その日、珍しく白薔薇のつぼみ佐藤聖が薔薇の館にいた。たぶん、久保栞嬢が何かの用事でいないのだろう。
その横でため息をつきながら蓉子が書類を片付けている。なんだかんだと言いながら聖の分の仕事を引き受けるのが最近のパターンである。
紅薔薇さま、白薔薇さま、黄薔薇さまがこれを容認しているのですっかりこれが定着してしまった。
蓉子はまだいい、好きでやってるんだから。さすがにそれを手伝わされる祥子はどうなんだ。
つまらない。
私たち3人は薔薇の館の住人になって、お互いに協力したり競い合ったりしてもっと面白い時間を過ごせると思っていた。
なのに、聖はほとんど寄りつかず、蓉子は聖の面倒ばかり見ている。
いつ私は2人と切磋琢磨すればよいのか。
全くつまらない。
そうなった原因である聖をちらりと見るが、ろくに仕事もせずに本なんか読んでいる。
最近聖は本をよく読んでいる。何やら男女とか恋愛とかそんな感じのタイトルの本を何冊も。
ちらりとタイトルを見てやる。
『ドクター・タチアナの男と女の生物学講座』
なんじゃ、そりゃ。
たしか、間違っていなければ、これは動物の繁殖行動についての本だったと思う。
普通、恋愛で悩んで読書に走るなら、それっぽい小説なんかに手を出すだろうに、なんなんだ。
「……うらやましい」
聖のつぶやきが聞こえる。
「はあ?」
思わず聞き返すと、聖が答える。
「いや、ミミズがね。カタツムリでもいいんだけど」
ミミズ? カタツムリ? 私も変わった人間だと自負しているが、そんなものに憧れなんか持った事がない。本当にどうかしちゃってるようだが、暇つぶしにはなるだろうと続きを促す。
「どうかしたの?」
「ミミズとか、カタツムリとかは性別がない。なのに、人間は下らない。そういう些細な区別、いや、差別と言ってもいい区分で物事を判断する」
なるほど。
栞さんの件でそこまで追い詰められちゃってるってことか。それはそれは何と言ってよいのやら。
生温かい目で見てやるが、全然気付いてない。
「あなたに、カタツムリの何がわかるのかしら?」
それまで黙っていた蓉子が不意に口を開いた。
「蓉子こそ、何がわかるって?」
蓉子を睨みながら聖が聞き返すが、蓉子は全く動じない。
「まあ、落ち着いて。仮に私たちがカタツムリだったとしましょう。カタツムリは男でもあり、女でもあるから、その気になれば誰とでも結婚して、子供が出来る。たとえ江利子と私でも」
聖は、フンと鼻で笑い、私は苦笑する。
「結婚すると2人とも2人の子供を産むってことは、たとえば、江利子と私が結婚したら、江利子が令を産んで、私が祥子を産む。そんな感じよね」
蓉子は続ける。
「カタツムリはいよいよ結婚という時にお互いに丈夫な子供を産むようにとプレゼントを交わすんだけど、イメージしづらいと思うから、ロザリオを交換するとでも思ってちょうだい」
「はあ」
気のない相槌をうつ。
一体この話はどこへ向かっているのだろう。
「そういうイメージで、聖と私が結婚するとしましょう。でも、私が子供を産むんだったら、聖は子供を産まなくたって子孫は残る、だから、子供なんて産まなくたっていいって事になる」
これは皮肉だ。
私たちには妹がいるが、聖にはいない。その事をカタツムリにたとえてのお説教だ。
「そうね」
聖は皮肉と知ってて受け流す。
「でも、カタツムリはそうはいかないのよ」
蓉子が一瞬ニヤリと笑ったような気がした。
「結婚する時に贈られたロザリオ。あれは呪いのロザリオで、子供を産まずにはいられなくなるの。カタツムリに生まれていたら、ロザリオを受け取った時点であなたは自由を奪われて子供を産まずにはいられなくなる。カタツムリってそういう生き物なのよ」
聖はむっとして乱暴にドアを開けて帰ってしまった。
「刺激か強かったかしら」
蓉子は笑いながらそう言った。
蓉子って本当に面白い。