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☆
三年には、二人の克美がいる。
そして、二人とも占い系の異能使いである。
“月面流星(ムーンフェイス)”内藤克美。
“調停の魔女”佐々木克美。
三時間目の休み時間、二人の前には薔薇がいた。
“月面流星(ムーンフェイス)”の前には、同じクラスの鳥居江利子。
“調停の魔女”の前には、同じく一緒のクラスの佐藤聖である。
三年菊組にて。
「――で?」
「聡明な克美さんなら、言わなくてもわかるでしょう?」
「黄薔薇ともあろう方の思考なんてわからないわね。どうせ捻ってるんでしょ?」
「ええ、まあ」
机を挟んで向き合う“月面流星(ムーンフェイス)”内藤克美と、“黄路に誘う邪華”鳥居江利子はギスギスしていた空気の中央にいた。余裕たっぷりの江利子と、存在から気に入らないと言わんばかりに敵意剥き出しの克美。
二人が話していると、だいたいいつもこんな感じだ。周囲に人がいなくなって、妙な緊張感が広がっていく。二人とも闘う気などさらさらないのに。
「……って、いつもならこの辺の問答も楽しみたいんだけれど」
「休み時間は限られるわね。本当に占ってほしいのなら、さっさと用件を言ってくれる?」
克美は面倒そうに言い、「それじゃあ」と江利子はそれを口にした。
「今日これから、私か令か由乃ちゃんの三人の誰かが怪我をするかどうか」
「…? “契約書”の持ち主を探すんじゃなくて?」
「それは自分で探すわ。“地図”もあるしね」
「ふうん……まあいいけれど」
フッと、それは音もなく唐突に出現する。
克美を中心に、九つの球体が浮いている――小さな惑星である。
“月面流星(ムーンフェイス)”は、縮小版の宇宙を呼び出す、いわゆる占星術の一種だ。肉眼では確認できないが、使用者である克美には、縮図でさえ何万光年離れた数え切れない星屑まで把握できている。
この能力は、未来の予知、予言、今日の運勢からラッキーカラー、ラッキーアイテム、アニマル占いまで扱う万能能力で、占い好きの多い女学園においてはひっぱりだこの異能だったりする。ちょっと使用者が気難しいが、的中率はかなり高く、当然のように人気がある。克美の周りから人がいなくなる時は、大概が江利子やその辺の危険な輩が側にいる時くらいのものだ。
ちなみに、克美の展開するこの宇宙は、既存の宇宙とはまったく別次元のものである。太陽みたいな燃える惑星も太陽ではないし、いずれ一部の生徒に「マリア様の星」と呼ばれることになる火星も、火星っぽいだけでどこか違う。
「…………」
傍目には目立った動きもないのに、無言で星の動きを追う克美。江利子は邪魔をしないようじっと答えを待つ。
「“赤子の如き小さな凶星が、狂おしく燃える獣に抱かれる”……だって」
「――由乃ちゃんか」
克美の“予言”を受け、江利子は瞬時に意味を読み取る。
「“予言”はそれだけ?」
「そうみたい。――何? 可愛い妹と孫が心配?」
皮肉てんこもりで笑う克美に、江利子ははっきり答えた。
「もちろんよ。このゲーム、相当危ないんだから」
令のことはあまり心配していないが、問題は由乃だ。彼女の性格からして、まず強い者と闘おうとするだろう。立場も状況も関係なく、そういうことができるのが“争奪戦”なのである。あの戦闘狂がこの機会を逃すわけがない。
普段ならいい。目的が闘うことであるなら、それはまだ安全だ。由乃を相手する以上、相手も遊ぶ気が多少なりともあるのだから。
しかし“争奪戦”は違う。
由乃を倒した先に目的があるのならば、由乃を倒すことに躊躇するような強者はいない。
“契約書”の持ち主が三人とも動いてしまった今、特に、由乃の理想には近い状況になっているはずだ。
今ならこう言えばいいのだ――「あなたが持っている“契約書”をよこせ」と。真偽も信憑性も必要ない。言いがかりでも襲う理由になりさえすれば、由乃にとっては、いや、闘うことを渇望する者ならそれでいいのだ。
「意外と過保護よね、江利子さん」
呟く克美は珍しく敵意を感じられず、どちらかと言うと呆れているようだった。
「ま、勝手に心配しているだけなんだけどね」
由乃にしてみれば迷惑かもしれない。
彼女はもはやひよっこでも新参者でもなく、いっぱしの幹部である。勝ちも負けも受け入れる覚悟はあるだろう。その先に更なる苦難が待っていることも知っているだろう。それでもなお進もうとしているのだから、江利子や令が心配しても仕方ないのだ。克美の言う通り、ただの過保護だ。
しかし、理屈じゃないとも思う。
損得抜きで擁護したくなる。妹も孫も、きっとそういうものなのだろう。
――とは言え、表立ってどうこうなんて、さすがにできないが。たとえば戦闘中の二人の間に無遠慮に割り込むだとか。そんなことをしたら由乃の面子を潰してしまう。黄薔薇に尻拭いされないと何もできない島津由乃、なんて悪意ある噂が飛び交うに違いない。
一番簡単な解決法としては、由乃が闘う前に、江利子が“予言”の相手を叩きのめしてしまえばいいわけだが。
「“狂おしく燃える獣”ねぇ……誰よそれ」
さすがにキーワードから相手を割り出すことは難しそうだ。
炎使い、は、確定かもしれない。――いや、断定するのは早計か。“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”のような火薬を扱う者もいるし、高圧電流でも燃える。
「“頭を垂れ四肢を折る獣の星は、燃えるように赤く輝く”。獣に関する詳しい“予言”はこんなところかしら」
「頭を垂れ四肢を……伏せてる? 降伏?」
「獣が伏せるのは、獲物を狙う時か、獲物に飛び掛かる寸前よ。この星が絡んだ時はほとんど戦闘が起こる、っていうのは江利子さんも感づいていると思うけれど」
「まあ、由乃ちゃん絡みの時点でね。あとは不意打ちの可能性も?」
「そうね。でもあなた方三人に限って、不意打ちを許すとも思えないから、除外していいんじゃない?」
「そうかしら……なんだか不安だわ。克美さんの占いは結構当たるし……」
「過保護」
1ミリも反論できない江利子は、「まったくだわ」と頷いた。
三年藤組にて。
「――あら聖さん。珍しいわね。占い?」
「うん。やってくれる?」
「いいけれど、私の能力じゃ“契約書”探しは難しいわよ?」
「ああ、そっちはまだいいから」
「ちょっとごめんね。急ぎだから」と、先客のクラスメイトに頼み込んで順番を譲ってもらい、聖は机を挟んで向き合った。
“調停の魔女”佐々木克美。
占い系異能使いとしてはかなり有名な存在だが、聖はそのことを知らず、「ただのクラスメイトの占いが得意な人」くらいにしか思っていなかった。失礼な話である。
「それで? 何を占うの?」
「学食にしようかパンにしようか」
「……昼食?」
「そう」
「……それ、重要なの?」
「たぶん」
「なんでだ」と問い質したそうな顔をしている克美と、対照的に「他意はまったくない」と言わんばかりに微笑む聖。からかわれているのか、とも思ったが、聖はこれでも忙しい身だ。冗談半分で占え、とは言わない。
「まあ、いいけど」
克美は左手をかざす。――と、金色の分度器が印象的な、細工も豪奢な天秤が中指と薬指に吊るされた。
これが“調停の魔女”である。
占い、というよりは、質疑に対する応答の形。“調停の魔女”の左右にある銀の皿には全ての可能性が乗せられ、答えは「是・否・平」または「右・左・無」の二種三答に選り分けられ針は振れる。その角度は可能性を吟味された冷静にして冷徹な結論である。
ただし本人曰く「あくまでも現状のことで未来の要素は含まれない」そうだから、“調停の魔女”の結論を覆すための努力の量も、針の触れ具合と比例する。
「じゃあ占ってみるから――えー、“汝の昼食は学食かパンか”」
キリキリキリ、と僅かな金属音を発てて歯車が回る。針はゆっくりと、しかし大きく振れ…………克美の表情が凍りつく。
「な、70度超え……!?」
克美から見て左、聖から見て右の肩が思いっきり下がる。
「どういうこと?」
「占いでは圧倒的に“パンにしろ”って出ているわね。針が動かなかったら“どっちでもいい”ってことになるんだけど……」
というかそう出ると思っていたのに、この結果だ。聖より克美の方が驚いている。
克美は眉を寄せる。
「この傾き加減は異常よ。学食とパンで迷うってことは、たぶん場所に掛かってるんだと思うけれど。ミルクホールで何かが起こるんじゃない?」
「何かが?」
「今現在で言うなら、戦闘かしら?」
「なるほど」
占いで“パンにしろ”と出たなら、確かに、ミルクホールで何かが起こる、と考えるのが自然だろう。パンならわざわざ混雑しているミルクホールで食べる必要はないのだから。
「で?」
「ん? 何? あ、わかった。聖さんって何のパンが好きなの?って聞きたいんでしょ。私はマスタード」
「別に知りたくない」
「……」
「なんで学食とパンで迷ったのかな、って。まるで――」
この結果がわかっていたかのように、ピンポイントで聞いてきた。そこが不思議でたまらない。
「食事中って隙ができるから。それだけ」
「……それだけ?」
「うん。食べてる時の襲撃は勘弁してほしいから」
「だったら言わせてもらうけれど、もし私の“調停の魔女”を信じる気があるのなら、絶対にパンにして。もし学食を選んだら、聖さんにとって悪いことが起こる……かも。
だって質問で70度超えなんて、“契約金が億を越えるメジャーリーガーと結婚できるかな”って質問以来だもの。何が起こるかはわからないけれど、何かはたぶん起こるわ」
聖の答えは決まっている。
「わかった。克美さんを信じる」
占いを信じたからこそ、二人はそこにいた。
江利子は、昼休み、予想通り掲示板を見に来た島津由乃を、充分すぎるほど距離を取って尾行を開始した。
本当にもしもの時は、乱入できるように。
そして聖は、ミルクホールにいた。
良くないことが起こることを期待して。
せっかくの争奪戦である。何かが起こらないとつまらない。
“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”の異変に気付いたのは、由乃だった。
3秒掛かった。
この光景を見ている江利子からは「遅すぎる」と、決して聴こえないダメ出しが出ているが、聴こえないので見ていることさえ気付いていない。
(おかしい)
相手は昨日今日目覚めたような新参者でも、力に振り回されている打たれ弱い自称中堅クラスでもない。大将クラス、トップクラスの相手だ。たとえ派手に攻撃を食らったとしても、その集中力が途切れることはまずない――由乃ができることができないはずがない。そんな相手だ。
“雪の下”の不意打ちは、確かに驚いたのだろう。それはいい。
しかし、なら、なぜ。
――なぜ3秒以上も能力を解除している?
それどころか、蹴りを誘発するような挑発的ポーズで悶絶している“雪の下”に、なぜ襲い掛からない? 格好の的ではないか――“竜胆”が微妙にかばっているが、彼女の動きと能力では盾にもならない。
“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”は、由乃が撃ち抜いた足を庇うように地面に片膝をつき、油断なく由乃を睨みつけている。
今すぐ由乃に襲い掛かろうとしている――ように見えるが、きっとフェイクだ。
それはわかっているが、由乃は迷った。
(もし『炎を出さない』じゃなくて、『炎を出せない』だったら?)
いや、きっとそうなのだろう。
彼女が炎をまとうのは、何も能力を使う際の必須要項ではなく、その方が利点が多いからだ。紅薔薇・水野蓉子のように、新参者の“竜胆”や“雪の下”のように、オーラが漏れ出すというものとは根本的に違う。
出す理由はあっても、出す必要はない。
炎をまとう理由は、近づく者にダメージを与えたり、威嚇の意味があったり、もしかしたら相手の火に対する本能的な恐怖を呼び起こさせるという要素もあるかもしれないが、それらはあくまでも副産物。
一番の利点は「炎を出す → 操作する&放つ」の一番最初の行程をジャンプするためだ。コンマ2秒は確実に削れるし、そのコンマ2秒が接近戦においてどれだけ大きいかは由乃もよく知っている。
だったら。
だったら――
「……闘う理由がない」
思わぬ攻撃を受けて逆に闘争心が燃え滾る手負いの獣と反比例して、由乃の戦意は急速に萎えていく。脳内麻薬も切れてきたのか、左手の火傷の痛みはどんどん増していく――見たら戦意が殺がれるせいであまり見ないようにしていたが、もう見なくてもわかる。やはり大怪我のようだ。
「“竜胆”さん」
「何?」
由乃の注意を受けたせいか、“竜胆”は呼びかけても振り返らなかった。
「私、抜けるわ」
「えっ」
さすがに振り返った。
「なんで? 私のこと嫌いになったから?」
「元々好きじゃないけど、それは関係ない」
好き嫌いはともかく、“竜胆”には興味津々だ。ちょっと見ない間に強くなっていたのだ、今すぐにでも闘って直接確かめたいくらいだ。好き嫌いはともかく。
「――まさか勝ちを確信したから?」
“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”は立ち上がる。敵意どころか殺気さえ放ちながら――軽視されたと思ったのだろう。
「この程度で勝った、と? だとしたら黄薔薇の蕾の妹も大したことないわね。一からやり直しなさいよ」
「別に勝ったとは思ってませんよ」
むしろ、炎が出せなくなっても、片足を撃ち抜いても、それでも“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”に勝てる気はしない。今の状態でも由乃より強いかもしれないと、本気で思う。
だが、問題はそこじゃない。
「私は勝ちたいんじゃなくて、闘いたいんです。――“忠犬”のお姉さまこそ、私のことを軽視してませんか? 坂道から運良く転がり落ちてきたような勝機なんて、私が喜んで拾うと思うんですか?」
「…………」
「しかも一対一でもないのに、勝敗にこだわるなんて。さすがにそこまで厚顔無恥ではないつもりなんですけど」
“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”は何も言えなかった。
そして由乃は、沈黙の答えを貰って背を向ける。
(……志摩子さんに頼むしかないかなぁ、これ)
予想以上にひどそうな左手と、これから受けるであろう屈辱に眉を寄せながら。
「…………」
――困ったのは、残された“竜胆”だ。“雪の下”は悶えているし、“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”は由乃の背を見送っているし。
そもそも、こうなってしまっては、“竜胆”にも闘う理由がない。
“雪の下”は自爆で戦闘不能。
由乃と二人掛かりでも押し切れない、紅薔薇勢力総統からは急激に戦意が衰えるのを感じるし。
“竜胆”は“雪の下”の助っ人として乱入したのだ。こうなってしまうと、出方に迷ってしまうのも無理はない。元々自分には闘う理由がなかったのだから。
だとしたら。
「私達も行きますね」
「……好きになさい」
まあ。
あの“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”とやりあって華の名を折られなかっただけ、運が良かったとでも思えばいいのだろう。トップクラスと闘うなんて貴重な体験はできたし、焦がされた前髪分は収穫もあった。
相変わらず何一つ大丈夫じゃない“雪の下”をひょいと小脇に抱え、“竜胆”もその場を離れ――ようとしたのだが、顔面を押さえて泣いている“雪の下”が何かを囁いた。
「1時間……」
「ん?」
「1時間、って、伝えて……うぅっ…」
「1時間? 誰に? あの人に?――なんかよくわかりませんけど、1時間ですって」
“竜胆”にはわからなかったが向こうはわかったようで、“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”は小さく頷く。
その向こうには、彼女に駆け寄る仲間達が見えた。
時間にして5分足らずのやり取りだったが、昼休みであることと、その場に顔を合わせた四人の注目度は、かなり高かった。
特に紅薔薇勢力総統“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”は、立場上、滅多に闘うことはない。よっぽどの理由がなければ勢力下の者達が代行してしまうので、貴重な観戦となった。
それと――
「本当に“天使”そのものね」
嬉しいような怒っているような、非常に微妙な表情で階下を見下ろす江利子に声を掛けたのは、紅薔薇・水野蓉子だった。
そう、“天使”そのものだった。
先週の瓦版号外は、決して嘘や脚色された事実を載せたわけではなく、見た通りの真実が記されていたわけだ。
始めて見て、江利子もそう思った。
あれは“天使”だ。
廊下のそこかしこの窓から大勢が観ていたものの、何より驚かせたのは、“雪の下”なる噂のルーキーが見せた翼――“飛行”だろう。これまでリリアンにいなかったタイプの異能使い。しかも見た目は“天使”だ。見えるオーラもどこか神々しかった。これで頭の輪があれば完璧だ。
が、それはいいとして。
「どうしよう紅薔薇。由乃ちゃんが」
「がんばっていたわね。私の想像以上に伸びていたわ」
外見上はそうでもないが、蓉子はかなり驚いていた。後継ぎである小笠原祥子を除けば、信頼度でも実力でも紅薔薇勢力でトップにいるだろう“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”が、山百合会史上最弱とまで言われたあの島津由乃と、ちゃんと勝負になっていた。
特にサポートだ。前衛を据えた中距離の動き。あの反射速度を可能とするなら、対象の呼吸まで先読みの判断材料に加えているはず。なるほど、由乃は素質があまり左右しない、観察眼や見切りを中心に鍛えてきたのだろう。
だが、相手が悪すぎる。
たぶん、“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”と一対一でぶつかりあえば、由乃は3分と掛からず負けるだろう。
しかしそれでも勝負の体裁ではあるはずだ。
話だけ聞けば大したことはないかもしれないが、思いっきり最底辺にいた由乃を知っているだけに、今の由乃を評価せざるを得ない――よくぞここまで、と、どうしても思ってしまうのだが……
「何言っているの」
しかし江利子は、まったく違うことを考えていた。
「あの子、手加減してた」
「……え?」
「だから、由乃ちゃんは全力を出していなかった、って」
蓉子は耳を疑うが、江利子の意見は変わらない。
「まあ、理由はわかるんだけどね。初見の相手、未知の能力と対峙する時は、まず様子を見てしまう。相手の動きと能力を見抜き、そこから勝機を見出すのが、弱い方が強い方に勝つためのセオリーよね。ごり押しできる力がないから。
でも、まさかあの“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”相手にやるとは思わなかった」
由乃の立場からすれば、ドーンと胸を借りるつもり、くらいで丁度いい。いきなりフルパワーでぶつかったっていいのだ。由乃自身だって実力的に“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”には敵わないことくらい、すぐにわかっただろう。
しかし由乃は温存していた。いろんなものを。
恐らく、“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”との再戦に備えて。
だから江利子は微妙な顔をしている。
「……次は、片手くらいじゃ済まないでしょうね」
「あなたが言う通りなら、ね」
次は一対一だ。それも由乃は持てる力を出し切るつもりでやるだろう。何の遠慮もなく全力でぶつかって、そして負けるに違いない。
今より更に成長するために。
しかし、由乃はそれでいいかもしれないが、
「心配だわ」
周囲には、彼女の身を案じる者が、少なくない。江利子もその一人だ。由乃は気付いているのかいないのかわからないが。
「止めるように言いましょうか?」
「個人的には言って欲しい。私が先に“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”を潰しておきたい、とさえ思う」
江利子は、すでに闘いも終わり、平和な昼休みを取り戻した中庭を見下ろす。
「でもそれは反則だから」
「あなた、意外と心配性よね」
「妹の心配があまりないから、じゃない? 令に向けるはずの心配まで孫に向かっているのかも。でも紅薔薇だって祥子の心配なんてあまりしてないでしょう?」
「まあ、そうね。……ああ、私も孫のことは心配かしら」
孫。孫と言えば。
「祐巳ちゃんは?」
「どうかしら」
あの写真から始まった福沢祐巳との縁は、どうなるのか。
やはり本人達の希望通り、姉妹不成立だろうか。
それとも――
「今更だけれど、祐巳ちゃんの覚醒の話、どう思う?」
「あれも疑問よね」
先週、“契約”を交わした祐巳は、とてつもなく大きな力を得たのだとか。
話を聞いただけでは、あまりにも曖昧で、実感がなかった。
決して祥子や由乃の言葉を信じない、というわけではないが、現場にいなかった者にはいまいち掴みがたい話でしかなかった。
しかし“契約者”の力を目の当たりにして、意見は変わった。
あれだけの力を持つ者が動いたのであれば、祐巳に起こった事象も、話し通り受け入れられる気がする。いや、受け入れるべきなのだろう。
だが。
「力はまったく感じないわね」
「それに、祐巳ちゃん自身も感じないみたい」
目覚めた者が内外に力を感じない。そんな事例は今までなかった。それに基礎能力が上がっているわけでもないし、特別何かができるようになったというわけでもないし。
何の変化もない、というのが、率直な意見だ。
「“瑠璃蝶草”も、祐巳ちゃんのことは気にしていたわ」
「ええ。近い内に会ってみるとは言っていたけれど……」
問題は、会ってどうなるか、という点だ。
“契約者”との更なる“契約”で、祐巳は今度こそ異能使いになるとか? それともやはり何らかの力はすでに持っているとか? まさか単に会いたいだけとか?
二人の接触は重要視する必要はない。“瑠璃蝶草”には護衛の名目で監視が付いているので、妙な動きがあれば即座に耳に入る。そんな有様で突っ込んだ話などしないしできないだろう。
なので警戒はいらない。
かなり気にはなるが。
「色々と気になることが多いわね。私は“天使”が気になるし」
「“天使”? さっきの?」
「――恐らく“封印”」
「さすが紅薔薇」
やはり見抜いていた。
一見、“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”の動きは「由乃の弾丸が当たって怪我をしたから何かの狙いを持って炎を解除した」ようにも見えるが、百戦錬磨の三年生がやるにはお粗末なフェイクだ――が、たぶん瞬時にはそれしか誤魔化す手を思い浮かばなかったのだろう。
むしろ、今までになかったのだろう“異能を封じられる”という経験に対し、下手でも誤魔化したことを褒めるべきだ。現に動揺は見えなかったのだから。
「そういえば、“天使”に関しては面白い情報があるわよ」
「面白い情報? どんな?」
「ただでは教えられない。たぶん本人も知らないだろうから」
「……それは、対価を払う価値がある?」
「なんなら先に話しましょうか? それで紅薔薇がそれに見合うだろう対価を払ってくれればいいし」
「いや結構」
江利子がそこまで言うなら、絶対に対価を払う価値のある話だ。自信があるのだ。
「あなたの今までの貸し、なしにする。それでどう?」
「というと、六回分の貸し?」
「え? そんなに溜まってた?」
「憶えてない」
「……嘘にしろ冗談にしろ、無理があるわよ、それ」
蓉子の目がかなり痛いので、江利子はさっさと取引を成立させることにした。――ちなみに江利子の貸りは、全部由乃絡みのことで、紅薔薇である蓉子や紅薔薇勢力に頼んで、事件の尻拭いや、ある行為に対して目を瞑ってもらったりした回数である。
「ちょっと前に色々あって、“天使”の異能を“分析”できたのよ」
「あら……大した情報ね」
「だから取引になるんじゃない」
そして、“天使”の情報を渡した方が、自分の得の方が大きいと江利子は思っている。借り六回なんて冗談ではない。
まあ、逆に蓉子は、貸し六回分の方が軽いと判断しているが。
性格の違い、価値観の違いである。
「ちなみに紅薔薇、“天使”の能力はなんだと思う?」
「具現化……に、近いんじゃないかしら。でも翼が生える異能なんて前例はないわよね」
「本人も具現化だと思っているらしいけれど」
「ということは、違うのね?」
「それもある、って感じ」
江利子は少しだけ蓉子の耳に寄る。
「彼女の才覚は、具現化と変化の両方」
「変化……あ、そういうことか」
変化系は、物質を変化・変形させる能力である。
「それと、恐らく本人さえ気付いていないでしょうけれど」
「融合、でしょ?」
そう、融合。物質と肉体を完全に一体化させる能力だ。
異能使いにとって、具現化系はもっとも簡単な能力となる。そして簡単なだけに向き不向きの差が大きい。具現化が得意ではない江利子でも紙一枚くらいなら簡単に生み出せるが、刀辺りとなると不可能である。刃物ならせいぜい果物ナイフくらいまで、だろうか。
与えられたピースを並べて、“天使”の仕掛けを判断するなら、こうなる。
「制服だかインナーだかの背中部分を変化させ、自分の背中に融合させる。これが“翼”の正体」
厳密に「身体から生えている」のなら、制服の中から翼が出るはず。しかし“天使”の翼はそうではない。制服の上に発生している(確かめたわけではないから、そのようにしか見えないのだが、それで合っている)。
そしてカラクリはもう一つ。
「自分の力を変化させ、相手の異能に融合させる。これが“封印”の正体」
「ラジオみたいなもの、でしょ?」
「たぶんね」
さっきの“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”でたとえるなら、“天使”の力が勝手に融合することでパズルが一つずつ先送りになるような、感覚のズレ。それがさっきの現象だ、と思われる。
原理としてはかなり単純で、率直に言えば強制周波数変更、といったところか。受信・送信の感覚が知らず狂わされ、だから使用できなくなる――もちろん推測だが。
なんとなく、近づくだけで機械類を狂わせるというグレムリンを連想してしまう。
まあ、何にせよ、要素や原理が解明できたとしても、根本にあるのは使用者――“雪の下”の才能である。原理がわかっていればこそ応用できるが、もし彼女が知らないままなら更に先に進むことは難しいかもしれない。
「もう一人の、蒼いオーラの“刀使い”は? わからない?」
「知っているけれど……ああ、まあ、サービスでいいわ」
取引するのが面倒になった江利子は、ついでに“竜胆”の情報も漏らす。
「彼女は、具現化と空間系の“重力”よ。その二つ」
「瓦版の記事通りなわけね」
「あの子の場合、順当って感じがするわね」
「そうね。正統派で強そう」
“重力”を使おうが“斬撃”を飛ばそうが、それでも近距離戦をメインとした超攻撃型。“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”と同じタイプだ。
そして、だからこそ、実力の差が如実に現れていた――由乃のサポートがなければ瞬殺だった。
「争奪戦を急いで正解だったかもしれないわ」
「“契約者”達に時間を与えたくなかった、ってやつ?」
「そう」
あれらはまだ弱い。だがルーキーにしては強すぎる。伸びしろはとんでもなく長いのは、誰の目から見ても明らかだ。
別にそれ自体は問題ではない。
ただ。
「それなりの実力があって、それなりに話題性もあって、ビジュアル的にはもってこいの“天使”がいて。支持者も協力者もあっと言う間に増えるでしょうね」
三薔薇勢力に次ぐ、第四の勢力となりえる素質があると、蓉子は思う。三すくみ状態が崩れるのは避けたいところだが――
「それはそれで楽しそうじゃない」
「…………」
やっぱりわかりあえないなぁ、と蓉子は溜息をついた。
その頃、食堂に残っている佐藤聖と蟹名静は、新たな騒動に巻き込まれていた。
(……ああ、これか)
ようやく“調停の魔女”佐々木克美の「よくないことが起こる」という言葉の意味が、聖にはわかったような気がする。
――気がするものの、これはまだ、予兆だ。
「キャー!」
どこかの誰かが悲鳴を上げ、食器が飛び交い、ミルクホールには悪意と殺意と悲愴が、混沌の嵐となって吹き荒れていた。
只今、戦火の真っ只中である。
“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”が連れてきた仲間達と、外からやってきた白薔薇勢力の戦闘部隊数名が接触、即戦闘に入った。
上からの命令で「封鎖を継続」せねばならない紅薔薇側は、出入り口付近から動けない。だがそれでは相手をしきれず、徐々に中に被害が拡大しつつある。下手に封鎖なんてしているから、中の生徒達も逃げ切れず右往左往している。(ちなみに隙を突いて封鎖を突破した二人は、片方が白薔薇勢力総統“九頭竜”だったので追わなかった。追ったところで返り討ちに遭うだけだし、そうなればそれこそ封鎖を続けられなくなる)
ひどい有様だ。
楽しい楽しい昼休みが台無しである。
しかし聖と静は無関係とばかりに、残り少ない昼食を挟んで向かい合ったまま、食事を続けている。まだこの二人に被害は及んでいないからだ。――早くやめさせろ、と言いたげな視線はバシバシ感じられるが、まったく動かない。
そして聖には気になることがもう一つ。
「聖さまは、お休みの日は何を?」
「ん? だいたい寝てるか起きてるかな」
「奇遇ですね。私も一緒です」
このような状況でありながらも、平然と雑談を続けようとする静の胆力だ。しかも楽しげに微笑んでさえいる。
(えーっと……“冥界の歌姫”、だっけ)
聖はあまり二つ名持ち方面の事情に詳しくないので、静のことは知らなかった。さっきまでいた“九頭竜”がこそっと教えてくれたはいいが、それでもピンと来ていない。
どうやらかなりデキるらしい。こりゃ弟子になりたがる子も出てくるだろう、という感じだ。
「――だおらっしゃぁぁぁぁああああ!!」
「――唸れ祈願パーンチ!!」
「――何の! 今必殺の! コナ○くんのサッカーボールキック!!」
「――なんとかスパイダーベイビー!!」
「――なっ……まさに外道!!」
最前線は盛り上がっているようだ。ものすごく盛り上がっているようだ。
それにしても、どうしてこう、闘っている連中とそれを見守る連中とでは、これほど温度差を感じるのだろう。本人達は異常なくらい真剣なのだろうけれど、その情景さえ見ず耳をつんざく言葉は、驚くほどその景色を見せてくれない。特に「スパイダーベイビー」と「外道」の間にどんなことが起こったのかまったくわからない。というか彼女らは何をしているんだ。闘っていると見せかけて本当は遊んでいるのか。
「そろそろ行こうか」
「え、もう?」
静は残念そうな顔をする。
「あなたも弟子のことが気になるでしょ?」
「全然。そもそも弟子じゃないですし」
「え、そうなの?」
弟子云々はともかく、聖は結構気にしているのだが。“九頭竜”が一緒に行ったから余程のことにはなっていないだろうが、あの“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”と揉めて無傷で済んでいるとも思えない。
今頃消し炭にでもされているのではなかろうか。
「あの子に必要なのは経験です。あれくらい強い人と闘えるなら、勝っても負けても得るものは大きいでしょう。引き際くらいは教えてありますから、本当にまずいと思えば逃げますよ」
「ふーん。なかなか厳しい師匠だ」
「だから師弟関係じゃないですって。あの子が勝手に言ってるだけなんですから」
「ま、そういうことにしておこう」
さてそろそろ、と立ち上がり掛けた聖に、一人の女生徒が駆け寄ってきて腕にすがりついた。
「おおっ? どうした?」
背の低い女生徒は、涙を溜めた瞳で聖を見上げる。聖は知らない顔だ。一年だろうか。
「た、助けてください、白薔薇!」
なぜか正面の静が真顔になっていた。
「助けて? ――もしかして、アレ?」
「は、はい」
親指で指し示すのは出入り口付近の修羅場で、女生徒はこくこく頷く。――なるほど、「あれをどうにかしてほしい」と期待して見ていた子羊の一人が、痺れを切らせて直接頼みに来たわけか。
「食器、片付けてくれる?」
「え?」
「そっちの二つも含めて四人分だけど、頼んでいい?」
「は、は、はい! いいです!」
「じゃあお願いね。向こうはどうにかするから」
聖は改めて椅子から立ち上がると、コキコキと首を鳴らして、出入り口へと足を向けた。静も付いて来る。参戦するにしろ見学にしろ、その辺の素人じゃないので放っておいていいだろう。――向こうに味方し、聖の敵に回るのもそれはそれでいい。
「…………」
「……派手にやってますね」
「そうね……」
七人ほどの子羊達が、取っ組み合ったり飛び回ったりして入り乱れて闘っている。まさに混戦状態だ。本人達は誰がどこにいるとか何やってるとか本当にわかっているのだろうか。そんな心配をしてしまうくらいの密度の濃い混戦状態だ。
見た顔が多いのは、片方は白薔薇勢力の人員だからだろう。
「いてっ」
静と並んでぼんやり見ていると、殴り飛ばされた誰かが、二人の足元に転がってきた。彼女はぐいと口元を拭うと立ち上がり――聖の存在に気付いて驚いた。
「し、白薔薇!?」
紅薔薇勢力の誰かだ。顔は知っているが名前は知らない。まあ“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”が率いてきた時点でそれなりの使い手ではあるのだろうが。
そんな彼女の声に反応し、混戦は止まった。
七人の猛者は、聖を見詰める。
紅薔薇勢力は絶望し、白薔薇勢力は大将の出現に確実な勝機を見出す。
「あー……ここで暴れられると皆に迷惑だから、よそでやりなさい」
聖は平和的解決及び平和的解散を試みた。
しかし、思いっきり頭に血が上っている子羊達は、引き際を誤ってしまった。
「かつては『親友だって気まぐれで潰す』と言われた白薔薇のセリフとは思えないわね」
「あらら。随分と昔のことを引っ張り出したわね」
彼女は何度か見たことがある。紅薔薇勢力の幹部だ。名前は知らない。
「聖さん。あなた、三年になってから、あまり闘ってないわよね?」
「そうね」
「なぜ? もしかして彼女がいなくなったから弱くなったの?」
「どうかな? 試してみる?」
穏やかに微笑む聖は、己の言葉を裏切って、――もうやってしまった。
右手を上げて生み出されるのは、ちょうど聖と同じサイズの六方形の白い棺だ。棺の表には髑髏の女神が胸元で両手を交わし、薔薇の花を抱いている。陶磁器のようなつるつるした質感だが、細工に対して陰影がほとんどないのが特徴的だった。
「あ――」
彼女の声は、それ以上発せられることはなかった。
僅かに開いた“棺”の中から、白い影が飛び出す。それは具現化した速度も異常なら、襲い掛かる速度も並外れていた。
それは彼女に触れて、何事もなかったかのように“棺”の中に戻った。
――そして“棺”も消えた。それらの行程に1秒も掛かっていない。
「ごめーん。返事が待ちきれなくなっちゃった」
もう聖の声は聴こえていない。彼女がガクリと両膝をつくと、ぼたぼたと血が床を染めていく。
「ちょ、ちょっと……!?」
「まずい、貫通してる!」
紅薔薇勢力の数名が駆け寄る中、聖は平然と言った。
「良かったね、“ボールペン”で。“三角定規”辺りだったら腕が飛んでたかもよ」
――そう、ボールペンかどうかはわからないが、とにかくペンだった。
横で、そして間近で見ていた静は、聖の能力をようやく冷静に考えることができた。
“棺”から飛び出したのは、巨大だがスカスカした骸骨の白い右手で、その手は同色の、直径にして15センチはあろうかというボールペン状の棒を握っていた。そしてそれが彼女の腹部を貫いた。
あまりにも速く、あまりにも呆気なく、あまりにもさりげなくこなされたせいで、彼女らと同じく静も反応に遅れていた。
仕掛ける時には、絶対に殺意や敵意が出るものである。どんな暗殺系異能使いでもだ。こればっかりは、慣れようが抑えようとしようがどうにもならない。どんな速攻でさえ、気の動きの方が早いのだ。ほんのわずかだろうが、気取られないほどの一瞬だろうが、絶対に出てしまう。
しかし聖は違った。
穏やかに微笑んだまま攻撃を仕掛けた。不気味なくらいに静謐に、平素に。
臨戦態勢に入っていた彼女がまともに攻撃を受けたのも、視覚より肌で感じる感覚を優先していたからだろう。目で見てから動くよりそっちの方が早いからだ。
(あれが聖さまの“シロイハコ”……)
かつては“死神の棺桶”と呼ばれたが、聖が無理やり「“白い箱”で充分」と訂正した異能だ。詳しいことはわからないが、「物質系では最強かもしれない」とまで言われている。
「で、どうする? 続ける? やめる? 私はどっちでもいいよ?」
返答など待つまでもなかった。
今の一撃で、全員の頭に上っていた血が一気に下がった。
三年生になってから――いや、“反逆者”と呼ばれていた藤堂志摩子と知り合った辺りから、めっきり大人しくなってしまった佐藤聖は、やはり危険人物でしかなかった。腕も落ちていないし、やると決めたら一切の躊躇もない。
「……あーあ」
聖は小さく溜息をついた。
「これだったか」
「何が……あ」
静も気付いた。
凍りつく戦場の向こうに、戻ってきた“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”がいた。表情は失せ、感情もなく、まっすぐ聖を見ている。
「これが70度オーバーのよくないこと、ね」
「70度?」
「静さんも気をつけた方がいいわよ? 占い系の異能使いの言うことは聞いておくもんだ」
「あの、できれば呼び捨てで呼んでいただけると」
「……意外と空気読まないね、あなた」
「ふっ……ふぇっへへへへへぇ……!」
あれも、これも、それも、どれも。
成功だ。成功である。大成功だ。
気持ち悪い笑い声を上げつつなぜかハアハア息が荒くなっているのは、ご存知写真部のエース武嶋蔦子だ。
――怖い。自分の才能が怖い。
蔦子は震える。
新能力がこんなにも上手くいくだなんて思わなかった。想像通りの結果が出せるなんて思わなかった。
もうほんと、なんていうか、えー、そのー……ね? 私って天才なんじゃない?――みたいな浮かれポンチな独り言を呟くような浮かれっぷりで、昼休み返上で現像した、月曜日午前中に撮りまくった写真を一枚一枚チェックしていく。
蔦子が浮かれる気持ちは、十人中九人くらいはわかりそうなほど狙い通りである。
――“罪深き双眸(ギルティ・アイ)”第二の能力。未来や過去を写す“念写”ではないので、新たな名前が必要となる……が、まあそれは今はいいとして。
新能力は、対象人物の力量を写す効果を考えた。
“罪深き双眸(ギルティ・アイ)”の未来撮影は九割オーバーの的中率を誇るが、外れることもある。というかこの先の1週間はまず当たらないと考えた方がいいかもしれない。だから次の能力は、何かに左右されないものにした。
この能力で撮影すると、目覚めている者の身体から、オーラのような霧が写る。いわゆる「力量強制可視化」である。紅薔薇・水野蓉子の“女王を襲う左手(クイーン・レフト)”の話(能力を発動するとオーラが見える)を聞いた時から、ぼんやり「それも写真に撮れないかな」と思っていたアイデアの一つだ。
写真を撮るだけで、相手の力量をオーラの量で示す――というのが理想だったが、理想通りになってくれた。
人によってオーラは赤だったり青だったりと色が違うのは、恐らく力の系統が関係している――と考えるのはまだ早い。そうかもしれないし違うかもしれない。何かしらの法則もあるかもしれないし、完全ランダムかもしれない。案外その時の対象の気分だったりするかもしれない。
自分でもよくわからないものは売りにはできない。何せ自分でさえ信じられないのだから。
しかし、「力量強制可視化」の方は違う。こっちはカメラが持つ「真実のみを写す」という根底に基づいている。
これの最大の利点は、誰が目覚めているか一目瞭然でわかること。何せ「強制可視化」である。力量を抑えていたりステルス系だったりの誤魔化しが一切効かないのだ。偶然写ってしまった人物にオーラが見えて「え、あの人って目覚めてたの!?」みたいな驚きがあるのも新鮮だ。とにかく出るわ出るわ大漁大漁で、初陣にしてはでき過ぎなほどの功績を残していた。
そして、期間限定だがもう一つ。
「やっぱり写ってる」
休み時間に会った支倉令を撮った一枚は、彼女自身のオーラと、首から下げている“契約書”が放つ紫色のオーラがきっちり写り込んでいる。
これは予想できた。
だからこの先だ。
――誰かのポケットに入っている“契約書”まで撮れれば、取引材料として申し分ないのだが。
午前中、第二の能力で撮りまくったので、偶然でも写っていないかと探してみる――と、二枚ほど気になる写真を見つけた。
「写ってる……けど、写ってるのか……?」
廊下での一枚。
誰かさんが横向きで前半分ほど見切れているが、ポケット辺りから紫のオーラが出ているような気もするが、それとも本人のオーラなのか、ぼんやりしていていまいち判断が難しい。
まあどちらにせよ、前半分が見切れているので、誰なのかを判断することは難しそうだが。背が低く短い髪を首の後ろで結わえた生徒だということはわかるが、それだけでは特定できない。
さすがに今日の午前中だけでこれ以上の収穫を望むのは贅沢か、と思い始めてきた最後の一枚で、蔦子の思考回路は停止する。
「……え?」
問題の二枚目。
最後に手にした一枚は、ちょうど一枚だけフィルムが余っていたのでクラスメイト達を撮ったものだ。特に被写体はなく、昼休み直後に適当にシャッターを切っただけ。珍しく人物ではなく景色にピントを合わせた。
しかし、とんでもないものが写っていた。
「……何これ」
写真半分を覆う黒い影。恐らく誰かの発するオーラである。
しかし量的に、ここまで大きな力を感じさせる者など、同じ教室にはいない。クラスでもっとも強い力を感じるのは“純白たる反逆の蕾”藤堂志摩子だが、彼女が写っていないことは憶えているから除外だ。彼女もかなりの力を感じるが、まさかこんなに禍々しいオーラは出してないだろう――根拠のない希望だが。
ならば、これはいったい誰だ?
たくさんの写真を撮り、成果だけは上げている。その実績がある以上、これは絶対に誤写ではない。誰かがこんなオーラを放っているのだ。実際に。
しかし、それにしても、
「誰だろう……というか、何なんだこれは……」
首を傾げざるを得ない。
オーラが本人を覆い隠すほどの濃度と量。そんなものはどこの誰にもなかった。山百合会の一員である支倉令でさえそんなことはないのに。
この写真が証明する事実だけを捉えるなら、力だけならリリアン最強クラスだろう。そして異質さでも郡を抜いている。もちろん新能力だからこその不安や不正確さは残る。実績は今日の午前中に撮りまくっただけ、経験はないに等しいし問題点もないではない。だとしても写り込んだもの自体の異常さは否定できない。
まあ、かなり気になるが、今考える必要はなさそうだ。
何せ被写体は同じクラスの誰かである。早ければ今日の放課後には誰かがわかるだろう。当然、何かの間違いや手違いという可能性もある。かの心霊写真や怪奇写真、未確認飛行物体の正体と言われたプラズマの影響だという仮説もありえなくはない。この黒いオーラもプラズマのせいかもしれない――ところでプラズマってなんだっけ?
まあいい。
蔦子は写真を手早くまとめると、部室から飛び出した。
一応、新能力は使い物になりそうだ。あとは数をこなして撮りまくるだけである。まだ試していないが、ある程度の遠距離撮影も対応できるのであれば、三薔薇の撮影も決して不可能ではない。ぜひとも撮ってみたい。
となれば、あとは足でチャンスを拾うのみである。
――なお、紅薔薇勢力総統“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”が中庭で闘っていた頃、蔦子は暗室にこもっていた。
この後、短くも興味深い一戦を見逃したことを、ひどく後悔することになる。
大変なことになってしまった。
自分は取り返しのつかないことをしてしまったのではないか――ミルクホールにいる鵜沢美冬は、固唾を飲んで状況を見守っていた。
本当は目を覆いたいし今すぐにでも逃げ出したいのだが、この後のことを知らないまま済ませる方も同じくらい恐ろしい。というか逃げ道もないし。
“白き穢れた邪華”佐藤聖を戦場に送り出してしまったのは、美冬だった。
なぜか?
美冬が今、“契約書”を持っているからだ。
このミルクホールにある“契約書”を求めて紅薔薇勢力総統“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”と仲間達がやってきた。様子を見ていたら何かしら揉め出して、向こうから来た白薔薇勢力の人達と戦闘が始まった。
唐突に燃え出した戦火はミルクホール内にも飛び火し、中に閉じ込められている者達は牧羊犬に追われる羊のように右往左往していた。食器やフォークやプチトマトが宙を舞ったり人が宙を舞ったり殺意が具現化して宙を舞ったりしていた。
なんとひどい有様だろう。
そして何が最もひどいかと言えば、そんな有様なのに、平然と食事を続けていた白薔薇と“冥界の歌姫”だ。関係ない第三者が多数いて逃げ場所が無いような場所で闘っていることもひどいし、こっちに少なからず飛び火していることもひどいが、それを止めも咎めもしない学園屈指の実力者2名の無関心ぶりが一番ひどい、と思った。
だが、そうじゃない。
一番ひどいのは、争いの元凶を持っていながら名乗り出ない、美冬だ。
そんな自分への罪悪感を他者の怒りへ転化し、八つ当たりじみた心境で、佐藤聖に責任を押し付けようとした。めちゃくちゃ怖かったが。
そして聖は、ことのほか簡単に美冬の要望を聞き入れ、一緒にいた蟹名静と最前線へ行ってしまった。
後悔したのは、そのすぐ後だ。
ほんの一瞬、時間にして1秒も掛からず、聖の攻撃で誰かが致命傷を負った。
――美冬のせいで、ついに大怪我する人が出てしまった。
誰よりも、もしかしたら攻撃された本人やその仲間達よりも顔を青ざめていたのは、美冬だったかもしれない。
周囲の――美冬が聖を説得したのを見ていた周りの人達が、自分を責めるような目で見ているような気がする。これは全ておまえの責任だ、と言わんばかりに。
当然、全てただの思い込みである。
最初から、怪我が怖いなら闘わない。しかも白薔薇・佐藤聖を相手に挑発したのは相手が先で、別に聖が無差別に仕掛けたわけではない。刺された方にしてみれば憤りや不満はあるかもしれないが、行為と怪我には納得している。むしろ急所ははずしてくれたことに感謝したっていいくらいに。というか最下層から中堅クラスでくすぶる戦闘狂なら、あの白薔薇に一撃貰ったことに感動してもおかしくない。ボンバイエの闘魂ビンタ的に――まあ、さておき。
ミルクホール内に戦火が広がったことには眉を寄せる者も多いだろうが、それ以外はまったく問題ない。美冬の“契約書”所持も、名乗り出ないのも正しい。悪いのは周囲に迷惑を掛けるのを承知で封鎖なんてした方だ。もっとも、強い者が正義である以上、それも間違ってはいないのだが。
とにかく、美冬の後悔と緊張はピークに達しようとしていた。
(こんなことなら……)
こんなことになるのなら、いつの間にかポケットに入っていた“契約書”なんて、すぐに捨ててしまうべきだったのだ。
最初はそのつもりだった。
しかし、争奪戦なんてまったく縁がないだろうと思っていた自分が、何の因果か皆こぞって手を伸ばすであろうお宝の一つを手に入れてしまった。そう思うと、誰の目にも触れずに手放すのはもったいないような気がしてきた。
となると。
別に女帝だなんだと、分不相応な高みに昇りたいわけではない。というわけで持ち合わせていない野心や野望が揺らぐこともなく、自分で所持し続ける理由はなくなる。
ならば、違う方法を考えてみよう。
違う方法。
違う方法なんて、一つしか思い浮かばなかった。
――“契約書”を欲しがっている誰かに、譲渡すること。
美冬は、その手を考えると同時に、渡す相手も即座に思い浮かんだ。
同じクラスの小笠原祥子に。
祥子はきっと欲しがるだろう。渡せば感謝されるかもしれない。いや、絶対に感謝される。間違いなく。
そんな美冬の期待と興奮に「待った」を掛けたのが、一つの噂だった。
いわく、「支倉令がクラスメイトに“契約書”を譲ってもらったそうだ」と。更に詳しく聞けば、自分と同じく「いつの間にか“契約書”を持っていたクラスメイトが、それを持っていることで能力者に絡まれるのが怖かったから、誰かに渡したかった」だそうな。
美冬自分が“契約書”を手に入れた理由もだいたいわかったが、それより問題なのは、その支倉令のクラスメイトの譲渡の理由である。
なんてことだ、と思った。
そんな前例を作られてしまうと、自分のやろうとしていることは、感謝されるどころか、祥子から見たら美冬は「厄介事を押し付けようとしている」ように見えてしまうのではないか、と。
そんなことはない。祥子が喜ぶだろうから渡すのだ。決して厄介払いの意味などない。――しかし、どんなに言葉を重ねようとも嘘臭いと、自分でさえ思うのだ。他人がどう思うかなんてわかりきっている。
そんな心配をしてから、渡すこともできず、でも手放すのも勿体無く、ジリジリと時間が過ぎて昼休みになってしまった。
そしてこの騒ぎである。
更に。
今は、戦闘は納まった。
だが事態が好転したわけではなく、むしろ悪くなっている。限りなく最悪に近くなったとさえ思える。
席をはずしていた紅薔薇勢力総統“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”が戻り、佐藤聖と対峙しているのだから。
鋭い視線で見据える“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”と、穏やかに見詰める聖。表情こそ正反対のようだが、先程の戦闘中以上の、呼吸するのが難しくなるようなどす黒い緊張感が、滞留する空気とドロドロに混ざり合い、重くミルクホールに満ちていた。
――もう、美冬には、見守ることしかできない。
あんな二人の前に出て行って“契約書”を差し出す勇気など、ありはしないのだから。
ただし、もう決めた。
これが済んだら、絶対に、すぐに、“契約書”を手放そう、と。
こんな物を持っていたら、きっと命がなくなる。
ちなみに鵜沢美冬は、一応目覚めている。力が弱くそんなに優秀ではないステルス系の使い手で、実は周囲にはほとんど知られていない。
能力名もなく、ステルス以外の特殊な能力もなく、基礎能力も高くなかった。
「聖さん、これってどういうこと?」
殺気をはらんだ無遠慮な視線に晒される聖は、ひょいと肩をすくめる。
「見ての通りだけど?」
対する聖は、敵意のない視線を返している。
「彼女が私にケンカを売った。だから私が買った。それだけ」
「それだけ?」
「それだけ。そして結果が残りました、と」
“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”は、連れてきた仲間達を庇うように聖の前に立っている。彼女の後ろでは、仲間達が腹部を貫かれた女生徒を動かさないようその場に横たえ、止血に努めている。もう一人はきっと藤堂志摩子か、治療のできる異能使いを探しに行っているのだろう。
「信じられないわね」
「そりゃ残念。事実なんだけどね」
「……たとえ事実でも、あそこまでやる必要ないでしょう? あなたの実力なら、どうとでもあしらえる」
「買いかぶりだよ。私はそんなに強くない」
「そういうふざけたところ、大嫌い」
「私はあなたのすぐ怒るところ、結構好きだよ」
近くで見守る静は、「心底噛み合ってない会話だな」と思った。
「とにかく。――覚悟はできてるわね?」
「覚悟?」
「あなたは紅薔薇勢力に手を出した。それも火の粉を払うような小競り合いではなく、致命傷を与えた。
紅薔薇勢力を敵に回す覚悟は、できているわね?」
聖から笑みが消えた。
「勢力は解散したはずよ。たとえ一時的にでもね」
「聖さんの所はそうでも、うちはそれで納得できるほどドライな関係じゃないのよ。報復に行くわ。私も。幹部も。末端も」
「好きにすればいいよ。――ただし」
聖は一歩、“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”に歩み寄った。“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”は身構えるが、どちらも手は出さなかった。
「私を狩るにせよ無理にせよ、あなた達全員が倒れるにせよ、争奪戦内での出来事は争奪戦内のみに限って。あなた方が口が曲がるほど甘ったるい仲間意識を持っていようがなんだろうが、勢力解散は三薔薇が、あなた達の頭が決めたことでもある。
解散した者達が、個人的な恨みで私を狙うのならいい。でも組織としてまた立ち上がった時、そこに個人的な恨みがあってはならない。
私を襲えるのは、今度の土曜日まで。
もしこの約束ができないなら、紅薔薇ごとあなた達を潰すことになる」
睨むでもなく、殺意を見せるでもなく――しかし表情のない瞳は硬質的な威圧感を放つ。
「返事をしないなら、今すぐあなたを潰す。――まさかその状態で勝てるとは思っていないでしょう?」
「あいにく、足の怪我ならもう血は止まっているわ」
由乃に撃たれた足の甲は、今は上履きと靴下を手に持った素足状態で、生々しく赤いものがべったりと張り付いている――が、本人の言った通り、もう出血は止まっていた。貫通しているのに。自身ですら呆れるほどの自然治癒力である。
「足はどうでもいい。もう片方の方が重要でしょ。それとも私相手に誤魔化せるとでも?」
聖にはバレている――“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”が今、能力を封じられていることを。
微塵も動揺を見せなかったのは立派だが、はったりが通る相手ではない。仮にはったりが利いていても、戦闘が始まってしまえば同じことだ。
ちなみに、聖が「能力を封じられている」という状態を確信した理由は、非常にシンプルだった。
――近づいたのに炎を出さなかったから、だ。
身構えたが炎は出さない、なんて中途半端な臨戦態勢になってしまう理由がわからない。そこらの中堅じゃない、大きな組織の大将である。炎を出して損することは、本人にはないのだ。むしろ利点の方が多い。たとえ闘う気はなくても、威嚇にだって充分使えるのだから、遠慮する必要もない。
ならば答えは一つ、「何らかの理由で炎を出すことができないから」である。「封じられている」という発想ではないが、聖の読みは、使えない状態であるということは当たっていた。
「……わかった。報復は、争奪戦の期間だけ」
「結構。ついでにこの封鎖、今日はもう諦めてくれる? みんな迷惑してるし」
「続けられるわけないでしょ。あなたを止めることはできない――少なくとも今は」
「なお結構。お礼にキスを」
「――行くわよ」
聖の冗談に背を向け、“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”は横たえた女生徒を抱き上げると、小走りでどこかへ駆け出した。仲間達もそれに続く。
「残念。キスしたかったなー」
静のある種の情念のこもった視線などお構いなしに、聖は歩き出す。「あなた達も早く食べた方がいいよ」と闘っていた白薔薇勢力の子達に言いつつ、悠々と封鎖を突破した。
――こうして、紅薔薇勢力総統“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”によるミルクホール封鎖事件は幕を閉じた。
「聖さま、大丈夫なんですか?」
「ん?」
「紅薔薇勢力が報復に来る、って」
「んー……なんとかなるんじゃない?」
「…………」
静は「この人はどこまで本気なんだろう」と思いつつ、ほんのちょっぴり胸ときめかせながら、歩む聖の横顔を見ていた。
そしてその頃――
“戯言を囁く地図(バベル・クラフト)”のある掲示板の前で、“竜胆”はお腹を抱えてうずくまっていた。
傍らに佇む“雪の下”のスカートを掴み、額に汗して必死で耐えている。
「うぅ……“雪”、おなかいたい……」
自爆から復帰した“雪の下”は呆れていた。
「食べてすぐ動くからですよ」
“竜胆”は「おまえのせいだよ!!」と、よっぽど言ってしまいたかったが、痛くてそれどころじゃなかった。
「手の掛かる後輩だこと」
「手が掛かるのもおまえだよ!!」と頭の中で激しくツッコミながら、“竜胆”は周囲から「え? 食べたのに闘ったの? どこの素人よ」「あーあー、これだから新米は。みっともなーい」などと思いっきり聴こえる嫌味の中、ただただ腹痛に耐えていた。
「安心なさい。ずっと一緒にいてあげますからね」
年上ぶった余裕の上から発言である。
……友達に助太刀した報酬がコレ、である。
泣きたくなるほど嬉しくて殺意が芽生えそうだった。