【3164】 カレーのお話どこへ行くのか気持ち悪いよ  (朝生行幸 2010-05-03 14:13:07)


「……あ、あの!」
 放課後、部室を兼ねた音楽準備室にて。
 いつものように、お茶とお菓子に舌鼓を打ちながら雑談していた友人たちに、普段のぽわぽわな雰囲気も何処へやら、何やら妙な緊張感を漂わせて、思い切ったように声をかけたのは、『たくあん』と称される太い眉毛が特徴的な少女、琴吹紬だった。
「どうしたのムギちゃん?」
 問いかけたのは、やたらノーテンキな声音で、やたらノーテンキな表情の少女、平沢唯。
 ちなみに『ムギ』とは、紬の愛称だ。
 紬は、おずおずと一枚のチラシを取り出し、皆に見せた。
「……カレー?」
 訝しげに呟いたのは、ちょっとトンがった目付きの、ロングヘアーが美しい少女、秋山澪。
「あー、そういや、駅の近くでこのチラシ配ってたなぁ。んで、コレがどうかした?」
 納得顔で頷くのは、オデコを全開にした、少々お行儀が悪い活発少女、田井中律。
「そんなの、決まってるじゃないですか。行きたいんですよねムギ先輩?」
 強気に応じたのは、唯一の一年生、ロングツインテールの小柄な少女、中野梓。
 梓の問いに、真剣な表情で、紬はコクコクと頷いた。
「それイイねぇ。今度の日曜日に、みんなで行ってみようよ〜」
「そうだな、良いんじゃないか?」
「まぁ、ムギが行きたいってんなら仕方がないなー」
「私も行ってみたいです!」
「ホントぉ〜♪」
 みんなの乗り気な意見に、紬は瞳を輝かせて、喜びの色を隠そうともしない。
 何せ彼女は、ファーストフード店すらも高校生になって初めて訪れたほどだ。
 メンバーと一緒に初めてのことをする、それが楽しくて仕方がないらしい。
 ちなみに彼女らは、桜が丘高校軽音楽部の部員で、部長でドラマーの律、ベース兼ボーカルの澪、キーボードの紬、リードギター兼ボーカルの唯、リズムギターの梓で、『放課後ティータイム』というバンドを組んでいる。
 結成した当初は四人だけの構成だったが、新入生の梓が入部したことにより、現在のメンバーは五人となっている。
 ゆえに、梓以外はみな二年生だ。
「ねぇねぇ、和ちゃんと憂も誘おうよ〜」
 和とは、唯の幼馴染、真鍋和のことで、憂とは、唯の妹、平沢憂のことだ。
 それを聞いて、澪と梓がパッと顔を綻ばせる。
 和は澪の現在のクラスメイトで、二年生進級時、唯、律、紬とは別のクラスとなった中、唯一知った顔だった和のお陰で、寂しい思いをせずに済んだという経緯がある。
 憂は梓のクラスメイトで、梓が軽音楽部に入ったきっかけというのが、唯のギターに憧れたということから、その妹とも同じクラスということで、かなり親密な間柄にある。
 二人とも、軽音楽部とは因縁浅からぬ関係なので、誘うのに吝かではないってものだ。
「あ、さわちゃんはどうする? 黙っていると、またいじけそうだしなぁ」
 律が言った『さわちゃん』とは、吹奏楽部と軽音楽部の顧問を兼任する音楽教師、山中さわ子のことで、校内では優しくてオシトヤカな振る舞いを見せているが、その実はかなりグータラでテキトーな性格をしている。
 何も言わずに「みんなでカレー食いに行った」のを知ると、拗ねてしまうのは間違いないと思われているほど子供っぽいところもあるので、律が危惧するのも当然か。
『あー……』
 一同、呆れ顔。
「仕方がないな、一応誘っておくか。日曜日だから、来られないかもしれないけど」
「それじゃ、私は和ちゃんと憂に言っておくね」
「おう、たのんだぞ」
 こうして、紬のお誘いによる『日曜日カレーツアー』が決行されることになった。

 日曜日、午前11時。
 駅前を集合場所にして、一同が顔を揃えた。
 もちろん、さわ子の姿もある。
 日曜日なので、お昼は込むことが予想されるため、早めに突撃を敢行することに。
 やって来たのは、『ココ天辺屋』という名のカレーハウス。
 早速、奥まった位置の四人掛け席をふたつくっ付け、めいめい好きな場所に納まった。
「ところで、初めての人〜!」
 問いかけた律以外、全員が手を上げた。
「って、全員かよ……」
「一応、家にあったチラシを見て来たけどな。来るのは初めてなんだ」
 澪が遠慮がちに答えた。
「私は何度か来た事があるな。違う店舗だけど」
「ねぇねぇりっちゃん、何を頼んだら良いのかしら?」
 集まった時から始終にこやかな表情の紬が、メニューに目を通しながら正面に座る律に問い掛けた。
「そうだな。ここの基本は、300gライスでビーフかポークかチキンがベースになってる。結構ボリュームがあるから、トッピングするなら200gライスにした方が無難だな」
 一同、律の説明に耳を傾けつつ、それぞれメニューをペラペラめくる。
「私、ポークベースの200gに、トンカツを乗せる〜」
「トントンだね、お姉ちゃん」
「ブヒブヒ♪」
「じゃぁ私は、チキンベースの200gに、唐揚げで」
「あずにゃん、鳥鳥で羽が生えて飛んじゃいそうだねぇ」
「お姉ちゃん、鶏は飛べないよ」
 さて、何にしようかなと、唯たちのやりとりを見ていた澪も、メニューに目を通したその時。
「私ー、200gのビーフベースにー、エビフライとー、コロッケとー、ハンバーグとー、トンカツとー」
「っておいムギ、乗せ過ぎだろ!?」
 満面の笑みで、嬉々として無茶な選択を繰り広げる紬に、澪は思わずツッコミ。
「チーズにー、卵にー……」
 聞こえているのかいないのか、際限なく増えるトッピングの山。
「はぁ……、律は決まったのか?」
「おう、とっくに決まってるぜぃ」
「それじゃ……」
 ベルを鳴らして店員を呼び、それぞれ注文することに。
『それじゃぁ私はぁ……』
 声を揃える律とさわ子に、澪は嫌な予感。
 そしてそれは現実に。
『チャレンジでー!!』
「ちょっと待てー!?」
 澪が止めるのも束の間、
「はい、二名様チャレンジコースで」
 店員も、あっさりと受け入れる。
「大丈夫なのか!? 絶対二人とも残すだろ!?」
 ちなみに女性向けチャレンジは、1000gライスに各種トッピングで制限時間45分のコース。
 トータル2000g弱、大人の男性でも完食は難しい量を、制限時間内に食べ切る必要があるのだ。
 澪が止めようとするのも無理はない。
「心配するなよ。こんなこともあろうかと、朝は食べて来なかったんだー」
「そうそう、基本よ基本」
 当然、彼女らが聞き分けるワケも無く。
「……じゃぁ私は、ビーフの100gで」
「ん? それだけでいいの?」
「お前のせいで、食欲が無くなった……」
「ふ〜ん」
 まるで人事の律に、更に不安が増す。
 おそらく律は、完食出来ないだろう。
 その後片付けは、どうせ自分に回ってくるのだ。
 それならば、最初から控えて行くに越したことはない。
「それじゃ、私もポークの100gで」
「へ?」
 予想だにしなかった注文をした和に、澪は思わずマヌケな声を出す。
 和は、澪に向かって、口元に人差し指を立ててウインク。
(うぅ〜、さすが和。ありがとー)
 和の気を利かせたフォローに、澪は感謝せずにはいられなかった。

 店員が立ち会うため、一番端の席に移動した律とさわ子。
 不安と諦めが綯交ぜになった、微妙な表情の澪を尻目に、無情にもチャレンジが開始される。
「さわちゃんより先に食ってやるぞー!」
「なんの、大人をナメるんじゃないわよー!」
 変に盛り上がった二人の方は見ない様にして、自分が注文したメニューに手を付けつつ、澪はそのまま唯たちの雑談に加わった。
「美味しいねぇ〜」
「うん♪」
 美味しいものが好きと公言して憚らない唯と、初めてのお店のカレーで興奮冷めやらぬ紬が満面の笑みを浮かべ、それを見ている憂や梓も、自然と頬が緩む。
「でもねぇ、憂が作るカレーも美味しいんだよ。あずにゃん、一度食べにおいでよ〜」
「へぇ、それは食べてみたいですねぇ」
 トッピングを交換したり、違う味を求めて取ったり取られたりと、賑やかな昼食時間が進む中。
 突然、律が澪の袖を引いた。
「澪〜……」
「なんだ、どうした律?」
「……ギブ」
「もうかよ!?」
「30分が経過しました」
 無情にも、経過時間を告げる店員。
 律の皿を見れば、まだ半分以上は残っており、残り時間は15分、もはや消化は不可能だ。
「だから言っただろ!? 絶対無理だって」
「だって〜、こんな量食えるわけないじゃん」
「それに挑戦したのは誰だよ!?」
 律を責め続ける澪の袖を、クイクイと引っ張る手があった。
「澪ちゃ〜ん……」
「先生?」
「……ギブ」
「アンタもか!?」
 さわ子の皿も半分近く残っており、こちらも絶望的。
「はぁ〜……。スミマセン、二人ともリタイアで」
 もうどうやっても無理な状況だ。
 澪は店員に告げて、早々にチャレンジを切り上げさせた。
「ハイ両名様、チャレンジ失敗で〜す」
 にこやかな店員の態度に、落胆よりも安堵の方が強く感じるのは気のせいか。
「ほらもう、皿を貸せ。手伝ってやるから」
「ありがと〜みおちゅわ〜ん♪」
「えーい、鬱陶しい」
 律の顔面を押し退けながら、大きな皿を引き寄せる。
「お皿こっちにも頂戴。私も手伝うから」
 こうなることを確信して、少なめで抑えていた和が名乗り出た。
 まだ胃袋に余裕がある澪と和のみならず。
「こっちも、ちょっとなら手伝えるよ〜」
 唯、憂、梓の援軍も加わって、律の皿は粗方片付いた。
「ホラ、残りは責任を持って食べろよ」
「おほう、持つべきものは友達だねぇ〜」
「ちょっとぉ……」
 笑顔の律とは反対に、さわ子が不満そうな顔で、
「私のも手伝ってよ〜……」
 唇を尖らせながら主張する。
 自分の皿は、リタイアした時点からほとんど減っていない。
「自業自得だよさわちゃん」
「お前が言うな!」
「あ痛!?」
 律の頭を軽く小突く。
「残念ながら、子供の私たちには、大人の面倒まで見きれません。大人らしく自分で責任をとって下さい」
「酷〜い……」
 拗ねたような表情で、ちまちまとスプーンを動かし続けてはいたが。
「やっぱりダメ〜。手伝って〜」
 まぁ無理もない話か。
「じゃぁさ、じゃぁささわちゃん。ここのお勘定を持ってくれるのなら手伝っても良いよ?」
 唯が、少々意地悪い(意地汚い?)交換条件を持ち出してきた。
 それを聞いて、さわ子が難しい顔で考え出す。
 もし残せば、勿体無いが自分の懐はチャレンジコースの代金だけで済む。
 しかしそれは、子供たちの模範ともなるべき教師が取るべき選択肢ではない。
 だが、ここの勘定を全部持つことになれば、一万円以上の出費は避けられない。
 手痛い出費ではあるが、『食べきれずに残す』という恥ずかしい行為をせずに済むことから、大人としてはともかく、少なくとも教師としての威厳は最低限保たれる。
 数分に及ぶ葛藤の末、さわ子が出した答は。
「分かったわ。食べ物を残すよりはマシだものね。だから、手伝って頂戴」
「おおう、さわちゃん太っ腹〜♪」
 実は一同、結構キツイ状態ではあったが、タダメシとなれば話は別。
 それに、やはり残すのは勿体無いという共通の認識もある。
 それぞれ、やれやれと思いながらも、さわ子の尻拭いをするべく、手を差し伸べることに。
 ちなみに紬は、チャレンジには及ばないまでも、かなりの量になっていた自身の注文を、あっさりと完食していた。

 時間は既に二時前。
 誰かさんと誰かさんの無茶のせいで、予想以上の時間が経過していた。
「美味しかったねぇ」
「ええ♪」
 喜色満面なのは、やはり唯と紬の二人だけ。
 他はみな、ぐったりとしていた。
 特に元凶となった二人は、人に肩を借りないと、まともに歩けない始末。
「この後何かするにしても、このままじゃ無理っぽいな。とりあえず何処か、喫茶店かファミレスで休憩するか」
「そうね」
 澪の提案に、和が賛同する。
「あ、それなら丁度いいわ。もう一軒、行ってみたいところがあるの」
 紬が、別のチラシを取り出しながら言った。
「ホラここ、『天下統一』っていうラーメン屋さん……」

『これ以上食えるかっ!?』


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