『ロサ・カニーナ・アン・ブゥトン』シリーズ
【No:3318】【No:3330】【これ】【No:3385】【No:3405】【No:3425】【No:3442】【No:3458】【No:3494】
新入生歓迎会の次は山百合総会だが、こちらは会則の変更や部の昇格といった大きな動きはなく、予算案を成立させて無事に終わった。
その日の放課後、反省会のため薔薇の館に集まった。
「……では、これくらいでいいかしら?」
その日の議題をほぼ終えて、一同を見回して紅薔薇さまが尋ねた。
「反省会と関係のないことだけど、よろしいかしら?」
静先輩が授業の時のように手を挙げてから言った。
「何かしら?」
「図書委員会の方で急病人が出て、どうしても放課後のお当番にも何日か出なくてはならなくなってしまって。申し訳ないのだけど、薔薇の館に来る回数や時間が減ってしまいそうなの」
本当に申し訳ない、というように静先輩は言った。
「それは仕方がない事よ。明日から中間テスト最終日まではここでの集まりも任意だから、しばらくは様子を見て問題があったら考えましょう」
「そういうのはお互い様だよ。もし、事前にシフトがわかったら教えて」
紅薔薇さまと黄薔薇さまがそう言う。
静先輩が乃梨子の方を見た。
「いらっしゃらなくても皆さまにご指導いただきますので、ご安心ください」
生徒会の事務仕事は中学校時代もやっていたので特に困ることはなかったし、こちらに専念している紅薔薇さまはほぼ毎日いらっしゃる。そもそも試験前はどこも活動を自粛する。図書館や音楽室に走ることはたぶんないだろう。
「あら、私がいない方が好き勝手出来るだなんて思ってるわけ?」
素直に「そうしなさい」と言わないところが静先輩らしい。
「好きも勝手もできるようなことがここにあるんですか?」
「そうね。ここには仏像はなかったものね。悪かったわ」
それまで『他愛のない姉妹の会話』と聞き流すポーズをとっていた由乃さまが笑った。乃梨子の趣味が仏像鑑賞というのは親しいものには周知の事実となってきている。
「祐巳」
「なんでしょう、お姉さま」
紅薔薇さまが祐巳さまを呼んで部屋を出ていった。
そろそろ解散か、と残された四人が片づけをして部屋を出ようとすると、紅薔薇姉妹が戻ってきた。
「?」
心なしか紅薔薇さまが落ち込んでいる、というか、祐巳さまもちょっとがっかりしたような表情をしている。
何なのだろう。
その日はすぐに帰ったので特に気にも留めなかった。
中間テストが終わったある日の放課後。
「ごきげんよう、乃梨子」
「ごきげんよう」
カウンター越しに静先輩が微笑んだ。
乃梨子がここを訪れたのは試験前に借りていた本を返すためである。
「今日は随分と混んでますね」
白薔薇さまで合唱部のスターという事もあって、静先輩がカウンターにいる日は本の貸し出し件数が増えたり、閲覧室が混んだりするらしいという話は聞いたことがあるがその辺りの事はあまり興味がなかった。
静先輩はテストが終わった解放感からか機嫌良くこう言った。
「こっちに来る? 邪魔しなければ隣に座っててもいいのよ」
カウンターの中を指すが、そうなるとお手伝いしないわけにはいかなくなる。
「私は、図書委員じゃありませんから。薔薇の館に行きますよ」
丁重にお断りして、乃梨子が振り向くと、不意に由乃さまが現れた。気づかなかっただけで、話している間に図書館に入ってきて近づいてきただけなのだろうけれど、ちょっと驚いた。
「白薔薇さま、ご報告が。乃梨子ちゃんもちょうどよかったわ」
笑顔を作ってみせるが、何か由乃さまのオーラはピリッとしていた。
「私、剣道部に入部します。正式に受理されていませんが、入部届けも出しました。薔薇の館の方はお姉さま同様部活のない日のみ活動ということになるでしょうからお二人にもご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうかよしなに」
そう言って、由乃さまは深々と頭を下げた。
「まあ、私もいろいろとやっているから反対はしないわ。やると決めた以上はお励みなさい」
静先輩はそう言った。
「ありがとうございます」
満足したように由乃さまは軽い足取りで去っていった。
「由乃ちゃん。まさかとは思うけど、黄薔薇さまの反対を押し切って勝手に入部届け出したりしたんじゃないかしら」
ぼんやりと由乃さまを見送っていた乃梨子の背後で静先輩がそう言った。
「え?」
思わず乃梨子は振り向いた。
「黄薔薇さまが賛成してたら黄薔薇さまと一緒に来るか、薔薇の館で報告すればすむことでしょう」
「ああ、それで。じゃあ、どうして黄薔薇さまは反対なさるんでしょうか?」
「一番心配しているのは彼女の体調のことでしょうね」
「……そういえば、手術をしたとか?」
瞳子のくれた情報を思い出して乃梨子は合の手を入れた。
「ええ、心臓のね。今ではかなり元気に走り回っているけど、中等部の頃は廊下でうずくまっているのを見たことがあるわ。その頃を一番知っている黄薔薇さまがいろいろと心配するのも無理ないでしょう」
「それじゃあ仕方がないですね」
こちらに本を持った生徒たちがやってきた。貸出手続きに来たのだろう。乃梨子は邪魔にならないようにそっと図書館を後にした。
数日後の放課後。
掃除の担当か所から戻る途中、乃梨子はトイレに立ち寄った。
「知ってる? 一年椿組の松平瞳子って、紅薔薇のつぼみの座を狙ってるんですって」
用を済ませ、個室から出ようとしたら子羊たちの噂話を聞いてしまった。
普通なら気にしないのだが、その対象が友達とよく知る先輩というものだから、出るタイミングを逸してしまった。
「えー、そうなの? でも、あの二人は親戚って話だから、たまたま親しそうにしてただけじゃないの?」
「この所毎日、松平瞳子が三年松組の教室前で目撃されてて、祥子さまと密会してるそうよ。私も一度見たけど、取り入る様に甘えてたわ」
三年松組とは紅薔薇さまの所属のクラスである。
「甘えてたって、見間違いじゃなくって?」
「だって、『祥子お姉さま』って呼んでたわよ」
『お姉さま』と呼べるのは妹だけ。それが姉妹制度だって瞳子自身が言っていた。
「もしかして、祐巳さんに宣戦布告? 祐巳さんはどうしてらっしゃるの?」
「祐巳さんは知ってか知らずか動いてないみたいだけど……気のせいか、先日見かけたときは夫の浮気に気付きながら耐える人妻みたいな顔してたわ」
どんな顔だ。
「まあ……じゃあ、祥子さまは二股を!?」
「そういうことになるわね。知っているならあの温厚な祐巳さんだって我慢の限界があるもの。このままじゃ去年の秋の『黄薔薇革命』再びって事にもなりかねないわね」
黄薔薇革命?
「山百合会も大変ね。祐巳さんもお気の毒に」
「そんな事言ってる場合じゃないわよ。祐巳さんにはしっかりしてもらわないと。ロサ・カニーナといい、松平瞳子といい、すり寄ってきた人が簡単に妹になるんじゃ何のための姉妹制度なんだか」
待て、静先輩は聖さまの妹にはなってないぞ。
「ちょっと――」
そこで会話は終わった。誰かがきたらしい。
子羊たちが去ったような気配があったので、乃梨子は個室を脱出した。
瞳子を探したが、その日は帰った後だったので、翌日の朝、瞳子を捕まえた。
「ちょっといい?」
乃梨子は瞳子を非常階段のところに呼び出した。
「何か相談事?」
「あのさ……変な噂が流れてるみたいだけど」
昨日トイレで聞いちゃいました、とは言わずに遠まわしに切り出すと、瞳子は何事もないような表情で乃梨子を見ている。
「ほら、紅薔薇さまのこと。なんだか、妙な憶測を呼んでるみたい」
「そんな事を言われても、私には私の事情があるのだし、プライバシーもあるのよ」
詮索するな、ということか。
「でも、『祥子お姉さま』って言うのは――」
「親戚でずっとそう呼んでいたから。うっかりそう呼んでしまった事もあるかもしれないわね」
嘘つき。瞳子ならたぶん、すぐに呼び名を改めるくらいできるはず。
「……乃梨子さんが嫌ならなるべく気をつけるわ」
譲歩した、という顔で瞳子はそう言うと、戻ろうとする。
「待って」
「まだ何か?」
「紅薔薇のつぼみのこと、どう思ってるの?」
そう聞くと、瞳子はすぐに答えた。
「お人よしで頼りにならなそうな方よね」
意味あり気に瞳子は口元に笑みを浮かべると言ってしまった。
何かがありそうだが、口を割らないだろう。
瞳子のことを観察してみたが、普段とあまり変わらない。
周りに感じる嫌な空気は乃梨子の気のせいなのだろうか、違うのか、それすら乃梨子にはわからない。
(なんだろう、この感じ……)
昨日はリリアンの負の部分を聞いてしまった。入学してから純粋無垢な子羊たちに慣れていたせいで忘れそうになっていたが、人として黒い部分があるのは当然だ。
静先輩は先代白薔薇さまの聖さまの妹じゃなかったのに。昨日の人は誤解していて、しかもあまりよく思っていない口調だった。
『薔薇さまにならないつぼみがいても構わないし、つぼみでなければ薔薇さまになれないわけでもないでしょう』
つぼみは薔薇さまの後継者でありアシスタントの役割も果たしている。それならば、妹のいない薔薇さまは選挙を勝ち抜いた姉のいない次期薔薇さまをつぼみにしてしまえば引き継ぎはスムーズにいくと思ったけれど。
『私は妹は作らないまま卒業したから、静は妹じゃないんだけど』
わざわざ姉妹の契りを交わさずに聖さまは卒業した。そんな風にも聞こえた。
たぶん、昨日の様に思っている人がいたりしたから、反発を招かないようにそう配慮したのかもしれない。
山百合会の人も純粋に尊敬だけされているわけじゃないんだな、と今さら当たり前のことに気付いた。
昼休み、薔薇の館に行くと黄薔薇姉妹がテーブルの反対側に座ってお弁当を食べていた。
(何がどうした?)
日頃は鬱陶しいぐらいにくっついている黄薔薇姉妹が目も合わせずにお弁当を黙々と食べている異様な光景。
間に座って紅薔薇さまはため息交じりにお弁当を食べていたが、食が進まないのか、半分ほどで食べるのをやめてしまった。
祐巳さまも心ここにあらずという表情でお弁当を食べている。
(なんか、嫌な空気だなあ……)
新入生歓迎会の直前、静先輩がまとっていたあのピリピリとは違う種類の重い空気に今ここは支配されている。
何かが起こっている。しかし、乃梨子にはまったく何が起きているか見えない。それが乃梨子の不安をあおっていた。
(相談した方がいいのかなあ)
パッと思い浮かんだのは静先輩の顔だったが、すぐに打ち消した。
静先輩は気まぐれで乃梨子を妹にしただけの人。ここにいる人たちとのお付き合いも一年間だけ。
今、この場が気まずくて逃げ出したくなったからそんな事を思いついてしまったのだろう。
(どうかしてる……うつっちゃったのかな?)
誰も口を聞かない異様で苦痛なランチタイムはずっと長く感じられた。
それを引きずっているのか、午後も掃除中も調子がでなかった。
あの空気の中、薔薇の館に行くのかと思うと気持ちが重くなる。
乃梨子が到着すると、祐巳さまが一人で掃除をしていたので、慌てて手伝う。
紅薔薇さまが到着し、乃梨子はコピーする原稿を片手に職員室に向かった。
コピーの束を持って戻ってくると、玄関の前に瞳子がいた。
「あれ、瞳子」
玄関から紅薔薇さまが出てきた。手には荷物があるので帰るみたいだ。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
紅薔薇さまは瞳子と一緒に立ち去った。乃梨子は階段を昇って、二階の会議室という名のサロンに入った。
中にいた祐巳さまも帰り支度をしていた。
「乃梨子ちゃんも、もう帰っていいって」
仕事らしい仕事がない時期なので、それは構わないが、いない間に何かあったのだろうか。
「はあ」
コピーを棚にしまって、帰り支度をしていると。
「……乃梨子ちゃんはさ、しっかり者だし、仕事もできるし、頭もいいし、山百合会に入って当然だよね」
祐巳さまが話しかけてきたが、意味がわからなかった。
「……ええと?」
褒められているような言葉だが、口調は全然そんな風には聞こえなかった。
「こんなにいい後輩なら静さまに見初められるっていうのはわかる気がするもの」
「何か、あったんですか?」
「私、やっぱり駄目なんだ……ロザリオを受け取った時から思ってたけど、やっぱり、私じゃ祥子さまには不釣り合いだよ」
乃梨子の問いには答えずに、祐巳さまは独り言のように続ける。
「私が初めてここに来た時。一階の玄関の扉をノックすることすらできなくて固まってたら、偶然祥子さまが出てきて、お姉さまがいるかって聞かれて。いないって答えたら、そのままここに連れてこられて、あれよあれよという間にロザリオ渡されて」
相槌を打つのもためらわれるぐらい祐巳さまの顔は深刻な表情に変わっていく。
「その時の祥子さまは学園祭の舞台劇を降板したくて、『妹のいない人に発言権はない』なんて言われたらしくて誰でもいいから妹にしようと思ってて、たまたま一番初めに出会ったお姉さまのいない一年生の私を選んだ……私が祥子さまの妹である理由なんて、それしかないから、もっとふさわしい人が出てきたら……」
「あ、あの?」
乃梨子は慌てた。この話、聞いてしまっていいものか。いや、なぜその話をわざわざ乃梨子に?
「乃梨子ちゃん」
「は、はい?」
「乃梨子ちゃんなら大丈夫だと思う」
祐巳さまは涙を浮かべて乃梨子の手をとってそう言った。
「何がですか?」
さっぱりわからない乃梨子は聞き返す。
「……ごめん」
それだけ言うと、祐巳さまは支度を始めて、帰ってしまった。
「……今の、何?」
祐巳さまの中では何かの流れがあって話しかけてきたのかもしれないが、理解できなかった。
妹にされた経緯だって、強引にという点においては乃梨子とそう変わらないような気がする。しかし、その割には紅薔薇姉妹は仲がよさそうに見えるのだが。仮面夫婦ならぬ、仮面姉妹だったのだろうか。
(わからないもんだなあ……)
下校時間が来て、戸締りをすると乃梨子は薔薇の館を後にした。
それ以来、祐巳さまは薔薇の館に来なくなった。
二日後の昼休み。
「由乃ちゃん、祐巳はどうしたの?」
同じクラスの由乃さまに尋ねているが、由乃さまも知らないようで、首をかしげている。
由乃さまといえば。
今日は黄薔薇さまと並んで仲良くしている。数日前のアレは何だったのだろう。
「放課後、聞いてみます」
紅薔薇さまの追及に、由乃さまはそう答えたが、紅薔薇さまは終始不機嫌だった。
気にはなったが乃梨子が首をつっこめる話ではないのでその場は黙ってやり過ごした。
その放課後。
「乃梨子」
薔薇の館に向かう途中、静先輩と会った。
「はい。なんでしょうか?」
「何でしょうかはないでしょう? 図書委員会の欠員が今日から復帰したから、今日から薔薇の館に行くのよ。あら、その顔は何? 私が来ない方が良かった?」
あれ以来、静先輩は図書委員会と合唱部が忙しく、薔薇の館に来たのは二回だけだったから現状を知らないようだ。
「いえ、そういうことはありません」
二人で薔薇の館に行くと、誰もいない。
いつものように乃梨子は部屋の掃除を始める。
「手伝うわ」
「え」
「何を驚いているの? 薔薇さまだからって部屋の掃除をしてはいけないということはないでしょう。それに、私は白薔薇のつぼみやその妹だったことがないから、薔薇の館の掃除なんてこういうときじゃないとできないもの」
そう言って笑うと、ほうきを取り出して、掃除を始めた。
乃梨子がゴミを捨てている間に、静先輩が乃梨子の分の紅茶もいれてくれた。
「慣れてないから祐巳ちゃんたちみたいに美味しくはないかもしれないけれど」
と、前置きして勧められたお茶は乃梨子が入れるよりもおいしかった。
「……おいしい」
「ふふ。お口にあって何よりだわ」
機嫌がいいのか、いつもの皮肉がない。
バタバタと階段を駆け上がってくる音がして、扉が開いた。
「祥子さまっ!!」
由乃さまだった。
「紅薔薇さまなら今日は帰るって、さっき会ったときに言ってたわ」
そう静先輩が言うと、由乃さまは泣きそうな顔になってうつむいた。
「どうしたの?」
「……いえ……祥子さまがいないなら、いいんです」
小さい声でそう言って、逃げ出すように背を向けた由乃さまの手を静先輩は素早く捕まえた。
「祐巳ちゃんに何かあったの?」
「……祐巳さんは帰りました。怪我も病気もしていません」
そう言って、そっと由乃さまは静先輩の手を離すと、階段を駆け下りていった。
「乃梨子、最近祐巳ちゃんに何かあったの?」
静先輩は乃梨子に聞いてきた。
「二日ぐらい前から、学校には来てるみたいなんですが、ここには来なくなったんです」
「学校には来てるって……山百合会に専念してる人が、どうしたのかしら?」
首をかしげながら静先輩は席に戻る。
「関係あるかどうかはわからないんですが、ここに最後に来た時に『自分は紅薔薇さまには不釣り合い』なんて事を言っていました」
「……もしかして、あの噂のことを気にしてるのかしら?」
噂、と聞いて乃梨子にも思い当ることがあった。
「瞳子のことですか?」
「ああ、聞いていたのね」
同じ学年だから、きっと静先輩自身が目にする機会もあったのかもしれない。
「……紅薔薇さまの妹の座を狙ってるとか」
思いきって、乃梨子は鎌をかけるように言ってみた。
「大胆な噂よね。あり得ないのに」
それを静先輩は鼻で笑った。
「あり得ませんか」
「ええ。いくつか根拠を上げられるけれど、バレンタインの話なんかがわかりやすいかしら」
バレンタインとは二月に男子にチョコをやるというあれ? それがどう関係あるのだろうと首をかしげていると静先輩は説明してくれた。
「うちの学校は中等部までは校則が厳しいのだけど、高等部に入ると生徒の自主性に任されるから校則が緩やかになるのね。そうするといろいろなイベントに燃える生徒が多いのよ。その一つがバレンタインで、憧れの生徒にチョコを渡すわけ」
「女同士で、ですか?」
「あら、女同士でチョコをやり取りしちゃいけないって事はないでしょう?」
「それはそうですが」
「で、祥子さんは一年生の頃から人気があって、多くの生徒が祥子さんにチョコを渡そうとしたんだけど、あの方、全てのチョコを『貰う理由がない』って辞退したのよ。勝手に置いていかれたチョコは期限を区切って処分するって張り紙までして、本当に焼却炉に投げ込んだみたい」
「ひえっ」
思わず乃梨子は悲鳴を上げた。たかがチョコでそこまでやるか。
「でも、去年ある生徒のチョコだけは受け取ったの」
クスリ、と静先輩は笑った。
「……それが祐巳さまですか」
「そう。あの方はああいう方だから、二股なんて発想がないでしょうし、祐巳ちゃんのことは何がなんでも手離さないはずよ」
「でも、祐巳さまは――」
「祐巳ちゃん、去年の学園祭でシンデレラって呼ばれていたわ。実際に山百合会の舞台劇でシンデレラを演じたのは祥子さんだったのだけど、祥子さんの妹になるまで生徒会どころか委員会や部活もやったことのない平々凡々な、いってみれば山百合会から最も遠い生徒の一人だと思われていたから」
なんとなくわかってきた。
「シンデレラのお話って、めでたしめでたしで終わるけど、実際はその後の方がドラマよね。王妃に相応しい努力が求められるでしょうし、ライバルが現れたら、気軽に声をかけてくるような王子があっさり心変わりするっていう危機感もあるでしょうし」
静先輩はそう付け足した。
「なるほど、地位を守れなかったシンデレラもいれば、王妃としてめでたしめでたしとなるシンデレラもいると」
「さあ? 逆に王子の器量次第って事もあるわよ。シンデレラを王妃として育て上げられるか、ちょっとかわいいだけの庶民の娘で終わらせるか」
祐巳さまの人気を思えば、紅薔薇姉妹はお互いにめでたしめでたしとなるように頑張っていたんじゃないか、と去年のことを知らない乃梨子は思う。
「じゃあ、どうしてみんなそんな噂を」
「姉妹というのは一対一の人間関係。綺麗事もあれば、ドロドロとした愛憎劇もあるのよ。特に、有名人となるとやっかみもあるからちょっとしたことで浮気とか破局なんて話になって広まってしまう。『人の不幸は蜜の味』なんて言うでしょう」
「なんだか、ワイドショーみたいですね」
「それに一役買ってるのが『リリアンかわら版』よ。去年の黄薔薇革命なんかいい例」
「黄薔薇革命?」
「由乃ちゃんが令さんにロザリオを返して、それがきっかけで姉妹別れが流行ったことがあったのよ」
「ええっ!?」
でも、黄薔薇姉妹は今現在も姉妹ですが。
「その後仲直りして、由乃ちゃんから妹にしてほしいって頭を下げて、元の鞘に収まったら、今度はそれが流行ったわ」
あの二人にそんな過去が……本当に、わからないものである。
「つまり、多くの生徒はそういうのが気になるって事よ」
「……あ、それで私の時も教室にみんな見に来たりしたんですか」
今さらながら、乃梨子はあの時のことを思い出した。
「一つものしりになったわね。友達とかお姉さまって持っておいて損はないでしょう?」
と、いつもの皮肉で静先輩は乃梨子をチクリと刺すのであった。
「でも、お姉さまもお姉さまがいなかったんですよね」
それに対抗して、乃梨子はちょっと言ってみた。
「ええ。誤解している人もいるけど、私はあの方の妹になりたかったわけではなくて、あの方に告白するためだけに選挙に出たんですもの。当選後も妹にしてくれなんて言わなかったわ」
「はあっ!?」
さらりと静先輩は言ったが、乃梨子は驚いた。
「あの方、必要な人や興味を持った人以外のことは覚えてもくれないの。それで、私のことを覚えてほしくて選挙に出て、告白したのよ」
結果は聞かなくてもなんとなくわかったので聞かなかった。
「だからといって、山百合会の仕事で手を抜くつもりはないわ。委員会も、部活も」
「はあ……」
微笑む静先輩とは対照的に、乃梨子はまた静先輩がよくわからなくなった。
その日は誰も来なかったので、静先輩がどこかへ行く時間になったので、乃梨子もおいとますることにした。
翌日。
「ごきげんよう」
教室に入るとクラスメイトの何人か、それも噂好きのグループが乃梨子の顔を見て一斉に近づいてきた。
嫌な予感がするので、目を合わせないようにして机にカバンを置いて逃げようとしたが、廊下に出たところで取り囲まれた。
「乃梨子さん、昨日私、見ちゃったのだけど」
「何?」
「祐巳さまが校門のところでずぶぬれになってて、その直前に瞳子さんと紅薔薇さまが一緒に車に乗って帰っていったんだけど……瞳子さんが祐巳さまのロザリオ奪ったって、本当?」
瞳子ーっ!?
【No:3385】へ続く