【3105】 紅薔薇仮面  (bqex 2009-12-07 23:00:31)


※百合注意



 小笠原邸。
 ここはこの豪邸の令嬢の祥子の部屋である。
 そこに山百合会の新旧メンバーが集結していた。

「……ねえ、これって何の騒ぎなの?」

 呼び出されてここに来た蓉子が尋ねた。

「お姉さま、紅薔薇仮面を御存知ですか?」

 祥子が逆に尋ねる。

「紅薔薇仮面……?」

 何じゃそりゃ、というような表情で蓉子は首をかしげる。

「これをご覧ください」

 と、ノートパソコンを差し出したのは乃梨子ちゃんだった。
 画面には「紅薔薇仮面」に関する記事が載っている。

『紅薔薇仮面、鮮やかな犯行! 10億円相当の仏像被害に!』
『予告状がありながら紅薔薇仮面に30億の絵画を盗まれた警察の失態!』
『50億の彫刻も手中に! 留まるところを知らない怪盗紅薔薇仮面!』
『ネットで話題騒然 紅薔薇仮面のその素顔』

「流行りの小説か何か?」

「これは実際に起こっている事件です」

 蓉子の冷静な問いにこれまた乃梨子ちゃんが冷静に答える。

「紅薔薇仮面とは、1年ほど前から世間を騒がせているいわゆる怪盗でして、犯行の前には必ず予告状が届き、そして、その通りに必ず犯行が行われているのです」

「へえ、そんな漫画や小説みたいなことが実際にあるなんてねえ」

 蓉子は素直に驚いている。

「そして、その予告状が2週間前に小笠原邸に届いたんです」

 瞳子ちゃんが補足するようにそう言うと、紙を差し出した。

「これは、実際に届いた予告状のコピーです。どうぞ、ご覧ください」

「いいの? そんなもの見せてもらって」

 蓉子は確認する。

「ええ。お願いします」

 祥子も言うので蓉子は瞳子ちゃんの差し出した紙を見る。
 それは、文庫サイズの線が見え(たぶん、それが元々の予告状のサイズなのだろう)そこには昭和モダンを思わせるフォントでこう書かれていた。

『小笠原祥子さまへ
 12月7日23時に
 あなたの大切なものを
 いただきに参ります
      紅薔薇仮面』

 12月7日、つまり、今日の事で、時間はあと2時間を切っている。
 あと2時間弱でその紅薔薇仮面と名乗る怪盗がここに現れて祥子の大切な何かを奪っていくというのだ。

「なるほど。それで小笠原邸の周りを警察官が取り囲んでいて、入る時も身分証明書の提示や身体検査をうけなきゃいけなかったわけだ」

「ご不便をおかけして申し訳ありません」

 祥子が頭を下げる。

「いいのよ、それは。でも、そんな立て込んでいる時に訪ねてきてよかったのかしら?」

 蓉子はちょっと恐縮するように言う。

「お姉さまのお力をお借りしたくて。ご迷惑でしたか?」

 祥子が聞く。

「でも、私の力はそうたいそうなものじゃないわ。借りるなら警察の方がいいんじゃないの?」

 滅相もない、というように手を振って蓉子は言う。

「出来る事は何でもしたいんです。そして、お姉さまの視点で何か私たちの気付いていないことを指摘していただければと思いまして」

「でも、気休めにしかならないかもよ?」

「たとえそれでもいいんです」

 そこまで言われては、と蓉子もようやく話を聞くことにした。

「で、あなたの大切なもので怪盗に狙われそうなものってどんなもの?」

「いくつかあるのですが、まずは子供の頃祖父に頂いたピアノですね。ずっと弾いているので愛着があります。ですが、値段はたかだか500万くらいですので、紅薔薇仮面に狙われるにしては安いんじゃないでしょうか」

「はあ」

 表情一つ変えずにさらっと500万円のピアノを安いといいきるこの金銭感覚はいかがなものだろうと蓉子は思ったが、ピアノはないとも思った。こんな大きくて重いものをわざわざ祥子の所から盗むというのが不自然だ。

「うわっ、これってそんなに高いピアノだったんですか!?」

 と今までピアノによりかかっていた菜々ちゃんが慌てて飛び退いた。

「これはベヒシュタインじゃなかったかしら?」

 志摩子が呟く。

「べひすたいん?」

「ベヒシュタイン。ピアノのメーカーよ」

「ふうん」

 あまり興味がないのか菜々ちゃんはそれきりピアノに近づかなかった。

「で、他のものは?」

 蓉子は話を戻す。

「入学祝に頂いた着物が人間国宝の最新作です。数千万するらしいのですが、それも紅薔薇仮面にはどうでしょう」

 人間国宝の最新作に特に感動がこもってないのはどうなのだろう。
 ただ、着物は盗むのであれば楽なものである。しかし、これもわざわざ祥子の所から盗む必要はないと思う。

「人間国宝……」

 ボソッと聖が呟いて遠い目をしている。
 何を考えているのか知らないが、聞かない方がいいような気がしたので無視して、蓉子は祥子の話を促す。

「値段だけで言えば、最近祖父の名義の車に乗っていますが、あれが調べたところ作られた年代からいってクラシックカーになるそうで、市場価格は億になるそうです。でも、あれは祖父の名義ですから違うでしょう」

「え? あれって中古車って言ってましたよね?」

 祐巳ちゃんが驚いて聞き返す。

「ええ」

「クラシックカーだったんですか? でも、こすって……」

 ばっ、ともの凄い早業で瞳子ちゃんと由乃ちゃんが祐巳ちゃんの口を塞いだ。
 賢明な判断である。
 確かに中古車なのだろうけど、クラシックカーを免許取りたての孫にホイホイと与える祖父というのは問題じゃなかろうか。
 と横道にそれた思考を戻す。
 これも、違うんじゃないかな、と蓉子は思った。

「ねえ、今まであなたが挙げたものは大切なものじゃなくて、単に高価なものでしょう? 値段を考えないで『あなたが大切なもの』とだけ聞かれた時にそれを真っ先に答えたりはしないでしょう?」

「そうですね。どれも答えないでしょうね」

 蓉子の問いに祥子はそう答える。

「じゃあ、改めてあなたが大切なもの、値段は全く考えないで思いついたものは何?」

「いろいろありますが、このアルバムは大切なものですね」

 と、マーブル紙を使った小さなフォトアルバムを出してきた。

「祐巳が修学旅行のお土産に買ってきてくれたもので、高校時代の写真が入ってます」

 パラパラとページをめくって見るとたぶん武嶋蔦子さんの手によると思われる祥子と祐巳ちゃんの写真が並んでいた。

「たしかに。これは値段はさっき挙げたものとは比較にならないわね」

 ぱたりとアルバムを閉じて蓉子は言う。

「ええ。しかし、大切だと思う度合いは値段に反比例していると思います」

「そうね」

 蓉子は頷く。

「それから、これは祐巳から貰ったクリスマスプレゼントのブックカバーです」

 愛用しているらしく、実際に本にかぶせてあった。

「これも値段はつけようがないわね」

「ええ。いろいろな意味で」

 祥子はクスリと笑う。

「それから、これが祐巳がバレンタインの時にくれたチョコレートのラッピング、そしてこれが祐巳に貰った黒いリボン」

「さっきから、祥子の大切なものって祐巳ちゃん絡みばかりじゃない」

 からかうように令が言う。

「そうよ。蓉子は意外とやきもち妬きなんだから、蓉子の何かも言ってあげなきゃ」

 と江利子がからかって言う。

「誰が何ですって?」

「なんでもないわ」

 江利子がニヤリと笑う。

「まあ、あなたの大切なものが何かはわかったわ。で、質問を変えるけど、みんなは何をやっているの?」

 部屋にいる一同を見渡して蓉子が聞く。

「紅薔薇仮面を退治するためにそれぞれがそれぞれに出来ることをしているんです」

「で、あなたは何をしているの?」

 と、江利子に向かって蓉子は尋ねる。

「私は祥子の大切なもののレプリカを作って、本物が盗まれないようにしたのよ。例えばこの花瓶、ガレの花瓶で100万くらいするらしいのだけど、祥子のお祖父さまの協力で1000万かけて作ってみたのよ」

「あのさ、それっておかしくない? 1000万かけるくらいなら盗難保険に入った方がよくない?」

「見て、本物そっくりでしょう?」

「たしかにそっくりね」

 ほほう、と蓉子は感心する。

「さっき鑑定士の先生に見てもらったら私の方が価値があるってお墨付きを頂いたわ」

「本物を超えちゃったの?」

 驚いて蓉子は聞き返す。

「それで、私たちが間違ったら困るでしょう? だから、裏に『鳥居江利子作偽物』ってシール貼っておいたわ」

「江利子、当初の目的を思い出して」

 ガクッと蓉子は崩れる。

「だけど、さっき祐巳ちゃんが本物しまう時に手を滑らせて割っちゃったから、本物はなくなっちゃった」

「才能も予算も無駄遣いの極みね」

 ペコペコと祐巳ちゃんが謝ってきたので、話し相手を変える。

「で、あなた達は何をしているの?」

 令、由乃ちゃん、菜々ちゃんに蓉子は聞いた。

「紅薔薇仮面を捕まえるために、日ごろ鍛えた剣の腕を振るおうと思いまして」

「なるほど。でも、それって……」

「祥子さまのお祖父さまのコレクションの業物です」

 業物とは、名工が鍛え上げた真剣、本物の刀である。

「由乃ちゃん、銃刀法違反で捕まるわよ」

 にこやかに刀を振り回している由乃ちゃんに向かって蓉子は注意した。

「大丈夫です。融小父さまが殺さなければ何とかすると請け負ってくれました」

「いや、そうじゃなしに」

「暗殺剣と言われた有馬流も今日ここで日の目を見られそうです」

 感慨深げに菜々ちゃんが言う。

「いや、夜だから」

 由乃ちゃんが突っ込む。

「由乃、それをいうなら同田貫より菊一文字の方がよかったんじゃないかと──」

「って、いうか止めなさいよ」

 誤った突っ込みをする令に蓉子が突っ込む。
 ダメだこりゃと、白薔薇チームに目をやる。

「で、乃梨子ちゃんは何を?」

「屋敷の何箇所かにプラスチック爆弾を仕掛けてみました。これで紅薔薇仮面がきたら即座にどっかーんと」

「死ぬわあっ!!」

 裏拳で思い切り蓉子は突っ込みを入れ、次に聖に尋ねる。

「で、あなたは何を?」

「紅薔薇仮面が女性だったら口説……説得して犯行をやめさせる」

「男だったら?」

「しらん。興味ない」

「……で、志摩子は何を?」

「みんなが怪我をしないようマリア様にお祈りをしています」

 ……何のために呼ばれたんだろう? 蓉子は首をかしげる。

「で、瞳子ちゃんは?」

「私は親戚ですから祥子さまのお手伝いをするのは当然です。あ。ちなみに、優お兄さまは庭を見回っています」

 奴も来ているのか、という顔をして蓉子は祐巳ちゃんの方を見る。

「私はお姉さまが紅薔薇仮面と安心して戦えるように側についています」

「それだけ?」

「はい。それだけです。でも、それが私の役割だと思っていますから」

 蓉子の眼を真っすぐ見つめて祐巳はにっこりと微笑した。

「どうでしょう、お姉さま。私は完ぺきだと思うのですが」

 祥子が声をかけてくる。
 時計の針が指定時刻の5分前を回った。



「……まるで駄目ね」

 蓉子さまがそう答えた。

「駄目、ですか?」

 祥子さまが聞く。

「ええ。大体人の出入りが多すぎて、誰がどう出入りしたのかわからないじゃない」

「でも、ここにいるのは皆よく知っている人物だけです」

 祥子さまは全体を見回して言う。

「それは逆にまずいと思うわ。この中の誰かが紅薔薇仮面の変装だとしたら、どう?」

「まさか、そんな」

 祥子さまが少し焦ったように部屋にいる者の顔を一人一人見ていく。

「あと、祥子。あなたは自分が何を狙われているのかさっぱりわかっていないようね」

「え?」

「あなたの大切なものはただ一つ。そしてそれを紅薔薇仮面は狙っていて、もう、手の届くところにいる」

 蓉子さまが断言した瞬間全員に緊張が走る。
 時計の針が指定の時間をさした。

「紅薔薇仮面の狙いは福沢祐巳ちゃん、そして、この紅薔薇仮面がそれを今頂く」

 蓉子さまはそう言うと、祐巳の肩に手を置いて、くるりと祐巳を自分の方に向けた。
 そして。
 ちゅ、と祐巳の唇に自らの唇を重ねた。

「確かに小笠原祥子の大切なものを頂きました。それでは皆様ごきげんよう」

 高笑いとともに蓉子さまは窓を開けると飛び出した。
 窓の外には縄梯子を垂らしたヘリコプターがいて、その縄梯子に捕まって蓉子さまはまんまと逃げおおせた。

「え?」

「え?」

「ええっ!?」

「ええーっ!!」

 茫然としていた一同が驚いて我に返るまでにしばしの間があった。

「くっ!! 蓉子の携帯にかけたのだけど、出ないのっ!!」

 江利子さまが叫ぶ。

「あれって、蓉子さまが紅薔薇仮面なの? それとも紅薔薇仮面が蓉子さまに変装していたの?」

 自問自答するように志摩子さんが言う。

「もう、わからない」

 がっくりと江利子さまがうなだれる。

「うわあああっ!! 私でさえ祐巳とキスしたことないのにいっ!!」

 半狂乱になって祥子さまが暴れる。

「お、落ち着いて、祥子……ムギュ!!」

 止めようとして令さまは暴れる祥子さまの餌食になる。

「祐巳ちゃん、お口直しに」

 聖さまが祐巳の肩に手をかける。

「何を言ってらっしゃるんですかっ!! 寝言は寝ておっしゃってください!」

 由乃さんが聖さまの手を掴んでもの凄い形相で叫ぶ。

「お姉さま、その後どうなさるおつもりで?」

 菜々ちゃんが笑顔なのだが、もの凄く迫力のある笑顔で由乃さんに尋ねる。

「お姉さま。も、もしかしてファーストキスですか? わ、私は別に全然ちっとも全くこれっぽっちも気にしてませんから」

 瞳子が縦ロールを震わせて言う。

「くっ、なんたる不覚」

 ドン、と乃梨子ちゃんがテーブルを叩いた。

「乃梨子! 爆弾のスイッチ持ったままテーブル叩いたら……」

「あ」

「ん?」

「へ?」

 どおおん!! と小笠原邸は爆破、炎上した。
 全員がほぼ無傷で脱出できたのは奇跡といっていいかもしれない。
 崩壊する小笠原邸と山百合会のメンバーの絆を見つめながら、祐巳はそっと唇に手を当てて呟いた。

「紅薔薇仮面……」


一つ戻る   一つ進む