが特注としか思えない美しいお顔。
 祥子はそこにいるだけでとても目立っていた。

 小笠原祥子は暗躍していた――少なくとも本人はそのつもりだ。




 放課後。
 小笠原祥子と支倉令は、一つの机を挟んで向き合っていた。
 祥子の教室で、祥子の前の席を借りている令。なんだかここにいることに違和感がある。
 令は、とうとう「今日こそもう絶対に話を聞き出す」と言わんばかりの行動に出ていた。
 そろそろだろう、とは思っていた。お節介焼きの令が、理由もわからずこれ以上放っておくとは思えなかったから。

「紅薔薇さまも心配していたよ」
「そう」

 最近はめっきり仕事も減り、放課後の集まり自体が少ない。令は剣道部に顔を出し、祥子はすることもないのでさっさと帰る。三日ほど昼休みに行かないだけで、三日もお姉さまに会っていないのだ。よくよく考えると、修学旅行や連休などを抜きにすれば結構珍しいことである。

「ねえ、祥子。いったい何をやっているの」
「令には関係ないわよ」
「……うん」

 突き放すような祥子の言葉に、令は素直に頷いた。不気味なほど呆気なく。知っている親友とは掛け離れていると思えるくらいあっさりと。

「昨日までは、そう言われたら何も言えなかったけどね」

 がしっ。令は机の上に出していた祥子の左手を掴んだ。両手で掴んだ。ガチッ、と。

「紅薔薇さまにも頼まれててね。悪いけど話を聞くまで絶対離さない」
「……随分強引に来たわね」

 己の手にまとわりつく手。女性にしてはちょっと硬い、いつも竹刀を握っている手。祥子は呆れたようにそれを見る。
 軽く振ってみる。
 まるで持ち主の心と今までの教訓が見えるような自転車後輪に三重にも巻かれた鎖錠のように緩みもしない。――ちなみに自転車は過剰防衛しすぎると返ってサドル(座るとこ)を持って行かれるという斜め上の笑えないイタズラをされることがあるので注意が必要だ。

「私だってここまでしたくないよ」

 まるで落ち着きがない園児の手を引くおかあさんみたいじゃない、と。笑いながら令は言った。
 そして祥子が反射的に「おとうさんにしなさいよ」と言うと、笑顔のままギリギリと手を握り締められた。令の溢れんばかりの愛が重い。そして愛が痛い。

「祥子がそういうの話したくないタイプだっていうのもわかってる」
「そういうのって?」
「努力してるところとか、あまり堂々としてない姿とか、見せるの嫌なんでしょう?」

 さすがに鋭い。というより、自分がわかりやすいだけだろうか。
 祥子は今一度、自分の手に巻かれた手のような鎖を見る。
 気温のせいで、ちょっとだけぬるっとしていた。そしてじめじめし始めてきている。
 正直、暑い。そしてちょっと痛い。力を入れすぎている。教室に二人ほど残っているクラスメイト達の視線も気になる。何事かとチラッチラッと見られている。
 でも、感謝しないでもない。
 自分はここまでされないと、話すことが……自分の弱みを晒そうとは思えないのだから。
 それに、心配されていることも、素直に嬉しい。

「嫌だとわかっているのに、それでも私の口から言わせたいの?」
「間違っていたらそれを指摘する。たぶんそれが私の役目だと思うから」
「お節介」
「焼かせないくらいにはしっかりしてほしいね。私だって暇じゃないんだから」

 ぐうの音も出なくなったので、しかも暑いし、なんかじっとりしてきたし、お姉さまにも心配を掛けているようだし、もうこうなったらさっさと話してしまうことにした。
 何より、目の前の親友は、今まさに心配してくれているのだから。

「場所を移しましょう」




 祥子としては特に秘密にしたい話でもないので、もう人気のなくなった廊下に出るだけで十分だった。
 率先して話したいとは思わないが、令なら別に構わない。
 まさに夏、と主張する雲のかけらもない青空。まるでその空を称えるかのようにセミが数匹、近くで必死に鳴き続けている。

「それで?」
「まず手を離さない?」
「好きで握っているわけじゃないんだからさっさと答える。はい。ほら。早く」

 この期に及んで逃げると思われるほど信用がないのだろうか――まあとにかく、令が鬱陶しいので早く用件を済ませてしまおう。若干身体も近いから暑苦しい。
 
「一年生を見ていたのよ」
「見ていた?」
「妹候補を探していた、って言った方がわかりやすい?」

 一拍置いて、令は「おおっ」と合点がいったようだ。そしてようやく手を離してくれた。左手だけ空気がちょっと冷たく感じる。

「それってつまり、品定めしていたってことね?」
「言い方が気に入らないけれど……まあ、そういうことよ」

 そう、この数日、祥子は一年生たちを観察していた。本人としては目立たぬようこっそりと。
 時に一年生の教室が並んでいる、去年の自分たちのテリトリーをさりげなく見詰め。
 時に二年生がいても不思議ではない場所で、移動教室等で一年生が通る場所に待ち伏せし。
 時にミルクホール出入り口付近で堂々と。
 聡明な祥子が考えに考えた不自然に感じられないポジションに陣取っていただけに、「紅薔薇のつぼみが一年生を観察している」という情報は、未だ耳の早い薔薇さま方にも届いていないらしい。
 逆に言えば、祥子の暗躍は一応成功している、ということだ。成功している割には成功とは思えないほど目立っているが。

「一度や二度の失敗で落ち込んでなんていられないわ。早く妹を探さないと大変なことになるもの」
「祥子……」

 うわ。令の瞳は潤んでいた。祥子は表に出さないもののちょっと引いていた。

「そこまで山百合会のことを心配して……」

 本当は花寺学園祭の身代わりを探すことに躍起になっていて、山百合会はほとんど二の次。むしろ山百合会が祥子に嫌な仕事を押し付けようとする足枷のようなものなのだが。
 だがしかし、まあ、その方が通りが良さそうなので、強いて訂正はしない。令もその方が納得しやすかろう。互いのためだ。そして嘘はついていない。それもある、本題ではないだけで理由の一つにあるのだから。

「今の行動で、三つの効果を上げられるはずなのよ」
「効果って?」
「一、私に見慣れてもらう。二、志摩子のように私なんて平気な一年生も確実にいるから言葉通りに妹候補を探している」

 藤堂志摩子が山百合会で呼び捨てにされ出したのは、つい最近である。
 彼女もだんだん馴染んできたように思う。当然のように学園祭の手伝いに借り出されそうだ、いざとなったら自分の代わりに……はさすがに無理か。白薔薇さまがかなり気にしているし――などという皮算用も祥子の思考に入っている。

「三つって言ったけど、もう一つは?」
「まだ秘密。その内話すわ」

 もう一つは、祥子が打とうとしている一年生と出会う方法だ。相手が誰だろうと決行するまで話す気はない。
 強い意思が通じたのか、令は深くつっこまなかった。

「他にも理由はあるかも知れないけれど、悪い手ではないはずよ。あらゆる意味でね」

 まあ確かに、と令が頷くより先に、祥子は「けれど」と前髪を掻き揚げる。

「問題は、私は知り合いが少ないってことなのよね」
「ん? それはどういう意味?」
「たとえば、気になる娘が見付かったとする。でも私は、その……前の件で易々と声を掛ける行為はしないと決めた。だから情報収集がね」
「誰が誰だかわからない上に、本人には聞けないし、知り合いも少ないから誰かに聞くわけにもいかない、と」
「そうなのよ」

 そこがネックだ。考えてはいるが、やはり方法が……今はとにかくできることをやっているが、問題はまだまだ残っている。
 とりあえずのタイムリミットが、一学期終了である来月末だ。
 夏休み中から花寺学院の学園祭の話も現実味を帯びてくるので、それまでに妹を調達して自分の代わりに行かせる旨を納得させておきたい。ドタキャンになると妹や周囲に掛かる負担も大きくなってしまうから、これが今考えうる最良のルートだ。
 少なくとも、知り合い……妹候補くらいは確保しておきたいものだ。学校のない夏休みの間にも攻められるように。
 令は「ふーん。なるほどね」と、ちょっとだけ感心したように微笑む。問題なさそうだと判断できたようだ。

「で? 気になる一年生はいたの?」
「正直まだあまり……やはり見た目で判断するしかないのかしら」
「第一印象はそこからになるんじゃない? で、気になるならその娘の情報を集めてみればいいじゃない」
「そう? でも」
「でも?」
「志摩子はその、事前に情報を探った上で山百合会のお手伝いに誘った、というわけではないわよね?」
「ああ……どうだろうね」

 志摩子のお手伝いは、お姉さまや黄薔薇さまが誘ったようなものだ。
 あの抜け目のないお姉さま方のことだからごく自然に事前調査くらいはしていると思うが、彼女の存在を知ってすぐに動いていたから、満足に情報収集する時間があったとも思えない。
 もっとも、リリアンの生徒なら大きな問題を抱えている可能性は低いが。誰であろうと。そういう意味では事前に知っておくべきことなど、由乃ちゃん並の問題を抱えていないのであれば、あまりないのかもしれない。

「うまく言葉にできないけれど……そう、縁というものはあるのではないかしら」
「えん? ……ああ、あるかもね」

 互いが必要としていれば、その内、嫌でも出会いそうな気がする。
 祥子とお姉さまのように。
 令と黄薔薇さまのように。
 そして、白薔薇さまと、遠くへ行ってしまった彼女のように。
 そういう意味で、志摩子も山百合会となんらかの縁があって、手伝いに来てくれているのではなかろうか。
 この先、もっと具体的な縁の形ができる可能性もなくはない。

「令は、物心つく前から出会っていたわけでしょう?」
「由乃ね。まあ――」
「私もその内、何もしなくても誰かに出会いそうな気がするのよね」
「聞いてよ」
「嫌よ」

 すかさずのろけ話を始めようとした令の言葉などきっぱり拒否し、祥子はポケットから生徒手帳を出し開いた。
 縁があろうがなかろうが、そんな不確かなものをただ待っているわけには行かない。とにかく今は目先の学園祭回避が最優先だ。そのために最善を尽くすのみ。

「とりあえずだけれど、四人ほどマークしたわ。まだ見ていないクラスもあるから、もう少し観察しようとは思っているけれど」
「へえ。もう四人も見つけたんだ」
「見つけたというか……」

 祥子は苦笑して「気になっただけよ」と答えた。

「たとえば一番最初の娘だけれど」
「うん」
「タイが微妙に歪んでいてとても気になったわ」
「……は?」
「すごく歪んでいたわけじゃないの。ただね、ただ、センター部分が一センチくらい左に寄っていたのよ。もう、すごく気になっちゃって。しかもその時だけじゃなくて、見かけるたびに違っているのよ」
「…………あー、うん。次は?」
「二人目は、ソックスが片方だけ――」
「その次は?」

 言葉を遮る令に、祥子は不満げに口をへの字に曲げて見せた。

「……何よ。聞く気ないの?」

 令は正直もうこの先を聞くまでもないとでも言いたげに頭痛を堪えるような仕草でこめかみを指で揉みつつ根気強く「次は?」と繰り返す。

「次の娘は、見た目じゃないのよ。横を通る時にかすかなサロンパスの香りが――」
「祥子!!」

 令は突然叫び声を上げると、正面から祥子の両肩をガッと掴む。

「しっかりして!!」

 あまりにも必死な顔だった。親友の信じられない、信じがたいこの行為。祥子はどう対処していいのか――問題の生徒手帳を持ったままたじろいぐばかり。

「暑さで頭が変になるのもわかるけど、しっかりしてよ祥子!!」

 令の心の叫びは、近くで狂ったように鳴き続けていたセミを黙らせた。
 祥子は、なぜ親友がこんなことになっているのか、ただただ不思議で不安だった。いったい突然どうしたというのか。何があったのか。自分が関係していそうな気はするものの、心当たりがまるでない。

「どうしたの?」

 祥子のクラスに残っていたクラスメイト二人が、かなり心配そうに顔を覗かせた――厄介事なら即逃げようという態度で。鞄を抱いて。
 「なんでもない」と二人して帰宅するクラスメイトを見送り、令も祥子もなんとなく落ち着いた。
 感情的になっている時にワンクッションが入ると随分違うものだ。

「いったいなんなの、令。急に怒り出して」
「そりゃ怒りたくもなるよ」

 令は頭を掻きむしる。

「やっていることは正解のはずなのに、なんで正解に辿り着けないの?」
「……こっちが聞きたいわよ」

 そもそも令が言う“正解”とやらも、いったい何を指しているのか理解できない。妹を作る、という意味か。それとも今回の行動の主旨通り妹候補を探す、という意味か。
 行程は正解で、終着点が失敗。
 なんだかはちきれんばかりの矛盾があるように思えるが、確かに、方法が合っていても結果が間違っていることは意外とあるもので。違反のない交通事故などがそれに近いのではないだろうか。

「……わかった、明日から私も付き合う」
「いいわよ。邪魔だわ」
「なんと言われようと付き合う! もう決めた!」 

 決められてしまった。こちらの同意もないのに。

「いい? 私に黙って行動したら、紅薔薇さまに言いつけるからね」
「何をよ」
「祥子が間違えまくってる、って」
「…………」
「やっぱり間違えまくってました、って」
「なぜ言い直したの?」

 祥子のツッコミは華麗にスルーされた。
 いつの間にか、令が黙らせたらしめたセミの音が、また青空いっぱいに響いていた。




 翌日の昼休み。
 昼食を求めし子羊達が大移動の真っ最中であるミルクホール入り口にて、待ち合わせしていた令と無事合流。邪魔にならないよう廊下の隅に寄る。

「それで?」
「とにかく見るだけよ。嫌ならどこか行って」
「行かない」

 並んで立っているだけのつぼみ二人は異様なまでに目立っていたが、別にここに居て不自然なことはない。「なにをしているんだろう」などという噂も、“つぼみの妹”時代からいつもされているので、もう慣れたものだった。
 そもそも、つぼみの妹じゃなくても目立っていた二人なので、注目を浴びることに対する耐性が自然と鍛えられていたのかもしれない。
 切れ間なく目の前を流れる生徒たちの横で、つぼみたちは時が止まったかのように動かなかった。まるで大河の腹の中にどっしり構える大岩のように。
 そんな状態で10分ほど経っただろうか、

「令も物好きね」

 祥子は顔も向けずに呟いた。令も視線を向けず「何が」と呟く。

「昼食を抜いて、こんなところに何もせず突っ立って」
「別に何もしてないわけじゃないでしょ」

 一年生たちを観察しているのだ。ぼんやりしているわけではない。意識して見ているだけで意外な発見もあるものだ。

「剣道だって見ることが稽古になったりもするのよ」
「ふうん……ところで令」
「ん?」
「ここだけの話として聞いてほしいのだけれど」
「え?」

 秘密の話をされる前触れを察知したのか、「急に何言い出すの?」みたいなギョッとした顔で令は横を、祥子を見た。こんな人の流れが激しい場所で何を言い出すのだ、と。
 むろん、祥子は秘密の話などするつもりはない。

「参考にしたいから聞くのであって、決してあなたたちを否定するわけじゃないわ。それは先に言っておく」
「なんの話?」
「――もし由乃ちゃんを妹にしていなければ、令は誰を妹に選ぶの?」
「えっ……」

 考えたこともなかったな、と令は眉間にしわを寄せた――不快に思ったのではなく、思考に入り込んだのだ。

「この際、基準は何でもいいわ。顔、髪型、身長でも体格でも何でも。令の立場では関係ないから一年生に限らなくてもいい。この目の前を通る人達を見るだけで選んでみてちょうだい」
「それで、祥子の参考になるの?」
「やってみないと何とも言えないけれど、このまま黙って立っているよりは効率的な気がするわ。せっかく二人なのだし」
「……わかった。やってみようか」

 令はさりげなく、行き交う生徒たちを凝視する。
 結構目が合うのはつぼみだからだ。
 ちょっと照れたようにはにかみ軽く会釈する一年生たちも可愛い。

「……ああ、なんだかわかる」
「何が?」
「選べない、っていうのが」
「そう?」
「うん。だってみんな可愛いし。うーん、迷うなぁ……」

 見れば、令は思いっきり頬を緩めてニヤニヤしていた。……というか、なんだか祥子とは違う意味で迷っているような気がするのだが、気のせいだろうか。
 祥子としては、誰でもいいものを強いて選ぼうとしているのだ。そこに無理も自棄も感じているし、自分自身のやろうとしていることにすら完全に納得はできていないような半端な状態だ。
 だが、どうだ。この親友の顔はどうだ。
 明らかに「選べない」の方向が違う顔にしか見えない。たとえるなら大好物のモンブランやティラミスやミルフィーユなどを並べて「どれを先に食べようかなー」と自演的ちょいM三択を己に課しているかのような顔にしか見えない。

「あの娘なんかいいよね。ちょっとキツめの目元だけど、笑うと絶対かわいいよ。あんな妹に甘えられたらお姉さまなんてほいほい言うこと聞いちゃうよね」
「……令」
「お、これまたすごい。祥子並のプロポーションじゃない? 無造作なショートカットにセンスを感じるなぁ」
「令」
「小さい娘もかわいいよねー。こう、頭を撫でたりしたい。年下の女の子いいなー」
「令!」

 語気強く呼ぶと、ようやく令はこちらを向いた。少々不満げな顔で。なんで止めるのいいとこだったのに、みたいな顔をして。

「さっきのあなた、町で声を掛けてくる知らない男性にそっくりだったわ」
「え、誰それ?」
「俗に言うナンパ男にそっくりだったわ」
「…………」
「…………」

 視線が交錯する。令の顔色が見る見る悪くなっていくのに対し、祥子はまったく冷めた視線を逸らさない。

「き……」
「き?」
「気のせいだよっ。気のせいだってっ。祥子の気のせいっ」
「……そう」

 ちょっとかわいそうに思えてきたので、それで納得しておいた。令にも色々あるのだろう。

「そ、それより、参考になった?」
「なったと思う? あなたの願望を聞かされただけで何かの参考になったと思うの?」

 甘えられたいだのプロポーションがどうだの年下の女の子いいな、だの。何をどう参考にしろと言うのか。
 まったく令はダメだ。
 ……いや、逆に考えてみよう。そうすると親友の個人的に微妙な新たな一面すらも好意的に受け止められそうな気がする。

「令が言っていたことって、全て自分や由乃ちゃんがそうだったらいいな、っていう願望なの?」
「え? ……そうね、言われてみると近いかもしれない」

 祥子とはまだ付き合いも浅いし、顔を会わせたことも多くない島津由乃ちゃん。
 まだキャラを掴みかねているが、なんとなく、令が口にした言葉は由乃ちゃんの真逆のように思えた。儚げな妹みたいに見えるが、よくよく見ていると令に甘えたりという態度は見えないし、むしろ本人が言うより先に令が何くれと世話を焼いていると思う。
 人間、無いものを求めるのは自然なことだ。自覚があろうと無自覚だろうと。

「そうか、無いものを求める……か」

 なるほど、こういう考え方もあったか。まさか本当に参考になるとは思わなかった。
 我ながら相当すごいこじつけだな、と祥子は思いつつも、親友の知らなければよかった一面を受け入れる覚悟がいまいちつかなかったので、まあこれでいいことにした。




 時間は流れその日の放課後、またしても祥子の教室に令がやってきた。
 最近は放課後に山百合会の召集がないので、令はクラブ、祥子は帰宅があたりまえになっていたのだが。

「せっかくだから聞いてみるよ」

 何をしに来たのかと思えば、令は祥子が「気になる」と言っていた一年生たちの情報を、剣道部の一年生に聞き込みをしてくれるそうだ。

「気になる理由がアレだけど、たとえアレでも気になるんだから調べる価値はあるかもしれないじゃない」

 令はそう語った。祥子は「アレって?」と当然のように聞いたが、令は華麗にスルーした。自分の生徒手帳に、祥子がメモしておいたクラスと容姿の特徴を書き写すと、振り返ることなくさっさと部活へ行ってしまった。

「……部活の一年生か」

 運動部を遠めで眺める程度なら、不自然ではないかもしれない。
 祥子は少し寄り道をすることにした。




 3




「……すごいな」

 令の感想は、一言、それだけだった。
 いや、よくよく考えてみれば、もはや必然であったのかもしれない。
 親友の意外な能力に、令は少し驚いていた。




 今日も快晴、日差しも強い。
 日光を集める黒地の制服を少々重く感じながらマリア像にお祈りする。
 そんな日課をこなし、振り返ると、とても目立つ黒髪の少女が歩いているのを発見。令が見つけると同時に向こうも令に気付いたらしく、早足になってやってきた。

「ごきげんよう」
「ごきげんよう」

 挨拶を交わし、祈る親友を見守り、自然と並んで歩き出す。

「ちょうどいいところで会えた。教室に寄ろうと思っていたから」
「何か?」
「うん、昨日のアレ」
「……ああ、アレね」

 「どうぞ?」と言う代わりに、祥子は少しだけ首を傾げた。
 そんな祥子に、令は言ってやった。

「全滅」
「……?」
「だから、全滅。全員ダメ」
「全員? 四人とも? ……いえ、その前に、ダメって何?」

 少々カチンと来たらしく、祥子の視線がキツくなる。だが令としては別に悪い意味で言ったわけではない。言葉通りなだけだ。

「四人とももうお姉さまがいる、って意味」
「えっ」

 祥子は少しだけ固まった。
 
「全員? 四人とも?」

 さっき自分で言ったセリフを繰り返す祥子。

「そう。四人とも」

 驚くのも無理はない。令だって驚いた。まさか全滅だとは思いも寄らなかった。
 そして、驚いたのは、もう一つの事実に対してもだ。

「祥子ってさ、人を見る目はあるんじゃない?」

 祥子が妹候補として目をつけた四人は、一年生の中でも有名な美女だったり美少女だったりしたらしい。知っていればクラスと特徴だけでピンと来るくらいに。
 成績も優秀で、各クラブで活躍し、品行も方正で「彼女なら山百合会に入るかもしれないわね」と誰もが思えるような――簡単に言えば去年の令や祥子、今年の志摩子のような存在だった。
 それを裏付けるかのように、高等部に上がって早々なのに、上級生の誰だかに言い寄られてさっさとロザリオの授受が済んでしまっていた(または中等部時代にすでに売約済)。有名なのに山百合会に情報が届かなかったのは、「山百合会の誰かの妹に」と噂される前に、誰かの妹になっていたから。
 「気になる」の部分が違うくせに、なぜ祥子は彼女らに目をつけたのか。
 やはり、彼女らが目立つだけの魅力に惹きつけられたのだろう。
 目立つだのなんだのはさておき、それを見抜いた祥子の目利きの方を賞賛するべきだろう。こういうのは言われてみて納得はできるが、前知識もない状態でやるのは結構難しいのだ。たとえ目立つ生徒だとしても。
 祥子の選定は百を超える一年生達の中から、一人や二人ではなく四人抜きをやってのけている。ちょっと鍛えるだけでヒヨコの雌雄鑑定士にだってなれそうだ。

「あんまり嬉しくないわね」

 おかげで妹候補がまたいなくなったわ、と祥子は肩をすくめた。

「それにしても、どうしてそこを考えなかったのかしら」

 祥子は眉根を寄せ、難しい顔で目を伏せた。

「確かに目立つ一年生は、さっさと誰かに言い寄られるわよね。盲点だったわ」
「まあ、ね。競争率は高いんじゃないかな」

 個人個人に優劣を付けるようで抵抗はあるが、やはり人気があるなしは存在してしまう。納得し難いが、完全な平等など存在しないことは理解している。
 何より今親友が悩んでいることは、平等の中から特別を探す行為だ。沢山の唯一無二から自分だけの唯一無二を求める行為だ。その前提がある限り、等しいことなどすでにありえない。

「志摩子だって山百合会が声を掛けていなければ、今頃誰かの妹になっていたかもしれないわ」
「そうだね。志摩子の返事次第だから一概には言えないけど、姉候補は続々と名乗りを上げると思うよ」

 祥子は「やっぱり?」と問い、令は「やっぱり」と返す。志摩子の内面はまだまだわからないが、あの見た目だ。何もしなくても姉候補が寄ってくるに違いない。おまけに中身も悪くないし学力も高いし山百合会での業務上の問題もないのだから相当なお買い得物件だ。

「……ひとまずの締め切りが一学期一杯だと思っていたけれど、むしろそこがデッドラインだったのね」
「デッドライン?」
「時間が経つにつれ一年生達は売れていく。時が過ぎれば過ぎるほど有能な妹候補は数を減らし――最終的には誰もいなくなってしまう」
「いや、必ず妹を作らなきゃいけないってわけでもないし、必ず姉にならなきゃいけないって規則もないんだから」

 どれほどの比率かはわからないが、姉にも妹にもならずに卒業する生徒もいる。中には特定の誰を姉もしくは妹にしたいと願い、それが叶わず、操を立てるように一人身を通す生徒もいるだろう。

「言い方は悪いけれど、売れ残ったものには売れ残るだけの理由もあるのではないかしら」

 確かに言い方は悪かった。だが祥子の言いたいことはちゃんと理解できる。たとえば家庭環境の問題で下校時間が限られている、とか。その他の理由で山百合会の仕事がこなせない事情があったりもするだろう。山百合会より部活などに入れ込みたいと思っている娘もいるだろう。
 何より、業務上のみで言えば、まさしく由乃がそれに該当してしまう。

「私は、多少問題児でも構わない。今でも誰でもいいと思っているし、高望みしているつもりもないの。ただね」
「うん」
「お姉さま方が気に入るかどうか、周りの一般生徒がその娘を受け入れるかどうか、そしてその娘本人が山百合会入りした後の環境に耐えられるかどうか。この三つだけはどうしても無視できないと思うのよ」
「……ふむ」

 無視できないのは、祥子が気に入らないからではなく。
 この三つの条件がクリアできないようでは、祥子の妹になっても傷ついて終わるだけだからだ。
 さすがに考えている。
 令が由乃にロザリオを渡した時(由乃は寝ていた)、そんなことは考えもしなかった。特に二番目の世論は。
 小さい頃から由乃の側にいただけに不自然だとは思われなかったはずだが、もしかしたら「山百合会の一員として島津由乃は相応しくない」と思われているかもしれない。そしてそれが結果的に由乃を傷つけているかもしれない。
 由乃自身、それを今感じているのかもしれない。
 満足に仕事もできないつぼみの妹なんて……と、自責の念を抱えている、かもしれない。由乃は勝ち気で大胆だが決して鈍感ではないのだから。

「祥子、正直に答えて欲しいんだけど」
「何?」
「由乃のこと、どう思っている?」
「別にどうも? どうこう言えるほど知らないもの」

 その返答には迷いもなかった。言われてみれば、顔を合わせたことすら少なかったし、個人的に会話を交わしているのを見かけたこともない。
 だが、今はちょっと違う理由で聞いている。

「もし私がちゃんと仕事のできる妹を作っていたら、業務上の理由で祥子が妹を求める必要はなかったんじゃないか、って意味。そういう意味で不満はない?」
「おかしなことを言うのね」

 真剣な面持ちの令を尻目に、祥子は気楽に笑う。

「仮に業務上必要じゃなくても、先を見ればやはり必要じゃない。山百合会を継ぐ……というより業務内容を後世に伝えておかないと、運営が成り立たなくなってしまうわ。あなたが由乃ちゃんを妹にしようがしまいが、私がやることに違いはないのよ?」
「あ……そっか」
「むしろ急き立てられる理由になったのだから、感謝するべきなのかもね。もし悠々構えていたら、私の妹になるべき一年生が、誰かの妹になっていたりするかもしれない。妹にしたいと思った相手がすでに誰かの妹でした、なんて、本当に馬鹿馬鹿しい話だわ」

 朝から少々濃い話をしながら校舎に入り、廊下で祥子と別れ、令は自分の教室に到着した。
 祥子は悩んでいる。
 もしかしたら必要以上に考えてもいる。
 ならば、親友として、自分は何をするべきだろう。
 見守るだけでいいのか?
 それとも、できることがあるだろうか?
 あるとすれば、なんだろう?

「……そうだ!」

 机を叩いて勢いよく立ち上がった令に、クラスメイトたちが飛び上がった。




「あら、令」
「朝からすみません」

 令の目の前には紅薔薇さまがいた。今日も麗しきお姿でとても凛々しい。香り立つようにさらさら揺れる短い黒髪は、長い祥子とは随分と印象が違う。
 まっすぐ三年生の教室にやってきた令は、この水野蓉子さまを廊下へと呼び出していた。
 紅薔薇さまの存在を思い出したのだ。

「報告に来ました」

 ここ数日の祥子の行動と、祥子が今考えていること。令は紅薔薇さまに様子を見るよう“貸し一つ”で頼まれているのだから、報告するのは義務に近い。
 紅薔薇さまは「報告?」と聞き返したものの、すぐにピンと来たらしく「それで?」と聞く体勢に入った。

「進展はまったくありません。ここのところ、休み時間や昼休みは、一年生達を観察していたようです」
「観察というと?」
「妹候補探しです」
「ほほう」

 紅薔薇さまはニヤリと笑った。やることはやっているのね、と。

「妹候補として四人ほど目星をつけていたんですけど」
「けど?」
「全滅でした。全員すでに姉が」
「あらあら」

 紅薔薇さまはさも愉快そうに頬を緩めた。運が良いのか悪いのかわからないわね、と。

「で、これからのことは聞いてませんが、たぶんもう少し続けるんじゃないかなと」
「そうね。できることの方が少ないし、無理して動く時でもないものね」
「そうなんですよね」

 妹候補すらいないのが現状である。妹候補さえいれば強引でも圧力でも権力でもなんでも使ってぐいぐい押せるのだが、それ以前の段階なのだ。

「祥子の妹の基準って、聞いている?」
「基準……というと、好みみたいな?」
「有体に言えば」
「誰でもいいって言ってますよ。高望みはしない、普通にできればいい、って」
「祥子らしいわね。むしろそういうのが厄介なのに」

 紅薔薇さまはもはや笑うを通り越して大笑いしたいようだが、人が行き交う廊下なだけに肩を揺らすだけに留めているようだ。本当に不器用な娘、と。

「厄介なんですか?」
「厄介よ。これぞ、という譲れない条件でもあった方が、返って的を絞りやすいもの。条件がないからよそに目移りもしてしまうし、本当に彼女でいいのかと迷ったりもするのよ」
「はあ……そういうものですか……」

 捕らえ方次第な気もするが、……いや、紅薔薇さまの言葉にも一理あるからこそ、祥子はまだ誰にも出会っていないのだろう。
 誰でもいいから目移りし、迷っているのだ。

「紅薔薇さまは、どうして祥子を選んだんですか?」

 言うと紅薔薇さまは「いきなり来たわね」と笑う。

「気になったから……としか言えないわね」
「気になった、ですか」
「そう、気になったから。最初は漠然と気になって、声を掛けて……あとはまあとんとん拍子で」
「気になった理由は希少価値ですか?」
「え?」
「いえ、なんでも」

 少なからずそれもあるだろうが、純度高めのレア要素で選ばれたと思しき令の口からは、これ以上の追及は憚られた。自分の価値が虚しく思えそうだから。

「とにかく、祥子は迷っています。誰を選ぼうと“紅薔薇のつぼみの妹”という肩書きがついてくるから、ちょっと慎重になっているみたいです」

 声を掛けている現場を見られて「あの娘が妹候補?」なんて噂になるだけでも、相手に負担が掛かるだろう。そう考えるとナンパ作戦を早々に諦めたのは正解だったのかもしれない。

「考えすぎじゃない?」
「私もそう思うんですが、でも、一概にそうとは言い切れない気もするんです」
「なぜ?」
「だって志摩子がすでに被害を受けているじゃないですか」
「被害とは穏やかじゃないわね」

 紅薔薇さまの目が、少しだけ本気さを帯びて光る。

「もし山百合会が志摩子を確保していなければ、今頃は志摩子の周りには姉候補が沢山いてもおかしくないと思うんです。山百合会が動いているから様子を見ている、という二年生や三年生もいるんじゃないですか?」
「そう? 本当に志摩子を妹にしたいのなら、山百合会なんて関係ないんじゃない?」
「……紅薔薇さまや他の薔薇さま方を敵に回してでも、それでも、って? それは山百合会の人間だから言えることではないと言い切れますか? 本人はそれでよくても志摩子への影響は? 山百合会と姉候補とに二股掛けている、なんて噂になったりしませんか?」
「…………」
「志摩子を山百合会に誘った理由は、薄々わかっています。志摩子自身もなんとなく納得しているとも思いますけど、でも周りからすれば彼女は今は“山百合会の手伝いの藤堂志摩子”です。誰かの妹でもないのに薔薇の館に出入りして、って反感を持っている生徒もいないとは限らないし、彼女を妹にしたい二年三年にとって山百合会は半端に拘束している障害物のように感じられているかもしれません」
「……一本取られたわね。返す言葉もないわ」

 じっくり考える間を経て、唸るように言う紅薔薇さまは苦笑いを浮かべる。

「そういうことを祥子は考えているの?」
「祥子は私よりもっと先を考えていると思います」
「そう……これは思った以上に苦戦しそうね」
「苦戦?」
「考えすぎた挙句デメリットが気になりすぎて身動きが取れなくなってしまう、ってことよ。現に今そうなんでしょう?」
「そうですけど……」
「間違ってないわよ。でも正しくもないわ」

 そこまで言って、紅薔薇さまは押し黙った。厳しい視線を漂わせて何かを考え込んでいるようだ。

「どちらにせよ、私はこの件に関して口を出す気はまったくないのよ」
「この件と仰いますと、志摩子の?」
「志摩子のことはいいのよ。現状に不満があるなら、本人が言うでしょう」

 まあ、確かに。志摩子は必要なことを言えないほど気が弱いタイプではない。たぶん紅薔薇さまもそれがわかっているのだろう。

「祥子の妹探しのことよ。早く妹を作れと急かしはするけれど、相談されたって具体的な内容に答える気はないわ。祥子自身も拒否するでしょうしね」
「……そう、ですか」

 令としては、迷っている妹を導かせるために話をしに来たのだが、姉のスタンスは「放っておく」だった。
 いや、そういう答えが返ってくる予想はできていた。
 口出しする気ならもっと精力的に祥子と話をするはずだ。祥子本人が言っていたように、時間が経てば経つほど妹候補の数は目に見えて減っていくのだから。

「私達ももう卒業だからね。いつまでも過保護やっていたら、来年が大変でしょう?」 
「それはそうですけど」

 言うなれば、雛の巣立ちを見守る親鳥だろうか。だがそう言われるとなんだか寂しいものがある。
 しかし、そうだ。
 あと一年足らずでお姉さま方は卒業してしまう。いつまでも甘えているわけにはいかないのだ。

「紅薔薇さま。一つ立ち入ったことを聞きますが」
「ええ」
「もし祥子に妹ができなかったら、どうしますか?」

 今の調子で物事が進むとは思えなかった令は、本当に立ち入ったことを切り出した。
 祥子の努力は認めるが、令には相変わらず、祥子の隣にいる下級生像がまったく思い浮かばないのだ。先日のミルクホール出入り口待ち伏せ作戦で、何気なく祥子の隣に据えてみたい一年生も注意して探してみたのだが、さっぱりだった。誰がいてもしっくり来ない。――もしかしたら紅薔薇さまが隣にいるのを見慣れているせいかもしれないが。
 令がこれだけ考えているのに、姉である紅薔薇さまが考えないはずがない。手出し無用とこれとは話が違う。
 危惧する令に、紅薔薇さまは勝気に笑って見せた。

「――どうやっても、何が何でも作らせるわよ」
「え」
「必ずね」
「……」

 令は震えた。
 震えることしかできなかった。
 言葉のチョイスが怖すぎて、深く言及することすらできなかった。
 そして思い知った。
 ――ああ、この人やっぱり祥子のお姉さまなんだな、と。

「そろそろ失礼します……」

 もし二学期が終了しても変化がなかった場合、祥子は大変なことになるかもしれない。
 早いところ祥子に妹ができることを祈るべきか、紅薔薇さまがお手柔らかに動いていただくことを祈るべきか。
 放課後、マリア様の前に立つまでに、決めておこう。




 4




 決行の時がやってきた。
 恐らく、これを外したら、一学期中はもう自分にはチャンスが巡ってくることはない。
 綿密に練り上げた策だ、失敗するはずがない。
 そう、信じている。
 信じるしかない。




 もうすぐ六月が終わろうというある日の放課後。
 祥子の目の前には、わかくてぴちぴちのふとももとかがいっぱいいっぱいだった。

「……ハッ」

 祥子は雑念を振り切るかのように髪を左右に揺らした。どうもこの光景を見ていると暑さと相まって頭が緩くなってしまうようだ。なぜかはわからない。わからないが、リリアンでは至極普通である自信はあるので大したことではないはずだ。
 短いスカートに眩しい太股に弾ける汗に。
 躍動感に踊る後ろ髪、健康的に輝くうなじ、情熱的に引き締まった身体。というか魅惑的な肉体。
 リリアン女学園高等部テニス部。
 なるほど、こうして見ていると人気があるのも頷けるクラブだと祥子は納得した。ふとももか。

(さすがにわからないわね)

 ここ最近、放課後はこうして運動部を遠目に眺めているが、やはり見ただけでは姉妹かどうかまではわからなかった。まあ、あやしげな、自分たちだけの世界に浸りきっている二人組というのはいなくはないようだが、露骨にわかるのも多くはない。
 もっとも、クラブ関係の一年生が妹候補になる可能性が低いことは、最初からわかっていた。
 非所属の祥子より、同クラブ所属の先輩の方が、接点も接触時間も桁違い。祥子が、というより誰かが妹にと望む一年生なら、他の誰かが欲しがっても不思議ではないのだから。
 つまり、こうして蚊帳の外から見ている現状が、全てを物語っている。しょせん部外者は部外者、外は外ということだ。
 だがしかし。

(いったい誰かしら)

 祥子は気になる噂を聞きつけていた。
 なんでも、入部初日に先輩に「妹にしてください」とアタックし成功を納めた一年生がいるとかいないとか。もしかしたら中等部時代から知り合いだったりしたのかもしれないが、初対面で成功したのであれば、これほど今の祥子の関心を引く噂もない。
 ぜひとも詳しい話を聞いてみたくはあるが、さすがに傍目に誰が誰なのかまではさっぱりわからない。あの腰に手を回してラケットの振り方を親切丁寧に教えている人だろうか、それとも両手を取ってグリップの握り方から教えている人だろうか、まさかしつこいまでに二人一組の柔軟体操を長々だらだら続けている姉妹風の二人だろうか。
 それにしても、なんという密着度。人気があるのも頷けるというものだ。
 今からでも遅くないか、と少々本気で思い始めた頃、背後から声が聞こえた。

「祥子さま?」
「はい?」

 祥子は至極冷静に身体ごと振り返る。長年培ったお嬢様教育の賜物だ、多少のことでは動じないようになっている。

「あら、志摩子」

 藤堂志摩子が立っていた。この時間に体操服を着ていることから、恐らく今日は環境整備委員の仕事があるのだろう。

「何をしているんですか?」
「帰る途中よ」

 ほら、と手に持っていた鞄を掲げて見せる。

「あなたは委員会?」
「はい」

 具体的な活動はわからないが、これから花壇でもいじるのかもしれない。

「ここで何を?」
「見ていたのよ。テニス部を」
「テニス部?」

 向こうからは目立たないような場所を選んだが、向こう以外からは祥子の姿はちょっと目立っていた。まあ祥子からすれば「それが何か?」程度の問題である。テニス部を見ていた、と隠すことなく答えられるのだから。

「誰かに用事ですか?」
「いいえ。見ていただけよ。なんでもテニス部は姉妹率が高いと聞いたから気になって」
「そうなんですか?」
「単純に部員数が多いというのもあると思うけれど――」

 祥子はまたテニス部に目をやる。志摩子も釣られるように同じ方向へ視線を向ける。

「仲良くなる要因がある、というのも姉妹率アップの理由の一つかもしれないわね、なんてことを考えていたのよ」
「はあ……あの、妹探しは大変ですか? 私も祥子さまと同じく、下級生との接点がほとんどないので」

 来年は苦労するかもしれません、と志摩子は微笑んだ。
 そういえば志摩子もクラブには入らず、あまり人付き合いが上手とも言えないように思う。友達どころか知り合いすら少ないのかも知れない。

「出会いがないのよね。出会いさえあればさっさと進展させてみせるのだけれど……ところであなた、お姉さまは欲しくないの?」
「え、お姉さま?」
「山百合会のお手伝い要員として確保されているせいで、お姉さま候補が近寄り難い状況になっていると思うけれど。その辺を考えたことは?」
「いえ……あまり姉妹制度に興味がないので、返って好都合です」

 興味がない。――祥子にはその言葉は新鮮に感じられた。無理にでも興味を抱くしかない自分には羨ましいくらい軽やかだ。

「ところで祥子さま」
「なに?」
「これ、落とされました?」

 志摩子がポケットから取り出したのは、見覚えのある白いハンカチ。
 祥子の表情が引きつる。
 ――どうしてよりによって志摩子が拾ってしまったのだろう、と。

「クラスメイトが拾って、私も見せてもらって、そうしたら見覚えのあるハンカチでイニシャルも刺繍してあって」




 ええ、ええ、そうでしょう。見覚えがあるでしょう。イニシャルだって露骨な紅薔薇の刺繍だって見覚えがあるでしょう。
 ナンパを禁じた祥子が一年生と出会う機会を得る方法など、そんなに多くはないのだ。
 スケジュールと場所との折り合いをつけ考えに考えた「必ず一年生が拾うだろう、しかも自分が落としても不思議ではない場所と時間」に、偶然ハンカチを落としてそれを届けさせる(職員室に落とし物としてでも)という策は、こうして呆気なく潰されてしまった。
 まさに想定外。
 確かに二年生や三年生が拾ってもおかしくない、非常にリアリティのあるポイントを選んだのだから、一年生以外が拾う可能性はあった。しかしそれは祥子が把握したタイムスケジュールで封殺できたはず。
 だが、まさか志摩子の手から戻ってくるとは思わなかった。
 しかも経緯が最悪だった。
 もし志摩子が一人で何気なく拾って確保していたら、また同じ手が使えた。祥子の美学として「うっかり落とし物しちゃいました」なんて凡ミス、二度繰り返すことなど断じてありえないし自らが許さない。――たとえ落としたフリでも、そんな失態を世間に広めるわけにはいかないのだ。つぼみとしても、淑女としても。
 その上、祥子の見栄より何より。
 二回も落とし物をしてしまうなんて、とてもわざとらしいではないか! あまりにも出会いを求めていることが丸出しで恥ずかしいではないか! 最低、少なくとも一ヶ月以上は間を置かないとこの手を繰り返すことはできない!

「あの……祥子さま?」

 差し出されたまっさらなハンカチを、どんより濁ったドブ川並の死んだ目で見詰める祥子。ある種の終わった感、あるいは絶望感が伺える。
 祥子は「ありがとう」とハンカチを受け取り、そのままやや危うい足取りでフラフラと校門へと歩く。
 そんな祥子の背中は、残業込みの仕事を終え帰途につく打ちひしがれたサラリーマンくらいの哀愁を負っていた。




 祥子は知っていた。
 この方法による出会いのチャンスは、これが最初で最後だということを。
 祥子は痛感していた。

 ――終わった。一学期は、もう、終わった、と。

 七月?
 それって一学期最後の姉妹ラッシュのこと?

 終業式間近に増える姉妹は、しょせん出会っている者同士が一線を越えるか否かを己に問うだけのものであって、出会ってもいない祥子がいったい誰とどのように姉妹になれるというのか。
 出会ってもいない祥子に、七月は、一切関係ない。
 それがわかっていただけに、この「ハンカチ落として届けさせちゃおう作戦」は、入念に入念な下調べと下準備、休み時間・昼休みの動向すらも気をつけていた。
 なのにこの結果だ。
 祥子の予想と計算は、全て予想通りの結果を出していた。予想通り一年生に拾わせることに成功し、予想通り「そこに祥子のハンカチが落ちていること」に不自然さも感じさせず、予想通り自分の手元に返ってきた。
 全てのフラグが明らかに正解を示していて、行程はどこまでも正解だったにも関わらず、正解に辿り着けなかった。

「ふ、ふふふふ……ふふふふふふふ……」

 もはや笑うしかなかった。



 ――マリア様、これはいったい何の罰なのでしょう?

 祥子を見下ろすマリア様は、しかし、ただ穏やかに微笑んでいるばかりだ。

 少々壊れた祥子など枝毛ほどの関心も示さず、速やかに六月が過ぎて行った。








 ――福沢祐巳と出会うまで、あと三ヶ月。













一つ戻る   一つ進む