「あっついなぁ、もう……」
テーブルに圧し掛かるようにして、ぼやきの声を上げたのは、白薔薇のつぼみ二条乃梨子。
その様子を、チラと片目で窺ったのは、同僚の紅薔薇のつぼみ、松平瞳子。
まだ前半ではあるが、私立リリアン女学園高等部は、夏休みの真っ最中。
今日は、二年生だけの登校日。
休み前、後半の大仕事に備えるため、つぼみで出来る仕事だけで良いから、少しでも進めておいてくれと、姉から頼まれていた二人。
薔薇の館に移動し、とりあえずは昼までを目処に、仕事に取り掛かったのは良いが、何せここは古い木造建築の上、中庭に面しているため、風の通りが悪い悪い。
窓を全開にしていても、そよとも吹き込む気配すらない。
態度には出していないが、やはり瞳子も暑いようで、額やこめかみ辺りに、汗が浮かんでいる。
「冷たいものでも淹れるわ。乃梨子、何が良い?」
「おー。じゃぁ“レーコー”で」
「……レーコー?」
「う、いや、じゃなくて、ホラ、コーヒー! アイスコーヒーで!!」
訝しげに片眉を上げた瞳子は、それ以上追求することもなく、シンクに立った。
「はい、お待たせ」
「ありがと」
瞳子が淹れたのは、アイスコーヒーと言うよりは、アイスカフェオレ。
コーヒーとミルクと砂糖のバランスが絶妙で、インスタントにも関わらず、下手な喫茶店よりも圧倒的に美味い。
ほんの少しとはいえ暑さを忘れることが出来た二人は、思っていたよりも捗ったらしく、昼前には予定の仕事を終了させていた。
「はいよ、終わりっと。ん〜、十一時半か……。このタイミングで帰るのは酷だよねぇ?」
「暑い盛りだものね」
空は果てなく青く、照りつける太陽は容赦を知らない。
蝉の鳴き声が、耳に五月蝿い。
「ね、瞳子。お昼食べて帰ろうか」
「それは構わないけど、お弁当を持ってきてないわよ」
「私も無いけど」
「じゃぁどうするの? 夏休み中は、ミルクホールも開いていないし……」
もちろん、ホールそのものは開放されているが、パン等は販売されていない。
「大学部の学食に行ってみる? あっちなら開いていると思うけど」
確かに大学部の学生食堂は、学食でありながら、生徒だけでなく教職員も利用するため、営業中なのは当然だ。
「へ? 高等部の生徒が行っていいの?」
乃梨子は未だ訪れたことがないようだが、瞳子は、身内の先代薔薇さまが大学部に通っているので、姉に連れられてちょくちょく顔を出している。
「少なくとも、お姉さまと私は、咎められたことは無いわ」
「うぅ、ちょっと不安」
でも、お腹も減ったし、近場で食事が出来る場所といえばそこしか無い以上、他に選択肢もない。
二人は連れ立って、薔薇の館を後にした。
一枚のタオルを、二人で頭の上に乗せて、茹だるような暑さの中、大学部の敷地内を歩く。
流石に同系列の学校とはいえ、高等部の制服は人目を引くらしく、奇異の、というよりは、珍しいものを見るような視線を感じる。
食堂に脚を踏み入れれば、室内は冷房が効いており、夏休みのせいか、お昼時にも関わらず人の姿は疎ら。
「ふぅ、やっぱり薔薇の館にも冷房は欲しいな」
「そうね。でも今はさておいて、まずは食券を買うわよ」
瞳子のエスコートに従い、券売機の前に立つ。
「私は……っと」
“もりそば”のボタンを押した瞳子。
「うん? ざるそばじゃないの?」
「えぇ、海苔が歯に付くのはいただけないから」
なるほど、と思いつつ、乃梨子も券を購入する。
「私は、コレ」
彼女が買ったのは、きつねうどん。
「暑い暑いって言っておいて」
「暑い時こそ、熱いものをってね。後が涼しくて良いんじゃない?」
「そんなものかしら?」
麺類のカウンターに移動し、おばちゃんに声をかける。
「お忙しいところ失礼しますわ。もりそば一つお願いします」
肯定の返事が返る。
「おねぇさん、私は“しのだ”で」
『……しのだ?』
「う、いや、じゃなくて、ホラ、きつね! きつねうどんで!!」
おばちゃん共々、訝しげな目付きの瞳子から、あからさまに視線を逸らす。
先に出てきたのは、もりそばのほう。
「先に座っているわね」
「うん」
程なくして、きつねうどんが乗ったトレイと共に、瞳子の元に移動した乃梨子。
「さて、それじゃいただきます」
「いただきます」
瞳子は、数本のそばを箸で取り、ツユに半分だけ漬けて、音を立てて啜り込む、オーソドックスなスタイルの食べ方。
乃梨子は、七味を適当に降って、同じく音を立てて啜り込む、一般的な食べ方。
「いやぁ、それにしても」
「なぁに?」
「やっぱりうどんの器は、瀬戸物でないと。見てよコレ」
うどんの器を爪で軽くつっ突くと、妙に軽い感じの音がする、
「こんな所だと、割れ易いんでしょ。数も多いから、洗うのも大変だし、落として割られても困るでしょうから」
「そりゃそうだろうけど、やっぱり“プラッチック”ってのがどうも」
「……プラッチック?」
「う、いや、じゃなくて、ホラ、プラスチック! プラスチック!!」
訝しげに片眉を上げた瞳子は、何で二回?とでも言わんばかりの目で乃梨子を見ていた。
チュルチュル啜る瞳子と、ズルズル啜る乃梨子の音が、広い食堂に微かに響く。
「はぁ、ごちそうさん」
「ごちそうさま」
ほぼ同時のタイミングで、箸を置く二人。
「乃梨子、ちょっとお汁を貰っていいかしら?」
「うん。じゃぁそっちのツユも頂戴。どんな味か知りたい」
互いに交換し、味を比べあう。
「……鰹ダシ、みりん、醤油、ちょっと甘口で透明。ここは関西風なのね」
「こっちは、ちょっと濃くて辛いね。関東風かな」
道理で瞳子は、ツユを少ししか漬けなかったわけだ。
「さてそれじゃ、行こうか」
冷たい麦茶を飲み干し、二人は席を立った。
「うぅ、やっぱり暑いや……」
日差しは相変わらず強く、二人は再び、頭にタオルを載せて歩く。
高等部敷地内の、木陰の下にあるベンチに座り、しばしの休憩。
「はい瞳子、口直し。さっき、食堂のおばちゃんに貰ったアメちゃんあげるよ」
「……アメちゃん?」
「う、いや、じゃなくて、ホラ、キャンディ! キャンディキャンディ!!」
訝しげに片眉を上げた瞳子は、昔のアニメかよそばかすなんて気にしないのかよ、と思いつつ、キャンディを受け取る。
多少の風は吹くもの、生暖かくて、とても涼しいという域には達しない。
「やっぱり帰ろうか」
「そうね」
このまま涼しくなるまで待っていたら、夕方になってしまう。
それは余りにも時間の無駄なので、二人はあっさり帰ることに決めた。
薔薇の館に戻って鞄を取り、マリア像の分かれ道に辿り着く。
割と真剣にお祈りした瞳子と、割とぞんざいにお祈りした乃梨子。
校門に続く並木道を歩いていると、急に瞳子が、口元に手を当てて、クスクスと笑い出し始めた。
「どうしたの?」
「だって、おっかしいんだもの乃梨子って」
「どうして?」
「レーコー、しのだ、プラッチック、アメちゃん……。あなたって、本当に“関西人”なのね」
目に涙まで浮かべつつ、クスクス笑い続ける瞳子に対し、照れなのか恥ずかしさなのかは分からないが、思わず乃梨子はこう返してしまった。
「なんでやねん!?」