【3262】 つまんないなぁ……  (bqex 2010-08-27 03:13:24)


※恒例の原作ネタバレ&宣伝SSでございます。



 ドッペルゲンガー、そんなものが本当に存在しているとは思ってもみなかった。

「ただいまー」

 蓉子は家の鍵を開けようとして驚いた。かかっているはずの鍵が開いていたからだ。

(泥棒?)

 ゆっくりと扉を開いて、慎重に中に入る。武器になりそうな傘を掴んで物音を立てずにリビングに向かうと、果して一人の人物がソファーに座っていた。

「あら、帰ってきたのね」

 くるり、と振り向いたその人物は、自分だった。

「えっ?」

 動揺する蓉子に対して向こうが挨拶してきた。

「ごきげんよう。私は『お釈迦様もみてる』シリーズについに登場した紅薔薇さま。あなたは『マリア様がみてる』シリーズの私ね」

 紅薔薇さまは優雅に微笑んだ。

「あなたの主張通りであれば、そういうことになるわね」

 蓉子は慎重に返事をする。

「まあ、とにかく戦闘態勢を緩めてもらえないかしら。剣道も出来ない癖に傘を構えたその姿、相当間抜けだけど?」

 その通りなので、傘をその辺に置いた。

「で、その『お釈迦様もみてる』の私が一体『マリア様がみてる』の私に何の用かしら?」

「簡単な話よ。私は二人いらないから、あなたに消えてもらおうと思って」

「なっ……!」

「『マリア様がみてる』の方は『祐巳祥子編』が終わって、その時期にあった短編を再編した『私の巣』と温故知新の無印映画化でこれ以上の進展はない。でも、『お釈迦様もみてる』は2010年10月1日に『お釈迦様もみてる S-キンシップ』が発売になって動いている。もう、あなたは用済みなの」

「くだらない。『マリア様がみてる』には『マリア様がみてる』の進行があるのよ」

「はたしてそうかしら? 卒業しちゃって、あなたにはもうほとんど出番がない。でも、まんが王の予告によると裏『黄薔薇革命』なので、もう少し私には出番がある可能性がある。好評発売中のCDドラマ『マリア様がみてる パラソルをさして』の裏は柏木さんの車に乗るわけだから、その辺のやり取りも含めてね」

「それとこれとは話が別でしょう? 何故、私が消えなくてはならないわけ?」

「同じ人間は二人もいらない。でしょう?」

「あなた、『お釈迦様もみてる』では名前すらないじゃない。私には名前がある。紅薔薇さまなんてリリアンの高等部にしか通用しない称号じゃない『水野蓉子』という名前がね」

「じゃあ、勝負しましょう。この世界で私とあなた、どちらが必要とされているか。必要とされていなければ、あなたは私に吸収されて消えてしまうわ。でも、もし、必要とされているのであれば、あなたは残る」

「消えるわけないわ」

「随分と自信があるのね。ま、いいわ。その自信ごとあなたは消えてしまうのだから」

 そう言い残すと、紅薔薇さまはどこかへ消えてしまった。

「なんなのよ」

 蓉子は悪い夢を見たのだと思っていた。
 しかし、夜になって、風呂に入ろうと服を脱いだ時に異変に気付いた。

「……!?」

 肌の一部がうっすらと透けている。

『必要とされていなければ、あなたは私に吸収されて消えてしまう』

(まさか、ね)

 気のせい、気のせい。悪い夢を見たからそんな風に見えるのだと言い聞かせて、その日は休み、学校に向かった。

 翌朝。

「ごきげんよう」

 銀杏並木をゆっくりと蓉子が歩く。

「ごきげんよう」

「ごきげんよう、紅薔薇さま」

 マリア像の前で手を合わせ、昇降口へ。

(あれ?)

 自分の下駄箱に入っていたのは上靴ではなく黒い革靴。

(誰かが間違って、履いている? ……でも、ここは3年生の靴箱で、間違えそうな人なんていないし、それに、三年椿組に水野は一人……)

 ふと革靴の内側の名前を書いてあるところを見る。

『水野』

 自分の字でそう書いてある。
 昨日のことを思い出す。
 自分の上靴をはいているのは、あの紅薔薇さまなのだろうか、まさか。

(先回りされた!?)

「ごきげんよう、蓉子さん。どうなさったの?」

 後ろから声をかけられる。

「ご、ごきげんよう」

 声をかけてきたのはクラスメイトだった。

「上靴見つめて、どうしたの?」

「え?」

 そういわれ、靴を見るといつもの上履きである。

(……まったく、どうかしているわ)

「何でもないわ。ちょっと考えごと」

「そう。朝から紅薔薇さまは大変ね」

 そうだ、疲れているのだ。だから奇妙な幻など見たような気になるのだ。
 そう思い、いいきかせるが、奇妙なことは次々と起こった。

 薔薇の館。

「……あら、ここにあった書類、今日、サインをしなくてはならなかったのだけど」

「お姉さま、サインなら全部済ませてあるじゃありませんか」

 妹の祥子に指摘され、そうだったかしら、と曖昧に微笑む。

「そういえば、今日はクラブハウスを回らなくてはならなかったわね」

「それも、いっしょに参りましたが」

 祥子がいう。

「ええと?」

 隅っこに祥子が引っ張っていって言う。

「お姉さま、先程『用事があるから帰る』とおっしゃってましたが、戻ってきてもう一仕事、しかも、終わったものをなさるとは……お疲れのようですので、今日はおかえりになられてはいかがですか? まもなく、白薔薇さまか黄薔薇さまがいらっしゃるでしょうし」

 もう、言葉もない。
 『お釈迦様もみてる』の紅薔薇さまに先を越されて、蓉子はやることがなくなってしまったようだ。

「そうね」

 曖昧に微笑んで、蓉子は一人帰ることにした。
 校門のところから、紅薔薇さまが歩いてきた。

「どう? 少しは私の話を信じる気になったかしら?」

「今日のところは出しぬかれたようだけど、見てなさい。あなたの思うようにはさせないわ」

 睨みつけて蓉子は返事をすると、紅薔薇さまは笑って立ち去った。

(策を考えた方がいいかしら?)

 銀杏並木を歩いていると向こうから見覚えのないショートカットにリリアンの制服を着た少女が駆け寄ってきた。

「蓉子さま! ああ、お会いしてしまったんですね。『お釈迦様もみてる』のドッペルゲンガーに」

「……! あなた、そのことを知っているの?」

「はい。私は祐巳さんのクラスメイトの桂と申します。蓉子さま、そうなってしまったからには急いでドッペルゲンガーを何とかしなければ、本当に蓉子さまは消えてしまいます」

「な、何ですって!?」

「持ってあと2〜3日ですが、早く手を打たないと──」

 その時、いつもは裏門から家に帰るはずの江利子がフラフラと正門前を通りかかった。足元を見ると、上履きのままだった。

「江利子、どうしたの?」

 つい、蓉子は声をかけた。

「……歯が……歯が……」

 小声で呟いている。しかもちょっと涙目。

「しっかりなさい、あなたのお兄さんは歯医者さんでしょう?」

「……いや……ドリルが……」

 小さい子のように駄々をこねる江利子。

「とにかく、家に帰りましょう。送っていくわ」

「……うん……」

 小さく頷く江利子の手を取って、蓉子は昇降口に戻り、江利子に革靴を履かせ、裏門を通って家に送り届けた。

「蓉子さん、ありがとう」

「いえ。江利子さんにはお大事にとお伝えください」

 江利子の母親にそう言って帰宅する。
 あの様子では大丈夫ではないだろう、山百合会の仕事は聖と二人で何とかしないと、頭の中で仕事を分配しながら蓉子は眠りについた。

 翌朝。
 制服に身を包んで、学校に向かったが足取りが重い。というより、身体全体が重く、視界がかすんできた。

(まずい。たぶん、江利子は休みなのに)

 聖は一人で後輩を引っ張って仕事をするタイプじゃないからなあ、とフラフラと歩いていると、マリア像前のところに人がいた。

「ごきげんよう」

 優雅に微笑んで挨拶する紅薔薇さまだった。

「ごきげんよう、紅薔薇さま」

 大勢の生徒に囲まれている。

「あ、白薔薇さま。ごきげんよう。よかったわ。今日から江利子が──」

 紅薔薇さまは聖を見つけるとてきぱきと今日の予定を指示し、聖から「手回しのいい事」と苦笑される。もちろん、「あなたが頼りないからよ」と返すのも忘れない。
 フラフラとした足取りの自分より、よほど頼りになりそうだ。
 と、蓉子は急に倒れた。

「きゃ! 誰か倒れたわ!」

「保健室にお連れしましょう」

 倒れた人物が水野蓉子であると気づかれないままに蓉子は保健室に連れていかれた。

(……ああ、私、薄くなってる……)

 放課後、ようやく身体を引きずって薔薇の館に向かうと、大勢の人が集まっている。

「黄薔薇のつぼみとその妹が破局したんですって!」

 そう口々に言って集まってきているが、蓉子にはそれがなんだかわからない。

「すみません、すみません」

 人だかりを押しのけて、志摩子が薔薇の館の玄関に向かう。

「すみません」

 志摩子に押しのけられ、蓉子は地面に手をついた。
 ああ、なんということか。
 蓉子は自分が消えていくことを実感し始めた。
 手が随分と透け、向こうが見えるようになってきた。
 薔薇の館を見上げると、聖がこちらを覗き込むように見ていた。その隣に紅薔薇さまがいる。すぐに顔を引っ込める。
 聖の隣には志摩子がいる。紅薔薇さまも、その妹たちも、今は調子が悪そうだが、江利子もいる。自分がいなくたって上手くやっていけそうだ。
 最後に聖の顔を見れたのだし、吸収されたら紅薔薇さまの中で生きていけばいいのだ。
 そう思ったら、もういいや、と思って蓉子はゆっくりとその場を立ち去った。

「蓉子」

 誰かに呼ばれたような気がした。

「蓉子っ!」

 後ろから不意に抱きしめられた。この感触。この匂い……。

「……聖?」

「よかった。まだ、私のことわかるんだね」

 後ろから抱きついたまま、聖が言った。

「あなたの事なら、だいたいは……でも、どうして?」

「祐巳ちゃんが」

 聖が説明する。

「祐巳ちゃんのクラスメイトと昨日蓉子が話してるのを見かけて、彼女からドッペルゲンガーの話を聞いて。聞いたわ。『お釈迦様もみてる』の紅薔薇さま、止めないと祥子が大変なことになる」

「……どうして、祥子が?」

「知らないの? 『お釈迦様もみてる』は次の『お釈迦様もみてる S-キンシップ』で6冊目なのだけど、リリアンの『姉妹』システムに未だに触れていないから、彼女、勘違いしてるみたい」

「……ごめん、意味がわからない」

「つまり、紅薔薇さまは祥子を『百合的な意味の妹=恋人かなにか』と思いこんでいて──」

「なっ、なんてこと! 聖、お願い。祥子を助けて!」

 蓉子は立っているのも精一杯なので、聖にすがった。

「馬鹿だね、蓉子は。自分がやばいっていうのに祥子の心配なんかして」

「当たり前よ! 祥子は可愛い妹よ! 変なことしたら、私でも承知しないわ!」

 小さい声で聖は馬鹿、と蓉子の耳元で囁いた。
 その時、横の方から駆け寄ってくる足音がした。

「聖さま! 祥子さまが紅薔薇さまにさらわれてしまいました!!」

 昨日の子、桂さんといったか、彼女だった。

「まずい! 祐巳ちゃんはどうしてる?」

「二人を追って異空間に飛びこみました! マリア様のお力を借りて、異空間への入り口をマリア様のお庭前につないであります」

「よし、行こう!」

 聖は、蓉子に肩を貸してマリア像前に向かった。

「私のことはいいから、祥子を──」

「あなたがいないと向こうの紅薔薇さまは負けを認めない。それに」

 急に小声になって、聖は言った。

「もう、大切な人の手は離さないって決めたから」

 三人で異空間に飛びこむと、倒れている祐巳ちゃんと、縛られている祥子、笑っている紅薔薇さまがいた。

「もう少し! もう少しで私は実物と入れ替わることが出来る!」

「それがお前の本音か」

 聖が蓉子を抱えながら紅薔薇さまに問いただす。

「フン。あなたは私が実物を吸収する様を見ていなさい。この通り、生贄も用意したのだから!!」

 グイッ、と蓉子は祥子の頭を掴んで引きよせた。

「さ、祥子さまを、離してください」

 祐巳ちゃんが起き上りながら言う。
 無言で紅薔薇さまは手を動かすと、祐巳ちゃんは吹っ飛んだ。

「きゃあああぁ!!」

「あなた、何者かは知らないけど、引っ込んでなさい!!」

「わ、私は祥子さまの……妹です!」

「妹? あなたは『福沢』でこの娘は『小笠原』……腹違いの姉妹? それとも、この娘が浮気してるの?」

「汚らわしい! 馬鹿にしないで!」

 祥子が叫んだ瞬間、紅薔薇さまは祥子を殴った。

「祥子!!」

「口のきき方に気をつけなさい!! あなたは生贄なの」

「聖、私はいいから、祥子を──」

「消えなさい、『マリア様がみてる』の紅薔薇さま!! あなたはもう、必要な人なんかじゃないの。さ、私が何もかもうまく仕切ってあげる」

「黙れえええぇぇ!!」

 聖が怒鳴った。
 紅薔薇さまが思わず黙った。

「蓉子は真面目な優等生で、お節介焼きで、口うるさいけど、お前みたいに人が消える事を望んだことは一度もない! いつだってみんな事を心配して、皆のためなら嫌われる役回りを引き受けても、自分が辛くても頑張れる!! お前みたいな、自分勝手な紅薔薇さまはいらない!!」

 聖は蓉子を抱きしめる手に力を込めた。

「蓉子はみんなに必要なんだ! この先、2010年10月1日に『お釈迦様もみてる S-キンシップ』が発売されても、その先に何冊『お釈迦様もみてる』が発売されても、もう、出番がほとんどなくても、水野蓉子は必要なんだあーっ!!」

 蓉子の目から涙があふれてきた。

「そうだとしても、もう実物が消えるのは時間の問題。そこで指をくわえて見ていなさい!!」

「消えるのはそっちだ!! 『マリア様がみてる』をなめるんじゃない!! みんな、頼む!!」

「はい!!」

「お姉さま!!」

「もちろんです!!」

 聖の合図で飛び出してきたのは、乃梨子ちゃん、瞳子ちゃん、志摩子だった。

「な、な、何なの!? あなたたちはっ!!」

「『無印』あとがきで出た雑誌掲載分の主人公、二条乃梨子!」

「更に『黄薔薇革命』あとがきで登場した松平瞳子!」

「そして、半年遡ったと『無印』で説明されていた藤堂志摩子!」

 三人に飛びかかられ、紅薔薇さまは応援を呼んだ。

「こんなの、『映画原作』にはなかったわっ!! 仕方ない。白薔薇さま! 黄薔薇さま! 黄薔薇のつぼみ! 白薔薇のつぼみ! その妹たち!!」

 出てきたのは、白薔薇さま、白薔薇のつぼみのみだった。

「え……黄薔薇たちはどうしたのよっ!?」

「この時期、『黄薔薇革命』で黄薔薇ファミリーはそろって入院もしくはただのヘタ令!! こっちには、更に切り札、カメラちゃん! 三奈子さん!」

「お任せください!」

「待っていました!!」

 蔦子さん、三奈子さんが揃って登場し、『お釈迦様もみてる』の白薔薇姉妹を取り押さえる。

「祐巳ちゃん、祥子を!」

「はいっ!!」

 祐巳ちゃんが祥子を助けにダッシュする。

「す、ストップ!!」

 祐巳ちゃんの前に『お釈迦様もみてる』の祐巳ちゃんが立ちはだかる。

「まだ、負けてないわよっ!!」

 紅薔薇さまが、志摩子、乃梨子ちゃん、瞳子ちゃんを倒した。

「ここで、一気に『マリア様がみてる』の時間系列を最新刊に戻す!! すると、どうなると思う?」

「え?」

 登場したのは、親知らずを抜いた江利子、ヘタれてない令、改造人間由乃ちゃん、無敵のニューフェース有馬菜々ちゃん、更に、可南子ちゃん、真美さん、蔦子さんの隣にいるふわっとした子(笙子ちゃん)など次々と現れる。

「ひ、卑怯よっ!!」

「祐巳ちゃん、最後の切り札、今だっ!!」

「柏木さん、お願い!!」

 紅薔薇さまの前に立ちはだかった最後の切り札、それは柏木優だった。

「な、なんで『お釈迦様もみてる』の登場人物が、しかも、この娘のいうことを聞いているのよっ!?」

「君は知らないだろうが、いろいろあって、僕は祐巳ちゃんに手を貸す事にしているのさ」

 そう言って、助っ人たちは紅薔薇さまと戦い始めた。
 祐巳ちゃんが祐巳ちゃんに攻撃する。

「『お釈迦様もみてる』の私。あなたと祥子さまの間の絆は細い。でも、私たち、『マリア様がみてる』の私とお姉さまの絆は時に紅いカードでもめ、時に雨に打たれたけれど、とても強くなったわ。そして、その絆が私に力をくれる。どんなに頑張っても、今のあなたは私には勝てない」

「きゃあああっ!!」

 祐巳ちゃんは向こうの祐巳ちゃんを倒して、祥子の戒めを解いた。

「お姉さまを救出しました!!」

「し、しまった!!」

 紅薔薇さまが慌てた隙に、瞳子ちゃんが紅薔薇さまにくさびを打ち込んだ。

「『お釈迦様もみてる』の紅薔薇さま、お帰りください」

 悲鳴を上げて、紅薔薇さまは消えてしまった。
 すると、足元が急に不安定になった。

「異空間が消えます!!」

 桂さんの声で全員が撤退を開始する。

「私はいいから、皆を、早く!!」

 蓉子は吸収こそ免れたが、ほとんど力が残っていない状態だった。

「こちらへ!!」

 次々と撤退して『マリア様がみてる』の世界に戻る一同を見送って、蓉子は思う。
 皆が無事で、よかった。

「蓉子、しっかり」

 聖が蓉子を抱えて走り出す。
 異空間の扉が閉じていく。

「聖、私のことはいいから、あなただけでも逃げて」

「そんなこと、できるわけないでしょう」

 しっかりと蓉子を抱えて懸命に聖は走る。

「やめてよ! 私を抱えてたら、二人とも間に合わないわ! 私を置いていけば、聖は助かるのっ!! さあ」

 蓉子は力の入らない手で聖を叩くが、がっちりと聖は蓉子を抱えたまま走る。

「絶対に離さない」

「馬鹿っ」

「馬鹿はどっち? みんなが蓉子を必要としてるのに、蓉子のいない世界なんて、何になるの?」

 ゆっくりと、目の前で異空間の扉が閉じた。

「あっ、ああ……」

「間に合わなかったか……」

「ごめんなさい、聖。私のせいで間に合わなかった……私がもっとしっかりしてたら──」

「何言ってるんだか、蓉子らしくないね。私が私の意思で、蓉子を連れていくって決めたんだから。それより、私の方こそ、間に合わなくてごめん」

 二人は互いに詫びながら、見つめ合う。

「……どうなるのかしら、私たち……」

「わからない。もしかしたら、消えるかもしれない」

「聖まで、消えることないのに……」

「蓉子、それはあなたも同じでしょう。どうして蓉子が消えなくちゃいけないの? 蓉子はどこも行かなくていい。たとえ、2010年10月1日に『お釈迦様もみてる S-キンシップ』が発売になっても、ならなくても、それは変わらない。そうだよね?」

 蓉子はうなずいた。

「聖……」

「蓉子……」

 見つめ合う聖と蓉子。
 そして……。

 ……。

 ……。

 ──パシーン!

「……って、ドサクサに紛れて、何しようとしてるのよおっ!!」

 蓉子の叫びが響き渡った。

「話を盛り上げるための、アドリブを──」

 近づいてくる聖の顔を蓉子は懸命に引きはがそうとする。

「アドリブなんていらないでしょっ!! なんで2010年10月1日に『お釈迦様もみてる S-キンシップ』の予告SSで私たちのキスシーンが必要なのよっ!!」

「でも、監督のカットは入ってない」

「やかましいっ!!」

 蓉子は、力いっぱい聖を殴って、その腕から逃げてしまった。

「ああ〜」

 落胆したような、ギャラリーのため息。
 この場所は異空間のセットがある、予告SS収録スタジオであった。

「あなたたちも、面白がってないでなんで止めないのよっ!!」

 蓉子はギャラリーに当たり散らす。

「いや、蓉子がどんな顔してキスするのかちょっと見てみたいな〜、なんて」

 江利子が笑う。

「志摩子、あなた妹なんだから、これを止めなさいよ」

 ビシッ、と蓉子は聖を指して志摩子にいう。

「蓉子さま、無理です。桂さんに苗字を与えるくらい無理です」

 志摩子の返事に桂さん、涙目。

「祥子、姉の貞操のピンチに、あなたは何をしてるわけっ!?」

「あ〜、お姉さまが迫られてオロオロする姿に萌えていたのに……」

「祥子っ!! 心の中の妄想が外に出てるわよっ!!」

「あ、いえ、別にこれは──」

 必死に言い訳する祥子に祐巳ちゃんが。

「おおっ、久々に蓉子さまに転がされるお姉さま、私の萌えキター」

「って、祐巳もダダ漏れよっ!!」

「私、紅薔薇でよかったのかしら?」

 叱られる祐巳ちゃんを見て、瞳子ちゃんが呟く。

「いいんじゃない? 瞳子、頬が緩んでる」

 それを指摘する、乃梨子ちゃん。

「ようやくいつもの予告SSらしくなってきたわね」

 由乃ちゃんがいう。

「ちょっと待ってください、黄薔薇、またこれだけですか?」

 菜々ちゃんが言う。

「予告の感じからして、私と由乃ちゃんはもしかすると病院で出番があるかも知れないから、今回は許しましょう」

 と、江利子が言う。

「さ、巻き込まれないうちに帰ろう」

 令の指示で紅薔薇姉妹と聖と蓉子だけが残された。

「だから、変なところに萌えを感じるなあっ!!」

「萌とはそういうものですよ、蓉子さま」

 そうか?


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