【3264】 銀の翼に希望を乗せて七日間  (クゥ〜 2010-08-27 17:36:15)


銀髪の祐巳の話。
  【No:3216】【No:3221】―【今回】





 火曜日。


 祐巳は、学園のお御堂で、シスターたちと朝のお祈りを済ませる。
 これはもう長い事、祐巳の朝の日課に成っていた。
 「祐巳さん」
 仲のよい若いシスターに呼び止められる。
 「はい、どうかしましたか?」
 そう聞いたのだけれど、シスターはただ笑っていた。
 いや、微笑んでいると言った方がよさそうで、それはよく見れば他のシスターたちも同じような表情をしていた。
 「お姉さまのこと、よかったわね」
 その一言で、祐巳は真っ赤になる。
 「ふふふ、それでは、頑張りなさい」
 それだけ言って、シスターたちはお御堂を出て行き。祐巳は、恥ずかしさに固まっていたが、ハッと成って急いで薔薇の館に向かう。

 薔薇の館。
 まだ、どなたも来られていないので預かっていた鍵を使い中へと入る。
 ヒンヤリとしたまだ誰にも汚されていない空気が祐巳を迎えた。
 真っ赤だった頬の熱が奪われていく。
 「あら、祐巳ちゃん早いのね」
 「ごきげんよう、紅薔薇さま。お御堂でお祈りをしてこちらに来ましたので」
 少しして薔薇の館の片付けをしていると、紅薔薇さまが最初に来られた。
 「お御堂ね……相変わらず、熱心よね」
 「そうでもないのですが」
 完全に習慣化しているので今さら止めるのも勿体無い気がするからだ。
 「ふむ、ところで祐巳ちゃん」
 「何でしょう?」
 紅薔薇さまにお茶を出しながら、祐巳も座る。
 「う〜ん、まっ、後で良いわね」
 「あ、あの〜」
 紅薔薇さまはただニコニコ笑っていた。
 その笑顔に、祐巳の背中には冷たいものが走った。
 しばらくして志摩子さん、令さまと黄薔薇さま。
 そして、祥子さまが来られた。
 「祐巳、きちんと来ていたのね」
 「祐巳ちゃんは一番乗りだったわよ。相変わらずお御堂から来たみたいだけれど」
 祥子さまの言葉に答えたのは紅薔薇さまだった。
 「それよりも祥子、何か報告は?」
 「……もう少しお待ちください」
 お姉さまである紅薔薇さまの問いかけに、そう言った祥子さまだったがそのまま時間が過ぎる。
 「白薔薇さまはまだですか!」
 誰よりも早くキレたのは、祥子さまだった。
 「まぁまぁ、祥子。何時もの通りなら後五分あるわよ」
 「ですが!」
 「そうよね、私たちも報告が聞きたくてこんなに早く集まったのだし」
 「黄薔薇さま?」
 皆さま、ニヤニヤ笑っている。
 「仕方ないわね。祥子報告」
 「報告って!お姉さま」
 どうやら皆さま、事態が分かっておいでのようだ。
 「ちょっとまったー!」
 「あら、白薔薇さま」
 「遅いわよ」
 何か下の方からバタバタ音がすると思ったら、白薔薇さまが登場なされた。
 「ハァハァ……すっかり忘れていたのよ!危なかった」
 どうやら完全に、イベント化しているようだ。
 祥子さまの顔がハッキリ言って怖い。
 「それでは改めて祥子報告」
 「……こほん、祐巳。来なさい」
 祥子さまはどうにか気分を切り替えられたようで祐巳を呼び、いそいそと祐巳は祥子さまの右側に立つ。
 「この度、私、小笠原祥子と祝部祐巳はロザリオの授受をおこない。正式に姉妹に成りました、まだ新米姉妹ですので皆さまの指導をよろしくお願いいたします」
 祥子さまに続いて、祐巳も頭を下げた。
 が……。
 「えぇ〜、それだけなの?」
 その言葉は飛んできた。
 「何時何処で授受をしたのか、どんな風にしたのかも話して欲しいな」
 「なっ!」
 「そうそう、サービスしなさい」
 その言葉に祥子さまは再びキレた。
 「どうして、お姉さま方にそこまでサービスをしなくては成りませんの!」
 祥子さまの叫びを聞きながら、祐巳は新しいお茶の用意をしようと志摩子さんの方に向かった。
 ……。
 …………。
 「そうだわ、祐巳」
 「はい?」
 「貴女、引越しの準備進んでいるんでしょうね?」
 「えっ、いいえ」
 「何しているの言ったでしょう。あのアパートを引き払って家に来なさいって、こちらの準備は整っているのよ」
 お疲れさまが終わり、薔薇の館を出ようとしたとき。祥子さまは、引越しの話題を持ち出してきた。
 「いい、今週末には引っ越してくるのよ」
 しかも、期間まで決めてくる。
 「あ、あの」
 「姉として、あんな状態に妹を置いて置けないのよ。いいわね」
 祥子さまは何処までも本気で、祐巳をご自宅に居候させるおつもりの様だ。



 水曜日。


 瞳子は、中等部の教室でジッと手にしたリリアン瓦版を見ていた。
 書かれているのは、紅薔薇の蕾に妹が出来たという記事だった。
 相手は、お御堂の銀天使と言われている祝部祐巳さま。
 瞳子も祐巳さまが中等部に在学時などに見た事はある。
 確かに日本人とは思えないような銀色の髪にエメラルドのような碧眼は、髪を染めている生徒のいないリリアンではかなり目立った存在だ。
 「祝部祐巳……」
 瞳子はどんな人だろうと気に成って、お御堂へと向かう事にした。
 ちょうど、仲のよいクラスメイトも行く気がある様子。
 中等部の瞳子では、高等部の生徒に会うのなら図書館かお御堂、後は登下校の途中しかないのだが、相手はお御堂の銀天使。
 出会うには十分な勝算があるのはこちらだろう。

 祐巳は瞳子の予想通りにお御堂でお祈りをしていた。
 横には志摩子さん。
 志摩子さんと昼食後、二人でお御堂にお祈りに来ていたのだ。 
 「どなたですか?」
 奇妙な視線に、流石にお祈りをしていられないので振り返る。
 そこには祐巳のようなツインテールを更にねじった髪型の中等部の制服を着た生徒を先頭に数人の生徒がいた。
 「ごきげんよう、どちらさま?」
 「ご、ごきげんよう。白薔薇の蕾、祐巳さま」
 相手は、祐巳と志摩子さんのことを知っている様子。考えてみれば当然ではあるけれど……。
 本日、リリアン瓦版が出てから今まで以上に注目を浴びている。
 この中等部の生徒たちも同じなのだろうか?
 「もしかしてお祈りに来たの?」
 「い、いいえ!」
 相手は、こちらから話しかけられる事を予想していなかったのか相当に慌てている。
 「そう、残念ね」
 志摩子さんは本当に残念そうだ。
 祐巳は、流石にそれは期待できないでしょうと笑った。



 木曜日。


 祥子さまが何処か機嫌が悪い。
 いや理由は分かっているから、何故かとは言ってはいけない。
 理由、祐巳の引越しが中々進まないのがその原因と思われる。と、言うか。祐巳は荷物の整理さえしていない。
 「……」
 祥子さまは、何故か毎日祐巳の家に来ては不味いであろうコーヒーを飲んでいかれる。
 「決めたわ、祐巳」
 「な、何をでしょう?」
 「貴女、着替えなどを準備しなさい。このまま私の家に行くわよ。それで明日は、私と一緒に登校して帰りは貴女の実家によって引越しの話を進めるの」
 祥子さまの突然の言葉に祐巳は言葉を失って呆然とする。
 「あ、あの……祥子さま?」
 祐巳は自分の顔が引きつっているのがよく分かった。
 「ほら、さっさと準備する。あと電話借りるわよ」
 祥子さまにとっては完全な決定事項らしい。
 「……」
 祥子さまはご自宅に連絡を入れ、迎えを寄越すように。それと祐巳を連れて行くことを伝えていた。
 「ほら、さっさとしなさい!」
 電話が終わり。
 何の準備もしない祐巳に祥子さまは急がせる。
 「もう家には電話を入れたのだから、貴女も急ぎなさい!」
 祥子さまは何処までも本気だ。
 バッグにとにかく荷物を詰め込まれ、祥子さまに引きずられるまま家を出る。
 そのまま待ち合わせの大通りに向かうと、祥子さまの前に黒塗りの高級車が停まった。
 「祥子さまって強引ですよね」
 「そうでもないわよ」
 「そうですか?」
 正直、その言葉は信じられない。
 「それは、祐巳が相手だからね。きっと」
 俯きながら頬を染め呟く姿の祥子さま、それはちょっとした殺し文句だった。
 迎えの車に乗り込み、祥子さまのご自宅に着いたのだけれど。
 祐巳は固まっていた。
 小笠原がどれだけ大きいグループかは漠然と知っていたが、目の前のお屋敷はそんな高校生の知識など完全に破壊して見せた。
 「あの、祥子さま?私、このまま帰らせてもらって良いでしょうか」
 というか、本気で帰りたい。
 「なにを言っているの、そんなの無理に決まっているでしょう」
 祥子さまは祐巳の手を掴むとそのまま引きずっていく。
 「私は、こんな姿ですけれど庶民なんですよ〜」
 祐巳の懇願は祥子さまの前に、虚しく消えた。

 「まぁまぁ、よく来てくれました」
 お迎えに出られたのは、祥子さまのお母さまだった。
 ここでぶぶ漬けでも出された方が祐巳的には正直楽なのだが……お母さまは何処までも祐巳を受け入れる構えのようだ。
 「お世話に成ります、祝部祐巳と言います」
 「祝部?」
 「あの、何か?」
 「いいえ、昔、どうしてか懐かしいような気がしたから……それにしても本当に綺麗な銀色の髪ね、素敵だわ」
 「お母さま」
 祥子さまが少し強い口調で嗜める。祐巳が気にしているので、気を使ってくれているのだろう。
 「あらあら、祥子さんてば」
 だが、お母さまは余裕の表情。
 「祐巳、こっちよ」
 「それでは」
 お母さまに頭を下げて、祥子さまの後に続く。
 しばらく歩く。
 ……本気で迷子になりそう。
 そんな事を思っていると、祥子さまが止まる。
 「貴女の部屋は私の隣だから、こっちが私の部屋。隣が祐巳の部屋よ」
 「と、隣ですか?!」
 「そうよ、貴女は私の妹なのだから、私が面倒を見るのは当然でしょう」
 そう言った祥子さまは実に嬉しそうだった。
 そして、祐巳に与えられた部屋に入ったけれど、そこから先は正直記憶が曖昧に成ってしまった。
 まず案内された部屋の広さに驚いた。
 部屋には机やベッドまで用意され、着物まで置かれていた。
 祥子さまに言わせると着物などは、お母さまの古着らしい。
 「祐巳、着てみない?」
 「へっ」
 そう言って祥子さまは祐巳の前に一つの着物を持ち出した
 祐巳は着物はあまり好きではない。
 どう見ても外国人観光客のコスプレに見えてしまうから。
 「ほら、さっさと脱ぎなさい!」
 「やっ!ちょ、祥子さま!?」
 確かに用意してくださったのだから、着替えるのが良いのだろうけれど。
 「さぁ」
 祥子さまは常に強気の人だった。
 「……はい」

 「なにか似合わないわね」
 無理やり着替えさせられ、祥子さまに帯まで結んでいただいたが、その祥子さまの最初の一言がそれだった。
 「ですから……」
 物凄く悲しい。
 「その髪型が悪いのね」
 「あ、あの!」
 祥子さまの手によってリボンは解かれ、癖のついた髪は変な風に落ちる。
 「少し待っていなさい」
 祥子さまはどうやら隣のご自分のお部屋に戻り、櫛やヘアースプレーを持って戻ってこられ。祐巳の癖のついた髪を真っ直ぐに整えられた。 
 「あぁ、これなら着物にもピッタリね」
 祥子さまが選んだ着物は波模様と金魚が描かれた少し子供ぽい感じだった。
 祐巳の銀色の髪が波模様に溶け込んでいる珍しく、祐巳自身も合っていると感じた。
 もっとも、もう少し大人向けの方が良いとも思う。
 祥子さまのお母さま……清子さまというけれど、本人のご希望で清子小母さまと呼ぶことになった。
 それで清子小母さまは祐巳の姿を見て大変喜ばれた。
 「祥子さんは柄が嫌だとか言って着てくれなかったの」
 「そんな派手なのは趣味ではないですから」
 そう言いながら妹には着せるのかと呆れる。
 「祐巳には似合うでしょ」
 駄目押しで言い切った。

 「はぁ」
 夕食の後、清子小母さまに続いて、祥子さまのお父さまの融小父さまにご祖父にお会いし。
 お風呂をいただいて、ようやく緊張の糸をといた。
 融小父さまもおじいさまも共に家に人が増える事を歓迎してくれた。
 慣れない着物もどうにか脱いで、着慣れたパジャマに安心を覚えているとドアがノックされ、応える間もなく祥子さまが入ってこられた。
 「もう、貴女って子は、少し油断するとまたそんな格好で」
 「す、すみません」
 「まぁ、仕方ないわよね。突然こんな事に成って緊張してしまったのでしょう。さっ、髪を解かしてあげるから座りなさい」
 祥子さまに言われるまま、椅子に座り。祥子さまが後ろに立って髪を解かしてくれる。
 「貴女の髪は細いわね、それにとっても綺麗。祐巳は、本当にもう少し自分に自信を持つように成れると良いわね」
 そう言われても祥子さまの長く綺麗な黒髪の方が、祐巳には羨ましい。
 「……そんなに緊張した?」
 「えっ?」
 「でもね、祐巳はこうでもしないと決して来なかったでしょう。でも、私は、あのままあそこに貴女を置いておく気はなかったの。あんな場所で一人でいることに、私は不安しか無かったし、これではいけないと思っていたから……さっ、終わったわ」
 祥子さまは、櫛を置いて優しく微笑んだ。
 「それじゃ、明日の朝ね」
 「はい、お休みなさい。祥子さま」
 「……」
 祐巳はお休みの挨拶をしたのだが、祥子さまはジッと祐巳を見ている。
 「祐巳、呼び方が違うわよ。お姉さまでしょう。いいわね」
 祥子さまは、お休みと部屋を出て行かれた。
 残された祐巳は、その言葉を噛み締めていた。



 金曜日。


 朝、祥子さまは低血圧とご自分で話しておきながら、お御堂にお祈りに行く習慣を持っていたため早起きの祐巳の元にやって来られ。準備中の祐巳の髪を昨夜のように解きに来て纏めるまでしていかれた。
 もしかすると祥子さまは祐巳の髪を弄る事を習慣化しようとしているのではないかと思うような行動だった。
 祥子さまたちに合わせたため、久しぶりにお御堂の朝の祈りに行けなかった。
 ただ、祥子さまのお宅にこのまま居候とも成れば、朝のお祈りの時間は完全に無くなる。
 しかも、放課後は山百合会のお手伝い。
 先に山百合会入りした志摩子さんは放課後に余りお御堂に顔を出さなくなった。
 志摩子さんは蕾で、祐巳は蕾の妹だけれど仕事の内容がそう変わるとは思えない。
 お昼とかを利用しないと、お祈りの時間は取れなさそうだ。
 「そうそう、祐巳。今日はお昼に薔薇の館に来て少し仕事を手伝って欲しいの、昨日、やり残した事があってね」
 どうやら今日は、お昼もお御堂には行けなさそうだ。

 「遅かったわね」
 祥子は少し怒っていた。
 祐巳が予想よりも遅く薔薇の館に顔を出したからだ。
 「すみません、少しお御堂に行ってきました」
 「そう」
 祥子さまはそれだけ言って、手元の書類を眺め。
 「まぁ、いいわ。それでやって貰いたいのは……」
 祥子は祐巳に仕事を振る。
 内容そのものは簡単、でも単純だからこそ時間がかかる仕事だった。

 放課後、祐巳はお昼に残した祥子さまからの仕事を終わらせるために、お御堂に寄ることなく薔薇の館に向かった。
 おかげで、どうにか新しい仕事と一緒に終わらせる事が出来た。
 「お疲れ祐巳ちゃん」
 「さて、今日の作業は終了」
 「帰ろうか」
 薔薇さま方を先頭に薔薇の館を後にする。
 銀杏並木を歩き門を出る。
 そこには一台の黒塗りの車が停まっていた。
 「あら、祥子。今日は車?」
 「えぇ」
 紅薔薇さまも乗った事があるのか、待っていた運転手さんを見て祥子さまに聞いてくる。
 「ほら、祐巳。行くわよ」
 祥子さまは祐巳に昨日宣言したとおりに、両親に会いに行くつもりのようだ。
 「あれ?祥子、祐巳ちゃんと何処行くの」
 「祐巳のご実家に、あのアパートを引き払わせて私の家で預かる事にしましたので」
 流石にこの言葉に薔薇さま方も驚いているようだ。
 「以前言った事、本気だったの?」
 「えぇ、私は祐巳のお姉さまですので何の問題も無いでしょう?寧ろ姉としてあの環境に祐巳を置いておくわけには行かないですから」
 呆れる薔薇さま方を置いて、祥子さまは祐巳を連れ。
 祐巳の実家へと向かった。
 その車中で、運転手さんからアパートの祐巳の荷物は冷蔵庫などは実家に、着替えなどは小笠原の祐巳の部屋に既に運んである事の報告を受けた。
 家はどのくらいぶりだろうか?
 実家だというのに、居心地はまるで他人の家のように感じてしまう。祐巳は落ち着けなかった。
 既に祥子さまから連絡が行っていたのか、お父さんはただお願いしますと言っただけだったが、やはり女の子の一人暮らしには不安があったのだろう。
 それにしても父親とは、一月も空けずに会ったのはどのくらいぶりか。
 だが、お母さんの表情は少し違った。
 困ったような、そして、何かを悩んでいるような。
 「お母さん、コレも何かの縁だ」
 「……そうですね」
 祐巳は、始めてみるお母さんの様子に少し驚いている。
 「分かりました、祥子さま。祐巳をお願いします」
 お父さんもお母さんも祐巳のことを先に考えてくれる。それは祐巳にはありがたく、そして、祥子さまとの家への帰宅は自分の不甲斐なさを痛感する出来事になった。
 幼い頃からのトラウマと言っても、他人に言わせればたかが容姿の違い。
 しかし、祐巳には拭えない思い出が多すぎる。
 「祐巳」
 「?」
 「一歩ずつでいいのよ」
 祥子さまは、何でも分かっているように微笑んだ。



 土曜日。


 祐巳は今日も祥子さまと登校した。
 これからコレが普通に成りそうだ。
 当然、お御堂に行く時間は無い。
 昇降口で別れ教室に向かう。
 「ごきげんよう、祐巳さん」
 「ごきげんよう、志摩子さん」
 「今日は、祥子さまのお家から?」
 「あはは」
 志摩子さんの言葉に、祐巳は笑うしかない。
 「……?どうかした」
 志摩子さんが優しく微笑んでいる。
 「ううん、祐巳さん笑うように成ったわねと思っただけ」
 「へっ?」
 「祥子さまの強引なところが上手く働いているのね」
 志摩子さんは何か勝手に納得しているようだけれど?
 「え〜と、ごめん。どういうこと?」
 「私の中で祐巳さんて笑わない印象があったから」
 志摩子さんにそんな風に見られていたなんて、少し驚きだ。
 「そ、そうかな?」
 祐巳は顔を赤くしながら笑った。

 紅薔薇さまこと水野蓉子は、自分のお弁当を突付きながら姉妹となった妹と孫を眺めていた。
 放課後、祐巳ちゃんは祥子と同じお弁当を薔薇の館で、祥子たちと食べていた。
 「本当に祐巳ちゃんを自分の家に住まわせ始めたのね」
 二人が同じお弁当だったので、紅薔薇さまは呆れながら呟く。
 「まさか祥子にここまでの行動力があるなんて思ってもいなかったわ」
 「でも、確かにあんな場所に一人で住んでいたら気分だって落ち込んでくるでしょうしね」
 「祐巳ちゃんて、今までは放課後お御堂に通っていたんでしょ?日曜日とかも通っていたの?」
 「えっ、えぇ、大体は……それか時間のあるシスターに頼んで勉強とかしてはいましたけれど」
 「勉強って、シスターの?」
 「あっ、はい。シスターに成るにはそれなりの成績が必要と聞いたものですから」
 「そうなの」
 祐巳ちゃんの話を聞きながら、紅薔薇さまはシスターから聞いた話を思い出す。
 それは祐巳ちゃんのことだった。
 シスターと仲のよい祐巳ちゃんは確かにシスターに成りたいと言ってはいたらしい。ただ、シスターたちは実は祐巳ちゃんがシスターに成る事を密かに嫌がっていた……いや反対していたみたいだ。
 祐巳ちゃんには、もっとお御堂でのお祈り意外での事を経験して欲しいと思っていたらしく。
 祐巳ちゃんにお姉さまが出来たことい本当に喜んでいるようだった。
 彼女をお御堂の外に連れ出す事は、シスターたちには出来ない事だとまで告白してくれた。
 朝のお祈りに祐巳ちゃんがいないのは少し変な感じとまで言われたが、それでも祐巳ちゃんがお御堂の外にいることをシスターたちは望んでいる。
 それに祐巳ちゃんは祥子の意外な一面を引き出す。
 強引に、祐巳ちゃんを自分の家に住まわせるなんて、紅薔薇さまにも予想できない事だった。
 ……祐巳ちゃんが、お御堂の銀天使と呼ばれなくなる日が来るといいわね。
 「そう言えば、祐巳ちゃんのあだ名。お御堂の銀天使から薔薇の館の銀天使に変わったみたいだよ」
 ……。
 紅薔薇さまは呆れていた。
 なに、その安易な変更はと思いつつ、そう簡単にはいかないかと紅薔薇さまは誰にも気がつかれないように溜め息をついた。

 夜、祐巳は昨日から続いている荷物の整理をしていた。
 着ているのは何故かまた着物。
 初日に清子小母さまの着物を着て見せたのが不味かった。
 清子小母さまの着なくなった着物が、既に祐巳の持ったいた服の数を上回ってしまっている状態に成っていた。
 しかも、それを知った祥子さまは生き生きと祐巳を着せ替えて、髪も弄り。既に着せ替え人形状態。
 土曜日だというのもあって、晩くまで祥子さまと清子小母さまは楽しまれ。
 祐巳は、荷物の整理もままならなかった。



 日曜日。


 突然の訪問者二名。
 お一人は、学園祭に山百合会の劇に参加された花寺の生徒会長。柏木さん。
 もう一人は、お御堂で祐巳たちを見に来ていたらしい数名の中で、一番髪型に特徴のあった中等部の生徒。 瞳子さんと言うらしい。
 「しかし、祐巳ちゃんがユキチのお姉さんだとは思わなかったよ」
 「私も祐麒が生徒会に入っているなんて思ってもいませんでした」
 柏木さんは、祐巳の弟で花寺に通う祐麒を知っていて、しかも祐麒は生徒会に入ったようだ。
 「その祐麒さんてどんな方なのですか?」
 「そうだな……容姿も成績も普通かな」
 「……容姿は普通なのですか?」
 「あぁ、黒髪に黒の瞳。祐巳ちゃんのような銀色の髪でもエメラルドの碧眼でもないよ……ただ、、面白い奴ではある」
 弟の祐麒に、祐巳のような特徴は現れなかった。
 それが更に祐巳を追い込んだのだが、それは祐麒の責任ではない。
 「だから、気がつかなかったし。苗字まで違っていからね」
 「苗字が違う?」
 「ユキチは福沢って言う」
 「柏木さん」
 「おっと、話しすぎたかな」
 祥子さまの一言に、柏木さんはすまなそうに祐巳に頭を下げた。
 「それにしても、さっちゃんが祐巳ちゃんを小笠原の家に住まわせたなんて本当だったんだね」
 柏木さんは話を変えた。
 「もう、その話が流れているの?」
 「あぁ、彼らは小笠原の話は好きだからね」
 「どう好きなのでしょうね」
 「ところで、先ほどから少し気に成っていたのですが。祐巳さまはご自宅では着物なのですか?」
 祐巳は着物だ。
 僅か三日で、祐巳の服は着物に定着してしまった。
 「いえ、これは清子小母さまの物で借りているのです」
 「お母さまが祐巳の着物姿を気に入ってしまって、祐巳に自分の着物を着せて喜んでいるのよ。祐巳は祐巳で、お母さまに甘いし」
 最初に着せたのは祥子さまだ。その後も、清子小母さまと一緒に楽しんでおられるように見えていたけれど。
 「なる程、この着物は清子小母さまのなのか。でも、下ろした銀色の髪とよく合っているね」
 「まぁ、祐巳の髪に似合うものを選んでいるみたいですから、でも、それをお母さまに言わないでね。これ以上、弄ばれては祐巳が可哀想だから」
 「……それは祐巳ちゃんが大変そうだ」
 呆れ顔のお二人。
 確かに、今朝、清子小母さまに着付けを習った後。お茶に誘われ、祐巳は少し付き合った。
 ただ、その後も清子小母さまとしては、それだけでは足りなかったのか。お花とか日舞とか興味ないなんて聞いてきている。
 「本当に」
 そう言いながら、柏木さんも瞳子さんも笑っていた。

 日曜日は千客万来なのだろう。
 柏木さんと瞳子さんが帰った午後に来られたのは、何処かの寺のご住職だった。
 「いや〜、聞いてはおりましたが、本当に美しいお嬢さんで」
 お手伝いさんの代わりにお茶を持っていくと、ご住職に突然そう言われた。
 「あら、ご住職は祐巳ちゃんをご存知でしたか?」
 「えぇ、娘から良く話は聞いておりました」
 娘?
 「そういえばご住職の娘さんもリリアンでしたわね」
 お寺の娘さんがリリアンに?
 「あぁ、私の娘は藤堂志摩子というのですよ。お嬢さんは会った事はことありますかな?」
 ご住職の出した名前に、祐巳はビックリしていた。
 知っているもなにも、今や山百合会の仲間であり。祐巳とよくお御堂でお祈りをする友人だ。
 「志摩子さんは友人ですけれど?」
 「おぉ、そうですか!いや、志摩子もですなぁ……」
 ご住職はニコニコして楽しそうに話してくれた。
 志摩子さんが自分自身で隠している事を、簡単にしかも嬉しそうに。
 祐巳は、志摩子さんに少しの同情と多くの羨望を感じた。
 ただ、この素敵なお父さんの話は志摩子さんにしないほうが、志摩子さんの精神衛生上はいいなと思う。

 「お疲れさまね、祐巳」
 夕食後、清子小母さまに再び捕まった祐巳は、清子小母さまのお茶に付き合わされ。少し遅めのお風呂の後、部屋に戻った。
 部屋には、祥子さまが待って居られた。
 「髪、乾かしてあげるからお座りなさい」
 言われるままに、祥子さまの前に座る。
 「なんだか、毎日、祥子さまに髪を整えてもらって申し訳なさが出てきます」
 祐巳は、姉である祥子さまのお手を煩わせる事に少し罪悪感というか申し訳なさを感じていた。
 「いいのよ、祐巳の髪を弄るのは好きでしている事なのだから……そう言えば祐巳のお母さまの家系は南九州の方の出身らしいわね」
 「えぇ、かなり遠い親戚が残っているらしく。そこに何代か前に、外国の血が混じった事が書かれている家系図があるようですけれど、名前とかは分かってはいないんですよ」
 「家系図があるのに名前は分からないの?」
 「はい」
 祐巳は苦笑し、かなり遠くなった親戚からの話を思い出す。
 「あの、祥子さま?」
 髪を解かしていた祥子さまの手が止まっていた。
 「あぁ、ごめんなさい」
 「い、いいえ」
 なんだか少し恥ずかしい。
 「さて、コレでいいわ。終わり……それよりも、祐巳。その祥子さまはそろそろ止めなさい。私は貴女のお姉さまなのよ」
 「……は、はい」
 櫛を置いた祥子さまは祐巳に優しく微笑んでくれていた。



 月曜日。


 「あっ、ごきげんよう」
 放課後、薔薇の館に向かおうと教室を出ると、隣の教室に一人由乃さんが残っているのに気がついた。
 「ごきげんよう、祐巳さん。今から薔薇の館?」
 「うん、その前に少しお御堂に寄ってから行こうと思ってるけれど」
 「そう、少し待っていてくれる?もう少しだから」
 見ればノートを写している様子。
 「いいよ」
 そう言われて、前の方の席に座る。
 祥子さまの妹に成って一週間が過ぎた。山百合会の仕事を手伝うようになったけれど、その間由乃さんは登校していないのか薔薇の館には来ていない。
 病弱とは聞いていたけれど。
 そして、おとなしい感じ。
 リリアン瓦版で妹にしたい人一位なのも良く分かる。
 「……」
 「……」
 お互いの視線が合ってしまう。
 「髪、下ろしたんだ」
 「う、うん……祥子さまが今日は下ろしなさいって言われたから」
 今日、祐巳は髪を結ばずに登校した。
 水泳の時や中等部の修学旅行では下ろしている姿を見ているはずなのに、クラスは何故か騒がしかった。
 「そうしていると本当に銀色の髪が映えて、天使の羽みたいよね」
 「あ、ありがとう」
 そこまで言われるような物ではないと思う。
 「髪のこと言われるの嫌?」
 「そう……だね。好き……ではないかな」
 由乃さんは、祐巳が苦笑いを浮かべたのが分かったようだ。
 「祐巳さんと私、何処か似ているわね」
 「へっ?」
 突然そんな事を言われても祐巳には由乃さんとの似ている所が思いつかない。
 「私、由乃さんのようにおしとやかじゃないわよ」
 「私だって、おしとやかじゃないよ」
 クスクスと由乃さんは笑う。
 「……そう、なの?」
 「そうよ、そんな事を言えばお御堂の銀天使さまの方が上だと思うけれど」
 「……そうかな?」
 祐巳はポリポリと頭を掻く。
 「でも……そんなのは関係なく。私は、祐巳さんとはずっとお話したいなと思っていたの」
 「私と?」
 「えぇ、どうしてかよく自分でも分からないけれど。ねぇ、祐巳さんは祥子さまのロザリオ受け取ったのよね」
 「う、うん」
 しかも今や居候までしている身。
 「ドキドキとかした?」
 「ドキドキとかは……それよりも私には祥子さまが必要な気がしたかな?」
 「祥子さまが必要?」
 「そうだね……何がどうしてとかは説明できないけれど」
 「そう……」
 由乃さんは黙ってしまう。
 「あれ、祐巳ちゃん?」
 代わりに声を出したのは、今までここに居なかった第三者。由乃さんのお姉さまである令さまだった。
 「ごきげんよう、令さま」
 「ごきげんよう」
 挨拶を交わした令さまは何も言わずに由乃さんの荷物を持つ。
 「令さまを待っていたの?」
 「まぁ、そうね。て、祐巳さん何をそんなに驚いているの?」
 「えっ、あぁ、いえ。なんだか邪魔をしたかなって」
 「祐巳ちゃん、私たちはそんな甘甘な姉妹じゃないわよ」
 「令ちゃん、甘甘って?」
 由乃さんの表情が生き生きしている……というか、令ちゃん?
 「そうね……祐巳ちゃんを自分の家に住まわせて楽しく世話を焼いているみたいよ」
 「祥子さまのご自宅に?!」
 「あぁ、由乃は知らなかったかな?祐巳ちゃん、学園の近くで一人暮らししていたのよ」
 「……一人暮らし?」
 「許可は取ってありました」
 「そうだろうけれど、祥子的には許せない事だったみたいね。姉妹に成ったとたんに、お姉さまの地位と権力を使って祐巳ちゃんを小笠原の家に住まわせたみたいよ」
 「……祥子さまって、そんなに強引なところが有ったのね」
 由乃さんの言葉に、令さまは苦笑する。
 「そうだね、紅薔薇さまも驚いていたよ。さて、そろそろ帰ろうか」
 部活が忙しいという令さまは、まだ本調子でない由乃さんと一緒に教室を出て祐巳とは昇降口で別れた。
 その別れ際、由乃さんは何故だかお礼を祐巳に言って去った。
 祐巳はお御堂に寄る時間がなくなったので、そのまま薔薇の館に向かうことにした。

 薔薇に館で令さまの伝言を伝え、そのまま山百合会の仕事をこなした。

 「さて、帰りますか」
 白薔薇さまの一言で、今日の山百合会の仕事は終わり。
 それぞれ帰る仕度を始める。
 「帰りましょうか」
 「はい」
 祐巳も祥子さまの後について、薔薇さま方と薔薇の館を出る。
 「祐巳」
 「はい?」
 「少しお御堂に寄っていきましょうか」
 祥子さまは薔薇さま方に断りをいれ、祐巳の手をとってお御堂の方に向かう。
 「貴女、今日はお御堂に行っていないのでしょう?」
 「えっ、そ、そうですが……よく、ご存知で」
 「志摩子が教えてくれただけよ」
 そう言って祥子さまは笑った。
 お御堂で二人で祈りを捧げる。
 「ねぇ、祐巳。貴女は自分の事好き?」
 不意に、祥子さまは呟くように聞いてきた。
 「えっ!?」
 「今は答えなくていいわ」
 「祥子さま……」
 祐巳は祈りを止めて顔を上げ、お祈りをしている祥子さまを見るが、その表情は見えない。
 「さて、遅くなっても大変ね。帰りましょうか」
 「はい」
 祐巳は祥子さまとお御堂を後にして、すっかり暗くなった銀杏並木を歩いていく。

 少し夜風は冷たくなっていた。
















 銀髪祐巳……すみません。


                          クゥ〜。


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