現在二年生は修学旅行中で学園祭の準備は一休み。クラスの方は早めに進めていたのでほぼ片付いており、いつもより早く帰宅することにした。
「さっちゃん」
校門を出たところで声をかけられた。
祥子のことをこう呼ぶのは決まっている。
「優さん」
カジュアルなシャツにデニムのパンツ姿の優さんが近づいてきた。
「何かあったの?」
「ここじゃなんだから。こっちへ」
優さんは歩きだす。祥子はその後ろをついていく。少し歩くと駐車場があり、そこにいつもの赤い車が見える。
近づいていくと、車の陰から小柄な学生服姿の青年が顔を見せた。
「祐麒さん」
祥子が呟くと、祐麒さんは無言で深々と頭を下げた。
「無理をいってすみません」
何も聞いていないけど、というように優さんを見ると、黙って車の後部のドアを開けた。
「中の方がいいだろう。話している間に家に送っていくよ」
「何の真似?」
「こうでもしないと、さっちゃんが来てくれるかどうかわからなかったから。そうそう、今日の僕はただの運転手でね。そんな顔されたって何も言えないよ」
「せ、先輩!? ちゃんと話さなかったんですか?」
事態を察した祐麒さんが頭をあげ、優さんに尋ねている。
「何も聞いてないわよ」
代わりに祥子が答えると、一瞬困ったような顔をして、次に切り替えたように真面目な顔になって祐麒さんが言った。
「どうしても祥子さんと二人でお話がしたいので、柏木先輩にお願いして機会を作ってもらいました。騙し打ちのようになってしまって申し訳ありません」
もう一度深く頭を下げる。
「あなたに謝ってもらわなくても結構よ。ここに私を連れてきたのは優さんなんだから。でも、知らない人についていってはいけないと言われてはいたけど、知っている人についていって不測の事態になるなんて」
じろり、と優さんを睨みつけるが、優さんは涼しい顔をしている。
「そろそろ乗らないか? さっきリリアンの制服を着た生徒が通って、たまたま彼女は気付かなかったみたいだけど、ここでずっとこうしていると気づく生徒もいるんじゃないかな」
もう一度睨んでから、祥子は後部座席に座った。祐麒さんも後部座席に座る。
運転席の優さんがエンジンをかけ、車はゆっくりと動き始めた。
「それで、お話は?」
祥子が聞くと、祐麒さんはビニール袋に入ったハンカチ大のタオルを取りだした。
「これは?」
「祥子さんのものでしょう。うちの学校祭で祐巳が置いてきた」
「ああ」
暑い季節お世話になったタオルだった。
花寺の学校祭で祐巳が生徒会室に取りにいったのだが、戻ってくる途中でなくしてしまったのだ。なくして困るものではないので、気にしないでといったのにわざわざ探しだしてくれたらしい。
「ちゃんと洗濯してあります」
なかなか受け取らないので祐麒さんが言う。
「返してくれなくてもよかったのよ」
「でも、祥子さんのものですし、このまま受け取ってくれないと僕が困ります」
そう言われて仕方がなくタオルを受け取った。信号で車が停まる。
「お話ってこのことではないのでしょう」
タオルが本題であればうまくいい繕って祐巳に渡せばそれで終わる。しかし、タオルを渡すためだけに祐麒さんが優さんまで使って祥子を呼び出すはずがない。
やはり気づいていたかという顔で祐麒さんは切りだした。
「話というのは祐巳がなぜそのタオルをなくしてしまったのかということです」
あの時祐巳はなかなか戻ってこなくて祥子は相当気をもんだ。ようやくイベントが終わる頃に戻って来た時は変わり果てた格好になっていた。
「もう済んだことだから、結構よ」
車は走っていた。風景を見る限り祥子の家に先に向かっているようだ。
「あの時もそう言われましたね。でも、それはリリアンの紅薔薇さまとしてのお言葉でしょう。祥子さんは祐巳のお姉さまで、祥子さんには祐巳の身に何が起こったか知る権利があると思いますし、祐巳がなんて言おうともあの時祐巳の身に何が起こったかを祐巳のお姉さまには伝えておきたいんです」
ミラー越しに優さんの顔を見るが、全く顔色を変えずに運転に集中しているようだった。
「だから」
祐麒さんが続ける。
「いいわ」
祥子は遮った。
「でも」
それでも祐麒さんは食い下がる。
「聞きたくないの」
少し強めに祥子は言った。
「どうしてです」
驚いたように祐麒さんは聞き返す。
「姉だから聞く権利があると言っていたけど、姉だからって聞く義務はないってことよ。それに、あのとき祐巳も言っていたけど、いうと困る人がいるのでしょう」
どうしてそんな格好をしているのか、あの時当然全員が思って聞いた。
祐巳は、自分がこうしないと困る人がいるのでこういうことになったと、これ以上は話せないと言った。
「祐巳がああまでしてまで内緒にしておきたいことを今さら引っ張り出して知ってしまってどうしろというの。私も困ってしまうわ」
話す気で覚悟を決めてきた祐麒さんは面食らってチラリとミラーの方を見るが、優さんは口をはさむ気は全くないらしい。
角を曲がって、もうすぐ家に着く。
「もし、祐麒さんがどうしても借りを返したいというのであれば、そうね……山百合会の舞台劇の話は聞いていて?」
「はい。祐巳が修学旅行に行く前に……あっ!!」
思い当たったようで祐麒さんは顔色を変える。
「黙ってそれを引き受けて、いい舞台にしてくれればそれでいいわ。優さん」
車は家の門の前に停まっていた。
「ここで結構よ。送っていただいてありがとう」
優さんが祥子の方のドアを開けてくれたので車を降りた。
「話はすんだのかい?」
「ええ」
もう祐麒さんは話す言葉が見つからないというようにうなだれている。
「ごきげんよう」
祥子は二人に挨拶すると家の門を開けて中に入った。