【30】 乃梨子、斜め上へ  (くにぃ 2005-06-15 02:02:02)


「あっ、珍しい写真があるじゃない。」
朝拝の前のひととき、蔦子さんが机の上で整理している写真の中から、由乃さんが目ざとく見つけだしたのは、いたずらな風にスカートを翻せている志摩子さんだった。舞い上がったスカートの裾からはわずかながら白い太股が覗いている。

「よくこんな瞬間撮れたもんね。」
賛辞ともあきれているとも取れる由乃さんの言葉に、蔦子さんはいつものセリフで応えた。
「こう見えても写真部のエースですから。」
蔦子さん、そこは胸を張る所かどうか微妙だと思うけど。

「それにしても志摩子さんってただきれいなだけじゃなくって、これ見ると何かお色気まであるよね。」
そう言って祐巳は、志摩子さんに対する小さな劣等感をまた一つ増やしてしまったが、隣で由乃さんは全く別のことを考えていたようだ。

「ねえ、この写真もらえないかしら。」
「だめよ。私の流儀知ってるでしょ。公開するのは被写体の許可を取ってから。」
「違うわよ。リリアンでこれを一番欲しがる人にプレゼントしようかなって思って。」
「それってもしかして・・・。」
「何言ってるの、祐巳さん。もしかしなくても乃梨子ちゃんに決まってるじゃない。」
「由乃さん、だから私の流儀は・・・。」
「大丈夫だって。不特定多数に見せるわけじゃないし、志摩子さんだって乃梨子ちゃんが欲しがったって言えば、絶対OKするから。」
「それって事後承諾ってこと?」
そう尋ねる祐巳に、由乃さんは自信満々で応えた。
「まあそういうことになるわね。」

う〜ん、それってなんだか違うような気がするけど、と祐巳が漠然と思っていると、由乃さんはとどめを刺すように言う。
「私はね、祐巳さん。日頃山百合会で唯一の一年生としてがんばっている乃梨子ちゃんに、何か感謝の気持ちを表したいの。それって間違ってるかしら。」
「それはそうだけど・・・。」
祐巳は釈然としないまま、こうしていつものように言い負かされた。だが蔦子さんは祐巳ほど甘くない。
「祐巳さんは説得できても、私はうんと言わないわよ。」
「じゃあこれはもらうんじゃなくて、貸してもらうということで。それで乃梨子ちゃんに見せてあげれば、乃梨子ちゃんが自分で志摩子さんを説得するって。第一乃梨子ちゃんが、こんな志摩子さんを誰かに見せるわけないじゃない。」
「う〜ん、まあ確かにそうかもね。」
「じゃあ決まりね。」
とうとう蔦子さんまで説得してしまって、由乃特急はいよいよ加速してきたようだ。

「でも、ただあげるだけじゃつまらないから、この写真をゲットした私たちも、少しは楽しませてもらいましょ。」
「楽しませてもらうって?」
由乃さんが具体的に何を考えているかは分からないが、きっと何か良からぬことを企んでいるであろうことだけは祐巳にも分かった。
「それはね、・・・。」
由乃さんはニシシッて笑って蔦子さんと祐巳に説明した。


その日の放課後、いつものように乃梨子が薔薇の館にやってくると、まだ誰も来ていなかった。
二階に上がりビスケット扉を開けて中に入ると、何かがテーブルの上に置いてある。
近づいてみるとそれは写真屋さんでくれるような紙製のアルバムで、何となく中を見てみると、自分も含めた山百合会幹部達の、学園祭の時の写真が入っている。誰が写っていようと乃梨子の興味はただ一人だけ。志摩子さんの写っていない写真は当然スルー。

誰かが置き忘れたのかな、それにしてもやっぱり志摩子さんはきれいだな、なんて思いながらページをめくっていくと、最後のページで思考も動作も突然フリーズ。いうまでもなくそこには件の写真が・・・。乃梨子が見るのは初めてなのは言うまでもない。

目が釘付けになってしばらく動けなかった乃梨子は、ふと我に返ると誰もいないはずの部屋の中をきょろきょろと見回し、見なかったことにするかのようにアルバムを元の位置に置いた。

(し、志摩子さんの、志摩子さんの太股・・・。なんで、なんでこんな所に志摩子さんの太股が・・・。)
もはや乃梨子の頭の中は、アルバムではなく太股だけがいっぱいになってしまい、このアルバムは誰の物かとか、そもそも何でこんな所においてあるのかとか、普段であれば当然考えるようなことを全く思いもつかない。

(み、見たい。もう一度見たい。でも、でも、ああ、どうすれば、どうすれば!ああああ、志摩子しゃん!)
アルバムから一番遠く離れた椅子に座り、アルバムをじっと見つめたり、そうかと思うとあさっての方向を見て、気を紛らすように口笛を吹いてみたり。まるで誰かのような百面相をしていることを本人は全く気づいていない。

(はっ!そういえば・・・。)
誰かが来たら当然これを見るだろう。そうすると志摩子さんの太股も当然見られてしまう。不味い。それだけは絶対に阻止しなければ!
何がどう不味いのか、乃梨子以外には不明な論理から導き出された答は、件の写真をアルバムから抜き出してどこかに隠す、ということだった。

(でも隠すっていっても、いったいどこに・・・。)
そうだ。自分が持っていれば絶対人には見られない。ここに今自分しかいないのは正に天佑。天の配剤としか言いようがない。マリア様ありがとう。

少し考えれば、このアルバムの所有者には例の写真だけが無いのがすぐにばれることや、そうなると当然乃梨子が一番怪しまれることがすぐに分かりそうなものだが、頭に血が上った今の乃梨子には疑う余地のない名案だった。

そうと決まれば急いであれを抜き出さなければ。乃梨子は立ち上がるとアルバムに駆け寄り、最後のページから志摩子さんの太股を抜き出して、しばし見とれてからあわてて鞄にしまい込む。

息つく暇もないちょうどその時、ビスケット扉が開いて由乃さまと祐巳さまが入ってきたので、乃梨子は危うく飛び上がりそうなほど驚いた。

「ごきげんよう、乃梨子ちゃん。」
「ご、ごき、ごきげんよう、由乃さま、祐巳さま。」
「あれ。乃梨子ちゃん、なんか顔が赤くない?もしかして風邪でもひいてる?」
「い、いえ。何でもありません。そそ、それよりお茶でも入れましょう。おおお二人は何がよろしかったですか。」
「そうね、今日はダージリンな気分かな。祐巳さんは?」
「私も一緒でいいよ。」
後で思い返せば、祐巳さまは何か複雑な顔をしていたが、その時の乃梨子にはそんなことに気づくような余裕など全くなかった。

「ところで乃梨子ちゃん、そのアルバムだけど。」
「は、はいーーー!?」
「・・・乃梨子ちゃん、声が裏返ってるよ。」
「ももも申し訳ありません。」
いきなり由乃さまにアルバムの話を振られて、乃梨子は危うく口から心臓が飛び出すところだった。

アルバムを手に取り、パラパラとめくりながら由乃さまは言う。
「学園祭の時の写真なんだけど、これ乃梨子ちゃんの分だから。」
「へ?」
普段からはあり得ないような、間の抜けた返事をする乃梨子に由乃さまは続ける。
「お昼に渡そうと思ったんだけど、乃梨子ちゃん来なかったじゃない。だからここに置いておいたの。」
由乃さまはそう言ってアルバムを乃梨子に手渡した。
「あああありがとうございます。」

「すてきな写真でしょ。後で蔦子さんにお礼言っておいてね。でも乃梨子ちゃんって遠慮深いのね。」
「へ?」
またまたあり得ないような返事をしてしまったが、もはや混乱の極みにあった乃梨子は何がなんだか分からない。

「だって、たった1枚だけで満足みたいなんだもん。」
「・・・な、なぜそれを・・・。」
乃梨子は掠れた小さな声でそう言うのがやっとだった。そしてその時気づいたのだった。はめられた、と。

「もう分かってると思うけど、乃梨子ちゃんがここに入ったすぐ後から、一部始終をドアのすき間から見守っていましたから。だって乃梨子ちゃんが鼻血出して倒れたりしないかって、心配だったし。」
胸を張り、勝ち誇ったように言う由乃さまの横で、祐巳さまが申し訳なさそうに手を合わせている。

膝から力が抜け、がっくりと床にへたり込んだちょうどその時、志摩子さんが部屋に入ってきた。そして床に座り込む乃梨子に気がつくと、駆け寄ってくる。
「どうしたの?乃梨子。何かあったの?」
「志摩子しゃん・・・。」
涙目でそう言うのがやっとだった乃梨子の代わりに、由乃さまが志摩子さんに言った。
「乃梨子ちゃん、あの写真気に入ったみたいよ。」
「そう、よかった。」
志摩子さんはにっこり微笑んでいる。

「し、志摩子さんは私があの写真を見ることを知っていたの?」
「ええ。ちょっと恥ずかしかったけど、乃梨子になら見られてもいいかなって。」
ほんのり頬を染めて志摩子さんが言う。

首謀者とおぼしき由乃さまがそれに続ける。
「祐巳さんが、どうしても志摩子さんのお許しを得てからでないとって言うから、お伺いを立ててみたんだけど、乃梨子ちゃんならいいってね。よかったね、乃梨子ちゃん。それにしても面白いもの見せてもらっちゃったな。」
「じゃあ、志摩子さんも一枚噛んでたってこと?」
「うふふ。」

うふふって、うふふって・・・。志摩子さん・・・。

分からない。この2年生の三人は本当に分からない。
ただ一つ、確実に分かったのは、この三人には余人には伺い知れない、妙な結束がある、ということだ。

真っ白に燃え尽きて、朦朧とした意識の中で、自分にも早く同学年の仲間が欲しいと、そう願った乃梨子だった。


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