【3356】 名前をよんで  (紅蒼碧 2010-10-31 20:39:39)


深々と降り続ける雨の中、私は見送ることしかできなかった。
次第に心が闇に落ちていく…。
そんなことを感じながらも、唯々見つめることしか…。
・・・・・
・・・




梅雨も終わりに近づいたある日の放課後、私は母校であるリリアン女学園を訪れていた。
訪問の目的は、あの子に会うこと。
唯、それだけのために…。

銀杏並木を歩いていると何人かに声をかけられた。
「ごきげんよう。ロサ・キネンシス!!」
「ごきげんよう。うふふ、私はもうロサ・キネンシスではないわよ」
「あっ!!申し訳御座いません!!」
「いいのよ、何だか懐かしくなったけれどね、嬉しいわ」
皆、私のことを覚えていてくれたみたいで素直に嬉しかった。
しばらく歩いていると、見知った人物が私に声をかけてきた。
「お久しぶりです。蓉子様」
「久しぶりね、蔦子ちゃん」
「今日はどのような御用で?」
「少し用事があってきたのよ」
「薔薇の館でしょうか?それとも…。」
蔦子ちゃんは、私がここに来た目的を大筋で分かっているようだ。
私は、苦笑しながら
「両方よ…。」
と誤魔化し、答えることしかできなかった。
「そう…ですか…」
少しだけ二人の間に沈黙が訪れ、
「あの子ならミルクホールにいると思います」
「ミルクホールに?」
「はい」
少し意外だった。
あの子は特に用事がない限り、学園に残っているような子ではなかったからだ。
「放課後になると、少しの間窓の外を眺めた後、ミルクホールに行くんです」
「そうなの」
「特に何かをしているってわけではないんです。唯、同じように窓の外を眺めているだけ」
「…分かったわ、教えてくれてありがとう」
「いいえ、私にはこのくらいしかできませんから…。」
蔦子ちゃんの表情が曇るのを私は初めて見た。
(こんなに心配してくれる友達がいることをあの子は知っているのかしら?多分わかっているか…)
その後、少しやり取りした後、その場で別れミルクホールへと足を進めた。

ミルクホールに足を踏み入れて私は少し驚いた。
(放課後なのに結構人がいるのね…。)
ミルクホールの各テーブルには、同級生らしい子達で談笑していたり、スールらしい子達で談笑していたりと賑わいを見せていた。
(私の記憶では、それ程でもなかったような気がしけれど…)
私は早速、あの子を探し始めたがすぐに見つかった。
一ヵ所だけ、この空気にそぐわないテーブルにあの子はいた。
(蔦子ちゃんの言っていた通りね…。)
私はそのテーブルに向かおうとし、きびすを返した。
向かった場所は自動販売機。
(落ち着いて話をするなら、何か飲みながらのほうがいいわね。何がいいかしら?)
ふと思い立って、すぐイチゴミルクを2本購入し、あの子のいるテーブルへと向かった。
しかし、歩き出してすぐ歩みを止めた。
視線の先では、あの子の前に二人が並んで挨拶をしていた。
二人のうち、一人は良く知っている。
色々と問題を起こしてくれた当時の新聞部部長、そう築山三奈子だった。
(もう一人は誰かしら?見覚えがないわね…。)
なんとなく、今のあの子の雰囲気と似たような印象を含んでいる。
私は少し様子を見ることにした。
二人は、席に座ると話し始めた。
10分程たったとき、三奈子が席を立った。
(部活でも行くのかしら?)
三奈子は二人に挨拶すると早々にミルクホールを出て行った。
残った二人は2〜3分ほど窓の外を眺めていたが、また話し始めたときだった。
(!!笑っている)
そう、あの子が笑っていたのだ。
私が聞いていた話では、万人には志摩子のような、それよりももっと無機質な微笑みしか見せないと聞いていたのだ。
笑うことも、怒ることも、泣くところも・・・。
あの日以来、あの子から見ることのできなくなった表情の一つが今花開いているのだ。
そう、まるで太陽のように。

そのとき、私は周りの空気が変わっていることに気がついた。
(どうしたのかしら?)
先程まで、楽しそうに談笑していた殆どの子達があの子達の方を見ていたのだ。
(なるほど、そういうことか)
私の記憶より、ミルクホールにいる人の数が多いと思っていたら殆どの子達はあの太陽を見に来たのだろう。
見ることができなくなった、あの太陽を…。
私はしばらくの間、その場の空気に身をゆだねてから「ふぅっ」と軽く息を吐いて出口の方に歩いていった。

ミルクホールを出た後、私はその足で薔薇の館へと向かった。
(ここも久しぶりね…。こんなに早く来るとは思ってもみなかったけど…。)
扉を開け、階段に差し掛かるところで、踊り場にある三色の薔薇で彩られたステンドグラスが目に入った。
(毎日通っていたときは、それほど気に留まらなかったけど、何だか時を感じるわね)
一息ついてから階段を上り、ビスケット似と称されている扉をノックした。
すぐに中から「少々お待ちください」と聞こえ、扉が開いた。
「ごきげんよう、元気にしていた?」
「ごきげんよう、蓉子様!!」
中にいたのは、志摩子と由乃ちゃんだった。
「蓉子様、本日はどのような御用で?」
「うふふ、貴方達の顔を見に来たのよ」
私は嘘をついた。
薔薇の館に来たのは、当初の予定が達成できなかったため、なんとなく来たのだ。
「ありがとう御座います」
見たところ、我が妹の祥子はいないようだ。
「祥子はまだ来ていないのかしら?」
「はい、もう少ししたらお見えになると思います」
「そう。では待っている間にお話でもしましょう。最近どう?」
それからは、由乃ちゃんに紅茶を入れてもらい。話に花を咲かせた。

なんとなく部屋の中を見渡す。
(私のいたころと、変わっていないわね、いい意味でも、悪い意味でも…。)
ふと、先ほどミルクホールでの光景を思い出した。
一人の笑顔を観るために、何人もの人が集まるあの光景を…。
私は自分の夢(薔薇の館を人の絶えない場所にしたい)を思い出し、あの光景と薔薇の館を重ねながら、唯々残念にお思い、時の流れを感じていた。


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