「Happy birthday」第5話
日野秋晴が額の汗を拭く真似をしながら
「ふいーっ、疲れたー」
「あら。ちょっとハードワークすぎた?」
「主に精神的にな……。けど体の方は、まあ気持ちいい疲労感っていうのかな。家事とか新鮮だったし」
「だったらこれからは、自分の家のことも手伝いなさい。叔母さん、喜ぶから」
余計なお世話だ……と反論する気は起きなかった。
その通りだよな。うちの叔母も毎日こんなことやってるのかと思うと、頭が下がる思いだ。
「もうすっかり暗くなったわね」
「おお、そうだな。それじゃ俺はそろそろ……」
「夕飯の時間、ね。お腹すいちゃった。秋晴、何か作って」
「……は?」
夕飯を? 俺が?
「いや無理無理無理無理無理無!」
「最後あべこべになってる……。これが最後の仕事だから、頑張って。ね?」
「頑張ってどうにかなる話じゃないって! 飯なんか作ったことねえもん」
「冷蔵庫とかのあり合わせの物でいいから」
「そんなベテラン主婦専用スキルなんかもっと持ち合わせてねえ!」
いや、まさか本気で言ってるんじゃないよな?
俺が家事ダメダメなのは今までさんざん実証してきたんだから。
「食えもしないようなハチャメチャなもんができても知らんぞ」
「いいわよ、それでも。だけど……お腹すいてるのは秋晴も同じよね? まともな物食べたいんじゃない?」
「ぐっ……」
いや、最初からそんな食べ物を粗末にするようなことやるつもりなかったけど。
さて、どうしたものか。出前頼むとかコンビニで買ってくるとか、この家ではアリなのかどうか……、と考えていると。
「しょうがない。自分で作るか」
言いながら彩京朋美が腕まくり。
「って作れるんだったら最初から言え!」
「……自信ないのよ、本当言うと。おいしく出来なくても恨まないでね」
「恨まない恨まない。俺よりマシに決まってる」
「あと、手伝いお願い。言った通り、これで終わりだから」
話がまとまったのでキッチンに移動する。
さっき、調味料だかの入った段ボール箱を持ってきたので、すでに一度入っている。別にレストランの厨房みたいなところじゃなく、普通の家の台所より広いって程度。
「はいこれ……はいらないか」
「……だな」
手渡されたのはエプロン。
なんだが、俺の着ているメイドの衣装は最初からフリフリエプロンがついているので、さらに装備する必要はない。
むしろ、このとき自分がメイドルックだったことを今さら思い出したくらいだ。慣れって恐ろしい……。
「じゃあこれは私が……」
と言って自分でつける朋美。
しかし……なんだ。
なんかやたらと似合うな、エプロン姿が。ただの私服の上に地味なエプロンつけてるだけなのに、妙に様になっているというか、それっぽいというか、何というか。
「……何?」
「い、いや何でも」
慌てて視線を逸らす。
絶対口に出しては言わないが、その……新妻みたいだな、って思ってしまった。
「変なの」
不審がりながらも、冷蔵庫や収納棚なんかを開けて材料を確認する。
考えるような仕種をちょっとして、たったそれだけの間に献立が決まったのか、今度は調理器具を出したりして準備を始めた。
やべえ、ベテラン主婦専用スキル持ってるじゃん。俺だったらメニュー考える時点でつまずいてたな、確実に。
「秋晴は、まずご飯炊いて」
「炊く……ってどうするんだ?」
「お米研いで、炊飯器にセットするの」
「……ああ。オーケー、それならできると思う」
「研ぐってわかる? 間違っても洗剤入れて洗わないでよね?」
「そこまで馬鹿じゃないって」
と言いつつ、自分でするのは今日が初めてだったんだけど。
叔母の見よう見真似で米を研ぎ、釜を炊飯器に入れた。で、炊飯ボタンをポチっと。
「できたぞ。次は?」
「野菜洗って。流しに出しといたの全部。あれとあれは皮むいて」
「いや、包丁なんて使えないし……」
「皮むき器あるから。はい」
とまあ、完全に朋美の指示のままに、朋美に教わりながらどうにか手伝った。
その朋美はというと、めちゃくちゃ手際いい。俺に的確に指示出しつつ、自分の分担もそつなくこなしている。誰だよ、自信ないとか言ってたの。
包丁がまな板をリズムよく叩く音が、耳に心地よい。
「……っ」
思わず聞き惚れていたが、気がつけば朋美の様子がおかしい。
「おい、どうした朋美? 指でも切ったのか?」
「違っ……けど」
横顔を覗き込む。目を赤く腫らしていた。
「怪我は……してないな。……? 玉ねぎ? あ、これ切ってたからか」
「……」
「やっぱ目に染みるもんなのか。大丈夫か……?」
「……あなたね。こういうときは見て見ぬ振りしなさいよ……」
顔を見られたくないのか、プイッと背を向けられてしまった。
おいおい、心配してやったのにその言い草はないだろ……と言い返そうと思ったけど、悔しいが自分が気の利かない人間だというのは自覚している。
んで、決まってこうなる。人に嫌な思いさせてしまってから、気づくんだ。
「その、わりい……」
無言の背中を、ただ見つめるしかなかった。気まずい雰囲気が流れる。
ただし、それはほんの一瞬で。すぐに朋美からあれ混ぜろとか火加減見ろとか指示が飛んできて、何事もなかったかのようにドタバタに戻った。
――そして。
「これで……出来上がり」
「おおっ! やったー!」
俺、ガッツポーズ。自分でやった部分なんかほとんどないのに。
それにしても時間かかったな。飯作るのってこんなに大変なんだ……。またしても叔母の苦労を思い知った。
「やっぱりハンバーグだったんだ?」
「それくらい途中で気づきなさいよ……。挽肉と玉ねぎ、ボウルの中でこねてたでしょ。その後丸めてもらったし」
「だって、真ん中をへこませろって言わなかったか? なんかちょっと形違うなあって」
「あれは、中まで火が通るようにするため」
へえ。勉強になります。
でも実際は、さっきから腹の虫鳴りっぱなしで豆知識なんか頭に入らなかったんだけど。
さっそく隣のテーブルに運んで、いただきまーす。
「……うまい!」
「本当? よかった」
「朋美も食ってみろって。まじいけるから」
「そ、そうね」
最初は俺が食うのをじっと見ていた朋美だったが、ようやく箸を手に取った。……毒見でもさせてたのか?
料理は普通においしかった。失敗といえば、俺が水加減を誤って水っぽくなったご飯くらい。つまり朋美の減点はゼロ。
「飯、ちゃんと作れるのな。見直したよ」
「何よいきなり。気持ち悪い」
随分だな……。
「大した物作ってないし、そんなに感動されることじゃ……」
「それでも十分さ。俺には到底真似できない」
「秋晴と一緒にしないで。クラスの女子の中じゃ普通よ」
「そうなのか……? けど、朋美はいつもメイドさんに作ってもらってて、自分じゃ料理しないもんだと思ってたから」
「いつも、なんてことはないわ。母も私も作るもの。今日みたい日だってあるし」
朋美の家の話とか、普段の生活のこととか聞いてて、なんだか新鮮な感じがした。
小学校からずっと同級生で、今も同じクラスなのに、この手の話題はほとんど聞いたことなかったな。
「それにしちゃ、なんで自信ないなんて言ったんだ?」
「それは……」
「普段から作ってるんだろ? だったら手慣れてるはずだし」
「その、家族以外の人に……た、食べてもらうの初めてだったから。……もう、どうだっていいでしょ」
何だそれ? というか、なんで軽く怒ってんだ?
「変なこと気にするやつだな……。だったら自信持っていいって。俺が保証する」
「うん……」
俺なんかの意見に素直にうなずく朋美の姿が、やけにか弱く見えた。
「でも珍しいよな、朋美がそんなこと言うなんて。いつも自信満々ってイメージしかないのに」
「それこそ誤解よ。私も苦手なものくらいあるし。一度苦手だって意識持っちゃうと、もうてんで駄目で……」
ますます珍しい発言だ。
なるほど、何にでも自信満々なんじゃなくて、自分の得手不得手をちゃんと把握してるってことなんだろうな。
しかし、そうなると聞いてみたいことが一つ。
「朋美の苦手なものって、他に何があるんだ?」
「そうね……。男の人と話すのは、緊張するかしら」
おいおい、それはいくら何でも嘘だろ。
「昔っから男子とケンカしてたし、学級委員とか児童会で男女関係なくまとめてたじゃないか」
「そういうときの会話じゃなくて。例えば……二人っきりになったときとか」
「……いや、まさに今の状況がそうなんだけど」
「何か言った? 秋晴ちゃん」
「チッキショーッ!」
俺は男の数に入れられてないのね! わかってたけどね!
「さーて、バカ話はこれくらいにして片付けましょ」
「バカ話だったのかー! ……って、おい、ちょっと待った」
「どうしたの」
「俺、家に連絡してない……」
どうしよう。夕飯いらないって電話するの忘れてた。
それ以前に帰りが遅くなったから、さすがに家族が心配してるかも。
「参ったな。しょうがねえ、今からでも電話するか……」
「……ねえ、秋晴」
「ん?」
「どうせだから、泊まっていかない?」
「……。ん?」