【3436】 イントロ流れて  (朝生行幸 2011-01-14 23:08:18)


 お昼休みのこと。
 一年椿組の教室で、松平瞳子が二条乃梨子を始めとする友人たち数人と、昼食を摂るために机を引っ付け、お弁当の包みを解いたその時。
 教室のスピーカーが、突然ガピ〜とノイズを発した。
 その音の奥には、咳払いをしたり発声練習をしているような声が、微かに含まれていた。
 誰かの呼び出しか、あるいは簡単な校内放送の類だろうと、聞くとは無しに聞きつつ食べていると、アコースティックギターの穏やかな音色が響きだす。
 その曲は恐らく、誰もが一度は聴いたことがある、有名なCMソングのイントロダクション。
「懐かしいねこの曲」
 やはり聴いたことがある乃梨子が、小さくそう呟いた直後。

『はじめてーじゃ、なーいのさ〜♪』

「祐巳さま!?」
 めいいっぱい聞き覚えのあるその歌声に、思わず乃梨子が叫んだ。
「えぇ!?」
 瞳子も「なんで?」といったニュアンスを含めて、感嘆の声を上げた。
 もちろん、紅薔薇のつぼみの声であることには気づいているようだが、何故か福沢祐巳が校内放送で熱唱するこの妙なシチュエーションに混乱でもしているのか、すぐにはイコールで繋がらなかったようだ。
 クラスメイトたちも、声の主が祐巳であることを知って、黄色い悲鳴を響かせた。
「静かに!」
 乃梨子がそっと窘めると、それに応じてクラスが一瞬にして沈黙に包まれる。
 歌は続く。

──いつでも一緒だから いま何か感じてる このフィーリング
──さわやか君に I Feel Toko

「ブッ!?」
 瞳子が、慌てて口元を押さえる。
 もう少しで、口に含んでいたモノを噴出してしまうところだった。
 明らかに“トーコ”と言った祐巳の歌声に、再びクラスに黄色い悲鳴が響き渡る。
 椿組の喧騒と瞳子の混乱を余所に、祐巳の歌は続く。

──毎日が新しい このフィーリング ひとりじゃないのさ I Feel Toko

 歌い始めは、少し緊張でもしていたのか、いささか調子外れではあったが、興が乗ってきたか、或いは開き直ったか、ビブラートまで効かせて、かなりノリノリ(死語)で歌い続けている。

──君だけにほほえみを このスマイリング わかっているのさ I Feel Toko

 間奏のトランペットソロが響く中、当の瞳子は唖然とした表情で、呆然としながら曲に聴き入っていた。
 乃梨子は内心、「やるなぁ祐巳さま」と、いたく感心していた。
 本来の歌詞では『I Feel Coke』のところを、わざわざTokoに置き換えている。
 生徒教職員を含め、学園内のほぼ全員が聴いている中、歌の形で祐巳が瞳子を名指ししているのだ。
 これはどう考えても、祐巳が瞳子にプロポーズしているとしか思えない。
 しかも祐巳は、次期紅薔薇さまがほぼ約束されている立場であり、故に山百合会を神聖視しているリリアン生のこと、瞳子を妹にしたいと思っている生徒がいたとしても、「紅薔薇のつぼみは松平瞳子を狙ってますよ」という宣言に他ならないこの行動に、おいそれとは手を出せない状態になってしまった。
 更に、ここまでされながら、もし瞳子が祐巳の申し出を袖にするようなことがあれば、山百合会の看板に泥を塗るようなものであり、薔薇の館の入り口に犬のフンを置くようなもの。
 ここにいたっては、瞳子も追い詰められたに等しく、もはやチェックメイト寸前ってところ。

──毎日が新しい このフィーリング 君に伝えたい I Feel Toko

 そろそろ曲も終盤。
 乃梨子の記憶では、確かこの曲はここから先、ラストまで「I Feel〜」の部分を繰り返して歌うはず。
 ……と言うことは。

『アーイ フィール トーコ♪』
『アイフィールトーコ♪』
『アーイ フィール トーコ♪』
『アーーイ フィーール トーオーコォ♪』
『アイフィールトーコ♪』

 様々なアドリブを加えながら、フェードアウトするまで「I Feel Toko」が連呼されることに。

「……な」
 立ち上がった瞳子は、思わず叫んでしまった。
「なにをやっているのですか祐巳さまは〜〜〜〜〜!!!!????」



 その後、祐巳は学園長に呼び出され、軽い叱責を受けたが、「それもまた、姉妹成立のひとつのあり方」と、結局お咎め無しとされた。
 程なくして瞳子は無事、“紅薔薇のつぼみの妹”となったが、あの騒ぎが決定打となったのかどうかは定かではない。

 この“紅薔薇のつぼみワンマンショー”以降、『I Feel Coke』改め『I Feel Toko』は、祐巳が卒業するまで、彼女のテーマソングとして、学園内で公認されたとかされなかったとか。


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