【3397】 狙いさだめて  (海風 2010-11-23 17:33:05)


【No:3157】【No:3158】【No:3160】【No:3162】【No:3170】
【No:3171】【No:3174】【No:3177】【No:3183】【No:3187】
【No:3196】【No:3205】【No:3233】【No:3249】【No:3288】【No:3327】【No:3380】から続いています。










  8分前

「何なのよ! 人が隠れてるところにわざわざ飛び込んできて!」
「不服だったら避ければよかったのに。エースにしてはフットワーク遅いんじゃない? メガネだし」
「あんなスピードで迫られて逃げる余裕があるわけないでしょ! だいたいね、気配さえ殺せないような素人が隠密行動を取ろうとする方がおかしいのよ! 何のつもりよ! ばかなの!?」
「それはそれはごめんなさいねメガネさん。ところでメガネ曇ってるから拭いてあげる」
「汚い手で触るなぁ! 指紋ベタベタ付けるなぁ!」
「――あーもううるさい! とっとと入れ!」

 薄闇を裂く光が差し込む。扉が開くと、二名のマヌケが蹴り込まれた。
“罪深き相貌(ギルティ・アイ)”の二つ名を持つ写真部のエース武嶋蔦子と、“竜胆”だ。

「大人しくしてないと強制的に眠らせるわよ!? わかったら口を閉じて身を縮めて待ってなさい!」

 殺気走った誰かの怒鳴り声。扉が閉まる音まで怒っていた。
 一瞬で過ぎた嵐の後、しんと静まり返る室内。

「……とんだドジ踏んだわ」

 吐き捨てたのは蔦子だ。「最悪」と呟きながら脂ぎったメガネを外しクリーナーでレンズを拭く。失態が最悪なのかメガネが最悪なのか……どっちもか。

「災難ね」

 先客の藤堂志摩子が言えば、蔦子は驚いた風もなく視線を向けた。

「それは私の台詞だと思うけどね」




 ――事情は違うものの、追加分の二人がここに来ることになった経緯は、動機の部分は同じである。
“竜胆”は志摩子の護衛として、志摩子を追いかけてきた。
 そして蔦子は、祐巳の誘拐からの一部始終を偶然見ていて、そのまま追跡してきたから。
 目撃現場と追跡ルートが違ったおかげで、蔦子も“竜胆”もお互いの存在に気付いていなかったが、志摩子を追ってきたのは同じである。
 蔦子は情報屋で、事件の臭いを嗅ぎつけて追ってきたものの、祐巳が巻き込まれたことを知っている。本当に危険だと思えば応援を呼ぶつもりだった。――が、それが志摩子誘拐に繋がった時点で、白薔薇関係の揉め事だということは察しがついた。ならば祐巳に危険は及ぶまいと様子を見ていたのだが……
 潜伏する蔦子をまるで狙いすましたかのように後続してきた“竜胆”のせいで、見付かってしまった。
 一年生にして尾行も潜伏もかなりの腕を誇る隠密行動の才覚溢れる蔦子の、まさかの黒星である。数えるほどしか失敗したことがないのに、誰かのせいで見つかるなど、最悪である。

「いったい何がどうなってるわけ?」

 見たことのある白薔薇勢力の精鋭達は、異様なまでにピリピリしている。その割には蔦子達を「追い払う」ではなく「確保」という手段を取る現状である。
 白薔薇・佐藤聖と白薔薇勢力の不仲は有名だ。
 まさかの謀反か、とは思っていた。むしろそれしか蔦子の頭にはなかった――それこそ白薔薇ファミリーの内輪揉めなどは蔦子の耳には入らないから、それ以外の可能性を考えられるわけがないのだが。

「蔦子さんは知らなくていいわ」

 志摩子の返答は冷たかった。

「へえ、そう」

 蔦子は大して気にした風もなく納得した。本当にそうなのだろうと判断したからだ。遠まわしに「下手に首を突っ込むと危険だ」と警告してくれているのだ。
 闘う力のない蔦子にとっては、その言葉も態度も何よりの情報である。
 こうなってしまえば、おとなしくしている方が無難そうだ。
 「追い払う」ではなく「確保」という手を取る以上、この状況はまだ外に漏れてはいけなくて、逆に言えば、すぐにこの状況は変わる、ということだ。
 蔦子達のことなく、大事の前の小事、といったところだろう。
 そこまで考えて「とりあえず様子見」という結論を早々に出した蔦子は、肩を並べてここに連れて来られた疫病神に目を向けた。
 果たして彼女は――

「……何? 何なの? 言いたいことがあるなら言いなさいよ」

“竜胆”は、不自然な体勢で座っている島津由乃を、じっと見下ろしていた。何を考えているのか全然わからない死んだ目をして。

「もしかして、縛られてない?」

 ポツリと投げられた言葉に、由乃はフンと鼻を鳴らした。

「だったら何――ふおおおおお!?」

“竜胆”は、由乃の両脇に手を突っ込んだ。そしてわきわきと手を動かした。

「やっ、やめろー! やめっ、やめっ、やっ……あははははは! やめっ、やめぇー! だめぇー!!」

 由乃は激しく悶えた。笑いながら悶えた。

((抵抗できない者になんてことを……))

 志摩子も、祐巳も、蔦子も、“竜胆”の残酷極まりない行為に震え上がった。
 なんという拷問。
 卑怯にして卑劣。
 この言葉がここまで似合う行為があるだろうか。いやない。そして手を伸ばせば触れられるほど間近で、現在進行形で行われているという事実。
 悪夢は今、目の前に広がっている。

「『今までごめんなさい“竜胆”さん許してください』、って言えばやめてあげる」
「ふっ、ふざけっ、ふざけんな! 誰がそんなひぃー! ひぃー! だめだってば!」
「じゃあ『めんごめんご』でもいいよ。くれぐれもプロデューサーみたいに軽く言ってね?」
「ほんとに何の話だ!? いやっ、だめっ、だめっ、だっ……たすけろしまこー! しまこー!! つたこー!! いぎいいいいいい!! たすけてぇー!! だれかー!! れーちゃーーん!!」
「助けは来ないから諦めた方がいいよ」

 卑怯にして卑劣。
 しかしなぜだろう。
 由乃が被害者という一点のみ見ると、誰もあまり助ける気にはならなかった。
 むしろなんかこう、余計にいじめたくなる何かがあった。
 やらないけど。

「ごめん! ご、ごめんなさい! 悪かったから許して!! 許してぇ!!」
「……ふうん。まあそれでいいや」

 とりあえず気が済んだのか、“竜胆”は由乃から離れた。由乃は床に倒れ込みハァハァと息を荒くしている。

「……はー、はー……憶えとけよ――あーあーごめんごめんゆるしてゆるして!! ちょっとした冗談じゃない!! 真に受けないでよ!!」
「由乃さんって敏感だね」
「……もう充分でしょ。もうほっといて」

 由乃はごろりと顔を背けた。不貞寝か。
 ――ところで“竜胆”が謝らせた理由は、初対面の時に足を撃たれたからである。当然のように由乃には通じていないし、由乃はすでにそのことを忘れているが。まあ“竜胆”自身も「憶えてないだろうな」と元より期待してない。
 第一、本題はこっちじゃない。由乃はあくまでも前菜、あくまでもついでだ。

「志摩子さんは……あなただ」

 祐巳、蔦子と視線を移し、平行棒に座る女生徒に目を留める。――なぜ祐巳がここにいるのかは気になるが、今はそれどころではない。

「私の記憶が確かなら、初対面かしら?」
「ええ。私は“竜胆”。……一度遠目で顔を合わせたことがあるけれど」
「それは憶えているわ」

 初対面の由乃と事を構える直前のことだ。志摩子はこの異様な力量の強さと、ぼんやりしている死んだ瞳は憶えていた。

「なら話は早い。私は“九頭竜”さまに頼まれて、あなたの護衛に来たの」
「え……護衛? 私の?」
「だから別にそこのメガネさんみたいにドジって捕まったわけじゃないし、むしろ私の望み通りわざと捕まったから私はここにいるわけだけれど。そこのメガネさんと違って」

 メガネの曇りと一緒に感情も綺麗に整った蔦子は、安い挑発に乗らなかった。

「だいぶ苦しいわよ、その言い訳」
「だって事実だもん」
「うわ可愛くない……似合わないんだから『だもん』とか言うなよ……」

 驚くほど可愛くない“竜胆”に蔦子は閉口した。

「本当に“九頭竜”さまに頼まれて?」

 志摩子からすれば、“竜胆”は「祐巳に闘う力を与えようとした“瑠璃蝶草”の部下」である。最初から――こうして面と向かって話す前から、あまり良い印象はなかった。

「うん。とにかく合流できてよかった」

 死んだ目で頷く“竜胆”。
 我ながら現金だとは思うが、味方と言われれば非常に助かる。志摩子にはこの窮地を抜け出す手段がなかったのだ。これだけの力量を持つ者が味方についてくれるなら、なんとか脱出できるかもしれない。

「合流する前に誘拐されたから、どうしようかと困っていたんだけれど」

“竜胆”がそこまで言ったところで、再び光が差し込む――




   5分前

 人質は更に増えた。

「はいはい、お邪魔しますよ」

 光の中から新たに二名が追加され、扉はまたまた閉められた。
 その二人は――

「“狐”さま!? “暗殺人形”さまも!?」

 見覚えのある二人を確認すると、床に転がる由乃が驚きの声を上げた。
“複製する狐(コピーフォックス)”と“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”の視線が動く。

「あれ? 由乃ちゃんがいる」
「しかも縛られてるわね」

 二人は同時に頷いた。

「「由乃ちゃんってそういうの似合うね」」

 そういうのってどういうのだ――という疑問は一応沸くものの、どのような理由が付属しても「似合う」と言えそうな気がするから不思議だ。「捕獲される」とか「誘拐される」とか「縛られている」とか「床に転がっている」とか「縛られて放置プレイ」とか。どれにしても似合う気がする。

「余計なお世話です。それよりどうしたんですか?」

 この中だけで言えば、経験不足が祟ってミスを犯したのは“竜胆”だけだ。蔦子は巻き添えを食らっただけ、と由乃は見ている(ちなみに正解)。祐巳と志摩子は論外だ。
 しかしこの二人に関しては、平凡にして致命的なミスなどありえない。
 だとすれば、わざと捕まったと判断するべきだ。
 特に“複製する狐(コピーフォックス)”は、昨日の放課後、由乃と一緒に“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”を追い掛け回した人物だ。相変わらずの曲者っぷりで安心するやら鬱陶しいやらだった。

「久しぶりに会ったのに事務的ね。おねーさん悲しいなぁ」
「えっ」

 色々な事情があって新人育成に時間を取られていた“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”は、そっけない(というよりそれどころじゃない)由乃の反応が気に入らなかった。

「私の知ってる由乃ちゃんは、そんな冷たい子じゃなかったはずだけどなぁ」

 じりじりと迫る。迫り来る。由乃は嫌な予感しかしなかった。

「い、今はそれどころじゃな――あぁぁーーーー!! あああーーーー!! あーいひぃ!? やめぇ! やめぇー!! くすぐるなぁー!! ……えっ、なに!? 今背中に何入れた!? ねえ何入れたの!? なんかもぞもぞ動いてるんだけど何入れたの!?」
「あんまり動くと潰れちゃうよ?」
「ひぃ!? ほんとに何入れたの!? 虫的なもの!? ねえそこだけ教えて!?」

 島津由乃、本日二度目の拷問であった。
 ――まあ向こうはともかく。

「“竜胆”さん、久しぶり。ちょっとは強くなった?」
「ええもう、バリバリに」
「ああ、その全然大したことなさそうな返答、私は大好きよ」

 顔見知りの“竜胆”に簡単な挨拶を済ませ、“複製する狐(コピーフォックス)”は平行棒に座る志摩子を見詰める。

「志摩子さん」

 個人的なことは全然知らないが、志摩子とはよく顔を合わせている。
 そんな“狐”のお姉さまは、いつもの人を食ったようなふざけた笑みを消し、口元を引き締めていた。

「私達は大事な話をしにきた。……ああ、いや、別にそうでもないや。気負うなんて私らしくない」

 と、一人で勝手に納得し、いつものふざけた笑みを浮かべる。

「来期の白薔薇に仕えようかなーと思ってきたんだけど、どう? 私達を飼わない?」
「……え?」
「癖は強いし扱いづらいだろうけど、その分だけ戦力にはなるから」

 驚いたのは志摩子だけではない。

「本気ですか?」

 その提案は、状況を見守っていた情報屋の蔦子も驚かせた。
 二つ名は伊達ではない。持っているだけで相応の実力の裏づけになる。特に由乃の訓練相手の数名は、そこらの中規模組織くらいなら充分に幹部レベルに達している。この“複製する狐(コピーフォックス)”並びに“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”も例外ではない。
 普段の由乃との訓練なんて、己に枷と課題を義務付け、試行錯誤をする場となっている。本気じゃないわけではないが、勝敗のこだわりはそこにはない。そもそも勝敗を争う場としてはもう程遠い。
 率直に言えば、二つ名持ちの訓練相手は、本気でやれば全員が由乃と同じくらいか、由乃より強いということだ。由乃自身もその自覚はある。
 「来期の白薔薇」という表現にも驚いたが、孤高の存在である無所属の二年生が志摩子の味方につく、と言い出したことにも驚かざるを得ない。

「志摩子さんにはもう、世話になるの範疇を越えるくらいお世話になっちゃったからね。借りくらいは返さないと先輩として立場がないわ」
「恩を売るための“治療”なんてしたことありませんが」
「そう言うと思った。だから私達も志摩子さんの意思を無視しようと思ってる」

“複製する狐(コピーフォックス)”は胡散臭く肩を揺らした。

「薔薇と勢力は別物。私達は勝手に白薔薇勢力を立ち上げるから、志摩子さんも今まで通り勝手に“反逆者”やってればいいよ」
「……」
「私達はあなたを護るために存在しようと思う。邪魔な時は言ってくれれば離れるし、必要ならいつだって駆けつける。基本的に放置で――今の白薔薇と同じスタイルで構わないよ。それを覚悟して私達はあなたの傍にいるから」
「……は、はあ……そうですか……」

 返す言葉がなくなってしまった。
 今まで通り勝手にやっていい、こっちも勝手にやるから、と言われれば反対する理由はない。「恩を売るための“治療”はしていない」と言ってしまった以上、それに関与する権利もなくなってしまったのだから。
 だから問題点は一つだ。

「というわけで聞くけど、志摩子さん、次の白薔薇どうする? 志摩子さんが白薔薇になる気がないなら、私達もこれ以上動けないんだけど。あくまでも志摩子さんが白薔薇になるっていう前提の話だからね」

 志摩子は考えた。
 白薔薇になる・ならないは、正直どっちでもいい。そもそも最初からなれるものだと目算さえしておらず、「なれるかもしれない」くらいにしか捉えていなかった。
 この状況じゃなければ、考える必要もなかっただろう。
 闘わない志摩子は、周囲あるいは自分を擁護し後押しする白薔薇勢力がなければ、白薔薇にはなれないのだから。己の意思より周囲の意思の方が重要なのだ。
 しかし、今は――
 この“複製する狐(コピーフォックス)”と“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”が味方についてくれれば、この状況から脱出できる可能性は高くなる。脱出できれば聖の足枷にならずに済む。
 だがそれは、志摩子が次期白薔薇として立候補することが条件だ。

(私の意志は……)

 どうだろう。
 このまま白薔薇になってしまっていいのだろうか。

「一つ聞いてもいいですか?」
「ん? 何?」
「なぜ私を白薔薇として立てようと?」
「色々理由はあるけど、一番を上げるなら、志摩子さんの正義が嫌いじゃないから。行く末も見てみたいしね」

 ――やはりか、と志摩子は思った。

(みんな過大評価がすぎる)

 傷ついた者を癒す。
 敵味方相手問わず癒す。
 それが志摩子の正義だが、しかし、この正義は評価されたり賛辞を受けるほど正しくないと自身は思っている。
 三薔薇は、特に聖は絶対に気付いているだろう。
 博識な小笠原祥子もわかっているだろうし、支倉令も怪しいものだ。
 由乃も、もしかしたら理解しているかもしれない。
 志摩子の正義には、本当は“反逆者”などと呼ばれることさえおこがましい裏がある。その全ては中途半端な志摩子のせいだ。

「というか、それ本気ですか?」

 ようやく先輩に飽きられたらしき由乃が、相変わらず転がりながら、蔦子と同じ言葉を吐いた。仰向けになって語りかけてくる由乃は、なんというか、「お似合い」という言葉がしっくり来る。

「薔薇が闘えないなんて前代未聞です。きっと立ち上がりはものすごく苦労する。いや、苦労どころか立ち上げることも困難なのに」

 そう、三勢力は薔薇の圧倒的な力が後ろ盾になるから、組織として立ち上げられる。そうじゃなければ方々から集中砲火で潰される。薔薇の後ろ盾があるから安心して勢力を拡大していくこともできるのだ――毎年春に起こる抗争はその手の関係が多く、新三薔薇の力のお披露目的な意味もある。
 だが、闘わない者が薔薇になるなど、どれだけ高いハードルになるのか。

「何? 心配してくれるの?」
「心配じゃなくて、私が先だったのに。私の勧誘は断ったくせに。どういうことですか? 毎日拳で語り合ったこれまでの逢瀬は遊びだったとでも?」
「ははは。由乃ちゃんが現黄薔薇だったら仕えたかもしれないけどね」

 ――由乃だって言う前からわかっている。“複製する狐(コピーフォックス)”と“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”のことはよく知っている、そんな簡単なことがわからないようなマヌケではない。

「志摩子さんには返しきれないほどの恩がある。借りがある」

 怪我をしたらまず志摩子。数日は動けなくなるだろう傷を負ってもあっと言う間に“治して”くれた。“複製する狐(コピーフォックス)”はその能力さえ借り受けて己の取引材料にしていた。
 数えるのも面倒臭くなるほど何度も何度も世話になり、対する志摩子は愚痴一つ言わずただただ努めた。由乃もそうだ。やや軽蔑の視線は付加したが隔たりなく“治癒”の恩恵を受けていた。
 ならば、今度はこちらが助ける番だ。

「私は高校生活最後の一年間を、半分は志摩子さんのために使おうともう決めた。白薔薇や“九頭竜”ほどの力はないけれど、いないよりはマシくらいには力になれるでしょう」
「同じく」

“複製する狐(コピーフォックス)”の言葉を継ぎ、“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”は頷く。

「前人未到の茨の道ってことはわかってる。でも、だからこそ、私達らしいでしょ?」

 確かに「らしい」気はするが。二年生にして二つ名持ちなのに無所属だなんて、よっぽどの物好きかよっぽどの嫌われ者くらいなものだ。

「ま、志摩子さん次第だけどね。今まで通りの“反逆者”なら、今更私達が協力しなくても大丈夫だと思う。でも白薔薇になるなら話は別だから」

 予期せず、志摩子は選択を迫られた。
 恩だの借りだの世話だの、志摩子には耳を塞ぎたくなる単語だ。
 それに今の会話――単純に言えば、志摩子が白薔薇になると、志摩子の剣となり盾となる者達が傷つくという話だ。そして剣となり盾となる者達も誰かを傷つけるのだろう。
 ならば白薔薇になどならなくてもいいのではなかろうか。今まで通り“反逆者”を続けられるのであれば。薔薇の称号に、山百合会の称号に未練はない。
 だが、今は己のことよりも、聖のことだろう。
 先の心配も大事だが、今は目の前の心配の芽を摘むべきだ――

 摘むべき、なのだが。




   3分前

 人質はまた増えた。

((ええぇぇぇぇ……))

 この状況を「誘拐」として捉えていない祐巳を除く、全員が驚愕していた。

「なんなのよあなたたち! ダラダラと増えて!」

 人質を連れてきた白薔薇勢力の誰かは、憎々しげに非難の声を上げ、返事も待たずにぴしゃりと扉を閉めた。

((そりゃこっちの台詞ですけど))

 こんな短時間に人質が増えていくこの現象こそ、いったいなんなんだ。
 ――今度の人質は、一名だ。

「うげ……」

 由乃は小さく呻いた。
 新たにやってきた彼女は“鋼鉄少女”。由乃にベタ惚れな二年生だ。

「あれ? あなたまで来たの?」

 意外そうに“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”は眉を上げると、“鋼鉄少女”は苦笑して肩をすくめた。

「外から伝言持ってきた。まさか使いっ走りさせられるとは思わなかったわ。組織って大変ね」
「大変よね。捨て駒扱いもザラらしいわよ?」
「えー? 捨て駒なんかにされたら泣いちゃうじゃない。ねえ?」
「泣いちゃうよねー」

 二人は「ははは」と笑う。笑い事じゃないだろう。泣いちゃうんじゃないのか。
 面倒臭そうに“複製する狐(コピーフォックス)”が口を開く。

「それで伝言って?」
「あ? あ、そうそう。『予想通り“結界”有り。体育館周辺と内部の警備兼戦闘兵27人、隠密10人、情報系5人。警備の動きからして体育館内で決行かも。別件で事件が起こったらしくて紅薔薇姉妹はそっちに行ってこっちはノーマーク。黄薔薇はまだ動きなし』……だってさ」

 それは貴重な追加情報だった。特に“結界”の有無と、周囲にいる精鋭の数が割れたことは重畳だ。正確ではないかもしれないが、最低人数はわかった。
 ――“結界”とは、いわゆる領域支配の異能の総称で、“場所”に効果を付属させるものだ。空間系とは違い、前もって準備が必要で、しかも扱う者の多くが戦闘系ではない。
 十中八九、この体育館倉庫には“結界”が張られている。「この領域内の異能の使用を禁じる」とかその辺だろう。二つ名持ちをこんなに無造作に詰め込み、見張りも立てていないのがその証拠である。
 ここにいる以上、異能の使用は不可能と考えていいだろう――というのは、祐巳と“竜胆”を除く全員が最初から予想済みである。
 問題はそこではなく、白薔薇を狩るかもしれない現場である体育館、その“場所”そのもの。
 恐らく体育館には白薔薇が不利になる“結界”がすでに張られている。少なくとも“結界”があることは判明したので、予想などではなく必然と考えていいだろう。

「情報系は除くとして、合計で37人か……」

“複製する狐(コピーフォックス)”はニヤニヤ笑う。限りなく胡散臭く。

「このメンツなら何とかなりそうね」
「いや無理でしょ。多すぎる」

 すかさず“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”のツッコミが入った。

「隠密はともかく、戦闘要員は一人一人が私達と同格くらいの精鋭揃いよ。まともにぶつかりあったら瞬殺されるわ」

 一対一ならともかく、一対多数の状況になれば、あっと言う間に敗北する。総戦力だけなら充分白薔薇を狩ることは可能だろう人数と質である。
 苦しい状況だ。
 そもそもここから抜け出せるかどうかも怪しいのに、抜け出した先は間違いなく敵の渦中なのである。下手に脱出すれば即座にアウトだ。
 そして何より時間がないこと。
 試行錯誤の時間も厳しい。
 外からの救出も期待しない方がいい――だから“鋼鉄少女”が伝言を持ってきたのだ。救出の予定があるなら、中の戦力を上げるより外の救出班に入っていた方が効率的だ。

「“結界”による異能封じは前提にしていい。けど抜け出すチャンスもなくはない。“鋼鉄”……あ? 何してるの?」

 向けられた視線の先で、“鋼鉄少女”は、積み上げられた体操マットと壁の間のわずかな隙間に無理やり身体を詰め込んで隠れている二本の三つ編みを凝視していた。

「……もしかして由乃ちゃんじゃない?」
「……」

 背後に感じていた視線の主が、ついに声を掛けてきた。どうする由乃。

「……チ、チガイマスケドー」

 それは甲高い裏声で答えた。
“鋼鉄少女”はニヤリと笑う。

「へーそうなの。じゃああなたは誰?」
「……ワタシ、体育館ノ妖精デスケドー」
「妖精!? 何それ!? 由乃ちゃんほんと可愛いね!」
 
 まあ、もう、当然誤魔化せるわけもなく。
“鋼鉄少女”は嬉々として由乃を捕獲した。力ずくでずるずると引きずり出すと、あとはもう腕力に物を言わせて好き放題だ。

「うおぉぉぉやめろーーーー!! 頬擦りするなぁーーーー!!」
「これって運命の出会いとかそういうアレじゃないかしらどうかしらどう思うかしら!?」
「違う! 絶対ちがっ…ひぃははははっ! くすぐっ、くすぐるな! ひっ、ひぃい! ひぃぃぃっす!」
「私のロザリオ受け取るならやめてあげる。どう?」
「もうだめぇぇぇー! もう由乃死ぬぅーーー!! 三度目はだめぇぇーーー!!」

 ――まさに地獄である。これが日頃の行いのせいというものだろうか。




  1分前

 志摩子の結論が出ないまま、“複製する狐(コピーフォックス)”達はさっさと脱出の算段を練り始める。
 蔦子と祐巳も、志摩子と同じく蚊帳の外だ。
“鋼鉄少女”は、相変わらず由乃とラブラブだ。

「やっぱりなんか大変なことになってるの?」

 人数が増えたせいで、それと怖そうなお姉さま方が増えたせいで志摩子の隣に移動した祐巳は、不安げに表情を曇らせていた。
 話の流れも、雰囲気も、人質が増えたことも、只事じゃないことをほのめかしている。いくら鈍い祐巳でも、嫌でも気付かされた。
 特に「次の白薔薇」というキーワード。
 色々と物騒な話も右から左に流れていったような気がするが、白薔薇――佐藤聖の話題だけは聞き逃せなかった。
 目覚めている者にとっては常識的な話も知らない祐巳だが、この状況が「保護」だの「聖の命令」だのという話は嘘であることはわかってしまった。それも子供騙しの嘘であることがわかってしまった。

「抜け出さないともっと大変なことになるの?」

 話せない――志摩子は口を噤み、俯く。
 詳しく話せば本当に祐巳を巻き込むことになる。推測だけならここまでの流れで充分察しはつくだろうが、確信である証拠はあげられない。

「――祐巳さんは」

 いつの間にか志摩子の逆隣に陣取っていた“竜胆”は、前かがみになって祐巳の顔を覗き込む。この二人が会話を交わしたのはあの誘拐以来だ。

「祐巳さんは、どうしたい?」
「どう、したい?」
「私は……というか私達は、祐巳さんにも借りがあるから。できるだけ祐巳さんの意向に沿うように動くよ」
「動くよと言われても……今の状況もわからないし……」
「私が言うのも筋違いかもしれないけれど、話せない志摩子さんの気持ちもわかってあげて。話せば祐巳さんを完全に巻き込むから。だから話せないんだよ」
「あの、すでに巻き込まれてない?」
「まあ私もそう思う。でも今は悠長に話している時間もないから」

 と、“竜胆”は立ち上がる。――“竜胆”も詳細はわかっていない。ただ、流れだけは理解している。そして今はそれだけでいいことも理解している。

「だから二択。志摩子さんを助けたいか否か。どっち?」
「……聞かなくてもわかるでしょ」

 珍しく怒りを滲ませる祐巳を見て、“竜胆”は笑った。

「だろうね。――おーいみんなー。注目ー」

 脱出と今後について話し込む“複製する狐(コピーフォックス)”と“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”と蔦子は、“竜胆”に目を向けた。

「しっ、しっつこい! いい加減離れてよ!」
「照れちゃってー。ほら早く私のロザリオ受け取るって言え。早く。ほら早く」

 仲睦まじい由乃と“鋼鉄少女”は放置するべきだろう。触れるのが嫌だ。

「この中で知ってる人もいるかもしれないけど、私は“別次元教室”を持ってる」
「あ、そうか。あなた“鳴子百合”さんの仲間か」

“別次元教室”と聞いて心当たりがあるのは“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”だ。

「知ってる? なら話は早い。詳しくは割愛するけれど、あれは修行用に造られたから色々と制限があって、上限二名なの」
「制限? 何それ? 初耳だけど」
「だから割愛するって。後で」
「あれ便利だからくれない? あれすごいいいよね」
「それも後で話そうよ」

 ――“竜胆”達の解散時に各自に渡された“契約書”は、“瑠璃蝶草”が各々の修行用に造ったものだ。一度に二名しか入れないという制約を付け、代わりにあの“教室”には強力な自然治癒力上昇の“結界”が張られている。だから死に掛けるほどの大怪我を負っても、一時間も倒れていれば全快できたのだ。
 何度も蟹名静に殺されかけて死にかけた“竜胆”が、なお修行を続けられた理由は、そういう理由があったからだ。いくら基礎能力がすこぶる高い“契約した者”でも、致命的な大怪我を負えば丸1日掛かっても戦線復帰は無理だ。

「結論から言う。安全なところに志摩子さんを匿うのはどう?」

 元々、“竜胆”は最初からそのつもりだった。後から後から現れる人質のせいで言うタイミングを逃しただけだ。
 話がよくわからない“複製する狐(コピーフォックス)”は、“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”を見た。そして“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”は視線を交わすと、頷いて見せた。

「経験者として言わせてもらえば、あれは安全だわ。志摩子さんを護るという一点においては確実だと思う」
「ふうん。あなたがそう言うなら、それで行こうか」

 友達じゃないが付き合いは長い。よくはわからないが“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”が太鼓判を押すなら、“複製する狐(コピーフォックス)”はそれでいい。

「で、上限二人? じゃあ――まあ、迷う余地もないか」

 一人は志摩子。
 ここにいる半数以上が、志摩子のために集ったのだ。志摩子さえ逃がせば、あとはもう無様に逃げ散らかそうが負け散らかそうが瞬殺されようが問題ない。志摩子の安全が確保できれば、その時点で勝利は確定だ。
 そしてもう一人は、祐巳だ。
 ここにいる誰もが、誇り高きリリアンの子羊である。その誇りにかけて、目覚めていない者を巻き込むなどというはしたない真似はできない。
 何より、ここや体育館が戦場と化した時、邪魔になりそうだ。言葉は悪いが足手まといはいない方が助かる。
 無言のまま、話し合いもなく全員が同じ二名を選出した。わかっていないのはイチャイチャしている二人と、かわいそうなくらい状況が飲み込めていない祐巳くらいのものだ。
“竜胆”はポケットから“契約書”を取り出し、広げた。
 紫のオーラが生まれる。

「それでいい?」




 戦闘開始から12分後。
 お聖堂にて真剣勝負に挑んでいた佐藤聖と蟹名静の一戦は、ようやく雌雄が決した。
 門番を務める“九頭竜”は、己が擁護しようとしている藤堂志摩子に訪れた最悪の誘拐事件を知らないまま、周囲に目を光らせていた。




 話が決まり、ほとんど無理やりに何か言いたげだった志摩子と祐巳を“扉の向こう”に押し込み、出口を閉じる。
 それと同時に“契約書”も消え、二人は完全にこの世界から消失した。

「ただの具現化じゃないのか……目に見えるほどのオーラを放つのに、力を全然感じない」
「へー。面白いなー」

 初めて見た蔦子と“複製する狐(コピーフォックス)”は、出入り口に貼り付けて具現化した“扉”を見て、興味深そうな顔をしている。特に異能禁止の“結界”が張ってあるだろうここで何の障害もなく使用できたのだ、ただの能力とは一線を隔す存在なのかもしれない。
 あの“教室”は、入室時は“契約書”が必要だが、出る時は普通に“向こうの扉”から出られるようになっている。志摩子と祐巳が自分の意思で出てこない限り安全だ――あの小笠原祥子と島津由乃の乱入事件はもはや例外と捉えた方がいいだろう。本人達だって二度とやるつもりはない。
 やや身構えて待つものの――外からの接触は、ない。
 つまり志摩子を逃がしたことは白薔薇勢力にはバレていないということだ。わずかながらに今後のことを話し合う時間ができたようだ。

「“鋼鉄”、そろそろこっち混ざって」
「やだ」
「このままじゃあなたの好きな由乃ちゃんもやられるわよ」
「それは困る」

 ようやく“鋼鉄少女”はこっち側に復帰した。まだ由乃に馬乗りになっているが。というか由乃はぐったりして反応がないが。

「で? 志摩子さんの安全は確保できたと見なして、これからどうするわけ?」

 遊んでいるようにしか見えなかったのに、ちゃんと話は聞いているのだ――このふざけた奴も伊達に百戦錬磨ではない。
“竜胆”は腕を組み、ちょっと難しい顔をする。

「白薔薇は今、お聖堂で静さまと闘っている。さすがにそろそろ決着がつくだろうから…………まあ、たぶん静さまが勝つと思うけれど、万が一にも白薔薇が勝った場合、それからここに招待されることになると思う」

 聖と静の一戦。その情報は全員が知っている。“竜胆”の予想通り、そろそろ決着と考えるのも自然だ。今すぐ聖が体育館にやってきても不思議はない。
“複製する狐(コピーフォックス)”は順繰りにメンツを見回す。

「えー、情報系の蔦子さんはとにかく逃げてもらうとして」

 言われるまでもなく蔦子は逃げる気マンマンである。戦闘自慢のお姉さま方を当て馬にして逃亡する気マンマンである。

「私と由乃ちゃんと、“竜胆”さんも無理かな」
「無理?」

 わかっていないのは経験不足の“竜胆”だけだ。

「体育館に張られている“結界”は、きっと白薔薇対策の具現化封じよ。白薔薇の“シロイハコ”は体育館内では使えないはず。だから私達も具現化能力は使えないものと考えた方がいい」
「そっか」
「私の“御札”も使えないから、同格のベテランと闘うのは相当キツイかな。――というわけで二班に分けようと思う」

 最悪なのは、固まっていたせいで兵隊が集中し、囲まれた場合だ。その場合は袋叩きで本当に瞬殺となるだろう。濁流に呑まれ流される若木のごとく。
 だからできるだけ戦力が分散するようにして、少しでも向かってくる数を減らさねばならない。

「A班は“鋼鉄”主導、B班は“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”主導でいいと思う」

“鋼鉄少女”の能力は肉体変化。“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”は“創世(クリエイター)”である。どちらも“結界”の影響は受けないはず。

「最優先は体育館の脱出ね。最悪誰か一人だけでもいい。一人でも抜け出して藤堂志摩子の無事を叫べば、外にいる私達の仲間が突入してくるはず」
「フン」

 グロッキーだった由乃が鼻を鳴らした。

「問答無用でみんな倒しちゃえばいいのよ。問答ムヒヒィ!? もっ、もうやめれぇー!!」
「由乃ちゃん可愛いなー。懲りないところも可愛いなー」

 ここぞとばかりに由乃を抱きしめたりくすぐったりする“鋼鉄少女”。最悪の状況を前にしているにも関わらず、由乃にはすでに最悪の災難が降り注いでいる。

「も、もう漏れるよ! 漏れちゃうよ! これ以上腹筋使わせないでよ!」
「え、おしっこ?」

 さすがに“鋼鉄少女”の動きが止まった。

「言っとくけど本当だからね! これ以上やったらほんとに漏らすわよ!?」

 とんでもないカミングアウトである。恥も外聞もない由乃の発言に“複製する狐(コピーフォックス)”と“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”の胸が熱くなる――やっぱり由乃ちゃん面白いなぁ、という気持ちが嫌でも溢れてくる。
 しかし、由乃の捨て身の発言は、元凶にとっては逆効果だった。

「別にいいけど」
「えっ」

 まるで本当のお姉さまのように、慈愛に満ちた笑みを浮かべる“鋼鉄少女”。

「漏らしちゃえば? 二人だけのヒミツ、つくっちゃお?」
「――やめろぉぉぉーーーーーー!! “狐”とめろ早くーーーー!! はやくーーーーーー!!」

 ヤバイ。我慢の限度を超えたらしく、由乃は半泣きで半狂乱だ。
 さすがに止めた。いくらなんでもこれ以上は由乃がかわいそうだ。だいたい“鋼鉄少女”の発言もおかしい。二人きりならともかく衆人環視なのにそんなことはしちゃいけない……いや、二人きりでもダメである。絶対ダメなのである。いくら生意気で可愛い下級生が相手でもそんなことはしちゃいけないのだ。

「冗談だってば」
「冗談になってない! ――あと武嶋蔦子! なんでさっきカメラ構えてた!? 私が漏らすこと期待してたの!?」
「え、なんのこと? 蔦子わかんない」
「……」

 由乃の体力はだいぶ削られているものの、闘争心だけは誰よりも燃えたぎった。どいつもこいつもいつか思い知らせてやる、などと物騒なことを考えるのも、人並み外れた持ち前の闘争心のせいである。

「由乃ちゃん」

“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”がポケットから“折りたたみナイフ”を取り出した。圧縮していたものを解除したのだ――再び圧縮はできそうにないが、“結界”内でも解除はできるようだ。

「恨みを晴らすのは後にしてね。そろそろ始まる」
「――わかってます」

 頼もしいまでに殺気走っていた由乃の表情が、違う意味で引き締まる。それを見届けて由乃を戒める縄に刃をあてた。
 白薔薇勢力の精鋭と闘える。
 具現化使用禁止というハンディがあるものの、由乃の心は躍った。
 ――藤堂志摩子の安全が確保された今、もう静観などしなくていいのだ。聖が黙ってやられる理由はなくなったし、ここにいるメンツは聖にとっての人質にはならない。
 もう立場を考えて我慢する必要はないのだ。
 暴れようが負けようが構わないのだ。
 卑怯な手で薔薇が手折られることもないのだ。

「まあ、アレだわね」

 縄を解いて立ち上がる由乃に、全員が注目する。

「目覚めていない者を巻き込むような連中、許せないわよね」

 それに対する答えは決まっている。

「「当然」」

 まずは逃走。体育館からの離脱。
 ――後に、殲滅だ。
 二度とふざけたことができないように一人残らず叩き潰す。




 11分前

 神聖なるお聖堂には、気が触れそうなほどの並々ならない殺意と闘気が入り混じる。
 まるで聖なる存在を完全に塗りつぶすかのような悪意の中央に、二人の生徒が立っている。
“白き穢れた邪華”佐藤聖と、“冥界の歌姫”蟹名静。
 目撃者さえいれば確実にリリアン史に残るであろう、激しい一戦が始まった。

「――」

 前動作もなく静が駆ける。半透明のマリア像“冥界の歌姫”を背負ったまま。
 殺された足音も、走りながらでも相手の動きに必ず付いていけるよう呼吸を読み、相手のあらゆる動きを想定している瞳も。肌が焼けるような闘気に反した精密機械のような冷徹さを感じさせる。

(ああ、こりゃ本当に強いわ)

 静の挙動を粒さに観察する聖は動かない。ほとんど身構えることなく静の攻撃は始まった。

ボッ

 静の正拳を最小限の動きで回避し、すかさず“冥界の歌姫”が追撃を加えてくる。大気に穴を開ける巨大な“拳”は風を巻き上げる。直撃しようものなら聖でも一撃で沈んでしまうかもしれない。間近で感じると寒気がするほどだ――令はこれを食らってよく平然としていられたものだ。
 だが、この交互の攻め手は読んでいた。聖は余裕を持って“冥界の歌姫”の攻撃も回避し――更に続く静の連携にも対応し、紙一重で華麗にかわし続ける。
 もちろん、それだけではなく。
 静が攻撃を繰り、どう追い込んでいくか、聖は見抜かぬまでも予想を立てねばならない。
“輝く紅夜の蕾”小笠原祥子などは、回避させることで相手を追い込んでいくという高度な技術を駆使する――そして静も同じタイプだ。
 ただ、違う点を上げるとすれば――

「おっと」

 横手、死角、完全に虚を突いた不意打ちの一撃を、聖は頭を下げてひょいと回避した。
 祥子と違う点を上げるとすれば、静の“冥界の歌姫”は、一度に複数体操れることである。単純に手数が違う。


「ちっ」

 静は舌打ちした。
 これが昨日、支倉令を相手に手の内を明かした代償だ。“冥界の歌姫”の一撃は、頭部に入れば一撃必殺。「複数使える」という事実さえ聖にバレていなければ、ギリギリまで一体だけを使用し続け、土壇場で二体、三体で一気にけりをつける手も使えたのに。
 ――もっとも、そう簡単に勝てる相手だとは思っていないが。バレていようがいまいが。簡単に勝てるような相手ならすでに誰かが倒しているだろう。
 そのまま静本体と“冥界の歌姫”二体で攻め立てる。
 しかし、それでも聖の身体に触れることは適わない。昨日の支倉令の時より手数も多いのに。
 静は舌を巻いた。

(さすが)

 聖はまだまだ余裕がありそうだ。
 それに聖はまだ攻撃を放っていない。
 聖の異能“シロイハコ”は、一度だけ間近で見たものの、特性がわかっていない。まさかただの物理攻撃具というわけではないはずだ。

(ならば――)

 静は鋭い上段蹴りを放った。綺麗な弧を描き側頭部を狙うつま先を、聖は放たれる前からそれが来ることを悟っているかのようにしゃがんでかわす。振り上げた足が地に着く前に“冥界の歌姫”で聖の追撃を放つも、これもジャンプで回避される。その回避を読んで先読みで動かしていた二体目の“拳”も、両手で受けて浮いた身体を泳がせて威力を殺す――

(かかった!)

 静の読み通り、聖は細い長椅子の背に緩やかに降り立った。
 そう、狙いはここだ。
 聖の背後を取るように出した三体目の“冥界の歌姫”が、聖の左のつま先が着地した瞬間、その椅子を“拳”で破壊した。

「お?」

 降り立つ予定だった場所が瞬時に瓦礫と化し、宙にいる聖の身体が傾ぐ。
 完全に仰向けになって背中から落ちる聖の目の前に、二体のマリア様が現れる。光を受け透き通る神々しい姿とは裏腹に、彼女らは罪人に罰を与えるが如く掌を固めるのだ。
 容赦なく振り下ろされる“拳”を、聖は両腕を交差させてガードし――身体はいとも真下に叩きつけられ、簡単に椅子の瓦礫と床板を抜いた。
 両腕の隙間から、聖の瞳が輝く。
 間髪を入れない二発目が、がら空きの腹部に飛んでくる。これもガードする。身体が沈む。また“拳”が飛んでくる。これもガードする。身体が沈む――繰り返しである。
 しかし、その速度はまるで豪雨である。何年も、何十年もかけて岩に穴を穿つ雨が、局地的に集中する。三体による1秒に数十発の“拳”の雨に聖は溺れる。破片が舞い、往復する腕で聖の様子は見えないが、“冥界の歌姫”を操る静は聖がそこにいることがわかっている。
 ――だが、静が知ったのは驚愕である。
 一滴一滴が致命傷になるような雨に降られながらも、聖はそれら全てを極めて冷静にガードしている。
 だから迷った。

(このまま押し切れる? それとも――)

 静の“冥界の歌姫”は、一体ならともかく、複数体の使用は非常に燃費が悪い。しかも動かし続けると更にエネルギー消費量は増す。今この状況を続ければ、きっと5分も掛からず闘えなくなるだろう。
 果たして、このまま5分間攻め立てて、聖に勝てるのか?
 相手はこの乱打全てを確実にガードするような存在だ。もはや静の想像も及ばないような反射速度で反応している。
 ダメージは、なくはないだろう。
 痛みや衝撃は蓄積し、いつか必ず聖のガードを突き破るはず。
 しかしそれが5分以内に訪れるかどうか――それはもう賭けだ。
 迷った隙をついた、というわけでもないが、殴りつける“拳”の伝わる感触が変わった瞬間、静は反射的に大きく跳び退り距離を取った。それから“冥界の歌姫”を解除する。
 巻き上がる埃は、一瞬にして粉々になった椅子や床の破片である。
 その煙のようなもやを掻き分けるようにして、人影が揺れる。

「――っ!」

 ギリギリだった。静はわずかに身を引くことで、そこから伸びてきた何かを回避した――ほとんど偶然、静の意識より早く身体が動いていた。
 白い、何かが飛んできて、もやの中に戻っていった。

(“シロイハコ”か……)

 はっきり見えなかったが、ミルクホールで一度見た“骸骨の腕”だ。
 実際向けられるとよくわかる。
 聖の“シロイハコ”の攻撃は、攻撃の気配がないのだ。元々聖から発せられている闘気だの殺気だのはまったく変化がなく、気配の変化による先読みができない。
 それがこんなにも恐ろしいだなんて、向けられてみないとわからない。

「ふー」

 息を吐きながら、埃っぽくなった聖が歩み出てくる。
 右袖が肩からなくなり、左袖の肘から下が吹き飛んでいた。白く美しい腕が痛々しく赤くなっているのは、受けた“拳”のせいで内出血でも起こしているのだろう。

「――静さん、私は考えを改めた」
「……」
「インしないのも、いいんじゃないかな?」

 ――またしても何を言い出す佐藤聖。

「静を見ててずっと考えてた」

 ――戦闘に集中しろ佐藤聖。

「ロンTのように着こなすのも悪くないように思えてきたんだ。成長期のせいだろうか、夏休みを越えたら裾が短く感じられる上着、それを恥らう少女……そして体操服という中途半端な長さの体操服(ドレス)からチラチラ見えてしまうブルマ……」
「……」
「それに私は忘れていた。――そう、腹チラを。躍動感溢れる少女達の健康的な汗がはじける時、時折り覗くなだらかかつ美しい腹部の曲線……まさに芸術。これはインしていては見られないのだから」
「……」
「国は間違ってなかったんだ。両方とも楽しめと。両方を兼ねたいがゆえに規制しないと。時の権力者はそう言いたかったんだと思う。その深い思慮を読み切れないなんて……はは、私はまだまだ未熟者だ(エロ的な意味で)」
「……」
「でもどうしてブルマを禁じたんだろう? そこだけは国の失策だと思うね」
「国は一切関係ないと思いますが、聖さまみたいな人がいるからブルマは廃れたんだと思いますよ」
「ブルマを愛でる人がいるから?」
「そうです」
「いいじゃない」
「ダメです。絶対ダメです」




 聖の殺意が、また一段高くなる。

「――じゃあ、続きやろうか? 私もだいぶ身体がほぐれてきたし、そろそろがんばるよ」




 静はこの時、改めて思った。

 ――佐藤聖は、三薔薇は、間違いなく化け物である。














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