【3096】 少女は密かに恋をして歌う  (ピヨ吉 2009-11-22 06:26:05)


(―――っう)


    『 〜〜〜〜〜〜 〜〜〜 』



(―――うっうう)


    『 〜〜〜 〜〜〜〜 』



(―――っうあ!!)



―――――ガバッ!!



何かを振り払うような勢いでベッドから跳ね起き、少女は目を覚ました。



「はぁはぁはぁ・・・」



草木も寝静まる真夜中の一室。
少女の荒い息遣いと、時計の針が刻む音だけが支配する世界。



(―――はぁはぁはぁ)



酷く汗をかいているようでいて、何処か薄ら寒さも感じさせた。
いや。
決して汗のせいだけではないことを、ここ数日の経験で少女は理解していた。



(―――また、あの夢を)



もう何日も前から見続ける同じ夢。
それは寝ている時ばかりではなく、日常のふとした拍子にも現れる白昼夢。
家族や親戚と、あるいは友人と過ごしている時はまだいい。
だが、独りになると必ずと言っていいほど自分を蝕む、あの幻。



「・・・逃げることは、許されない、ということ、なのかしら」



闇の向こうを睨むように見つめながら呟く。
まるでそこにいる姿なき誰かに言い聞かせるように。
いや。
何度も見た夢のせいで、目を瞑れば造作もなく思い描くことのできるようになってしまった、あの日。



「あの日、あの時、あの場所で、貴女さへいなければ」



(逃げられないのなら、逃げるのは止めにしますわ。そうだ、これはあの方への宣戦布告にしましょう)




少女の夏の陣。

誠に勝手ながら、その火蓋が切って落とされた瞬間だった。







〜〜〜  少女は密かに恋をして歌う  〜〜〜





偶然だった。
たまたま遊びに来た親戚の家。まさかそこに、あの方が来ているなんて思いもしなかった。
少女は使用人に告げられた事実を受け入れるのに手間取っていた。



(なんてこと!!まさか先制攻撃を仕掛けられるなんて)



偶然の出来事に先制攻撃も何も関係ないことは分かっている。分かっているが、認めたくない。
もともとあの方の行動は、狙ってやっているのではと疑いたくなるようなものが多い。



(・・・どう、すれば)



戦うか、退くか。僅かな逡巡。
向こうからやって来るとは夢にも思っていなかったので、何の準備もできてはいない。
果たして自分は本当に戦えるのか。



(それに、あの時以来ですし)



夢では頻繁に出てくるので、次はどうしてやろうかと鬱積を積もらせていた。
だが生憎と今日この日まで、あの方にお会いする機会はなかった。
決して逃げていたわけではない。
ただ会う理由も、必要もなかっただけだ。
それに、どんな顔をして会えばいいのか、分からない。


鬱積したものはある。
だが、それが全てあの方一人の責任によるものではないということを、心のどこかでは理解している。
だからと言って、全てを受け入れ、認めることなんてできない。



(―――今なら、まだ)



今ならまだ、あの方に気付かれることなく帰ることができる。
あの方と会わずに済むのだ。
後日、準備が整っている時に対峙すればいいではないのだろうか。



(―――ですが。退くのは、何か癪ですわ)




そうだ。
あの夜、もう逃げないと誓ったではないか。

有利に進めることは出来ないかもしれない。―――だが、戦うと決めたから。




かくして、少女は反撃のノロシを静かに上げたのだった。




※  ※  ※     中  略     ※  ※  ※




「―――ふぅ」



誰にも聞かれぬように、静かにそっと息を吐く。
少女は手拭いで額を拭う。普段あまり汗をかくほうではないが、さすがに些か緊張していたようだ。



(―――ふふっ。やりましたわ)



何の準備もない戦いだった。決して楽なものではなかった。
だが、何とか乗り切ることは出来た。
つい少し前、あの方はいそいそと帰っていったのだ。



(日頃の練習の賜物ですわ)



上手く、やれたと思う。
内心穏やかではなかったが、平静を装って相対することが出来ていたはずである。
女優として日々訓練してきたものが、あの戦場でも活かされたのだ。



(どうやら何か企んでいるようでしたが、私には別に関係ないようですし)



だが、その企みを弱みとして利用もできそうだ。
いや。
まぁ、いいのではないだろうか。その弱みを知った時点で今日は勝ったようなものだ。
泣きっ面に蜂のようなことをする必要もあるまい。淑女として、それくらいはわきまえているつもりだ。



「うふふ♪」



言い知れぬ達成感に浸る。なんせあの方に一矢報いることが出来たのだから。
気分がすこぶる良い。
満面の笑みを浮かべながら、立ち上がる少女。知らず鼻歌も出るというものだ。



「マリアさまの こころ」



「それは やまゆり」






少女は気付いていない。


それは少女にとっての応援歌だったことに。


あの日、あの時、あの場所で、あの方が歌っていた奇跡の歌だったことに。


あの日から、少女の中で息づく秘密の歌だったことに。


どんな時でも、自分を奮い立たせることのできる勇気の歌だったことに。


夢に見るほど何度も繰り返され、呼び起される大切な歌だったことに。






そして、少女に小さな恋を告げる天使の歌だったことに。






おしまい


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