【326】 薔薇の館で  (まつのめ 2005-08-08 15:46:12)


No314 真説逆行でGO → No318 → これ。



「わっ、静さま」
 音楽室の掃除当番のある日、静さまに会った。
「あら、あなたは?」
 静さまは長い髪を揺らして音楽室に入ってきた。
「ご、ごめんなさい。一年桃組の……」
「お掃除当番ね。でも『ごめんなさい』じゃないでしょう?」
 いきなり挨拶もなしに名前を叫んでしまうなんて、リリアンの生徒としてあるまじき失態だった。
「ご、ごきげんよう」
「はい、ごきげんよう。うふふ、もう名前を知られているなんて、私ってそんなに有名人?」
 よく出来ました。みたいに微笑む静さまはなにやら機嫌がよろしいみたい。
「知る人ぞ知る合唱部の歌姫ですから」
 選挙のとき間近で話したことがあったから髪が長くても静さまだって判ったけど、髪の長い静さまは雰囲気がずいぶん違ってみえた。


   〜 〜 〜


 あれから志摩子さんとは順調に友情を深め、いや、志摩子さんは相変わらず近寄りがたい雰囲気で祐巳とお昼を一緒にする以外、クラスメートとは打ち解けてなかったから順調といえるかどうかは疑問なんだけど、『志摩子さんと一番仲がいいのは祐巳さん』というのがクラスでの一般の認識となっていた。

 それからしばらくして、新入生歓迎会があったのだけど、『今回』、祥子さまの演奏したアベ・マリアに祐巳は何故か感動してしまって涙が流れてしまわないようにこらえるのが大変だった。

 そんな新入生歓迎会からさらに一週間ほど経ったある日のこと。

「あなたが福沢祐巳さん?」
 祐巳のクラスに由乃さんが訪ねてきた。
「はい、えっと」
 思わず由乃さんと言いそうになる。でも今は由乃さんとは初対面のはずなので慌てて言葉を飲み込んだ。
 一年菊組、島津由乃です、と簡単に自己紹介してから由乃さんは用件を言った。
「あのね、一緒に来ていただきたいのだけど、祐巳さんて委員会も部活もしてらっしゃらないですよね」
 はてなんだろう? と思いつつ「はい」と由乃さんについて来てしまったのだけど、己の迂闊さを後悔したのは、道すがら行き先を聞き及んだ時だった。
「あの、どちらまで?」
「薔薇の館よ」
「えっ、薔薇の館……」
 なんだっけ、なんかあったような。
 薔薇の館と聞いてなにか心に引っかかるものが。
「ああっ!」
 思わず声を上げてしまった。
 そうだった。お姉さまに『もし志摩子より先に祐巳が呼ばれたなら、その時は一緒に』と言われてたのだ。
「…いったいなに?」
 急に大声を出したので驚いたのか、振り向いた由乃さんは胸に手を当てていた。
 まずいまずい、由乃さんはまだ手術前なのだ。あまり驚かして発作でもを起されたら大変だ。
 由乃さんを観察してみてどうやら別状なさそうなので言葉を続けた。
「あ、あの、ちょっとお友達呼んできていいかな?」
「どうして? 呼ばれたのは祐巳さんなのよ」
「や、やっぱりそうよね。ごめん言ってみただけだから」
 あははははという祐巳の愛想笑いに由乃さんは「変な祐巳さん」と答えた。
 もう薔薇の館まであと少しだというのにいまさら引き返して志摩子さんを呼んでくるのは不自然だし、ここで強引な行動をして由乃さんに負担をかけるのはちょっと恐ろしかった。
 仕方なく、お姉さまごめんなさいと心の中で謝りつつ祐巳は薔薇の館の入り口をくぐった。

「福沢祐巳さんをお連れしました」
「ごくろうさま。入っていただいて」
 中から聞き覚えのある声がした。
「福沢祐巳です」
 名前を名乗ってビスケットの扉から中に入ると中には懐かしい二人のお顔があった。
 蓉子さまと江利子さま。当然元じゃなくて現薔薇さまだ。
「どうぞ、座って」
 すすめられるままに祐巳は二人の前の席に座った。
「お呼びだてしてごめんなさいね」
「ちょっとお伺いしたいことがあって」
 まさか祥子さまとのことがバレたとか?
 祐巳はちょっと焦った。
「私たちの方も自己紹介が必要かしら?」
「い、いえ」
 よく知ってますから。それはもう、未来が変わらないのなら卒業後の進路まで。
「では私はこれで失礼します」
 由乃さんは祐巳の分の紅茶の入れたあと、部屋を出て行った。
「ああ、由乃ちゃんどうもありがとう」
「ご苦労さまだったわね」
 由乃さんが扉の向こうに姿を消した後、黄薔薇さまが言った。
「令は部活でしょ? 一人で大丈夫なの?」
「このところ調子がいいんですって。春は過ごしやすいらしいわ」
 お二人の会話に由乃さんがまだ手術前だってことが改めて実感される。
 黄薔薇革命は学園祭後だから祐巳が良く知っている由乃さんに会えるのはまだずっと先の話だ。
 今後、由乃さんとどう付き合っていけばよいのだろう。由乃さんが出て行ったあとの扉を眺めたながら祐巳はそう思った。
「それで、あなたお姉さまはいるの?」
「えっ!」
 不意打ちのように紅薔薇さまが聞いたものだから祐巳は思わず声をあげた。
「あ、一応言っておくけど、血の繋がった姉妹という意味じゃないわよ」
 黄薔薇さまが念を押すように付け加えた。
「は、はい」
「その『はい』はどっちの意味なのかしら?」
「えーっと」
 つまり、姉妹の意味についての答えなのかその前の質問の答えなのか。
 祐巳は困ってしまった。お姉さまから『志摩子さんの居場所が出来るまで秘密に』と言われているのに、当の志摩子さんはまだ山百合会との接点すらない状態なのだから。
 蓉子さまにバレてるにしてもそうじゃないにしてもお姉さまとの約束がある限りここで姉が居ると告白してしまうわけにはいかないのだ。
「答えられないの?」
 どうしよう。ここで居ませんと答えるのは簡単だけど、祐巳は生まれてこの方嘘をついてバレなかった試しがないのだ。しかもその嘘は大抵ついたその場で即バレる。そんな祐巳が隠し事をするには、隠し事をしてることは相手に判ってもその内容が伝わらないようにするしかない。つまり黙秘だ。
「姉がいるか居ないかなんて簡単な質問でしょ?」
「……」
「まあ、いいわ」
 押し黙る祐巳に紅薔薇さまがこれ以上答えを強要しなかったのは幸いだった。なぜなら紅薔薇さまのような方に強く言われて隠し通せるほど祐巳は強くはなかったから。
「誰かの妹になる予定があるとか、今申し込まれてるとかそんなとこでしょう」
「それとも姉は持たない派だから警戒してるのかしら?」
 適当に予想を述べて薔薇さまがたは追及の手を引いた。ちなみにどれもあっていないのだが、どうやら祥子さまのことはバレて無いらしい。
「……ちょっと難しいのかしら?」
「まあ聞くだけ聞いてみたら?」
 薔薇さま同士でそんな会話を交わした後、紅薔薇さまは言った。
「そうね、じゃあ福沢祐巳さん。本題に入らせてもらうわ」
「はい」
「実はあなたにお願いしたいことがあったのよ」
「お願いですか」
 お願い、と言いながらこういう場合、聞いたら最後逃れられない気がする。この人たちを相手にした場合は特に。
「山百合会の仕事をお手伝いを引き受けてくれないかしら」
「は?」


一つ戻る   一つ進む