ある日の放課後のこと・・・。
「ガチャッ」
「ごきげんよう」
扉を開け挨拶したのは、ロサ・フェティダ・アン・ブゥトンこと島津由乃。
「「ごきげんよう」」
部屋の中から、返ってきた挨拶は、ロサ・ギガンティアこと藤堂志摩子と、妹にしてブゥトンの二条乃梨子だった。
「あれ?祐巳さんはまだ来てないんだ・・・」
由乃は、分かっていながらも辺りを見回して言った。
「それがね・・・」
志摩子の後を乃梨子が引き継いで答えた。
「瞳子と一緒に出て行かれました」
「?どうかしたの?」
「私たちも良く分からないのだけれど・・・。」
珍しく、志摩子が困った顔をしている。
「何となく感じただけなのですが、今日少しだけ瞳子の表情が暗かったような気がしたんです」
「「瞳子ちゃんの?」」
乃梨子の発言に二人が聞き返す。
「本当に何となくですが・・・。」
聞かれるたびに、自信がなくなっていく乃梨子。
「それと関係あるのかしら?」
「さぁ?」
二年生の二人が、顔を見合わせて首をかしげている。
「まぁ〜、そのうち戻ってくるでしょっ」
由乃はそう言って、流しに向かった。
「あっ、私が・・・」
「いいわよ、座ってて」
「すみません。ありがとう御座います」
二人が座ったのを見て、由乃は準備を始め、紅茶を入れる。
そして、二人の前にティーカップを置き、自分の分を置いて、腰を下ろす。
「「ありがとう(御座います)。いただきます」」
「どうぞ」
そうして、三人で紅茶を飲みながら、祐巳と瞳子の帰りを待つのだった。
・・・・・
・・・
・
瞳子は、朝から憂鬱な気分で登校した。
(ふぅ〜っ)
ため息に似た息を吐き出す。
ここは、リリアン女学院の校門前。
曇った表情はできない。
仮にもロサ・キネンシス・アン・ブゥトン・プティ・スールとなったのだから・・・。
周りから見られていると身が引き締まる。
瞳子は、演劇部なのでそういったことには慣れているのだが、見られている意味合いが違っているためだ。
(私が目立つようなことをすれば、お姉さまに迷惑がかかってします・・・。そんなことは絶対にあってはいけない。)
(ふぅ〜っ)
っと、もう一度息を吐き出すといつもの表情に戻し、マリア像に向かって歩き出した。
マリア像の前では、数人の生徒が手を合わせていた。
順番を待ち、瞳子も手を合わせる。
(・・・)
特に何も願わなかった。
何故なら、私の願いは私が願っても叶える事ができないから。
それは、私自身で行わなければならない事だからだ。
お祈りが終わると、少しの間マリア様のお顔を拝顔してから、校舎の方へと歩いていく。
銀杏並木を歩いていると、自分の後方から声が聞こえてきた。
「・・こ〜〜!!」(ん?なんだろう?)
「・う子〜〜!!」(誰かしら?叫んでいるのは?)
瞳子が後ろを振り向こうとしたとき、
「瞳〜子!!」
ガバッ!!っと後ろから抱きしめられた。
「・・・。何でしょうか?お姉さま」
流石に、声と行動で誰かは分かってしまう。
「もう、朝はじめてあったら挨拶でしょう?」
「・・・。ごきげんよう、お姉さま」
「はい、ごきげんよう」
「それで、いつまで観衆の目前で抱きついておられるのですか?」
瞳子は、少し低めの声で言った。
「飽きるまでかな?まぁ〜一生飽きないと思うけど♪」
「・・・。そろそろ離して頂けないでしょうか?遅刻してしまいます。そうしますと、ロサ・キネンシスに叱られてしまいますよ?」
瞳子は、祐巳に一番効く敬称を出して言った。
「わぁっ!!それは大変だ、じゃ〜急ぐよ〜」
祐巳は、瞳子から離れると素早く左手を取って、早足で校舎の方へ歩いていく。
「ちょっ!?お姉さま!!」
「ん〜?何〜?」
祐巳は首をかしげながら瞳子を見つめ、不思議そうに問う。
瞳子は、顔を少し赤くし、黙り込んだ後、「何でもありません」といって、祐巳の手を軽く握り返すのだった。
しばらく歩いていると、視線を感じたので振り向いた。
「お姉さま、どうかなされましたか?」
祐巳は、瞳子自身余り見ることのない真剣な顔をし、しばらく瞳子を見つめていたが、表情が微笑みに戻ると「うんん、なんでもないよ」と首を振って答えた。
瞳子は、少しドキッっとしたが、祐巳に微笑み返し歩を進めていく。
入り口まで来ると、「それじゃ〜勉強がんばるのよ」と言って、校舎の中へと入っていった。
「私より、お姉さまの方が心配ですわ」誰にも聞こえないような声でボソッと言うと、苦笑しながら校舎へと入る。
教室の扉を開け、中に入る。
「ごきげんよう、瞳子」
「ごきげんよう、乃梨子」
中にいた乃梨子が、入ってきた瞳子に寄ると笑顔で挨拶を交わす。
瞳子は、「ふぅ〜」っと軽く溜息を吐いた。
「どうかしたの?」
「実は・・・。」
瞳子は、教室に入るまでに起こった経緯を乃梨子に話した。
「・・・。何というか、祐巳様らいいね。」
乃梨子は少し固まった後、苦笑とも微笑とも取れる表情で、そう答えた。
「えぇ、私もそう思いますわ」
瞳子は、つぼみが花開くような笑顔で答えた。
(瞳子に、こんな素敵な表情をさせることができるなんて、祐巳様には敵わないな)
乃梨子は改めてそう思いつつも、親友の幸せそうな表情を見れて満足だった。
(ん・・・?)
乃梨子は少しだが、瞳子を見て違和感を感じたが、
「どうかした?」
っと瞳子に問われ、(・・・。気の、せいかな?)と思い直す。少しだけ瞳子の表情に、影がさしたように感じたのだ。
しかし思い直して、
「ううん、なんでもない。それより昨日の宿題なんだけど」
首を横に振って否定すると、話題を変え、昨日でた宿題について、話し合うのだった。
外の景色を見るでもなく、意識深く思考している。
「・・・さん、・・・子さん、瞳子さん!!」
最後の強い呼びかけで、クラスメイトから声をかけられているのに気がついた。
「あっ、ごめんなさい」
「私こそごめんなさい、中々気づいてもらえなかったので、つい大きな声で・・・」
「いいのよ。何か御用?」
「あっ、うん。ここの問題なんですけど、教えて頂けますか?」
「えぇっと、あぁここはですね・・・。」
かなりボーっとしていた瞳子は、クラスメイトの質問に答えるため、気合を入れなおす。
「ありがとう、助かりました」
「どういたしまして」
「瞳子さん、先程思考されていたようですが、何かお困りですか?」
「いいえ、特に何でもないですわ、唯ボーっとしていただけです」
「そうでしたか、何か困ったことがあったら言って下さいね?」
「ありがとう御座います」
そういってクラスメイトと分かれた。
そうするとすぐ乃梨子がやってきて、
「何かあったの」と聞いてきたので、
「先程の問題を教えてほしいってきてくれたのですわ」と答えた。
「そう」
そこで授業開始のチャイムが鳴る。
「ほら、席に戻らないと」
「うん、また後でね」
そう言って、乃梨子は席に戻っていった。
その後、先生がきたので、そちらに集中する。
昼休み、午後の授業を終え、瞳子と乃梨子はそろって薔薇の館へと向かった。
瞳子は今日、部活がないのでゆっくりできる。
二人は、2階に上がると掃除をし、それが終わると飲み物の用意を始める。
しばらくすると、階段の踏みしめる音が聞こえてきた。
「この音は・・・。お姉さまだ」
っと乃梨子が言い。
「もう一つの音は、お姉さまのだわ」
っと瞳子が言った。
二人は、取りあえず4人分の紅茶を入れる。
扉が開き、「「ごきげんよう」」と挨拶を受ける。
それに対し、「「ごきげんよう」」と二人は答えた。
「お姉さま方、紅茶でよろしいですか?」
と瞳子が言うと、
「えぇ、お願いするわ」
「うん、紅茶でいいよ〜」
っと、言っている意味は同じなのだが、与える印象がまるで違うお二人だ。
二人は席に座ると、談笑を始めた。
多分ここまでくる途中で話していた続きなのだろう。
少しして、「「どうぞ」」とそれぞれの妹が、それぞれの姉に紅茶を出す。
「「ありがとう。頂きます」」
二人は、それぞれ一口ずつ飲む。
「おいしいわ」
と、乃梨子の方に微笑みながら言う志摩子と、
「うぅ〜、暖まる〜。ありがとう瞳子、おいしいよ〜」
と、瞳子の方にとろけた笑顔で答える祐巳だった。
瞳子と乃梨子は、自分たちの紅茶とお茶請けに小さなクッキーがいくつも入った缶を皿にだし、皆が取り易い位置に置くと自分たちの席に座り、祐巳と志摩子の談笑に加わった。
しばらく話していると、乃梨子は祐巳が会話に参加してないことに気がついた。
(・・・!?)
不思議に思って見ていると、余り見ることのできない祐巳の本当の意味での真剣な顔が瞳子を見つめていた。
すると、志摩子と会話していた瞳子に「瞳子」と名前を呼んだ。
「はい、何でしょう?お姉さま・・・。」
瞳子と志摩子は発言者を見て、少し驚いた顔をしている。
少しの間、瞳子の顔を見つめていると、祐巳は立ち上がり扉の方へと歩き出す。
「祐巳さん?」
っと、志摩子が尋ねるが、扉の前で瞳子に「いらっしゃい」と言って、そのまま出て行ってしまった。
志摩子と乃梨子は、お互いを見合い(何だろう?)と首をかしげる。
しかし、瞳子はと言うと苦笑し、少し諦めたような顔をしていた。
そして、「少し席を外します・・・。」と言って祐巳の後を追いかけていった。
「・・・・・。」
少しの間、沈黙がおとずれた後、「何かあったのかしら?」と言った。
一方の乃梨子はと言うと、何故祐巳が瞳子を連れて行ったのか分かった気がしたのだった。
先を歩く祐巳は、目的地があるのか迷い無く歩いていく。
瞳子は、先を歩く祐巳を見ながら複雑な気持ちでついていく。
しばらく歩いていると目的地が見えてきた、目の前に見えるのは学院に二箇所ある温室の内の一つ。
温室と言っても、新しく作られた方の温室ではなく、余り人が来ない古いほうの温室である。
祐巳は、扉を開けて中に入り、ロサ・キネンシスの前に屈むと、真紅の花びらの無い姿を見つめている。
瞳子は、祐巳の傍に寄り、祐巳の方を向いて立ち止まって、祐巳の言葉を待った。
少しの間、二人の間に沈黙が訪れた後
「ここにはね、たくさんの思い出があるんだ」
祐巳は目を閉じ、思い出しながら話しているようだ。
瞳子は、黙って祐巳の話を聞く。
「楽しかったこと、悲しかったこと、悔しかったこと、泣いてしまったこと、本当にいろんなことがあったんだ」
「瞳子」
「はい」
「私はね、瞳子に幸せになってほしいの・・・。」
そういった後、祐巳は首を振って
「ううん。違う、私が瞳子を幸せにしたい。」
「!?」
目を開け、真剣な顔で瞳子を見つめる。
唯、純粋に、そしてまっすぐに・・・。
瞳子は、祐巳の言葉に驚き、見つめ返す。
「今まで、瞳子とは色んなことがあった。でもそれは、私と瞳子の思い出が詰まった、私の大事な宝物」
「私は、お姉さまに、多くの人に包み込まれ、支えられて、今ここにいる」
「私は、自分でも頼りないと思うくらい、頼りないお姉さまかもしれないけど、今瞳子の中にある闇を私にぶつけて欲しい。瞳子が抱えているものを私も一緒に抱えたい。そして、心の開いたスペースに、私との思い出を詰め込んで欲しい」
祐巳は真摯な言葉を瞳子にぶつけた。
瞳子は、止め処無くあふれだす涙を抑えることができなかった。
(そんなことはありません。お姉さまはとても頼りになります!!)
思っていても、涙で言葉に詰まっているため、言葉に出せなかった。
祐巳は立ち上がり、泣いている瞳子の頬に手を添えると、瞳子は顔をあげた。
そして、流れ出す涙を手で拭った後、瞳子が落ち着くまで、そっと優しく抱きしめるのだった。
瞳子が落ち着いた後、以前、祥子と祐巳が話し合った場所に二人は腰を下ろした。
祐巳は何も言わず、瞳子の言葉を待った。
しばらくして、瞳子は重い口を開いた。
「最近とても怖い夢を見るんです」
「夢を?」
「はい」
「どうな夢なの?」
祐巳は先を促した。
「それは・・・」
・・・・・
・・・
・
辺り一面、何処までも続く闇。
(ここは何処だろう?)
唯一あるのは、立っているという感覚のみ。
音も無い。
あるのは自分の呼吸音と脈の早くなった心臓の音だけ。
怖くなってきた私は、ゆっくり歩き出す。
「トン、トン」と足音がなる。
聞こえてくる私の足音が耳に届くにつれて、何かに追いかけられているような錯覚を起こす。
私は恐怖に駆られて走り出した。
「タッ、タッ、タッ」と音が鳴る。
私は何度も後ろを振り返ったが誰もいない。
それでも聞こえる足音。
私自身の足音だと分かっていても、恐怖を覚えた心はどうしようもない。
私は必死に走る。
何処に向かって走ればいいのか分からない。
それでも私は走り続ける。
「助けて!!誰か助けて!!」
叫んだ声は響くことなく、闇の中へと消えていった。
叫び声に反応するものは無い。
それでも私は叫び続ける。
声が嗄れるまで、何度と無く。
次第に涙が溢れてきた。
こぼれ続ける涙。
もうどうしていいのか分からない。
(助けて!!助けてお母様!!助けてお父さま!!助けて、助けてお姉さま!!)
・・・・・
・・・
・
瞳子は、夢の内容を全て祐巳に語った。
「私、何だか怖いんです。お父様やお母様、そしてお姉さままでいなくなってしまうのではないかって!!とても不安だったんです・・・。」
少しの間、沈黙が訪れる。
そして、祐巳は
「ごめんね」
「え?」
瞳子が祐巳を振り返ると、祐巳はこちらを見つめながら瞳には涙が溢れていた。
「瞳子が助けを求めているのに助けに行けなくてごめんね」
祐巳の瞳から、涙が零れ落ちた。
「そんなこと!!」
祐巳は首を振る。
「お姉さまなのに、もっと早く気づいてあげることができなかった。何となく様子がおかしいなって分かっていたのに、すぐ聞いてあげることができなかった。だからごめんね」
「お姉さま・・・。」
瞳子の目からも再び涙が零れ落ちた。
瞳子は、祐巳に聞いてもらうだけで十分だった。
これで、少しは救われる。
そんな気がしていた。
そのとき祐巳が、「瞳子」と呼んだ。
「はい」
「今日、泊まりにいらっしゃい」
「えぇっ!?」
「夢を見ないように、もし見たとしても、すぐ助けられるように・・・」
「お姉さま・・・」
「そして、もし今後怖い夢を見るようなことがあったら、何時でもいい、電話をかけてきなさい」
「それではご家族の皆様に迷惑がかかります!!」
「大丈夫、心配しなくていいよ。それよも、私は瞳子を不安にさせたくない。だから、何時でもいいから、不安がなくなるまで付き合うから、電話して」
瞳子は、涙を止めることができなかった。
(お姉さま、私は今でも十分過ぎるほど幸せです)
と言葉には出せないが、心の中でそう思っていたのだ。
瞳子の心に、もう不安の影はなくなっていた。
祐巳がいてくれる。
瞳子を包み込むように守ってくれる。
そう思うだけで心が満たされるのだった。
その後、泊まる段取りを決めた二人は、先程の暗い話ではなく、未来の話に花を咲かせる。
祐巳の左手と、瞳子の右手がしっかりと繋がっていた。