※もう、どうしていいかわからない話です。
鳥居江利子は裏門を出て帰路についた。
「支倉令、か」
今日、妹にした下級生の名前をそっと口にすると、無意識に笑みがこぼれる。
これからの学園生活を想像すると楽しくて仕方がない。
江利子は輝かしく、希望に満ちた未来を持つ少女であった。──数十秒後までは。
信号待ちをしていると、トラックが左折してくる。
トラックがバランスを崩す。
江利子も気づいてとっさに後ろに下がる。
トラックが横転し、積み荷が江利子に襲いかかるように崩れてくる。
「きゃあっ!!」
一瞬の事に目をつぶってしまった。
恐る恐る目を開けると、目の前に金属の塊が見える。
カシュ、カシュ、ウイイィン……
何かの機械のようで、トラックから投げ出されたはずみで誤作動を起こしているのか、忙しくレンズやらランプやらが一斉に動いているのが見える。
重そうな機械、所々に見える鋭利な角。ちょっとでもずれていればとぞっとする。
「大丈夫かっ!?」
「女の子が巻き込まれたっ! 今すぐ病院へ!」
江利子は病院に運ばれた。
幸い傷一つなく、ちょっとショックを受けていて、念のため精密検査をするという事になりその日は入院を勧められた。
「あの、家に連絡したいのですが」
「ああ、お家には連絡しておきました。はい、これ」
看護師が返してよこしたのは江利子の生徒手帳だった。
江利子は違和感を感じた。自分は気を失ったわけではないのに、なぜ、そこまで気の利いた事をしてくれるのか。
「あの、やっぱり帰ります。特に父が心配性で、顔見せないと」
やばい事に巻き込まれる前に江利子は逃げようとした。が、すでに手遅れだった。
「その必要はないと言っているんです」
背後から近づいてきたのは、事故現場で江利子を病院に運ぶよう指示していた中年男性だった。
「そんなに疑らなくても、ご家族は大丈夫ですから」
笑顔で言ってくるが、その笑顔がかえって胡散臭い。
「……あなた、カシワギ重工の人ね」
「どうしてそれを?」
中年男性は笑顔、というより笑顔を作ろうとしてひきつった顔になった。
「隠すつもりなら胸元のバッジ、外したらどうなのかしら? カシワギ重工の小父さんが変な事したって言いふらしてやる!」
プライドをかなぐり捨てて江利子は精一杯の攻撃を食らわせてやったつもりだった。
だが、逆効果だった。
「こうなっては仕方がありません。あなたに選択肢を二つ用意しました。一つは、この場所とあの機械の記憶を消すために電気ショックを受けてもらいます。その場合脳細胞の約50%が死滅しますが我慢してください」
「なんて非常識な事言ってるのよっ! も、もう一つは?」
「我々にちょっと協力してもらうだけでいいんです。こちらも外部に知られるような事になった場合は、あなただけではなく秘密を知った可能性の高い人、つまり、あなたの家族やその生徒手帳に書かれていた方々──お友達ですか? も電気ショックを受けてもらいます」
家族と友人が人質……馬鹿な父と兄貴たちはともかく、母や友人たち、蓉子や聖にお姉さま、妹になったばかりの令まで……江利子はめまいがしてきた。
「協力って、何をさせる気?」
「あなたは適合者としてあの機械、『JFK』の操縦者(ナビゲーター)になっていただくための訓練をしていただきたい。いえ、普通に学校に通っていて構いませんが、放課後の時間を使えば3年でモノになると思います」
「私、生徒会やってるから放課後は都合が悪いのだけど」
最後の抵抗を試みる。
「では、下校時間以降登校時間までを使いましょう。傍から見ればあなたは習い事のピアノ教室に通っているようにしか見えないので安心してください。家にも帰れるように配慮しますから」
「でも、あの父と兄貴たちが納得するとは思えないわ」
「ご安心ください。プロジェクト協力者にはお父さまもお兄さまも安心してあなたを託す気になる方もいると思いますから」
つまり、この小父さんの後ろには父も兄も引かざるを得ないような凄い人たちが付いているのだから、無駄な抵抗はやめろ、という最後通牒である。
こうなったら諦めてこの状況を受け入れて、訓練などを楽しむ以外に方法はない。
実際江利子はそうする事にした。
家に帰ったら、家族は江利子と暮らせるだけで満足だ、と言って詮索はしてこない。
この父と兄貴たちをここまで黙らせるカシワギ重工のバックに江利子は恐ろしいものを感じた。こんな状況に置かれ逃げる事も出来ない。多少疲れていても令も蓉子も聖もお姉さまたちも江利子は何か面白い事を見つけて夢中になっているくらいの認識しかないようだ。
さて、『JFK(Junk Fighter KASHIWAGI)』と呼ばれるこの機械はおおざっぱに言ってしまえばもの凄く高性能なラジコンロボットで、ゴーグル状の電極を操縦者の脳や神経につなぐ事で複雑な動きを可能にするものだったが、何の理由は知らないが操縦者に適合するものは数千人に一人の割合だと後から聞かされた。
割り当てられた機体は『ピプシロホドン』というコードネームがつけられた、大型犬ぐらいの大きさのものだった。体の一部になるのだから大切にするようにと言われたが、機械に愛情なんて全然湧かなかった。
いざ、動かしてみると本当に手足のように動かせた。変形する事で、高速移動、隠密移動、飛行、潜水の移動及びデータ移動、撮影、薬品の散布、小品の回収などの複雑な作業もこなせる。慣れてくると自分がやるより『ピプシロホドン』にやらせた方が早いくらいだった。
夏休みに突入し、訓練が終日となると、操縦者の安全確保のためにと最低限の護身術を教えられ、訓練場所も実際の建物に侵入したり、機体に取り付けられた武器の取り扱いなど実戦的な要素にシフトしていった。
そして。
「いや、鳥居さんは天才だ。3年かかるプログラムをもうこなしてしまうなんて。これからはスペシャリストとして協力してもらうよ」
花寺の学校祭、体育祭、修学旅行、学園祭と時間はあっという間に過ぎていく。
その間にたまに呼び出されては指示された建物に侵入してデータを取り出したり、撮影をさせられたりしたが、訓練の延長上のものでしかなかった。
だから、この日もそんなものだと思っていた。
いつものように車に乗せられて目的の場所に到着すると、江利子はバンダナを外し、ゴーグルをつけ、バンダナが当たっていたあたりに電極が間違いなくはまっている事を指で確認すると『ピプシロホドン』を起動させ、トランクから『ピプシロホドン』を出す。
「準備はいいわ」
小父さんがどこかに連絡を取る。
GO、と合図され『ピプシロホドン』が侵入を開始する。
蜘蛛のように静かに壁を駆け上り、蛇のように換気口から侵入、ヤモリのように天井を移動、目的の部屋に到着し、パソコンを起動。
そこで『ピプシロホドン』のセンサーが異常を感じた。
「!?」
「どうした?」
「警報が。撤退しないと」
「くっ、それがいい」
警報が鳴る。
パソコンのスイッチを入れるのに手順があったのだろうか。
仕方なく、来たルートを逆走し撤退する。
パアアァン!
銃声が鳴り響く。
車の位置がばれている。
一体どんな施設に侵入させられたのか、いや、知る必要はない。
今必要な情報は自分たちが無事に離脱できるか否か、である。
「まずい、事前にばれていたのか。とにかく撤退を……」
車を走らせようとするが、タイヤをぶち抜かれ、うまく走る事が出来ない。
「救援を要請する」
「間に合うの!?」
「それまでは『ピプシロホドン』を戻して時間を稼いでくれ」
『ピプシロホドン』が換気口に到達した瞬間に飛行形態をとり、換気口を突き破り、銃撃を開始する。
幸い敵は対空装備がないようだが、『ピプシロホドン』の装填数からいってもつとは思えない。
敵は『ピプシロホドン』の攻撃をかいくぐり、江利子たちの乗る車に一斉攻撃を仕掛けてきた。
とっさに『ピプシロホドン』を変形させ、盾にして防ぐが、『ピプシロホドン』の装甲では次の一撃が限界だろう。
ドオオォン!
爆発音がする。反対側から銃撃が起こり、敵と応戦している。
「救援が来た」
ドアがノックされ、小父さんがドアを開ける。
小父さんに続いて外に出た江利子は仰天した。
「蓉子!?」
「江利子!?」
お互いに、「何故、ここにあなたがいる?」というひきつった顔をして見つめあう。
銃撃音が響く。
「と、とにかくこっちに」
蓉子の指示で建物の隙間を駆け抜け、車に飛び乗る。
車の屋根に『ピプシロホドン』を着地させ、装備しておいたグレネード弾を発射し、その隙に逃げ切った。
「いや、小笠原のお義父さまにまた借りが出来てしまいましたよ」
小父さんは笑いながら言う。つまり、蓉子は小笠原というどこかで聞いた事のある名前の人の差し金で救援に来たらしい。
安全なところにつくと、蓉子が送って行くと申し出て、小父さんと別れた。『ピプシロホドン』は整備が必要なので小父さんに預けた。
小父さんを見送って二人は歩き始めた。
「詳しく、聞いてもいいのかしら?」
江利子は聞いた。
「あなたが、それについて詳しく語ってくれるならね」
蓉子は江利子のゴーグルを指して答えた。
つまり、お互いに聞いてはくれるなという事だ。
江利子はとりあえずゴーグルを外して、しまった。
「覚えてる?」
蓉子がポツリと言う。
「何が?」
「初めて妹連れて薔薇の館に行った時のこと」
「ああ、あの時もお互いに『なんで?』って顔して見つめあったわね」
懐かしいわ、とわずか半年前の事を振り返る。
江利子たちはほぼ同時に目をつけていた妹候補にロザリオを渡して、同時に薔薇の館に連れて行ったのだ。
「あの時以来のマヌケな顔だったわね」
「蓉子もね」
二人で顔を見合せて笑った。なんとなく普段の感じに戻ってきた。
「ねえ」
江利子はなんとなく聞いた。
「もう、元の生活には戻れないのかしら?」
今の生活は刺激的だ。だが、今日のような目にあっては命が持たない。
「うーん、戻れない事もないみたいよ」
蓉子はちょっと考えてから言う。
だが、江利子は蓉子の次の言葉を聞いて、二度と戻れない事を悟った。
「副作用で脳の細胞が半分使い物にならなくなるみたいだけど」
(蓉子の事情を知らない人は【No:3024】へ)