【3287】 膝の上に座って  (朝生行幸 2010-09-12 23:05:49)


「なに……してるの?」
 月曜日の放課後。
 いつものように、薔薇の館を訪れた黄薔薇のつぼみ島津由乃は、会議室内の様子を見て、呆然と呟いた。
 目の前には、久しぶりに姿を見る細川可南子が座っており、何故かその膝の上には、紅薔薇のつぼみの妹松平瞳子が乗っていた。
 瞳子は、頬を膨らませ、拗ねた様な表情でそっぽを向いている。
 見回せば、他にも紅薔薇のつぼみ福沢祐巳がいて、彼女は満面の笑みを浮かべており、白薔薇さま藤堂志摩子もニコニコ顔、白薔薇のつぼみ二条乃梨子にいたっては、口元を押さえてクツクツと笑いを堪えている有様。
「ごきげんよう、黄薔薇のつぼみ」
 可南子は、これまでついぞ見せたことのない、優しい表情で挨拶した。
 かつては、祐巳の専属助っ人として薔薇の館に出入りしていた可南子は、同じく助っ人だった瞳子──当時はまだつぼみの妹になっていなかった──と、祐巳の妹候補として噂されていた関係で、互いに面白くない思いもあったせいか、周りからは犬猿の仲とまで言われていた。
 しかし、今はどうだ。
 瞳子の表情はさておくとしても、仮にも同級生をお膝に乗せて抱きしめているなんて、仲が良いとしか言い様がないではないか。
「ごきげんよう、可南子ちゃん。……それで?」
 訝しげに眉を顰めつつ、先を促す。
「これを」
 可南子がポケットから、一枚の写真を取り出し、テーブルの上に置いた。
 写真には、年の頃は十五歳前後の少女の姿。
「瞳子ちゃん? ……じゃないわね」
「うん……似ているけど、違う娘だねぇ」
 写真の少女は、瞳子に似ていた。
 祐巳たちをはじめ、瞳子を比較的良く知っている者からすれば、一目で別人だと分かるだろうが、知らない人が見れば、同一人物かも、と思ってしまうぐらいにはそっくりだ。
 長いストレートで、眉辺りで一直線にカットされた髪型。
 ちょっと勝気に見える目付きに、やや太目の下がり眉。
 髪型ゆえか、なんとなく由乃にも見えないこともない。
「この子がどうかしたの?」
「実はこの写真に写っているのは、妹の次子です」
「へぇ、ちょっと見ないうちに、随分大きくなったねぇ」
 去年行われた学園祭で見たときは、まだ小さな赤ちゃんだったのに、なんともまぁ大きくなったものだ。
「ちょっと祐巳さん、確か次子ちゃんって、まだ生まれて一年も経ってないでしょ?」
「へ? あそっか」
 トンチンカンな祐巳の発言に、律儀に突っ込む黄薔薇のつぼみ。
「昨日、都内で大手協賛の子供服フェアが行われまして、それに父と夕子さんが行くことになって、私も同行したのですが」
 膝に瞳子を乗せたまま、可南子が説明を始めた。
「会場では、子供の未来の姿をコンピュータで合成してくれるブースがありまして。子供の骨格、両親・兄弟姉妹の顔つき、平均成長率といった諸条件を入力して、計算して貰ったところ……」
「なるほど、出来上がったのがこの写真、というワケね」
 静かに頷く可南子。
 よく見れば、写真の部分部分に、不自然なブレやボカシが覗える。
 合成写真に良く見られる現象だ。
「それからというもの、瞳子さんの顔を見る度に、妹に思えてしまって」
 だからこの有様なのねと、一同納得顔。
「こうして抱きしめていないと、ナントモ気分が落ち着かないのです」
 そんな可南子にこうして抱きしめられている瞳子も、背中から感じる柔らかい感触と体温に、ナントモ気分が落ち着かないのです状態。
 どうにか脱出しようと身体をモゾモゾ動かしてみても、バスケットボール部所属で、しかも身体が大きい可南子の力は強く、とても瞳子の力では振りほどけそうにない。
 悪戦苦闘している彼女に助け舟を出すことも無く、ひたすら笑いを堪えている乃梨子に対し、
「ちょっと乃梨子さん。何時まで笑っているのですか!?」
 とうとう瞳子が噛み付いた。
「くっくっく……、あーっはっはっは!!」
 意にも介さず、乃梨子の笑いは、終にバカ笑いにまで発展した。
「何か面白いことでもあったのかな?」
「ホラ、乃梨子は二人と同じクラスだから、いろんなことを見てきたのよ」
 囁き合う、祐巳と志摩子。
「乃梨子ってば!?」
「こら次子、大きな声を出してはダメでしょう?」
「誰が次子か!?」
「あら失礼」
「あーっはっはっはっはっはっは!!!」
 大声を出した瞳子をたしなめる可南子の態度は、将に姉か母親といった風情で、乃梨子のバカ笑いも更に高まる始末。
「まさか、朝からずっと?」
「えぇえぇその通り、朝からずっとこの有様ですわ!」
「それが、聞いて下さいよ由乃さま!」
 身を乗り出して割り込んだのは、バカ笑い真っ最中だったはずの乃梨子。
 涙を流しながら乃梨子が説明するには──。

 今朝、ごきげんようと言いつつ教室に入った乃梨子。
 自分の席に向かいながら、近くに座っている可南子とも挨拶を交わす。
 なにやら落ち着きがない可南子、まるで誰かが現れるのを待っているようで。
「どうしたの?」
 と聞いても、
「いえちょっと」
 と返るだけ。
 以来、教室の戸が開くたびに、そちらに目をやり腰を浮かすこと数知れず。
 そして瞳子が姿を現した途端。
 目にもとまらぬ早業とは将にこのこと、可南子は一瞬にして瞳子に接近し、そのままヒョイと抱えあげると、自分の席に戻ると同時に、彼女を膝の上に乗せた。
 恐らく五秒も経過していない、神速法か縮地法とも言える恐るべきダッシュとターンに、教室内の一同は唖然とするばかり。
「………」
 乃梨子は、とりあえず視線だけで可南子に問いかけてみた。
「………」
 かつて紅薔薇のつぼみに接していた時と同じような、優しく柔らかい笑みで応じて来る。
「………」
 瞳子は、何が起こったのか全く理解が及んでいない模様で、キョトンとした表情のまま硬直していたが、状況を認識出来た途端、
「ちょ、離して下さいまし可南子さん!?」
 コートも着たまま、マフラーも巻いたまま、鞄も持ったままの姿で、可南子の腕の中でジタバタともがき始めた。
 しかし可南子は、かたくなまでに相手を手放そうとしない。
 担任が来る直前になってようやく解放された瞳子は、まだ朝が始まったばかりなのに、疲れた顔。
 それからというもの、休み時間が来る度に、可南子の膝の上に納まる瞳子の姿が見られることに。
 三時限目と四時限目の間の休み時間のこと、委員長の号令が終わると同時に、瞳子はこれまで見せたことのない素早さで、可南子よりも早く立ち上がり、教室を後にした。
 逃がしてなるものかと鬼気迫る勢いで、続いて教室を出る可南子。
 なんだか面白そうだと、乃梨子を筆頭に、他のクラスメイトが更に続く。
 ほとんど小走りに近い瞳子を、可南子はずんずんと普通のペースで追いかける。
 手を伸ばせば、もう一息で追い付かれてしまうという距離で、なんとか瞳子は目的の場所に到達した。
 そこは、トイレ。
 可南子のお陰でなかなか行けなかったこともあり、もしこの時間も捕まってしまえば、次の授業時間には耐えられそうもなかったことを考えると、ギリギリセーフといったところ。
 個室に収まりドアに鍵を掛け、なんとか一息吐くことが出来た。
 ……と思ったのも束の間。
 いきなり、ドンドンドンと、扉を叩く音が。
 瞳子が「入ってます」と言おうとするよりも早く、
「大丈夫? しー出来る? 一人でしー出来るの?」
 可南子のその言葉に、何事ならんと色めき立っていたギャラリー達は、思わず大爆笑。
「一人で出来る? お姉さんが手伝ってあげるわ」
 その様子に、内心面白いと思いつつも、流石に拙いと判断した一人冷静な乃梨子は、笑い続ける同級生達をかき分け、しーしー言いながらしつこく扉を叩き続ける可南子に歩み寄った。
「可南子さん」
「あら乃梨子さん」
「理由は聞かないけど、ちょっとやり過ぎ。それに、そんなにうるさくすると、出るものも出なくなっちゃうよ?」
 その言葉に、ハッとした表情を浮かべた可南子。
「そう、そうですね。私としたことが……」
 バツが悪そうな雰囲気で、そろりと可南子は立ち去った。
「ふぅ……、瞳子、もう大丈夫だよ」
 しばしの沈黙と、ジャーと水が流れる音の後、やつれた感のある顔をした瞳子が扉を開けた。
「……助かりましたわ乃梨子さん。ったく、何なのですか彼女は?」
「さぁね。ま、しばらく時間を潰してから戻った方がいいと思うよ」
「そうしますわ」
 二人は、チャイム直前で教室に戻った。
 そして昼休み。
 このままでは決して終わらない、そんな共通認識で満たされている椿組の面々は、可南子の動向に注視していた。
 予想を裏切らずに可南子は、机をくっ付けて乃梨子他友人たちと昼食を摂ろうとした瞳子を素早く抱え上げ、何事もなかったかのように膝に乗せた。
 可南子に目立った動きが無かったので、昼休みは安泰か、と油断したのが仇となったようだ。
 そのまま可南子は、瞳子の弁当と自身の弁当を広げると、
「はい瞳子、あーん」
 などと言いながら、大爆笑に包まれる教室の中、瞳子の口元にご飯やおかずをお箸で運ぶ。
 ぶふー、なんて言いながら、口元を押さえて俯く乃梨子を尻目に、もはや抵抗は無駄と悟ったか、半ばヤケクソで、相手が差し出す箸に噛み付く瞳子。
 憮然とした表情で、咀嚼を繰り返す。
 互いの弁当を食べたり食べあったりの二人の様子に、同席している乃梨子や敦子や美幸は、笑うのは悪いと思いつつも、我慢で中々箸が進まない。
「ごちそうさまでした」
「………」
 満足そうな表情で、手を合わせる可南子。
 瞳子は、沈黙を守ったまま。
 非常に愉快な、そして同時に非常に疲れる昼休みが、ようやく終わった。

「なんてことがありましてねー」
 乃梨子の話を聞いて、祐巳と由乃は大笑い。
 志摩子すら、口元を押さえて笑うのを我慢している有様。
 結局可南子は、残りの休み時間も常に瞳子の後ろにいて、それは既に当たり前の光景と化していた。
 部活があるにも関わらず可南子は、そっちをキャンセルしてでも瞳子の傍にいることを選び、薔薇の館について来たぐらいだ。
 今も可南子は、膝の上の瞳子に、振舞われていたクッキーを「あーん」と言いながら、その口元に運んでいる。
『ごきげんよう』
 そのタイミングで姿を現したのは、紅薔薇さま小笠原祥子と、黄薔薇さま支倉令。
 笑い声を上げ続ける一同に、二人は不審な顔をしていたが、可南子と瞳子の様子に、そして乃梨子の説明を聞いて、同じように笑い出した。
「それにしてもあなた達、本当の母子みたいね」
「それは違います紅薔薇さま。本当の姉妹と言ってください」
「ですって、祐巳」
「いやぁ、姉妹は姉妹でも、姉妹じゃなければ別にOKですよ」
「分かり難いって」
 可南子と次子は、異母とはいえ実際に姉妹ではあるし、そしてリリアン女学園高等部には、姉妹(スール)制度なるものが存在する。
 祐巳と瞳子が姉妹(スールの方ね)である以上、そして可南子と瞳子が同級生である以上、姉妹(スールの方ね)になることは事実上あり得ない。
 そんなややこしいやり取りの後、
「そうだわ」
 何かを思い付いたらしい祥子は、令に目配せすると、祐巳の目を見ながら、自分の膝をポンポンと叩いた。
「え?」
 思わず、困惑の声を出す祐巳。
 令も祥子の意を受けて、由乃に向かって、同じく膝を叩く。
 それはすなわち、姉が妹をお膝の上に乗せようという魂胆。
 祐巳と由乃は、互いに顔を見合わせると、観念したかのように、姉の許に歩み寄った。
 その間、祥子と令は、志摩子にも意味ありげな視線を送る。
「乃梨子」
「はい?」
 志摩子も、乃梨子を自らの膝に誘った。
 うわそう来たか、とたじろいだものの、おとなしく従う祐巳や由乃がいる以上、自分だけ逆らうわけには行かない。
 それに、姉の膝に興味が無いわけではない、むしろこんな機会は滅多に無いだろうと判断し、誘われるままに腰を落ち着けた。
 祥子と祐巳、令と由乃には、割と身長差があるが、志摩子と乃梨子にはそれほど大きな隔たりは無い。
 ちょっと窮屈に感じつつも、志摩子の膝の上。
『………』
 三人は、妙な照れ臭さ、恥ずかしさに襲われ、頬を赤らませて俯いてしまった。
「……これって、すごい恥ずかしいわね」
「うぅ、こんなに照れ臭いものだとは思いませんでした……」
「ごめんね瞳子、こんなのなだと分かっていたら、笑ったりしなかったんだけど」
 現実を目の当たりにして、ようやく膝の上がどんな気分になるのか理解できた三人は、今更ながら瞳子に対し、申し訳ない気持ちになる。
 姉妹間でもそうなのだ、ましてやクラスメイトの視線の中、クラスメイトに膝抱っこされるのは、かなりの羞恥を伴うのは当然のことで。
「如何です? 私が今までどんな気持ちでいたか、これでご理解いただけたでしょう?」
 返す言葉も無く俯き続ける祐巳達の様子に、いささか溜飲が下がったのか、瞳子の気分は幾分晴れやか。
「まぁ悪気があったワケでは無いのだから、許してあげて瞳子ちゃん」
「そうそう、お陰でこんな役得もあったことだし」
 祥子と令が、二人して瞳子を宥める。
「私としては、とっとと解放していただきたいところなのですけど」
「それは、可南子ちゃんにお願いするしか無いわね」
 三年の薔薇さまに頼まれれば、可南子といえども逆らえないと思って、それとなく催促したのに、相手はサラリと受け流す。
 こりゃダメだ、瞳子は終に諦めた。
 見回せば、自身も含めて都合四組のお膝の上という、結構シュールな状況が広がっている。
「はい祐巳、あーん」
「由乃、あーん」
「ほら乃梨子、あーん」
 可南子も、薔薇さま達に従って、再び瞳子の口元にクッキーを運ぶ。
「はい次子、あーん」

「だから次子じゃありませんってば!?」


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